第三話 悪夢の始まり
閉じられた扉を見ながら、シュタールは思案していた。先ほど部屋から出て行ったタウリスは、すぐに情報を持ち帰ってくるだろう。
いったい反乱の規模はどれくらいなのか。中心人物は誰なのか、また何人いるのか。……本当に、反乱がおこるのか。
何故こんなことになってしまったのだろうか。
頭が痛くなる。今までの自分の選択がことごとく裏目に出ているということを、シュタールは嫌になるほど理解していた。自分はただ、国民のことを思っていただけなのに。そのために最善の選択をしたのだと、思っていたのに。自分のしてきたこと全てが間違っていたとでもいうのだろうか。
国の科学技術を、過信していたのか。一体どこで間違った。どこで、どうすればよかったのか。
シュタールの脳裏には悪夢の始まりが浮かび上がってきていた。
話は、五年程前に遡る。
グランツ王国の領地は広大だが、実際国民が暮らしているのはその十分の一ほどでしかない。王城を中心に居住区が広がり、その周りを鉱山地帯が取り囲んでいる。国境は鉱山地帯の外側。そこに軍を常駐させ、大砲を設置することで他国を牽制しているのだ。
鉱山から鉱石が豊富に取れることもあり、グランツ王国は周辺諸国と比べても飛び抜けた科学技術を持っていた。戦争になれば、絶対に負けるはずがない。それを知っているから、どこの国も攻めてこない。
この国の平和は、長年そうやって保たれてきた。
……たった今、黒い軍隊が攻めてくるまでは。
初めてその軍隊を見たときは、誰もが夢でも見ているのではないかと目を疑った。頬を打つ激しい向かい風によってこれが現実なのだと理解する。
まっすぐにこちらへ飛んでくるその黒い闇は、獣の大群であった。狼の身体に、鋭い虎の爪。その背中には、巨大な烏の羽が生えている。かなり距離が離れているというのに、赤い瞳がぎょろりとこちらを睨み付けているのが分かった。まるで古い伝承に登場するような、空想上の生き物が確かに目の前に存在していた。
誰もが混乱し、慌て、口々に叫び声をあげる。
「あ、あれはなんだ!」
「早く撃ち落とせ!」
「これは訓練ではない! 急ぎ、砲撃の準備を!」
ハリボテの大砲が、兵器になった瞬間だった。
大地を揺るがす轟音とともに飛び出した鉄の塊。群れを成して向かってくるため命中させる事は容易かった。鈍い音がして、黒い獣が二体はじけ飛ぶ。体の中から本来溢れ出るはずの血液も、何もない。ただ、黒い闇がそこにあり、次の瞬間には、霧となって空に溶けた。
あまりの光景に、誰もが恐怖した。得体のしれない自分の理解を超える力ほど恐ろしいものはない。
「隊長! これは、効いているのですか!?」
兵の一人がたまらずに震える声で叫ぶ。
「効こうが効くまいが、方法はこれしかないのだ!」
誰も知らない。この黒い獣は果たして自分たちが勝てる相手なのかどうか。
しかし、圧倒的に数が多かった。
次々に砲弾が撃ち込まれる。その度に、黒い獣は空に溶けた。いくら数を減らしても次から次へと、数を増やす。国境の遥か遠くからやってきたその軍隊。
戦乱の火ぶたは気って落とされた。
軍隊が攻め込んできたことは、すぐさま王へと知らせられた。
「何とか国への侵入は防げていますが数が恐ろしく多いようです。このままでは、国境を越えられるのも時間の問題でしょう」
そうか、と頷きながらシュタールは内心頭を抱えていた。隣国が自分たちの技術に追いつくことなどあり得ない。勝算のない戦を仕掛けてくるとは思えなかった。何か、兵器を生み出したとでもいうのだろうか。我が国の大砲にも勝るものを、彼らが作り上げられるとは到底思えなかった。
「軍を強化する。兵を集めろ」
いつまでも考え込んでいる暇はない。何より、今まで平和を守ってきた国の力を信じなくてはどうするのだ。自分自身を奮い立たせながらシュタールは告げた。王の決断に異を唱える者は誰もいない。家臣の一人が、すぐに立ち上がる。
「では、国民に事の次第を……」
説明する場を設けましょう。そう続けられるはずだったが、その言葉はすぐに遮られた。
「何も言うな。集めた兵たちにだけ、戦争が起きたと知らせるんだ」
反対する者もいた。そんなことをしても意味はない。事実戦争は起こってしまっているのだからそれを伝えるべきである、と。
王は、頑として譲らなかった。
「国民に伝えたところでどうなる。いらない混乱を招くだけだ。それに、国境との間には広大な鉱山地帯がある。戦争に気づく者はいないだろう」
その言葉に全員が押し黙った。確かに、国境が突破され軍隊が国の中心部に近づかない限り、国民が戦争を知ることはない。
「兵の数は増やす。しかし、国民に戦争のことは伝えない。わが軍が負けるはずはないのだから、無駄に不安な時間を過ごさせずとも良い」
誰にも知られることのない戦争が始まった。
戦争の事実を知るのは、王と一部の家臣。そして、国境へ赴き戦う兵士たちのみ。兵士に志願した誰もが、国の危機を知り、愛しいものの平穏の為と覚悟を決めて国境へ向かった。
彼らの誰か一人が、国民へ戦争を伝えるべきだとかたくなに主張していたら何か変わっただろうか。誰一人としてそれをしなかったのには理由があった。全員が、国の周辺で繰り広げられる戦争の悪夢を知っていたからである。大地が赤く染め上げれらて、焼かれた村で親を失った子どもが悲鳴を上げる。
戦争とは失う物しかない愚かな者だと誰もが知っていた。
罪のない一般市民が悲しみに暮れる、それが戦争なのだと、その場にいる全員が理解していた。
それから、五年もの間、戦争は続いた。
毎日、軍隊が攻め込んできた。グランツ王国を取り囲む国全てが同盟を組み一斉攻撃を仕掛けてきた。数に物を言わせたその戦い方は、利口とはいい難い。
しかし、何かにたきつけられたかのように敵国の兵たちはがむしゃらに剣を振り回す。大砲と銃で退けるが、鉄の雨を潜り抜ける者も少なからずいた。
とはいえ、確かにグランツ王国が優位に戦っていたはずなのだ。このままいけば戦争は終わる。また、国境を監視するだけの日々が戻ってくると皆が思っていた。
五年後の今、再び黒い軍隊が襲い掛かってくるまでは。