八話 訓練所
俺は体重増加と腹いせも兼ねて朝食のチキンセットを3セット頼んだが、アイリスも同量のセットを頼み、腹いせ目的はたいして効果がなかったようだった。
むしろ、
「君はもっと食べた方がいいぞ」
などと忠告され、フィッシュ&チップスのセットをもう3セット頼む羽目になった。
美味いけれど、腹がはちきれそうになりながらそれらを詰め込みながら、俺は聞いた。
「アイリスは冒険者なのか?」
魔力比べでは俺が勝ったが、アイリスの本分は剣士だろう。
それを考えれば十分強い魔力を保有していたし、何よりネイアのように自由っぽい。
だから聞いた見たのだが、アイリスは首を横に振った。
「残念ながら冒険者志望ってところだ。でも意外だな。君から冒険者なんて言葉を聞くとは」
宮廷魔術師にでもなりに来たのかと思った、とアイリスは言った。
なら力仕事じゃないんだからこんなに食べさせるんじゃないよ、と思いつつ、俺は魚のフライとチキンのバター焼きを食べる合間に言う。
「俺も冒険者志望なんだ。ネイアって言う冒険者に会ってさ」
ネイアの名前をを聞くなり、アイリスは今までの様子とは打って変わって、席を立たんばかりの勢いになった。
「ネイア・ダンタルフ! ダークエルフの?」
「お、おう。ダークエルフで、強くて、なんかすごく自由な女だった」
「強いなんてものじゃないぞ。彼女は世界で十指に満たないほどしかいないSランク冒険者だ。私の師もSランクだけど、彼女は別格と言うか、いやそれは個人的な意見だな、単純に剣士としての憧れがある」
アイリスは好きなものを勢い良くしゃべりだして、途中で我に返ってトーンダウンするような、非常に人間味あふれる様子で言った。
Sランクがどれほど凄いのか、と言うのは伝承級魔法生物を一太刀で斬って見せたネイアの姿からは容易に想像できる。
ネイアは簡単にやって見せたが、伝承級より一枚落ちる元君主級魔法生物だった事を思い出した今では、それが尋常ならざることだったというのは分かる。
多分、Sランクと言うのは人類種最高峰の分類なのだろうと思う。
けれど、さらっと言ったがアイリスの師匠もそれに類する存在とは、そっちの方が気になった。
「ネイアのことは置いといて、アイリスの師って? さっき言ってたミリアルって人?」
先ほどミリアルに自慢したいだとか何とか言っていたので、名前を挙げて聞いてみた。
「いや、ミリアルは何と言うか、妹弟子みたいなものだな。私と、いや、私たちと同じ冒険者志望だ。師匠は猫人族の……まあ、強い人だ」
猫人族。その名の通り猫耳の生えた亜人種だ。
強いというのであれば会ってみたい、と口をもぐもぐさせていると、先んじてアイリスが言う。
「ぜひ君を師匠に紹介したいところだが、冒険者試験のことは知っているか?」
「いや、知らない。そもそも、冒険者ってどうやってなるのかも知らなかった。試験を受ければいいのか?」
俺はパンを飲み込んで言った。
そう言えばネイアがめっちゃ狭き門とか言っていたが、試験は難しいのだろうか。
正直座学だとあんまり自信がない。
「その試験の日時と場所を知るところから試験は始まってるんだが、それはネイア・ダンタルフには聞かなかったか?」
「えーと、なり方を知るのが冒険者の一歩だとか何とか言ってた気がする」
俺の返答を聞いて、アイリスは少し考える様にパンを口に運ぶ左手を止めた。
「そこも含めてちょっと師匠に聞いてみる。1日ないし2日、待ってくれ」
そう言って、食事を再開する。冒険者のなり方、というのはそんなにデリケートな話だったのだろうか。
それを聞くのも何だかはばかられて、俺はそのまま食事を続けた。
そして俺が何とか六人前の朝食を食べ終えると、その後でアイリスは訓練所の場所や月極で部屋と寝具の貸し出しを行ってくれるアパルトマンのことなどを教えてくれた。
そして料理屋の前で別れた。彼女はこれから用事があるとの事だった。
訓練所に居れば、そのうち声をかけに行くということで、今後の方針は定まった。
「まあ、何も分からないままよりは前進出来てラッキーだったな」
俺はそう思うことにして、アパルトマンの契約を済ませて、食材の買い出しなどをして、中々広いアパルトマンの一室でキックや空手、古武術の型稽古などをシャドーボクシングの要領で一通りこなした。
別段不都合はなかった。身体は違っても覚えている限り自由に体は動いた。
それよりも朝に食べすぎたせいで3食きちんと摂ることの方が難しかった。
「いや、食うのも修行のうち」
そう自分に言い聞かせて無理やりにでも詰め込む。
魔術で補強しているとはいえ、でかくて損することは無い。
今の俺は痩せすぎなので、少しでも肉を増やさなければならないのだ。
そして一夜が明け、俺はディスペアの訓練所に居た。
巻き藁が並んでいるところは里の訓練所とさして変わらないが、広さが全然違った。
さすがにと言うべきか、こちらの方が圧倒的に広い。
攻撃魔術用のスペースがあったので<ファイアボルト>を試してみることにする。
柵で仕切られ、16メートルほど先に防魔術処理を施された巻き藁が等間隔に並んでいる。
そのうちの一つに目掛けて、
「<ファイアボルト>」
魔力を編んで炎の矢を射出してみた。
手の先から炎が渦のように巻きあがり、一塊になって目標に向かってまっすぐに飛んでいく。
弓矢のようにとんでもない方向に飛んでいく、と言うことは無く、無事に目標の巻き藁に当たったけれど、俺は眉根を寄せた。
「魔力効率が悪いな」
威力はまあまあ高い。けれど、同じ分魔力を使うのであれば、3回殴った方が早くて強い。
あくまでもサブウエポンと割り切った方がよさそうだった。
俺はもう3度ほど<ファイアボルト>を試し、もう十分だと判断して、近接武器用の巻き藁のスペースへと移動した。
「うわ、何だなんだ」
人がまばらだった魔術用のスペースと比べてこちらは人がいっぱいいた。
数えきれないほどの、若い顔つきをした人間が熱心に巻き藁に向かって刃を潰した剣を振っていた。
刃を潰しているとはいえ、それは重い鈍器に他ならないわけで、どの顔も汗を浮かべていた。
「ディスペアが都会だからか?」
なかなか空いている巻き藁が見つからなかったが、ようやく見つけて二、三度殴ってみた。
耐衝撃用の防御処理をされているようで、びくともしない。
本気で殴っても問題なさそうだったので、<ストレンジアップ>と<身体強化のルーン>を体に刻んで、サンドバックのようにひたすら殴り続けた。
メシメシと音を立てるが、一向に壊れる気配がないのが頼もしい。
俺は嬉しくなって右ローキックから左フック、渾身の右ストレートパンチと得意のコンビネーションを試した。
そこでバキリと音を立てて衝撃に耐えきれなくなった巻き藁が折れた。
「あー、しまったなぁ」
弁償とかしなくちゃいけないのだろうか。
そんな心配をしていると、人間の若者が声をかけてきた。
「やるねえ、エルフの。お前も近衛の募集で来た口か?」
ごつごつした顔つきの、がっしりとした男だった。
鎧は身に着けておらず、こん棒のような刃を潰した大剣を肩に乗せている。
「このえ? いや、違うけど。それって何?」
「ディスペア王宮の近衛兵の募集だ。近々あるってんで、ここらの若いのはみんな訓練所に詰めてんのさ」
「ああ、なるほど」
だからこんなに人が多いのか。
まあ、近衛兵の募集には興味が湧かないな。
王宮勤めとか堅苦しそうだし。
そう思う反面で、こうやって若者が一所に集まって夢に向かって努力しているのは、とても良い光景である、とも思った。
「俺はロンソ・アロンソ。冒険者志望だ」
俺は握手を求めて手を差し出した。
アイリスのように悪戯目的ではなく、単純に挨拶のための行為だ。
けれど、相手は変な顔をしてあいさつに応じなかった。
なんか変な生き物を見てしまったような、そんな顔をしていた。
「冒険者? そりゃおとぎ話の登場人物だろうが。エルフの国ではそんな世迷い事が通ってんのか?」
今にも笑い出しそうな顔で男は言った。
冒険者、と言う言葉が波及し、あるものはあからさまに侮蔑の目でこちらを見て、またあるものは笑い出した。
こつごつした顔の男は、俺の胸をぐいとつかむと、顔を近づけて目をむいて言う。
「よう、夢見るエルフ。俺たちは真剣に稽古に励んでんだ。冒険者なんて与太話は他所でやってくれねえか、目障りだ」
「俺だって真剣だよ」
冒険者の世間での扱いがどういったものかは知らないけれど、別に彼らの邪魔をしているわけではない。
他所に行く必要なんて一つもないように思われたので、そう答えた。
男は怒りをあからさまにした。
「邪魔だっつってるんだよ。ひょろひょろの馬鹿エルフが!」
鼻っ面に拳骨を喰らった。
<身体強化のルーン>は刻んであったが、男の膂力はなかなかのもので、鼻血が出たようだった。
けれどほんのちょっとの量だ。俺は親指の付け根でそれをぬぐって、言う。
「どこで何をしていようが俺の自由だろう? それを迷惑と言われるのはこちらが迷惑だ」
胸をつかんでいた男の腕を捩じって外した。
「それに俺は人の夢を馬鹿にするやつが嫌いだ」
そう言って鼻っ面を殴り返してやった。
鼻骨が陥没し、ごつごつした顔に凹凸が一つ増えた。
「エルトポがやられたぞ!」
「冒険者エルフ、ぶっ殺すぞ」
あたりに剣呑な雰囲気が立ち込める。
多分、エルトポと言うのはこのごつごつ顔の男の名前なんだろう。
完全にノびている彼はそれなりに名前の知れ渡った顔らしい。
「俺は冒険者じゃなくて冒険者志望だ。文句ある奴はかかって来いよ」
くい、と四指を上げて挑発すると、四方八方から訓練所に居た男たちが襲い掛かってきた。
刃を潰してはあるがこん棒のような剣を振り回してくる。
俺はそれらを避け、あるいは破壊し、よろけた男を殴りつけ、向かってくる男の顎を蹴り上げた。
魔力は乗せていない。ただし、力のタリスマンと2種の魔力バフは健在で、ただの人間ならばこれで十分だった。
「結構やるぞ、全員でかかれ!」
一体の暴力と化した男たちの攻撃を俺は徹底的に捌き、一人ずつ確実に伸びさせていった。
こいつらはもしかしたら正しいのかもしれない。俺がただ異端だったのかもしれない。
近衛兵を目指し訓練していた彼らは、俺にとって好ましいものだったから。
けれど、今は違った。
俺の道を否定し、馬鹿だと笑った彼らに同情心など一つもなく、俺は鎧を身に着けた者すら、その鎧ごと破壊した。
殺されないだけありがたいと思え、と言わんばかりに拳足を振るった。
途中、ゴイン、と変な音を立てて拳が止まった。
「ふはは、俺の鎧はアダマンタイト合金だぶへあ!」
裕福そうな栗毛の男の鎧を殴ったが破壊できなかったので、顔面に前蹴りを見舞った。
その一瞬の隙に背中に打ちかかってくる気配があったので、後ろも見ずに回し蹴りを放つと、剣ごと男の体を薙ぐ形になって、その男は吹き飛ぶように近くの巻き藁にぶつかった。
辺りはいつしか静寂に包まれていた。
遠巻きに何人かこちらを見ているが、完全に戦意を失ったようで、向かってくる気配はない。
「ふう」
俺は息をついて、最初にからんできた男、エルトポがノびている傍に寄った。
本来俺は禁呪<レベルドレイン>を人間種相手に使うつもりはなかった。
使うのであれば知性の低い魔物相手だけにしようと。
何故ならばそれは相手の今まで積んで来た研鑽、努力を根こそぎ奪う、汚い行為だと思ったからだ。
でもこいつ相手ならば話は違う。俺の夢を馬鹿にした相手にはどれほど残酷なことでもできる。
「<レベルドレイン>」
小さく、自分に言い聞かせるだけの声で俺はそれを唱えた。
リザードマン相手に使った時よりも少ないステータスが上がり、ついでにスキル<健脚>を覚えた。足が速くなるらしい。だから何なんだという感じではあるが。
「そこまでにしろ!」
もうとっくに終わっているのにそこまでも何もあったものではない。
そう思いながら声の方向を見れば、立派な重装備の憲兵さんが何人もこちらに槍を向けて迫っていた。
まあ、こんな問題起こしたら捕まるわな。
ここでさらに暴れて逃げ出すことも出来たが、それは俺の好みではなかった。
俺はこいつらが殴って来たから殴り返した。後悔はしていないし、あとは好きにしてくれ、と言う感じだった。
「はいはいっと」
俺は両手を上げて、憲兵に従った。
どうもこのまま王宮に連行されるらしい。
まあ、先に手を出したのは向こうだと分かれば重い罪に問われることもないだろう。
ただ、今の空気ではとても落ち着いて話が出来そうにないのでとりあえず憲兵の言うとおりにした。
そして一つだけ、アイリスとの約束、師匠を紹介してくれると言う話を反故にする結果になったことだけは、反省が必要だと思った。




