瞑想の部屋という名の、落書きの部屋1 おい、いきなりでビビってるだろ?
ここだけで、呆れたことに二十畳くらいの広さがある。
ベッドがあるし、見た限りでは間違いなく寝室だが、なぜか枕元から少し離れた壁際に、決して狭くはない、四角く区切られた黒い石造りの区画があった。
入り口の代わりに、正面に当たる部分に手形のような印があるが、それ以外には窓もなければ、きっぱりドアすらない。
天井部分は、寝室の本当の天井とは別になっている。
簡単に言えば、六畳間程度の広さの石造りの部屋が、なぜか寝室の片隅を占領しているようなものだ。
さらに、このぽつんと独立した部屋の下部には、魔法陣が描かれてあった。
「あれは?」
「さすがにお目が高いですわ」
ベアトリスは微笑して、謎の黒い部屋の前に立つ。
「我々信徒は、わたしを含め、この部屋に入ることを一切許されておりません。ただ、皆はここをメディテーションルームと呼んでいます。なにか慣習や生活などで疑問があれば、もちろんこのベアトリスにお尋ねになるのも構いませんが、ロワールさまがここに入って瞑想すれば、たちどころに神としての本来の英知が蘇りますし、その御力の一部も、一晩で蘇るはずですわ」
「神の身と言えども、人間として受肉したからには、過去の知識や記憶は失われるはずでは?」
確かロワールは、元住んでいたアパートでの説明で、そう聞いた気がする。
「その通りでございます。ですから、思い出す知識はあくまで、必要最低限になりましょう。それと、元々の神力も。これはやはり、教祖さまの立場としては必要なことも多いので、この部屋に入って一晩経てば、きちんと一部の神力が蘇るのです」
――元々は、ロワールさま本人がそうお決めになったことです、とベアトリスに言われた。
「神力……そうか」
こっそりそれも尋ねるつもりだったが、やはりロワール個人にも、それなりの力というか、神通力みたいなものがあるらしい。
それはまあ、神の化身というからには、ないと体裁が悪いだろう。
ロワールを受肉した神だと信じる信者達も、納得すまい。だが、瞑想が必要とは知らなかった。
正直、こんな辛気くさい部屋に閉じこもったところで、なにも得るものはないような気がしてならないが、まさか黄金神官にそんなこと言えない。
ロワールはやむなく頷き、納得した振りをした。
「では、しばし瞑想にふけりたいが、その前に指示だけしておきたい」
諦めて切り出すと、ベアトリスは表情を引き締め、「畏まりました! すぐに手を打ちます」と低頭した。
「ご命令をどうぞ!」
いや、そう張り切られても困る。ロワールとしては、むしろ今から出す命令の、詳細な駄目出しを望むほどだ。
表情には出さないが、ため息が出そうだった。
「うん……実は本拠の移転のことだが」
ロワールは自分の考えを伝え、ベアトリスは異論なく笑顔で「ご命令の通りにっ」と言ってくれた。くどいが、あまり自信ある命令ではなかったので、意見が欲しかったのだが、今はやむを得ない。
いずれベアトリスには、もう少し「相談に乗る」という立場を理解して欲しいと願う他ない。
後は、「早いが、今日はもう休むので、数時間ほど誰も寄越さないように」と伝え、ベアトリスにも引き上げてもらった。
精神的に疲れたとはいえ、こんな宵の口から眠れるはずないが、ロワールは今のうちにぜひともやるべきことがある。
……言うまでもなく、この世界で教祖面するために必要な基本的な知識と、そしてもちろん、神通力みたいなのが得られるのなら、今のうちに欲しいということだ!
なにしろ、つい半時間前に、皇帝に喧嘩を売ったも同然なのだから、早ければ早いほどよい。
「しかし、メディテーションルームとやらに入る方法がわからんぞ? もしかして、この手形か?」
これまた自信はないが、ロワールは正面のショボい手形を象った紋章に、自分の右手を置いた。これで変化がなければ焦ったところだが、幸いちゃんと反応した。
紋章部分が光ったと思うと、音もなく壁の一部が開いたのだ。
「おおっ」
眼前には豪勢な刺繍があるカーテンみたいなのがかかっていたが、大事なものはこの奥ということだろう。
ロワールはためらうことなく、カーテンもどきを払いのけ、先へ進んだ。
自然と周囲が明るくなり、部屋のなかが見渡せるようになった。
真っ先に目に入ったのは、当然ながら正面奥の壁だが、その黒い壁には、一際大きな白字でこうあった。
「おい、いきなりでビビってるだろ? わかるわかる、気持ちはわかるぞっ、ははっ(第96代教祖、最初の夜にこれを書く)」
……なんだ、これ?
ロワールは顔をしかめて周囲を見た。
改めて見れば、四隅の壁が、白い字の悪戯書きだらけである。
たとえば今の文章のちょっと斜め下には、「ああ、記念すべき日だ。空が黄色く見えたりするかな?」とわけのわからない文章があった。
「だから、なんだこれ! 瞑想はよっ」
当然、ロワールは人知れず困惑した……なんか、話が違うぞっ。