戦士たちの休息
ソニアはまずシャワーを浴びた。
そうして身と心を清めた後、彼女のお腹は凄い音を立てて鳴った。
食堂へ案内されたソニアはナイフとフォークを巧みに使いこなし、ガツガツと口を動かし続けた。茹でた野菜、塩漬け豚や魚のソテー、チーズ、鳥と羊のあぶり肉。肉であろうと野菜であろうと、運ばれてきた料理の皿は数秒で空になる。
「炭水化物がほしい、パンとかない? それとカモミールのお茶は美味しいけど、葡萄酒がいいな」
「葡萄酒でしたらこちらを」
「ありがと」
傍で控えていたメイドがグラスに葡萄酒を注ごうとすると、ソニアは瓶ごと受け取り、そのままグビグビと飲み始めた。
ソニアの恐るべき大食漢ぶりに食堂に集まった使用人たちは阿呆のように口を開け、呆けるしかない。
「はぁあぁ」
腕を組んでため息をついたルリもその一人であった。
「ソニアさんさ、あたしの話聞いてなかったの? そんなにかっこんで、余計体悪くなるからね」
「びゃいだぶ、がだふぁぶびぼぼうぼうごうだかふぁ」
「行儀悪いなぁ、もういいから食べてなよ」
ルリがひらひらと手を振ると、ソニアは微笑んで再びがつがつと食事を続ける。
「まるで牛だね、困った人」
ルリは白い髪をかき上げた。
メイドの一人がその姿を見ていた。
ショートカットの白く光る髪。肌もまた白く透き通っているが、瞳だけは妖艶な赤である。丈の短い着物は小さなスカートのようで、そこから伸びる細くて長い足が綺麗で目がいってしまう。
可愛らしい子だ、まるでこの地に伝わる妖精のようだと思った。
「ねえメイドさん」
「あ、はい」
「あたしもなんか食べていい?」
「はい、もちろん」
すぐに準備にかかろうとしたメイドが、一瞬だけ不安そうな眼差しを向ける。
「あは、あたしはあんなにがっつかないから。桜花人はお行儀よく食べるよ」
察したルリが微笑んで言う。
だが、実際はルリの食欲は凄まじかった。
静かに行儀よく食すのだが、食べる量はソニアと大差なかった。
解放して戦ったこと、この城に来てから一度も食事をとらなかったことがその原因である。
「ねえメイドさん」
「はい」
呆然としていたメイドが駆け寄る。
「庭園の奥にリンゴの木があったでしょ、あたし後でリンゴ食べたいんだけどいい?」
「リンゴと申されましても、今は季節ではありませんので木に実はなっておりません」
「ふふーん、なってるよ。あたしがここにいるからね」
「どういうことで?」
「解放の反動でさ、近くの植物は元気になってるから。後で食べに行ってもいい?」
「それはかまいませんが」
数十分後、ルリとソニアはリンゴの木に背を預けて果実をかじっていた。
「このリンゴおいしいね、甘い」
「あたしの力があればこそだから感謝してよ? あとリンゴは二つまでね、食べすぎは体に毒だから」
「はーい」
しゃくしゃく、とリンゴを食べたソニアは立ち上がって伸びをした。
「ふいー、食べた食べた・・・・・・じゃあ、私寝るから」
「は?」
「傷がまだ塞がらないからね、寝れば治るから」
「本当に牛になるよまったく――アヤメちゃん達が起きるまで待ってたら?」
「今は早く体を直すよ、その後でゆっくり話したいこともある。じゃあルリちゃん、私は戻るね」
「自由だねソニアさん。あたしも食べ終わったらあなたの部屋に戻るよ」
「うん、待ってるね」
ソニアは微笑むと、腕を伸ばしてストレッチをしたり、ぐるぐると回したりしながら歩き去っていった。
「なんか元気そうだな」
ルリは呟く。
助け出した時は血まみれで、あちこちに切り傷があったが、今はある程度塞がっているように見える。心の傷もそうである。
ソニアはピアを誰よりも大切に思っているようだ。彼女の死は心を深く抉ったはずであるが、気丈に振舞っている。やることがある、と言っていた。その強い意志がどう作用するかは不鮮明だが、どうか良い方向であることを願う。
「と、なると後はクリステルさんの方かな。大丈夫かな――」
ヴェルガの革命を手助けせよ、という桜花の軍人として受けた命令も大切だが、なによりもアヤメとクリステルを守り抜きたい。
最悪の場合は全てを敵に回してでも、彼女たちだけは守らなければ。
リンゴの芯を草の上に置くと、胡乱だ目で空を見上げる。
「アヤメちゃんの所に、行きたいなぁ」
ぽつりと漏れた。
・・・・・・・・・・
室内ではフィオの走らせるペンの音が響いていた。
窓から差し込んだ陽が、ガラス細工の陶器に注ぐ。目を刺すほどに光を反射してきらめいて、部屋の壁を虹色に照らす。
どんなに輝いていようとも、クリステルがいなくなった今、部屋の中は火が消えたようであった。
廊下から固い床の上をコトンコトン、と踵を鳴らして歩く音が聞こえてくる。やがてそれは絨毯の上を歩く音に変わる。フィオはその音だけで、誰が近づいてくるのかわかる。
扉がノックされ、フィオ様、と声が聞こえる。どうぞ、と自然に言葉が出る。
「失礼いたします」
「なあに、エア」
フィオは顔をあげない。
寡黙に、一心に書類にペンを走らせる。
「フィオ様」
先に口を開いたのはエアだった。
「クリステル様の従者の死。報告をしなかったことをお許しください。一時の間でもフィオ様とクリステル様が昔のように――」
「子供の頃ね」
フィオは腰かけた椅子から窓の外を見ながら言う。
「世界の真実は本や地図にはないと思った、外に飛び出して泥だらけになるまで走り回りたかった。このお城は窮屈だったから・・・・・・でも今はこの城の人たちがとても大切なの。あなたもよエア、私に付き従う者達が大切でないはずがない。そんな人を失ったクリスちゃんは、どんな気持ちなのか」
「・・・・・・本日はまだお目覚めにはなっていないようですが」
「そっとしておいてあげて、でもできる限りのことはしてあげたい」
「心得ております」
その時、二人の会話を割るように扉がノックされた。
『フィオ様、クリステル様の従者の者が』
「お通ししろ」
エアが応えると、両側に開いた扉からソニアが現れた。
フィオもエアも驚いた。未だ伏せっていると思っていたソニアが、血の気の良い顔をして現れた。
エアは扉の奥の兵士にギロリと目を配らせる。
――報告はこまめにせよと厳命したはず
兵士は委縮して頭を下げた。ソニアのあまりの大食漢ぶりに、呆然とするあまり報告を怠っていた従者たちであった。
「失礼いたします」
メルリスの正装であるコルセットとプリーツスカートを纏い、凛然と唇を結んで入室すると片膝を立てて跪いた。
「アーバン国王女、フィオ・セフィラム・グレイスハート様。ヴェルガ国メルリス騎士団ソニア・エルフォードでございます。挨拶に伺えなかったことをお許しください、伏せっておりました故」
作法と礼儀のなった挨拶を見てフィオはやや委縮する。
ソニアとピアがどのような関係であったかはクリステルから耳にしていた。誰よりも悲しみの深いはずである騎士が、透き通ったような表情をしているのだ。
「ソニアさん、体は大丈夫なの? 無理に挨拶に来なくても」
「もう大丈夫です、一言お礼をと。厚遇に感謝いたします」
「大変な旅であったと聞いています。それに――残念です」
フィオは口をつぐんだ。
「フィオ様」
「はい」
「ピアちゃんに会わせてください」
フィオはエアに目線を送る。
「アーバン国騎士団、フィオ王女の警護を務めているエアという。お見知りおきを。ピアの遺体は地下の霊安室にある。案内しよう」
「お心遣いに感謝します。フィオ王女、失礼いたします」
ソニアはフィオに礼を尽くして、エアと共に部屋を後にした。
「エアさんこれ」
「なんだこれは?」
ソニアが手渡した小さな皮の袋を開けると、中には銀貨と金貨が詰められていた。
「お世話になったから」
ソニアは微笑む。
ヴェルガが猛威を振るっている今、世界ではヴェルガ国の銀貨と金貨の価値は極めて高い。ヴェルガ銀貨一枚でアーバン国の金貨十枚分に相当する。
「多すぎるし、お金をもらおうとは思っていない」
ソニアはエアが突き返した手を両手で包んだ。
「それならお世話になったメイドさんやお医者さんに、何かおいしいものでもご馳走してあげて」
「お礼は自分でするのが道理だ。私は受け取れない・・・・・・いつかヴェルガを取り戻し、平和になった後でまた遊びに来い」
「――うん、わかった。必ず」
「ああ、待っているぞ」
微笑み合い、握手を交わす。
「さあ、行こう。霊安室はこっちだ」
「うん」
――そうだ、必ず取り戻すんだ。
ソニアは手を強く握りしめた。
・・・・・・・・・・
地下の霊安室の壁は特殊な石が重なってできている。氷のような冷気を発するため室温は低い。冷えた空気は肌を噛むような刺激をもたらす。
その部屋の中央の台でピアが眠っていた。
白みを帯び始めたその体。頬に触れてみると、驚くほど冷たかった。
「ピアちゃん。私ねこのままじゃ終われないよ、エルフリーデとアリスを止めないと。約束したから、最後まで立ち上がるって」
しゅんとした心を何とか奮い立たせて言う。
「ピアちゃんは強い子だよね。どんな時でも引き返さないで歩いて行ける強さがあった。私もそうありたいと思うから」
世界の闇を拭うのは、例えばエルフのように特別な力を持った者だけではない。ピアのように、ごくありふれた者が正しくあらんとする行いが、そうした一つ一つの積み重ねこそが、闇を消し去る強大な白き光となるのだ。愛と親しみ、それは何にも勝る力だ。
嗚咽がでかけ、慌てて息を止める。
鼻で息をするとツンとするものが走るので、口で呼吸をした。
もう泣かない、そう決めていた。
「大好きなピアちゃん、どうか見ていてね」
ピアちゃんは空の上でお父さんとお母さんに会えたかな。
もう寂しくないね。私は少し寂しいよ。
だってどんなに触れても、もうあなたが何を思っているのかわからない。
でも私はこれまでピアちゃんにいっぱいもらったから。ピアちゃんが生きていたら、今の私に何を言うかわかるんだ。
私頑張るからね。
ソニアは階段を上り、地上に戻るとエアが腕組をして壁にもたれていた。
「もういいのか」
「うん、ありがと」
「そうか、遺体の状況によって埋葬するが良いか?」
「うん、埋葬してあげて。棺は後でちゃんと取りに来る」
「心得た。王家が管理する墓地は美しい花が溢れている、寂しくないところだ」
「エアちゃん、ありがとう。本当に色々ありがとね」
「構わないさ」
「・・・・・・じゃあ私寝る」
「そうしておけ。君もまだ万全ではあるまい。また何かあれば言え」
「うん、おやすみ」
去っていったソニアを見送り、エアは吹き抜けの廊下を歩いて庭園で足を止めた。ピチチ、と鳴いた鳥が日差しの中を羽ばたいている。庭園の噴水が太陽を反射し、黄金色にきらめいていた。
ふとした日常が、エアの感情を切りつける。
この小国の平穏もいつかは破られるだろう。
もがき苦しみ、それでも報われない結末となった時、ソニアのように前を向けるだろうか。
アーバン国。国民の誰一人として不可思議な力を一切持たないが、優れた科学力に支えられた先進国である。
この国を落とすのは容易ではないぞ、とエアは腰に指した二丁の短銃を握る。
「エア様、報告に伺いました」
その声で我にかえったエアは、歩み寄る兵士を見て頷いた。
「聞こう」
「ソニア様がお目覚めに、その後食事を要求されましたのでおもてなしをさせていただきました」
「報告が遅すぎるな、気を引き締めろ」
「至らぬ点、ご容赦を」
「食事はつつがなく済んだか?」
「満足いただけました」
「結構。よくやった、フィオ様は可能な限りもてなせと」
「ですが問題が」
「なんだ? 簡潔に」
「ソニア様は二十五人前に及ぶ量を平らげました」
「にじゅ、なんだと?」
「二十五人前でございます。対応した五人のコックは疲労と腱鞘炎で倒れ、今宵は料理を作る者を欠いてしまいました」
「なんだ二十五人前くらいで、情けないぞ。この城のもてなしはその程度か!」
「それが、お連れ様のルリ様も同じ量を。合わせて五十人前」
「・・・・・・奴らは人か?」
「わかりません・・・・・さすがのコックも急にこのような量を所望されては。起床される度に五十人前がきたら、いずれ食糧庫が」
「うむ、今の備蓄量は?」
「こちらです、さすがに尽きることはありませんが」
兵士が持参した報告書を見てエアは眉をひそめる。
「・・・・・・金を払ってもらえばよかったか」




