二話 ダークエルフと神
里にほど近い森は、大人のエルフが狩りに出かける場所だが、今日は狩りの日ではないから静かな筈だった。
そう思ったからこそ俺は誰もいないであろう森へとやってきたのだが、どうも様子がおかしかった。
大地は小さく揺れ、甲高い音が鳴り響いていた。
「地鳴りと……金属の打ち合う音?」
時折雷鳴じみた、空気を切り裂くような音も聞こえる。
普段の俺だったら、この間違いなく物騒なことが起こっているであろう音を耳にして、近づくような真似は絶対にしなかっただろう。
だが、今日の俺はやけっぱちになっていたから、自分の方からその音源に向かって歩いていた。
その場所に近づくにつれ、金属の立てる音は大きくなり、雷鳴は殆ど落雷のような様相を示していた。
たどり着いた震源地にはやはりと言うべきか、魔物と戦うエルフの姿があった。
けれど、そのエルフの姿は俺の想像していたものではなかった。
「ダークエルフか。初めて見たな」
浅黒い肌に長い銀髪。銀の胸当てを付けた鎧姿に、両手で巨大な鉄の塊のような剣を持っている。
存在は何となく聞いたことはあったけれど、見たのは初めてだった。
顔つきからそれが女性であるということがわかる。
エメラルドのような翠の瞳はしっかりと彼方の魔物の方へと注がれていた。
魔物の方は青ざめた馬のような体に、白いたてがみをいからせた姿をしていた。
それほどの巨体には見えないが、その四足が一歩踏みしめるたび、大地が小さく揺れる。
何よりも特徴的なのは頭から伸びた一本角で、白いたてがみに稲妻を迸らせ、その角から魔法のように射出しているようだった。
「ふっ、やぁっ!」
ダークエルフは矢のような稲妻を避けながら大剣で魔物に撃ちかかるが、魔物はそれを角で弾き返した。
そして何度か打ち合い、やがて魔物優勢になり、その角がダークエルフの体を貫かんとする瞬間、ダークエルフは大きく後退し、それを避けた。
先ほどからそれを何度も繰り返しているようだった。
見ている感じだと、ダークエルフよりも魔物の方が強いように思われた。
大剣で打ち合っては後退を繰り返すダークエルフは、放っておいたらこのまま角に貫き殺されるのではないかと思った。
「ブモオオオオオオオッ!」
魔物が大きないななきを上げた。
白いたてがみの稲妻が一層猛り、次の攻撃が今までの比ではないことが予見された。
普段の俺だったら心底震え上がって逃げ出していたに違いないけれど、その時俺はたまたま持ったままになっていた訓練用の弓矢を、ごく当たり前のようにつがえていた。
ろくでもない一生だったけれど、最後くらい誰かの役に立とうと思ったのだ。
魔物を狙って引き絞り、矢を放った。
「……え?」
それはエメラルドの瞳を丸くしたダークエルフの声で。
唐突に表れたエルフと、へろへろと魔物の頭上を泳ぐように飛んでいく矢に驚いた声だったのだろう。
俺は魔物の頭を狙って撃ったつもりだったが、訓練で当たらない矢が実践で当たるわけもないのだった。
「ブモッ!?」
驚いたのは魔物も同様だったようで、いきなり自分の感知範囲内に現れた矢を相当警戒したのだろう。
今までダークエルフに向いていた頭が初めて頭上に向かい、空の矢へと溜めた稲妻を放った。
それは地から天へとさかさまに落ちる落雷のような一撃だった。
矢は瞬時に雷の濁流にのまれ、消え去ってしまった。
一方で、魔物の視界から外れたダークエルフは既に距離を詰めていた。
「なんかよく分からんが隙あり!」
気合が入っているのかいないのかよく分からない掛け声とともに、ダークエルフは大剣を薙ぎ、一太刀で魔物の首を切り裂いた。
ごとり、と見た目以上の質量のありそうな音を立てながら魔物の頭が地面へと落ちる。
すかさず、ダークエルフはとどめを刺すように、その頭に大剣を突き立てた。
魔物の胴体も一拍遅れて倒れこんだ。
ずしん、と地響きがなるそれに、ダークエルフは目もくれなかった。じっととどめを刺した頭を見つめていた。
その一連の鮮やかさに、思わず目を奪われる。
ダークエルフが魔物を打ち倒すその光景が、俺の目には雷よりも眩しく映った。
「色々仕掛けたのがアホらしくなるような結末だったけど、終わり良ければ総て良しか。まあ、助かったよ、へっぴり腰の射手殿。きみ、アロンソ村のエルフかい?」
ダークエルフは厳めしい鎧姿と光景とはうらはらに気さくに話しかけてきた。
アロンソ村というのは俺が住んで居たエルフの里の名前だ。
「そうだ。名前はロンソ・アロンソ。矢があんたに当たらなくて良かったよ」
俺はへっぴり腰と言われて言い返せない自分の腕を恨めしく思いながら言った。
「そうむくれるなよ。それはただの矢だろう? こいつに当たったところで外皮にはじき返されてお終いだ。大きく外れてくれてむしろありがたいくらいだ」
ダークエルフは布を取り出して、大剣に着いた血糊を丁寧にぬぐいながら言う。
「私の名前はネイア・ダンタルフ。この森の神様を殺すクエストを請け負った『冒険者』だ」
「神様? 冒険者?」
俺は突拍子もない単語と聞きなれない言葉が聞こえて、おうむ返しに聞き返した。
「そう、こいつが神様。なのでアロンソ村のエルフ殿におかれてはしばらく農作物の実りが悪くなるかもだけど、許してくれたまえ。冒険者と言うのは時に住人よりもクエストを優先する生き物の事を指すので」
ダークエルフ――ネイアはあっけらかんと言った様子で、魔物を指した。
軽い調子で言うけれど、内容は看過できないものだった。
「農作物の実りが悪くなるって、何で?」
「そりゃ神様が死んじゃったからね。加護が薄くなって魔術が効きにくくなる。君んとこの村も農耕には魔術を使ってるんだろう? まあ、そのうち他所からまた神様が居つくまでの辛抱だよ。何年か何十年か先になるかは知らないけど」
魔術が効きにくくなる? そんなことがあったら大事だ。
村では成長促進の魔術を前提で農作物を作っている。
冬が来るまでにある程度備蓄できなければ、飢える者も出てくるかもしれない。
「なんで、こんな事を……」
俺は声を搾り出すように、神様と呼ばれた魔物に目をやりながら言った。
「だからクエストのためだよ。この神様、別名を伝承級魔法生物、神獣種の麒麟って言って、その種の幼体なんだけど、この一本角を取ってくるように頼まれたから。でもさ、角を折るわけにはいかないから苦労していたところを助けてくれたのは君だぞ?」
「それは知らなかったから……」
「知ってたら手伝ってくれなかった?」
ネイアは状況にそぐわない悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
俺はそれに首肯したが、ネイアは全てを見透かしたようなエメラルドの瞳でまっすぐこちらを見て、軽く頭を横に振った。
「私はそうは思わない。やせっぽっちのアロンソ村のロンソ・アロンソ君、きみ、孤児だろう?」
ネイアはこちらをじっと見つめたまま言った。
そして俺の返事を待たずに続けた。
「エルフは子が出来にくい分、親子の愛情はとても深い。反面、孤児の扱いと言ったら厳しいものだよ、とダンタルフ村で育ったネイア・ダンタルフはそう思うわけだ。こんな村滅んじまえ、くらいには。君はどう思う?」
ネイアにそう言われて、はたと気が付いた。
本来あるべき、生きるための知識、技術がまるでない自分。
いつも孤独で、苦境に立たされてなお誰一人として気にも留めない村の人たち。
それはそういうものなのだと思っていた。
けれど、ネイア・ダンタルフの言うとおりだった。ファミリーネームが村の名前と言うのは、エルフの孤児の証左でもある。
俺は村の一員として働きたかったのに、それを許してくれなかった村に対して、心のどこかで恨んでいた。
「まあ冬の間多少きつい思いするくらいで、実際には滅びないけど。でも、死なない程度にきつい思いをするのって、一番の毒だと思わない?」
「そうだな」
ネイアの悪戯っぽい笑顔に呼応するように小さく笑って、俺は頷いた。
「あんたは、凄く自由で羨ましい。冒険者ってのになれば誰でもそうなれるのか?」
「誰でもってわけじゃあないけど、そう在ろうと思えばそう在れる職業ではある。けれどめっちゃ狭き門だぞ、少年」
「もう青年期だぞ、俺は」
「ありゃ、そいつは失敬。お詫びついでにこの神様の肉を上げよう。私は角以外要らないけど、そうだなあ、背中のいいとこ二個切り取ってあげるから、一個は食べてもう一つは売ると良い」
「神様の肉を食べる? 食べて大丈夫なのか?」
「君が冒険者になれるかどうかは分からないけど、なりたいならすぐにでも食べたほうがいい。新鮮なうちに食べれば潜在能力が目覚め、頭は三世代前まで思い出すほどくっきりする。それに売れば路銀にくらいはなるよ。神性が消えたらただの美味しいお肉だけど、けっして腐らないからね」
「路銀って、もう俺が出ていくのは確定みたいな言い方だな」
「もう一人立ちしたい頃合いだろう? 青年ならさ」
ネイアはずっと変わらない、見透かしたような瞳で笑って、そう言った。
「そうだな。もう自分の力で生きていく頃合いだ」
と、俺は笑って答えた。




