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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
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動き出すもの

 静かな、がらんとした部屋に私は一人佇んでいた。

皆それぞれの部屋で出立の準備をしている頃だろう。まとめる荷物もない私の場合、旅立つ準備といえば体が万全であるか確かめることであった。


身に纏っているのはアーバン国から支給されたスーツ。

 ぴっちりと体を包むような衣服であれば問題ないだろうと床に手を突き、逆立ちをしてみる。

 

 体は羽のように軽く、両足が苦もなく舞い上がって、揃えたかかとが天井を向いて制止した。体には力が漲っている。休養が功を成したのだろう。

 手足の震えはない、地に根付く大木の如くしっかりとした姿勢を保てる。息を入れて、人差し指と中指の力のみで体を支えてみる。


「問題ない」


 剣士の生命線たる指にまで力が行き渡っていたことに安堵する。

床に降り立って、今一度意識を集中させる。


「解放する」


 頭から猫の耳、臀部からは尾が生えた。

 高揚から息をつく。完全に復活したとみていい。

 スーツを脱ぎ、ルリが持ってきてくれた桜花の着物を身に纏う。


 ふと、無意識に右腕が空を掴んだ。わけもわからぬままに、握りしめた拳を開くとそこには小さな羽虫が潰れていた。

 勘も戻った。


「――あとは刀があれば言うこともないが」


 部屋の窓辺に目を向ければ、そこにはアーバン国騎士から支給された剣が立てかけてある。日差しを受け、光沢を帯びた鞘があめ色に輝いていた。

 手にしてみると、ずっしりと重かった。なじみのない武器は、水を吸ったかのように不自然な重量を感じさせる。


 斬ることを信条とした桜花の刀とは、あらゆる面での機能性が異なる。異国の剣で、どれほどの力が発揮できるかは不鮮明であった。


 だが、異国の武器の方が扱いやすいということもある。同じく支給された拳銃の機能は桜花軍のものと差がなく、むしろ上位に位置するほどであった。

 解放した私の瞬脚は、銃弾を苦もなく避けることが可能だ。この速度を活かしての戦いならば小銃や長銃ではなく、自動拳銃を持つのが妥当である。桜花軍の拳銃は軽くて扱いやすいが、それ故に発砲の際は銃口が跳ね上がり、命中率が格段に落ちる。


 アーバンのものは、やや重いが弾丸の装填数も多く、命中精度も高いものであった。刀がない今は、剣よりもこの拳銃の方が信頼できる。

 私が銃の光沢を指先でなぞっていると、フィオ王女と話し終えたクリステル様が部屋に戻ってきた。


「アヤメさん、やっぱり着物が似合うね。武器のお手入れ?」

「いいえ、確認です。これより我が身一体となるものですので」

「大事なことだよね」


 彼女はお腹の前で小さく手を組んで、変わらない笑顔で微笑んだ。あの手が、一瞬にして奪われそうになった光景を思い出す。

 シュタインの部隊に囲まれ、刀が折れた私は手も足も出なかった。

 銃を置き、決意に胸を滾らせていると、近寄ったクリステル様が私の手を握った。幾度も触れて来たのに、その温かさと柔らかさに眩暈がするほどの高鳴りを覚えた。


「少し、時間をちょうだい」


 私の手を引き、椅子に座らせると、彼女は懐から紫色のリボンを取り出した。


「それは、どこで?」

「ちゃんと拾っておいたんだ」


 それは私がクリステル様に頂いた、純白のリボンだった。色は変わっているが、美しい刺繍を見間違えるはずがない。あの襲撃の際、モノノケに変身した私の衣類は全て破れてしまったと聞いていたから、このリボンもまた無くなってしまったとばかり思っていた。


「これは・・・・・・」


 もうこの手に戻ることはないだろうと思っていただけに、こみ上げてくるものがある。



「アヤメさん、またここから始めよう」


 クリステル様は私の髪を櫛で梳き始めた。


「髪綺麗だね」


 櫛が柔らかく髪を梳いていくのを感じる。俯いていた私を見て、クリステル様は困ったような笑みを漏らした。


「どうしたの?」


「私は、もう諦めていたのに・・・・・・ありがとうございます」


「うん。ふふ、そんなに喜んでくれるなんて思わなかった」


「綺麗です、とても」


リボンを掲げ、窓から差し込む陽射しに当ててみた。

光に透ける紫がとても美しかった。


「そんなに上を見てたら、うまく髪をまとめられないよ」


「・・・・・・」


「アヤメさん」


「・・・・・・」


「ちゃんと返事をしてください」


「ひゃうっ」


 彼女のしっとりとした指先が、うなじに触れた。それがこそばゆくてビクリと体を浮かしてしまう。まるで猫の額を撫でるように、クリステル様は指先でコショコショと首筋を撫でてくる。


「っは、っちょ、おやめ、ください」

「だめ、おしおきだよ。こちょこちょ~」

「わっ、わかりました、わかりましたからっ」

「よし」


 クリステル様は私の頭を撫で、再び櫛を動かし始めた。


「このリボン、私の血がついて色褪せてしまったの。だから、アーバンの染め物を借りました」


 紫に染まったリボンを口に咥え、両手で私の髪を丁寧に纏めた。ゆっくりと慎重な手つきで、リボンが形作られていく。僅かな絹の擦れる音、クリステル様の甘い香りと息遣い、それらは桜花でのことを思い起こさせた。


 あの山の中。茂る若葉を貫いた陽ざしがキラキラと降り注ぎ、風の香りの中に小川のものが混ざり、鳥たちが遠くで囁くような声で鳴いていた。

 高価なリボンを受け取った私は、返せるものがないからと恐縮して言った。クリステル様は私がいてくれればそれでいい、と言って後ろから抱きしめてくれた。

 全てはあそこから始まったのだ。このお方をなんとしても護り抜くと、それだけのためにこれまで生きてきた。そして、これからもそれは変わらない。


「できた」


 最近は耳にする機会も減った、はしゃいだ声だった。

 鏡台を見れば、私の髪は常のように結ばれている。違うのは黎明の空のような紫のリボンだけだった。


「ありがとうございます、クリステル様」


 重たいものが剥がれたような気分になった私は、笑顔でそう言った。

 向かいあった私たち。クリステル様はそっと私の手を取った。


「これからも、よろしくね」


 私たちはそっと唇を合わせた。

 その時、何の気なしに彼女の唇の端に目が行った。リラの家で一時的にモノノケの衝動に呑まれた私は、クリステル様の唇の端を噛みちぎって血をすすった。今はその痕が綺麗に無くなっている。指を合わせていた手を見ても、爪で引き裂いてしまった際の傷が消えていた。

 これも第二段階の解放をした私の力なのだろうか。


 そう思っていると、クリステル様の眉が苦しそうに歪んだ。呻き声を一つ上げ、体を折り曲げた彼女は口元を抑えて咳き込み始める。


「クリステル様!? お体が――」

「へ、平気だよ。ちょっと、ごめんね」


 腹部を抑えつつ、洗面台へ駆け込んだ彼女は何度かえづいた後、嘔吐した。

 何が起きたのかわからない私は、クリステル様の背中をさすることしかできなかった。不安のあまり、悪寒が体を駆け巡った。


「医者を、すぐに呼んできます」


 クリステル様は去ろうとした私の着物の裾を掴み、儚げに微笑んだ。


「平気だよ、お医者様には診てもらったの。その・・・・・・」

「どうだったのですか」

「精神的なものだと・・・・・・気をしっかり持てば、すぐに治ると言われました」

 

 どこか、奥歯にものの詰まったような言い方だった。


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