領土を全て割譲するという、美味しいけど怪しい話
「こちらが、申し出のあった国と、その利点と欠点をまとめたものになります」
幸い、ベアトリスが折り畳んだ紙を広げ、ロワールはそれに注目した。
「おお、これは簡潔にまとめてあって、実に分かり易い。字も綺麗で読みやすい。おまえはその地位にふさわしいだけじゃなく、皆の見本となるような聡明な神官だ! よくやったっ」
素早くまとめを見て取りつつ、ロワールは「そこまで褒めるかっ」と他人が呆れるほどの勢いで褒め千切ってやった。
これは元々の恭平の持論で、「人を褒める時には、それこそ全力だろっ」と常に思っていたのもあるし――それに、やはり落書き部屋の書き込みで、「ここの関係者は、神の化身である教祖に褒められると、驚くほど大喜びするぞっ」とあったのを見たので、早速、実践したのである。
少なくとも、書き込みは嘘ではなかったらしい。
ベアトリスは、白磁の肌を見る見る真っ赤に染め、両手で顔を隠して震えるほど感激していた。
「い、いえ……す、全てはロワールさまのご威光で……」
「なにがご威光なものか。ベアトリスの実力さ」
しっかり保証してやると、ついにベアトリスは本格的に震えだし、よほど経ってから、「過分なお言葉、あ、ありがとう……ございます」と蚊の泣くような声で礼を述べた。
ようやく顔を覆う掌をどけたが、涙ぐんでいたりして、ロワールを内心でぎょっとさせた。ちょっと有り得ないほどの感激ぶりである。
ただ、周囲で部屋の掃除に励む他の神官達が、ちらちらとこちらを眺め、ひどく羨ましそうにしていたのが、ちょっと失敗だったかもしれない。
彼女達も役目を立派にこなしているのだから、後でちゃんと褒めてやるべきだろう。でないと、えこ贔屓になる。
心のノートにそのことをしっかり記録しつつ、ロワールはどんどん、ベアトリスの資料を見ていく。自分の新たに得た知識と照らし合わせると、かなり理解が深まった。
コーヒーを一口飲み、ようやく顔を上げる頃には、ロワールは内心で結論を出していた。
「このログフォール公国が、教団に全ての領土を献上したいそうだが、間違いないか?」
「はい」
ベアトリスはゆっくりと頷いた。
「ただ、かの国が国土を全部、我が教団に差し出すつもりなのには、それなりに重い理由がございます」
「うん。知識を得た今の私には、ログフォール公国が国土を全て差し出す理由も察しがつく。しかし、それでもなお、私はこの申し出を受けようと思う。その理由が、私にはかなり都合がいいからだ。……なにより、この国は帝国とそう距離が離れていない!」
謎かけをするようにベアトリスを見ると、彼女は早速察したようである。
はっとしたようにロワールを見返した。
「それでは、公国を治める公爵殿に、早速、連絡致します。それと――」
今度はベアトリスが、意味ありげにロワールを見た。
「そういうことであれば、神聖騎士団の団長に、わたしからそれとなく話しておきましょうか?」
神聖騎士団は教団が持つ武力の一つで、その団長は、危うく皇帝を手打ちにしようとした、あの若者である。
少し考え、ロワールはこれには首を振った。
「いや、わたしから直接、耳に入れておこう。互いの挨拶代わりにな」
「直接、足をお運びになるのは、畏れ多いことでございます。よろしければ、彼に来させますが? 使者を出せば、喜んで足を運んでくれましょう」
「いいんだ、ベアトリス。少し見て回りたいから、ちょうどいいんだよ」
「ご配慮、本人に変わってお礼を申し上げます」
生真面目なベアトリスが低頭すると、前髪の煌めく銀髪が、テーブルにつきそうになった。思わず手が出そうになり、ロワールは寸前で自重した。
大勢の視線がある前で、黄金神官の頭を撫でたりするのは、あまりよくないだろう……。
「それでは、他にご命令がないようでしたら、わたしはすぐに、ログフォール公国との交渉を始めます。なにかご条件を付け加えますか?」
「いや」
ロワールはにこやかに首を振った。
「むしろ今は、こちらが領土提供の礼をすべきだ。なにか希望があれば、どうぞ――くらいは公爵とやらに持ちかけてみてくれ。なんと答えるかで、人となりもわかるだろうから」
「はっ。ではそのように」
「ご苦労。よろしく頼む」
「とんでもありません!」
ベアトリスが立ち上がって一礼し、急ぎ足で部屋を出ていった。
(さて、それじゃ俺は、さっきのフォローをしとこうかな)
遅れてロワールもテーブルを立ち、パンパンっと二度手を鳴らした。
掃除中の神官達がこちらに注目したのを確認してから、ロワールは笑顔で頼んだ。
「今日は、そこまでで掃除を中断していい。その代わり……私から、おまえ達にちょっと頼みがあるんだ」
考えた末のセリフだが、これもちゃんと効果があった。
「すぐに御前に!」
「どのようなことでしょうっ」
「ロワール様っ」
それこそ全員が、駄菓子屋に走る幼稚園児のように、わっとばかりに駆け寄ってきたのだ。
白銀神官の(でも金髪な)ジャスリンまで嬉しそうに走っていて、ロワールは教祖の影響力に、改めて呆れてしまった。
(当分、綱渡りが続きそうだな……)




