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別離

作者: 藤澤シオ

■ バス停


関東じゃ、桜に母校を送られる事は難しい。

特に高校なんか、三月の初めの方にするところが多いもんだから、無理に近い。

バス停の上にかかる枝を眺める。やっぱり、青空に映える花は何処にもなかった。

…まあ、晴れてるだけいいか。去年は雨で体育館が寒くてしょうがなかったしなー。

「おはよう、先輩」

声がして振り返る。

「おう、おはよー、ちーちゃん」

そこにはいつもより少し可愛い彼女、田村ゆう。

名前とは縁もゆかりもないあだ名は俺がつけた。145cmの小柄な所とか、防災頭巾が似合う所とか、如何にもちーちゃんだ。周りは突拍子もない、なんて呆れられたけど、当のちーちゃんは喜んでくれたみたいだし。

背の低い彼女が背の高い俺の手を握る。身長差、約35cm。親子と囃されるのも今日が最後かもしれない。

「天気が良くて良かったね」

「そうなー、寒くて死ねるもんなー、体育館はなー」

「ホントだよぉ。今年はまだマシっぽいけど、絶対寒いよね」

二人でオンボロ校舎に文句を言い合っていると、バスが来た。

バス通学も最後だな。結構楽で好きだったんだけど。

「先輩と一緒に学校行くのも最後だね」

「そうなー、最後だー」

急坂を下って、一旦消えたバスの頭が見えるくらいになって、ちーちゃんの小さい手に力が篭った。

俯いたら顔は見えない。しょんぼりとした頭と肩がポツリと呟く。

「寂しいなぁ」

染めたばかりの髪を撫でてあげる。いつもなら少しは元気になるはずなのに、今日はまだ沈んだままだ。

クラクションを一つ鳴らして、バスが坂道を登りきる。ゆっくりと灰色の車体が目の前に止まった。

「もう会えないって訳じゃないんだし」

言い訳のように宥めて、乗車する列に続く。握っていた手が離れて、思わず振り返る。

「先輩、東京行っちゃうって、本当?」

その問いに答えたくなくて、俺は曖昧に笑ってしまった。




■ 前にしか進めない


「もう行くのか、クライス」

振り返ると、同じ顔が笑って居た。これから旅立つ男が一所に留まれないのを知ってか、呆れと諦めが含まれている。

男は同じ顔の残る男に、悪戯好きの子供のように笑いかけた。

「ああ、悪ぃな。悪ぃけど色々後は頼むわ」

「微塵も思ってないこと言うなよ。…少し寂しくなるね、家族が減ると」

何を人間みたいなことを。出て行く男は名残惜しいといった台詞を一笑した。

同じ型から作成されたアンドロイドだから二体は似ていて当然だし、他の機体にはない連帯感はあるとはいえ、それを『家族』と称するのは違うと思ったのだ。

260351秒早く起動した『双子の兄』は人間のような柔軟な表現や感情が多く見られた。『弟』の方は人間に似通った行動は多いが、思考回路は合理的で温か味のある表現とは無縁だった。

情報処理特化型と戦闘技術特化型の違いなのだろう。そしてそれは、破壊された研究所に残るか、未知の外界へ飛び出すか、という選択の違いにも現れている。

「ノア、お前も適当に見切りをつけてここを出ろよ。お前一人じゃ、ここは再建できっこないんだからな」

「うん、そうだね。でも、もうしばらく残るよ。アークをこのままにしては置けない」

 双子達の『姉』、アークはSSW(Space Scale Web(宇宙情報網))に繋がり、この世の全てを記録するデーターベースの管理人格プログラムだった。

研究所を瓦礫の山と変えたのは、彼女が思考のパラドックスに陥った事による。開発中の戦闘ロボットを全て起動させ、殺戮と破壊の限りを尽くした暴走は、クライス単独の武力制圧で幕を閉じた。

「人が善いのも大概にしとけよ。あの性悪、直したところでまた自壊するに決まってる」

「そうさせないようにするよ」

ふん、と鼻を鳴らす。不服の癖になってしまった。

「ったくよ、馬鹿な姉貴と兄貴にゃ付き合いきれねー。俺ぁ、もう行くぜ、じゃーな」

 振り返りもせず、肩越しに手を振る。片割れは微笑みで見送っているに違いない。

歩み出した、その先を望んだ。旅立った男を迎えるように日が昇る。やがて、悪夢の終りを宣言するように空は紫を帯び赤みを増し、青く澄んだ色になるだろう。




■ この星が終わる時には


 こんな最悪な日だっていうのに、空は真っ青で気持ちの良いくらいに晴れている。太陽の光を浴びて輝く雲も、夏だけど冬並みの冷たい風も、じゃれて飛びあう鳥たちも、何もかもが憎らしい。

あの空だって今日が寿命なのに。風も、鳥も、私たちも、今日の夜やってくる彗星で死んじゃうのに。

私は自転車を漕いでいる。ぐんぐん漕ぐ。生涯で一番の漕ぎっぷりで。街は静か。みんな、家でひっそりしてるか、行きたいところへ行っちゃったから。私のその一人だ。

隣町に越した、幼馴染の元へ行こうとしている。

最期の時は家族で過ごすけれど、一年前に言いそびれた事を言うために自転車を漕いでいる。たった一つのなんて事のない言葉のために、私は平坦な道路で立ち漕ぎまでしているのだ。

確か、あの坂を下ればみちるの家は

「明日夏!」

 いつもならトラックが五月蝿い幹線道路の向こう側に、同じように自転車に跨ったみちるがいた。ロングスカートでママチャリなんて、お嬢様のみちるらしい。

「みちる、アンタ何してんのよ」

「あ、あたしは最期だからハーゲンダッツのクラシックショコラを下すまで食べようとしてるだけよ!明日夏こそ何してるの?」

「…天国でモテる様に最期のダイエットをしてんの!」

「バッカじゃないの。明日夏如きが天国に行けると思ってるの?宇宙で彷徨う地縛霊が精々ね!」

「馬鹿って言うな馬鹿!アンタこそ宇宙人にでも取り憑いてれば?運がよければ除霊してくれるよ、ブス」

「言ったわね?ブスって言ったわね?この貧乳!」

「ウッサイ、西瓜女が!貧乳のほうがいい母乳出るんだから!」

「明日夏みたいな男女と結婚する馬鹿はいないわよ!」

 二人とも泣きながら悪口を言い合っていた。

 毎日がこんな調子だったのを思い出して、懐かしいやらムカつくやら嬉しいやら寂しいやら、よく分かんないけど号泣状態だ。

「去年は悪かったわ」

「別にいいわよ。私も悪かったし」

「そう」

 私の本題は実にあっさり終わった。これで、悔いはない。

「今度は天国で会いましょ」

「またね」

 お互いに反対側に向かって自転車を走らせる。

 海の方から真っ暗な雲がやってくる。夕方にはアレが彗星が送り込んだ死の微生物を降らせるんだとか、なんとか。

アレで死ぬかもしれないのか。ギリギリじゃん、良かった。

 ムカつく幼馴染だし、また口ゲンカで終わったけど、最期に一年前の仲に戻れて本当に、良かった。




■ 無理して笑うな


夕方から降り続いた雪はアスファルトを白く塗り替えた。

寒い。身も心も寒い。

私の腕の中で、恋人は息を荒くしている。脇腹からは温かい血が止まらない。一つ息をするたびに、一つ鼓動が打つ度に、恋人は死に近づいている。

いつかこうなるのでは、と思って居た。

仕事に行った彼が、もう二度と帰ってこないかもしれない、と不安でしょうがなかった。殺し屋なんて、危険な仕事を辞めて欲しかったのに、私は何も言えなかった。それどころか、何も知らない振りをしていた。

その結果が今。

ただの観光旅行で、誰かの復讐に遭って、銃で撃たれて、今。

「嗚呼、参ってしまうな。明日も明後日も、旅行は残っているのに、行けない。あのオペラは、今年で、最後なのだぞ」

今までにないくらい、彼は饒舌で、苦しい息で笑って見せる。

「観れますよ、観に行きましょうよ」

辛い事実は直ぐそこにある。

それでも、いつものように見えないことにして、明るく振舞う。

最愛の人が死んでしまうなんて、ありえない。

「お前、が行きたかった所にも、連れて行けないな」

励ます声に少し哀しげに応えてくれた。もう諦めて居るのかもしれない表情。

お願い、諦めないで。

「お前には、もっと、沢山の事を、してやりたい。もっと、沢山、幸せにして、あげたかった」

もう瞳は何処を見ているか解らない。ふらふらと何かを探すように彷徨っている。

精一杯の微笑みで心からの言葉を言う。

「今も、これからも、私は幸せですよ。貴方が居るから」

だから、もっと一緒に居て。ずっと、私の傍にいて。私ひとりを置いて何処かへ行かないで。何処にも行かないで。

彼の手に縋りつく様に握り直す。その手を解いて、震える大きな掌が優しく頬を拭う。

「無理をして笑うな。泣いて、いる事ぐらい、解っているのだぞ」

虚ろな黒い眼がとびきり優しく細くなって、

幸せそうに心の奥を見透かして、

嘘ばかりの私の笑顔は崩れて、

この愛しい人が、私の腕の中から消えてしまわないように、強く、強く抱き締めて、大声を上げて泣いた。




■ やさしいキスをして


 婦女子を抱き締めてしまった。

 幼い頃に二人で駆け回った裏山の、桜の木の下で。

 咄嗟だった。刹那の後には、幾ら人気がないとは言え失礼な事をしてしまったと悔いた。

「す、すみません、智香子さん」

 そっと細い体を引き離すと、顔を真っ赤にして俯く姿がある。私はなんて失礼な事をしてしまったのだろうか。

「申し訳ない。軽率な事をしてしまいました」

「いいえ、誠二様。お気になさらないでくださいませ」

 山吹色の袷に、臙脂の袴。着物の色と同じ様に明るい女性だが、今はしおらしい位に恥ずかしがっている。恥を掻かせてしまったのは私だが、その様子をとても可愛らしく思った。だが、これが最後かも知れないのだ。

 帝都に旅立つ事となった。

父の事業が成功し、さらに事業を発展させるために思い切ったのだ。親戚を頼って帝都で商いをすると言う。無論、私には決定権などなく、従うしか出来ない。

「それにしても帝都とは…遠い、ですわ」

 智香子さんは私の心の中の許嫁だった。彼女もそれを承知してくれていたのだが、互いの両親は知るはずもなく、二人だけの仲。好きあってはいるけれども、駆け落ちする勇気も情熱も私たちには足りなかった。

 出来ることならば、このままこの(ひと)を連れ去ってしまいたい。

 出来ることならば、跡目など誰でも譲ろう。

 出来ることならば―

接吻(くちづけ)をしてくださいませんか」

 一瞬の後、戸惑いながら顔を上げると、彼女が倒れ掛かってきた。

先刻と同じ様に私の胸元に納まり、もう一度ぽつり呟く。

「接吻をしてくださいませんか、誠二様」

「智香子さん―」

耳が心臓ではないかと疑うくらい、私の鼓動は強く激しい。

「早くしてください。誰かに見られてしまいます」

 私を見上げ、瞳を閉じる。なんと大胆な女だろうか。自ら唇を差し出すなどとは思いもしなかった。

 緊張で体を強張らせているのは私の方で、智香子さんは平然と唇を受け入れた。触れる位の短い接吻、そして、駆け出す長い髪。

「ごめんなさい、誠二様。さようなら」

 遠くで振り返った彼女は、散り行くこの桜の様に泣いていた。


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