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仏教スペシャル

作者: Mako

超超超 宗教編『仏教スペシャル』


仏教スペシャル(1)


一口に仏教と言ってもその経典(きょうてん、お経)は6000巻にもおよぶもののようです。

それぞれに異なる教えが書かれているので、その中のどの経典を重視するかによって、宗派というものが誕生します。

また、同じ宗派であっても解釈の違いによって流派が生まれ、それがもとで分派したりするのです。

そうした数多くの経典や宗派の違いによって、仏教は難しいものという印象を与えているのではないかと感じます。

私は専門家ではないので数多くの経典や宗派など細かいところは分かりませんが、大まかに仏教について説明をしたいと思います。


仏教スペシャル(2)に続きます。


仏教スペシャル(2)


古代インド(現在のネパールの一角に当たる地方)の王子であった「ゴータマ・シッダールタ(Gautama Siddhartha)」は、地位・名誉・財産・家族(妻子)など、全てのものを捨て去って、出家(しゅっけ、世俗を離れて僧になること)します。

ゴータマ・シッダールタが住んでいた宮殿には4つの門がありました。

1つの門を出たときに、彼は老人と出会い、人間はいつまでも若くない、老いる苦しみがあるということを知ります。

別の門を出たときに、彼は病人と出会い、人間はいつまでも健やか(すこやか)ではない、病気になる苦しみがあるということを知ります。

さらに別の門を出たときに、彼は死人と会い、人間はいつまでも生きていられないことを知ります。

ゴータマ・シッダールタが知った人生の苦しみを「四苦しく」といい、「生・老・病・しょう・ろう・びょう・し」の4つを指しています。

この四苦にさらに4つ加わって「四苦八苦しくはっく」という言葉ができます。

四苦八苦というと足して12の苦しみがあるように思いがちですが、四苦プラス四苦の合計八苦という意味です。

生老病死に加わったのは「愛別離苦あいべつりく」・「怨憎会苦おんぞうえく」・「五蘊盛苦ごうんじょうく」・「求不得苦ぐふとくく」という4つの苦しみです。

愛別離苦あいべつりく」とは、人間はいつか必ず愛する者と別れなければならないという苦しみです。

怨憎会苦おんぞうえく」とは、絶対会いたくない嫌な人間に会う苦しみです。

五蘊盛苦ごうんじょうく」とは、人間に感覚があることによって起きる苦しみです。

求不得苦ぐふとくく」とは、望みがかなえられないことによって感じる苦しみです。


仏教スペシャル(3)に続きます。


仏教スペシャル(3)


ゴータマ・シッダールタは、この世はなぜ苦しみに満ちているのか、その理由を知るには何が一番大切なのか、ということに気づきます。

ゴータマ・シッダールタが気づいたのは、人間が苦しむのは執着するからだということでした。

ここでゴータマ・シッダールタは、執着することがなぜ苦しみになるのかということを考えます。

執着が苦しみを生むのは、この世のことは全て「無常(むじょう、永遠に変わらないものは一つもないということ)」だからです。

このことを「諸行無常しょぎょうむじょう」と言います。

諸行しょぎょう」とは、この世の全ての現象・全ての実体のことです。

この世の全ての現象・全ての実体は、どんなに強いものでも、あるいはどんなに綺麗なものでも、必ず滅びていきます。

永遠に存在するものなどないにもかかわらず、それがまるで永遠に存在するかのように錯覚さっかくして、守ろうとしたり、続けようとしたり、執着するから、人間は苦しむのだということです。

この「諸行無常」こそが、ゴータマ・シッダールタの教えの中核とされ、「悟り」と呼ばれるものではないかと思います。

言うのは簡単ですが、それを行なうことはとても難しいことです。


仏教スペシャル(4)に続きます。


仏教スペシャル(4)


仏教の根底にあるものは「輪廻転生りんねてんしょう」です。

輪廻転生とは「生まれ変わり」のことで、せいあるものは死んで肉体が滅びても、たましいは滅びることはなく、姿かたちは変わっても生き続けるという思想です。

輪廻転生には、「てん」「じん」「修羅しゅら」「畜生ちくしょう」「餓鬼がき」「地獄じごく」の6つの世界があるとされ、概要を説明しますと、

「天道」とは、天人に生まれ変わる。快楽に満ちて苦しみのない世界。

「人道」とは、人間に生まれ変わる。四苦八苦の苦しみのうちに生きる世界。

「修羅道」とは、阿修羅あしゅらに生まれ変わる。戦いにまみれ怒りと苦しみしかない世界。

「畜生道」とは、牛馬など獣に生まれ変わる。本能のみの救いのない世界。

「餓鬼道」とは、餓鬼に生まれ変わる。絶え間なく欲望に苦しめられる世界。

「地獄道」とは、地獄の囚人に生まれ変わる。絶望的な苦しみそのものの世界。

この6つの世界をぐるぐると回って、生まれ変わり続けることが輪廻転生です。

輪廻転生は「六道輪廻りくどうりんね・ろくどうりんね」とも呼ばれます。

ここで重要なことは、六道の最上位に位置する苦しみのない「天道」に生まれても、またもや他の五道に生まれ変わる可能性があるということです。

なぜならば、天道であっても輪廻転生における一つの世界でしかないからです。


仏教スペシャル(5)に続きます。


仏教スペシャル(5)


仏教はそれ以前にあった、古代インドの哲学や、古代インドの原始宗教が母体となっており、輪廻転生りんねてんしょうの思想もそうしたところから来ています。

古代インドでは「生きること、または、生き続けることは辛く苦しいことだ。なんとかこの苦しみから抜け出したい。」という思いが満ち溢れていました。

ゴータマ・シッダールタのように悟りを開くことで、輪廻転生から抜け出すとされています。

輪廻転生から抜け出すことを「解脱げだつ」と言い、解脱こそが仏教における救済です。

ゴータマ・シッダールタのように悟りを開いた者を「如来にょらい」または「仏陀ぶっだ」と呼びます。

如来とは「真理からやってきたもの、真理から生まれたもの」という意味で、原語では「ブッダ(Buddha、目覚めた人)」と言います。

この「ブッダ」という言葉の音(響き)に漢字を当てはめたものが「仏陀ぶっだ」であり、略して「ぶつ・ほとけ」とも言います。

また、ゴータマ・シッダールタは「シャーキャ族」の出身でしたから、「シャーキャ」という音(響き)に漢字を当てはめたものが「釈迦しゃか」です。

ゴータマ・シッダールタは「お釈迦さま」や、釈迦族の聖者という意味の「釈迦牟尼しゃかむに」と呼ばれています。


仏教スペシャル(6)に続きます。


仏教スペシャル(6)


お釈迦さまが亡くなった後に、仏教が分裂します。

お釈迦さまの仏教は基本的に個人の救済を目的としたもので、個人が悟りを開かなければどうにもなりません。

その為にはどうしても出家しゅっけ主義になりますが、それは誰にでもできることではありません。

そこで、個人の救済ではなく、大衆を救済する仏教があるべきだという考えが出てきて、「大乗だいじょう仏教」が誕生します。

「大乗」とは、大きな乗り物という意味で、例えるなら電車やバスのようなものです。

大乗仏教に対してそれまでの仏教を「小乗しょうじょう仏教」と言いますが、これは大乗仏教側からの差別語であり、現在では「上座部じょうざぶ仏教」という言葉が用いられます。

「上座部」とは、上座かみざに座っている人たち(長老)という意味です。


仏教スペシャル(7)に続きます。


仏教スペシャル(7)


大乗仏教によって、「薬師如来やくしにょらい」「阿弥陀如来あみだにょらい」「大日如来だいにちにょらい」など、さまざまな仏陀ぶっだが誕生します。

これらの如来は、長い人類の歴史において悟りを開かれたのはお釈迦さま以外にもおられた、という考えから生まれたのです。

そうした如来の中で、最も特徴的なのが「阿弥陀如来」です。

阿弥陀如来(原語では、アミターバ[Amitabha]あるいはアミターユス[Amitayus])はもともと古代インドの修行者で、お釈迦さまとも交流があったことになっています。

阿弥陀如来が他の如来と決定的に違うのは、誓いを立てたということです。

その誓いとは、『私(阿弥陀)を念仏すれば、私の「浄土じょうど」に生まれ変わらせる』と、具体的な方法を示しているのです。

「浄土」とは、如来が住む欲望や苦しみのない世界のことで、輪廻転生りんねてんしょう六道りくどう・ろくどうとは別の世界です。

一人の如来が一つの浄土を持つとされ、

釈迦如来の「霊山浄土りょうぜんじょうど」、

薬師如来の「東方浄瑠璃浄土とうほうじょうるりじょうど」、

阿弥陀如来の「西方極楽浄土さいほうごくらくじょうど」、

大日如来の「密厳浄土みつごんじょうど

など、それぞれ固有の名前が付けられています。


仏教スペシャル(8)に続きます。


仏教スペシャル(8)


一般的に「浄土」と言った場合には、阿弥陀如来の極楽浄土ごくらくじょうどを指します。

なぜならば、阿弥陀如来だけが唯一『私(阿弥陀)を念仏すれば、私の「浄土」に生まれ変わらせる』と、具体的な方法を示しているからです。

日本では死ぬことを「往生おうじょう」と言います。

「往生」とは「行って生まれる」という意味です。

これは「阿弥陀如来が治める極楽浄土に行って生まれる」という意味で、阿弥陀信仰(浄土信仰)と言えるものです。

阿弥陀如来が治める極楽浄土に生まれ変わることで、とりあえず輪廻転生から抜け出します。

そして、極楽浄土において、阿弥陀さまの指導のもとで、「悟りを開く」ことを目指すのです。

そうすることで、悟りを開けない者であっても「生きること、または、生き続けることの苦しみ」から救済されるのです。

このように大衆の救済を目的としているのが大乗仏教です。


仏教スペシャル(9)に続きます。


仏教スペシャル(9)


仏教には「如来にょらい」の他にも「菩薩ぼさつ」「明王みょうおう」「天部てんぶ」があります。

「如来」とは、悟りを開いた者のことで、「仏陀ぶっだ」とも言います。釈迦如来・阿弥陀如来などを指します。

「菩薩」とは、悟りを開く直前の修行者のことで、人々に救済をほどこす存在です。悟りを開く前のお釈迦さま(王子時代のゴータマ・シッダールタ)がモデルとなっており、宝飾品を身につけています。

観音さま(観世音[かんぜおん]菩薩・観自在[かんじざい]菩薩)、

お地蔵さん(地蔵菩薩)などが有名です。

意外なところでは、地獄の番人・地獄の王などと呼ばれる、閻魔えんま大王も菩薩です。

また、弥勒みろく菩薩は釈迦入滅(にゅうめつ、亡くなること)後、56億7千万年後にこの世に現れ、悟りを開いて人々を救済するとされる未来仏です。

「明王」とは、如来の化身けしんとして、教えさとすことのできない者を、怒りの表情で導く者です。

愛染あいぜん明王・不動ふどう明王・孔雀くじゃく明王など。

「天部」とは、仏教以前の古代インドの神々で、仏教の守護神とされています。

天部の頂点には帝釈天たいしゃくてんがおり、帝釈天に仕える四天王してんのうが東西南北を守護しています。

東方の持国天じこくてん・西方の広目天こうもくてん・南方の増長天ぞうちょうてん・北方の多聞天

(たもんてん、多聞天の別名は毘沙門天[びしゃもんてん])が四天王です。


仏教スペシャル(10)に続きます。


仏教スペシャル(10)


古代インドで誕生した仏教は、大きくは上座部じょうざぶ仏教と大乗だいじょう仏教に分裂しました。

大乗仏教によって如来の数が増えたことで、経典(きょうてん、お経)の数も増えたのです。

上座部仏教は、ミャンマー・タイ・カンボジアなど東南アジアへと伝わり、大乗仏教は、ヒマラヤを越えてチベットや中国に伝わり、中国から朝鮮半島や日本へと伝わったのです。


仏教スペシャル 完


超超超 宗教編『仏教スペシャル』


September 6 , 2018

Mako

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