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~現実(6)~

~現実(6)~


 起きると静かだった。部屋は暗いまま。遮光カーテンのおかげで昼なのか夜なのかもわからない。すでに曜日の感覚もない。そういえば、曜日の感覚を持つために金曜日にカレーを食べるという話しを聞いたことがある。


 でも、そんな文化は我が家には当たり前だけれどなくて、今が何曜日なのかは私には正直どうでもいい情報のように思えてきた。


 何時なのかも時計を見ないとわからない。そう、私は美紀に付き添ってもらい家に戻ってきた。


 それから薬を飲んで眠りについた。夢を見ていたような気がする。


 何の夢なのかも思い出せない。でも楽しい夢でなかったことだけはわかる。そう、私の呼吸は荒れていたし、嫌な感じの汗もかいたままだ。


 けだるさが抜けない。これは飲んだ眠薬のせいだけではないと思う。私は自分の服装を見た。出かけたままのかっこ。皺になってしまう。でも、どうでもいいかと思った。いや、よくない。


 私は重い体、ずきずきする頭を振り切って服を脱いだ。


 姿見の鏡がある。そういえば、この鏡は高校の時にお姉ちゃんからもらったものだ。そう、おしゃれをするようになったからだ。といっても、お金はためることしかしてなかったからかわいい服を買ったりできなかった。そういえば、あの時もお姉ちゃんから服をもらっていた。私はいつだってそうなのかもしれない。


一人ではこの世界に立つこともできない。私には何かが欠けている。


 公世。


この部屋にも公世を思い出させるものは多い。


 下着だけになるとさらに思い出すことは多い。私は自分の姿を見たくなかった。どうしても思い出すからだ。私は姿見の鏡を裏返した。


 そこに落書きがしてあることを初めて知った。


「逃げたっていいことないぞー お姉ちゃんより」


 これはいつ書かれたものなのだろう。普通に考えたらこれをもらった高校の時なんだろうな。でも、あの時何も言って来なかったのに。なんだかちょっとだけ笑ってしまった。


 着替え終わってから姿見の鏡を元に戻した。逃げているか。でも、逃げるって何から私は逃げているのだろう。


 私は色んなものから逃げている。多すぎてどうしていいのかもわからない。どこかで音がする。


 携帯が震えていた。暗い部屋で携帯が光っているのがわかる。


 机の上に置いたまま。誰からなのかも確認したくなかったから私はそのまま放置して部屋を出た。


 誰もいない家。広い家。いや、子供の時に比べたら家が小さくなったようにも感じる。私が大きくなったのか、この家が私を受け入れてくれないのかがわからない。


 冷蔵庫をあける。牛乳があったのでとりあえずコップに入れて飲んでみた。そういえば、なんで小学校の時って毎日牛乳をあんなに飲まされるのだろう。違うものでもいいのではと思ってしまう。


 どうしても私はこの牛乳の匂いが好きになれなかった。でも、公世はよく飲んでいた。なんでも運動が終わった後に飲むのがいいんだとか言っていた。こんな喉の渇きに優しくないものをなんで飲むのと聞いたことがある。


 こういうどうでもいいことは覚えている。なんでも、運動をした時は細胞がバラバラに一度なって、それで再構築をしようとするんだ。その時にコーラが間に入るのと牛乳が間に入るんだったらどっちが体にいいと思う。うまいとかまずいとかじゃない。体のことを考えて飲んでいるんだ。


 そう話していた公世は私より大人に見えた。私も一度バラバラになって再構築をしようとしている所なのだろうか。


 だったら牛乳をもっと飲んだ方がいいのかな?でも、いくら飲んだって私が再構築されるようにも思えなかった。


 やっぱり、牛乳では喉の渇きは潤わない。私は一度コップを洗って水を飲んだ。やっぱりこっちの方がいい。そう思っていたら玄関の鍵がかちゃりと音を立てて開いた。


 そこに居たのはお父さんだった。スーツ姿のお父さんを見て不思議に思った。今は何曜日で何時なんだろう。そうしたらお父さんがこう言ってきた。


「ああ、ただいま」


「うん、おかえり」


 お母さんもお姉ちゃんもいない。お父さんと二人。なんだか慣れない。そうえいば、お父さんと二人で話し合うなんていつ振りだろう。覚えていない。お父さんが言う。


「ああ、今日なちょっと用事があって家に早く帰って来たんだ。というか、電気くらいつけたらどうだ」


 そう言ってお父さんは部屋の電気をつけた。しかも、私が前にしたように色んな部屋の電気をつけていく。


「ほら、やっぱり家は明るいほうがいいだろう。暗い部屋にいたら気分だって暗くなってしまいそうだ」


 そうお父さんが言うのを聞いていて笑ってしまった。やっぱり親子だな。そう思ってしまう。でも、私は暗いのも好きだ。だって、暗い中にいたら私の心の中の暗い部分を隠してくれそう。まるで闇に紛れ込むように。だから暗い部屋は暗い部屋でもいいのだ。


 ただ、闇の中にいると何かが壊れていきそうになる。その境界線にただいるだけ。そう、変わるとわかっているのに何もできないときだってあるんだ。


「なあ、みさき。ちょっと出かけないか?」


 お父さんがそう言ってきた。びっくりした。自分の服装を見る。部屋着と思っていたがパーカーにズボン。まあ、誰に会うってわけでもないし、それに誰かに会いたいわけでもない。もうそんなおしゃれをする必要すらない。でも、多分そうじゃないんだろうな。


「ちょっと待ってて」


 とりあえず、部屋にあがる。髪が跳ねているところを直して机においてあった携帯をつかんだ。別に出かけたいわけじゃない。でも、なんだかお父さんがお父さんをしようとしているのだ。昔からそのお父さんの頑張りを受け止めようとするのが我が家のルールなのだ。無理をしているのがわかる。でも、その無理は私たちのためでもある。


 なりたいものになれないけれど、なりたいものを諦めてしまったらたどり着けもしない。そういうようなことを昔お母さんから言われたことがある。だからお父さんはお父さんになりたくて頑張っているのだからそれを受け止めてあげて。でも、あなたたちも娘であることを頑張ってほしい。同じようにね。


 よく考えたらおかしな話だ。頑張ってすることなのかわからない。わからないけれど昔からのことだ。私は服を着替えて、軽くメイクをして娘として恥ずかしくないようにした。


 白いブラウスにカーデガン。腕はちゃんと隠れている。どこにいくのかわからないからズボンにした。カバンをもっていく。


「おまたせ」


 私が下に降りるとお姉ちゃんもいた。


「あら、みさきどこか行くの?」


「うん、ちょっとお父さんが出かけようって」


「そう、じゃあ留守番しているね」


 それだけ言ってお姉ちゃんは私と入れ替わりで2階に行った。時計を見るともう8時だ。夜だったんだ。


「あれ?お母さんは?」


 そう言うとお父さんがこう言ってきた。


「ああ、今日は用事があるらしい。じゃあ、ご飯でも食べに行くか。それかもう食べたか?」


 さっきまで冷蔵庫の中身を確認していたお父さんはそう言った。私がご飯を食べていないことを確認してからこう話してくるのだ。そしてその行動がばれていないと思っている。


「まだ、食べてない。でも」


 そこまでお腹が空いていなかった。お父さんが言う。


「食事は食べたほうがいい。どんなときだってお腹は空くものだ。空いてないと思っていても体は求めている。知っているか、人は3か月前に食べたものでできているらしいんだぞ」


 そう言った後にお父さんの顔がちょっと固まった。3か月前。私にその言葉は禁句だ。だが、お父さんはそういう地雷をよく踏む。いや、ひょっとしたらそれはわざとなのかもしれない。昔からそういう人なのだ。そこにいちいち腹を立てていたら娘はやって居られない。


「そうね。わかったわ」


 多分、娘としての返答はこれが正しいはず。うまく笑えたかはわからないけれど、いい娘を頑張らないといけない。でも、よく考えたら私は今までそんないい娘を頑張ってきたのかもわからない。多分、いい娘なのならこんなことにはならなかったのかもしれない。


「そうか、じゃあ行くか。何か食べたいものはあるか?」


「ううん、任せる」


 そう、こういう時のお父さんはもう食べる先を決めている。でも、そこまでレパートリーがあるわけでもない。この前は中華料理の百楽だったから今日はそこ以外だ。お好み焼きか焼肉か。そう考えると服のチョイスを間違えたかもしれない。そう思っていたらお父さんはこう言ってきた。


「今日は寿司だな」


「え?」


 びっくりした。この近くに回転ずし屋なんてない。駅前にあるのはちょっと敷居が高くて入るのに勇気がいるところだ。もちろんお寿司は回っていない。回っていないお寿司なんて食べる機会なんてそうそうない。少なくとも家族と食べた記憶はない。


「どうしたの?」


「まあ、いいじゃないか」


 なんか寿司と言われてうれしいはずなのに、返って怖くなってきた。一体この後何が待っているのだろう。


 不思議と家から出ることには慣れてきた。でも、人ごみはまだつらい。駅前に歩いていく時につらくなってお父さんの腕にしがみついてしまった。別に腕を組みたいわけじゃない。ふらついてしまうのだ。お父さんは「大丈夫か?」と言ってくれたがどうしていいかわからない感じだ。そりゃそうだろう。私だってどうしてほしいのかわからない。いや、人がいない所に行きたい。というか、帰りたい。でも、多分その選択はさせてもらいえないはずだ。


 そう、思っていたら少し人気が少なくなってきた。その先には敷居が高いと思っていたお寿司屋が見えてきた。


「店に入るけれど大丈夫か?」


「・・・うん」


 少しだけ落ち着いた。でも、入るのに勇気がいる。こういう時横にいるのが公世ならどうなんだろう。公世はこういう時関係ないって笑いながら店に入るだろうな。


「だって、ただの店だろう。店が俺たちを拒否はしない。勝手に俺たちがおびえているだけだ。だったら、そんなもの意味ないだろう」


 なんか似たようなことがあったことを思い出した。私がそう、おじけついていた時だ。あれはどこだったかな。ああ、あれもお寿司屋だったな。しかもなんか高そうな店だった。値段も書かれていない店。そういう所に連れて行ってもらったことがあった。


「こういう店も知っておかないとダメなんだ。なめられたら終わりだからな」


 公世はいつもそうだ。周りを気にする。自分を追い込む。私にはそれが不思議だった。でも、私も気が付けば自分で自分を追い込んでいるのかもしれない。違う。逃げたいのに逃げられないのだ。どこにも。


 店の中に入るとカウンターがある。小さなお店だ。少しだけ安心した。公世に連れて行かれた店は結構大きかった。カウンターも席が多かったし、握っている人も何人もいた。でも、この店は二人だけがカウンターの向こうにいる。そして、お客もいない。こんなので店が成り立つのだろうか。そう、思ってしまった。


「お久しぶりですね。今日はどうしたんですか?」


 カウンターにいる人がお父さんを見てそう言ってきた。お父さんが言う。


「ああ、今日は娘と来たんだ。下の娘とな。ここに連れてくるのは初めてだから」


 そう言って、お父さんはカウンターに座る。一番奥に座ったので私の一つ手前に座った。


「お父さん、ここよく来るの?」


「たまにな」


 そう言ってちょっと笑ったお父さんの顔はいつもと違ってちょっとお父さんらしかった。そう、演じているお父さんではなく素でお父さんという感じだった。


「おまかせで」


 お父さんはカウンターにいる人にそう言った。そんな頼み方公世もしたことがない。私たちが子供すぎたのだろうか。値段を聞いて、食べたいものを頼んでいく。そんな感じだった。楽しかった。違う。横に公世が居たから楽しかったんだ。お父さんが言う。


「俺はな、みさきに何があったのか知らん。ニュースは真実を伝えてくれん。だから何も信じない。みさきの声で思いをこめて話してもらったものだけを信じる。それだけでいいんだ。だが、無理をしろともいわん。だが、このままでいいとも思っとらん。だからな、ゆっくりでいいんだ。進めばいい。それが前だか後ろだか知らん。だが、変わらないで居続けるということは進むよりも難しいことなんだ」


 お父さんはそう言いながら日本酒を飲み始めた。私の前にも日本酒がある。ゆっくり飲む。辛いけどおいしかった。


「そうだね、ちゃんと話すよ」


 私はそう自分であの事を客観的に見ようと思ったことはなかった。それから私はゆっくりと、言葉を選んで話し出した。



 話し終えてお父さんが「つらかったな」と言って頭を撫でてくれた。今までそんなことしてもらったことがなかった。私はお酒のせいなのかもしれないけれど泣いてしまった。


「じゃあ、帰るか。おあいそ」


 そうお父さんが言って会計をすました。食べたお寿司はおいしかった。でも、お寿司以上に思った。家族っていいものだと。一緒に居ても、離れていてもそんなこと思ったことはなかった。お父さんはいつも残念なお父さんとしか思えなかったし、お母さんはどちらかというとお姉ちゃんと一緒にいることが多かった。お姉ちゃんは気を利かせて私を構ってくれたけれど、受験やら彼氏とのことやらいっぱいあったのも事実だ。


 だから私は一人でいることが普通だったし、誰かに何かを相談するなんてこともあまりなかった。いつも勝手に決めて一人で行動をしていた。


 あの時だってそうだ。でも、あれは私の中で間違った選択だったと思っていない。そう、多分あの選択をしていなかったら私はもっと後悔をしたかもしれない。


 外に出て空を見上げるときれいな月が見えた。真ん丸にもうちょっとしたらなれそうな月。どこか欠けている。


「月がきれいですね」


 その言葉を思い出した。そんな風な告白の仕方もあるのだと知った時びっくりした。昔の人の方がロマンチストだったのではないだろうかと思った。でも、これってどう返事するのだろう。「そうですね」だと味気ないし、「月以外にもきれいなものがありますよ」とか言えるほど自分に自信がある人ばかりじゃないと思う。


 そう、この言葉を公世に言われたことがあったからだ。公世はあんなにちゃらんぽらんというか見た目がちゃらいのに、どこかでこうドキっとすることを言うのだ。私は当時意味がわからなくて「そう?」って答えたのだ。


 その後に公世から種明かしを受けたのだ。


「どうした。空を見上げて。ああ、月が出ているな」


 お父さんがそう言った。そう言えば今普通に外を歩けている。ふらつきもしていない。いや、ふらついているけれどこれはお酒のせいだ。そう思っていたら携帯が震えた。面倒だと思っていたけれどお父さんが「携帯鳴ってるぞ」と言ったから仕方なく取り出した。見るときららからと美紀からの連絡があった。後もう一つ知らない、見たことがないアドレスからメールが来ていた。迷惑メールかな。そう思った。けれど中を見てびっくりした。


「お久しぶりです。波多浩二です。覚えていますか?公世とサッカーをしていたものです。実は公世から手紙を預かっているので渡したいのですが、どこかで時間を取ってもらうことできますか?」


 公世からの手紙。なんでそんなものがあるの?もうどうしたいの。


 私は受信トレイじゃなく、その下に作ってある「公世」というフォルダーを開きそうになった。最後のメール。もう見ないと決めていたメールを見そうになった。


「大丈夫か?」


 お父さんが私の肩にそっと触れた。気が付くと呼吸が安定していない。世界もぐるぐる回っている。私はそのまま気を失った。まるで逃げるように。逃げ切れないのをわかっているにもかかわらず。



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