ヴァーミリオン
ヴェルガ皇国城。この城砦は建造から数百年経過して尚、あまりに壮観である。
城壁には堅固なことで知られるゴロビナ白石が用いられている。光りを反射するという石の特質から、暁の日が昇れば赤く、月の光を浴びれば白く輝く。
高い塔のようなこの城が光れば、膝元にある七層の城下町と、城門より先に広がるジュガン平野をも照らす。
城から城塞都市を見下ろすのは圧巻であり、それは皇族シェファー家の役目であるが、今その場(皇帝の間)にいるのはエルフリーデである。
窓の外はもう暮れ色だった。一日中ここにいたが、今日の天気が晴れだったのか曇りだったのか思い出せない。髪をかき上げていたエルフリーデは、心当てにしていた人物が重苦しく扉を開く音を聞き、ゆったりとした所作で向き直った。
アーバン国から帰還したアリスである。
「戻ったわ」
「お帰りなさいアリス、待ちわびたわ」
微笑むエルフリーデと違い、皇帝の間に入るアリスの表情は青かった。元々愛想笑いなど浮かべる性格ではないが、それにしても鋭すぎるほどの表情である。
「報告は聞いてるわ、大変だったみたいね」
「・・・・・・皇帝は?」
周囲を見回したアリスが尋ねる。
「皇妃様の所よ」
「また白い塔か」
皇帝は皇妃が亡くなってから、死者を弔う“白い塔”に籠りきりであった。
「ええ、嘆かわしいわ。人間の心は壊れやすい」
「死者は旅立ち生者は捕らわれる、か」
「誰かの詩かしら?」
「私の言葉」
窓から差し込む黄昏の陽が儚げなその表情を照らしていた。常よりその白い顔に冷然を浮かべ、瞳には怪しげな影が走ったものだが、今は沈む光を遠くに見据えたアリスの目が、ひどく脆いもののように見える。
「それで例のものは?」
アリスは入手した石をエルフリーデに手渡した。
「これでしょ」
「ええ、ありがとう」
それは手に収まるほど、なんの変哲もない石である。表面は丸みを帯びていて肌触りがよく、尖っている部分は全くない。ただ時折、夜に鳴きだしたり、淡い光を放つことがある。
石には偉大な力が宿っていた。
天の星は光を失う前に、より大きな星へ知識を飛ばす。即ち星の意思と力の精髄である。
天から舞い落ちる隕石は災厄として忌み嫌われているが、かつての神々には崇められていた。天の石は世界を癒し、かつ豊かにする力に溢れていた。
中でも強大な力を有していた五つは、朱く輝くが故にヴァーミリオンの石と呼ばれ、神々たちはそれを元に世界を作ったと言われている。
世界を作り、世界の均衡を保っているという五つの石だが、真実を知らぬ者にとってはただの不気味なもの、もしくは何かしら神聖さを帯びたものと映る。
実際、既に保管されていたヴァーミリオンの石は各国の神殿などいわゆる“神の住む家”にて崇められ、奉られ、或いは封印されていることがほとんどであった。
「せっかくあなたが苦労して持ってきてくれたのだから、本物だといいけれど」
「情報源はどこ?」
「シャシールの宮殿に隠されていた古文書よ」
「まずその古文書が本物かどうかよね」
「それは間違いないわ。じゃあいくわよ」
エルフリーデが手にした石にふっと息を吹きかけると、それはみるみる内に朱色に染まり、聞いたこともない声を上げた。石の真の力を呼び起こせるのは、同じ光の運び手たる者のみである。
「間違いない。ヴァーミリオンの五石、うちの一つね。よくやったわアリス」
しばらく声を切って笑みを浮かべる。
「この四百年、いくつもの世界を見て来た。けどヴァーミリオンが五つ揃うのを見るのは初めてだわ。もっと早くに集めておけばよかったわね、こんなに苦労するとは思わなかったから」
「まったくよ」
石を掲げて笑みを浮かべているエルフリーデを横目に、アリスは冷めた声で言った。
「ヴァーミリオンがこの星へ来てから数千年。時間が経ちすぎてるのよ。存在するかも怪しい石を探そうなんて。最初はできるわけないと思っていたけど」
「ちゃんとあったでしょ。探し始めたのは今から百年前だから、百年でケリがついたじゃない」
「それなりの犠牲を払ってね。シュタインと彼の部隊、全滅したわ」
「ええ、聞いてる。優秀なぼうやだったのに」
「その前にはスネチカで双子もやられてる。クリステルはソニアの他にも手練れを引き連れていたわよ、ソニアと戦っていた時桜花人に妨害されたわ」
「そうね。けどもういいのよ、全てどうでもいいの。ヴァーミリオンが手に入ればこの国にも用はない、戦争をする必要もなくなったわ」
「・・・・・・まあ、その通りね。石は揃ったんだし、これで世界をあるべき姿へ」
エルフリーデがヴェルガを乗っ取り、国への侵攻を繰り返した目的はたった一つ、世界を変えることのできるヴァーミリオンを全て手に入れるため。
どこにあるとも知れないヴァーミリオンの捜索には彼方の地にまで届き得る巨大な手足が必要である。
エルフリーデはこの百年、最も強大となるはずの国に目をつけ、それを奪い取るために内へと潜入した。
戦場で名を上げ、富と名声を手にした彼女は軍を操り、皇帝の心を懐柔し、新たなヴェルガ国を作り上げた。
軍を我が物としたエルフリーデは止まらなかった。
ヴァーミリオンのことが記されている古文書、古代遺跡の壁に刻まれた記録、それらのほとんどが各国の王の管理下にあった。
必要な情報を手に入れるため、あらゆる手段を用いて桜花やシャシールを含めた各国へ侵攻していたのである。
「ちょっと」
「え?」
浮かれているエルフリーデにアリスが声をかける。
「これで石は揃ったわね、いつ始めるの?」
ぴたりと動きを止め、振り返ったエルフリーデの顔を冷笑が滲み出るように浮かんだ。
「残り四つとうまく共鳴できるかが問題よ。けどそこから先の調合は私に任せて・・・・・・これから私は石の調整に入る、しばらく外のことには関与できないから任せたわね」
「ええ。どのくらいでできそう?」
「わからないわ。三日後かもしれないし、一年後かもしれない」
「そう」
「そんな浮かない顔をしないで、ここまできたら願いは叶ったも同然よ。後はゆっくり待てばいいの」
「私の力が必要でしょ?」
「あなたの力は最終段階で必要なだけ、それまでは私に任せて。この城塞都市から出なければ好きに過ごしていてくれてかまわないわよ」
「急に言われても、やることなんてない」
どうにも浮かない表情のアリスにエルフリーデは疑問を抱く。待ち望んでいた未来はすぐそこまで来ているのに何故。
疑問のままにアリスの心を探ろうとすると――
「エルフリーデ」
アリスはキッとエルフリーデを睨んだ。
「人の中に、勝手に入ってこないでくれる?」
指先で頭をつついて言う。
「何も言わないから」
微笑むエルフリーデにアリスは眉をひそめた。こちらが怒りを宿し鋭い眼光を向けようとも、まるで稚児をあやすような表情しか浮かべない。ただ、それは小ばかにしているといったふうではない。
どのようなものであれ、感情の一端を見せてくれたことは喜ばしいとでも言うようであった。
「報告してないことがあるんでしょ? 悩みなら聞くわよ」
広い世界で二人といない同じ力を持つ者同士。こうした事実はアリスとエルフリーデの距離を縮めている。アリスが弱音を吐露したのはそのためである。
「・・・・・・人を殺した」
自分の行いを忌々し気に吐き捨てた。これを聞いたエルフリーデはそれがどうしたのだ、というように無言のままである。
「相手は小さな女の子、殺す必要なんてなかったのに手が勝手に動いてしまったの」
それを聞いたエルフリーデの目が心持大きくなった。今やエルフリーデもまた鋭い顔つきになっている。
「意志に反して人を殺したというの?」
「そうよ――いたっ」
がしっと腕を掴まれ、体を引き寄せられた。
「なにす――」
「静かに」
エルフリーデの薄く開いた唇から囁かれた言葉。光の使徒であるエルレンディアにのみ使うことを許された特殊な言葉である。アリスの額に手を当て、息を吹きかけるように言葉を続ける。
常より言葉少なく、薄気味悪いほどに落ち着いているエルフリーデが目に光を走らせている様を見て、アリスは少なからず動揺した。
――何か悪いことが起こっている
アリスは勘付く。
様々な世の真理をバイズで読み解いてきたため、ある程度のことは予想できる。そうした勘の鋭さには長けていた。
「このままではまずいわね」
眉間に皺を寄せたエルフリーデはアリスの髪を撫でた。
「私たちは元より星の意志、概念であり、生身を持つことはない精霊。けれど星が脅威を訴えれば、精霊の意志にて現世に具現し肉体を創造する。どの勢力にも属さず、世界の均衡を保ち、人間の援助をすることが使命。星に遣わされた精霊、それがエルレンディア」
「知ってるわ」
「あなたは少し特殊だったけどね。精霊として具現するはずだったエルレンディアが、人間の魂に力の根幹を移し込んでいたわけだから。それだけ精霊の力が弱まってるってことよ。今この世界には人間や、そうでないもの達が力をつけ始めたから」
事実である。
急速に進化した種族がその勢力を強めれば、力を失い消えていく者達もいる。エルフなどは良い例であった。
「私は光の、あなたは闇のエルレンディアであることは教えたわよね」
光の印象が強いエルレンディアであるが、その実二つの特性があった。光と闇、相反する存在である。
星の意思により、人間の援助を行うエルレンディア。人間が種として優れているのは、光と闇をその内に潜めているためである。
そんな彼らを導くが故に、エルレンディアもまた光と闇があるのだ。
「私たちは似ているようで非なるもの、でも決して離れることはできない。使う力は同じだけど、その源がそもそも違うの。あなたが初めてバイズを使った時も“怒りと憎しみ”を使うように言ったのはそのためよ」
生暖かい血が周囲に飛び散った光景が蘇る。自分を苦しめた奴らが、命乞いをしながら死んでいく様は今でも忘れない。
「あなたは光を抱き入れてはいけない、そうすると体に深刻な影響が出るの。この世で最も高貴な光、それは人間の愛。あなたはマリアの――」
マリアの名前が出た時、アリスは両目をつり上げた。
「何度も言うけど、マリアのことは忘れない。エルフリーデの頼みを聞いたのも、マリアのためよ」
抑えきれぬ憤怒を漲らせるアリス。
闇のエルレンディアにとって愛は毒物そのもの。自分の首を絞めることになる、とこのような口論はこれまで何度かあった。しかしアリスは歯をぎりぎりと噛みしめ、マリアへの想いを捨て去ろうとはしなかった。
「忘れろとは言わないわ、アリスにはアリスの目的があってヴァーミリオンを集めてくれたわけだし。ただ、ほどほどにしておきなさいってだけ。よく咳き込んでいたでしょう? 魂に宿る闇の精霊が光を拒絶しているから、体にも影響が出るのよ。まあ、十数年は人として生きてきたのだから、愛を捨てろというのも酷な話だけれど」
「不自由な体だけど、そういうものだと割り切れば問題ない」
「私はマリアのことを言っているんじゃないのよ」
エルフリーデの冷たい言葉を耳にしたアリスは、ハッと夢からさめたような少々間の悪い表情を浮かべた。
「アウレリア様のこと――あなた、彼女に愛が芽生えてる」
すぐには答えず、ただ瞳を大きくして吐息を漏らすのみである。
二人はそのまま黙って、冷たく面した床を見下ろしていた。
「すぐにその感情を捨てなさい・・・・・・心に光が湧くものだから、闇の魂が悲鳴を上げているのよ。人の絶望や苦しみに飢えた魂が、無意識に動いたんだと思う。罪のない女の子を殺したのはそうしたものが原因よ。あなたの瞳は少しずつ変わり始めてる、闇の力が弱まり、光の力が強くなっていたわ。ヴァーミリオンを動かすには、私たちエルレンディアの光と闇の力がどうしても必要なの」
「・・・・・・ええ」
「バイズはまだ使えるのよね?」
「それは問題ないわ」
「気をしっかり持ちなさい――なんのためにこれまでやってきたの。もう一度マリアと会うんでしょう?」
「わかってるわよ」
アリスは苦々し気に言って、部屋を後にした。




