消えた星 流星
アーバン国王女、フィオの命によりクリステル達は王宮に招かれた。
王宮について間もなく、クリステルは昏睡した。アヤメも目を覚ます気配はない。二人は同室で、医師による手厚い看護を受けている。
その傍らに佇むのはルリである。
ルリは王宮で勧められた食事に一切手を付けず、宮殿の者とも必要以上の会話をせず、二人の傍を決して離れなかった。
一方、重傷を負ったピアは治療室で生死の狭間を彷徨っていた。その傍にはソニアがいる。
ソニアもまた重傷を負っていた。医師たちは治療のための麻酔を勧めたが、眠りたくないと聞き入れず。麻酔抜きで血肉を縫合する手術を受けた。
激痛に悶えつつ、片時もピアから離れないソニア。食事もとらず眠りもせず、今日で二日目である。
「ごめんねピアちゃん、痛いよね、守るっていったのに」
涙も声も枯れていた。
そんな彼女に医師たちは残酷な告知をしなければならなかった。
ピアの体内は既に血の海である。手術をしなければ助かる見込みがないが、傷を負った小さな体でこれを乗り越えるのは不可能なのだ、と。
ソニアはピアの手を握りしめてあげることしかできなかった。
・・・・・・・・・・
ピアは夢を見ていた。
ゆるやかな流れの水路。水の道を挟むようにして麦の穂が風に揺れている。時間は黄昏時で、夕日を反射した水がきらきらと光を放っていた。
ピアは麦畑を歩き始める。緩やかな風が吹き渡り、麦の匂いが一段と強くなった。ちゃぷん、と水が跳ねる音に振り返るが、何もいなかった。周りを見ても誰もいない。
きっと水が石か何かに弾かれた音だろう、そう思って顔を上げると空にアーチを掛けるようにして虹が出ていた。そしてもう一度、水路を見下ろした時、そこには木でできた小さな小舟があった。
ピアはとろとろと微睡んだまま無意識のうちにそれに乗り込もうとしたが、追い風に頬を撫でられて振り返った。麦の穂先から燐粉のような淡い光が舞い上がっていた。
その光はとても懐かしく、温かく、見ていると胸を締め付けられた。
「ソニアさん?」
想い人の声が聞こえた気がした。
けれど、酷く荒れた声だった。ピアはソニアの怒鳴り声を聞いたことがない。声を荒げる人ではない、いつも笑顔で弾むような声をしている。だが、もう一度聞こえてきた怒声は間違いなくソニアのものだった。
・・・・・・・・・・
「お願い、何か方法があるはずでしょ。助けてあげて」
涙を流しながら頭を下げるソニアに医師はどうすることもできずにいた。
「私の体を使ってもいいから! この子が助かるなら何でもするから!」
それはできない、もうピアは助からない、今まで何度も言い聞かせてきたことであるが、ソニアはこれを聞き入れなかった。怒りの中に懇願が混じり、半ば狂乱状態のソニアには、慰めの言葉をもかけられない。
「ソニアさん」
「っ!? ピアちゃん!」
ピアは瞼を重そうに開け、ソニアの手を強く握り返した。
「ソニアさん、病室では静かにしていないと駄目です」
「先生! ピアちゃんが!」
医師たちが慌ててピアに駆け寄る。それを見たピアは首を静かに横に振った。
「いいんです、私も医者です――自分の体のことはよくわかっています」
「そんなの駄目だよ!」
気を失ったとき、もう目覚められないだろうと覚悟した。こんなふうに話すことができるだけで奇跡的だ。
目の前には悲痛な面持ちなソニアがいる。この人に呼ばれたから起きられたのだと思う。
「うふふ、ソニアさんだって泣き虫じゃないですか」
「ねぇ、ピアちゃん。まだ私、何もしてあげてないんだよ、だからっ!」
そっとソニアの頬に触れる。
「何もしてないなんてことないです」
「ピアちゃんを救うんだ、ずっと一緒にいなくちゃ」
「もう、救ってくれました」
「そんなことない! これからだよ、私たちこれからなんだよ!」
これが最後。それならば正直な気持ちを。
「・・・・・・私、知っていました。ソニアさんが体を張って私を守ってくれていたこと」
「――え?」
「あの騎士団長さん、私に言ったんです。何をしたのか得意げになって」
「っ!?」
「知らなかった、それが悔しくてなりませんでした――その時、思ったんです。護られるばかりじゃなく、横に並んで歩けるようになろうって。ソニアさんを護ろうって」
「う、うぅ、うぅぅぅ!」
ソニアはがっくりと膝を落とした。
まさか、知られていたなんて。
これまで何度もピアに触れてきたのに、心を読み取れていなかった。
――私を悲しませないために、ずっと心の奥に隠してくれてたんだ
「ずるい人です、何もかも一人で背負ってしまうんですから。だから私が護ろうって」
「私のせいだよ」
「はい?」
「ピアちゃんはもっと子供らしくていい、年相応にさ、お菓子で喜んだり遊園地に行ったり。でも、私が余計なことばかりしたから。ピアちゃんが責任を感じることなんてないんだ、それなのに――」
「ソニアさん、それ以上は私も怒ります」
全て自分の意思で決めたこと。決意を奪うことなど、誰にもできない。ピアの目がそう語っていた。
「誤解しないでくださいね。決して、その事に囚われていたわけではありません。私はただ、まっすぐな気持ちでソニアさんのことが好きなんですよ、がっがはっ!」
かろうじて言葉を紡いでいたピアであったが、背中を丸めてケンケンと咳をして血を吐いた。
ソニアは触れたものの摂理を読み解ける。
ピアの手を通して、体の状態がわかってしまう。
「お願い! 助けてあげて! お願いだよ!」
医師の一人がソニアの肩に触れた。
「この子の話を聞いてあげなさい」
ソニアは顔を蒼白にし、やがて顔を歪める。
「約束してほしいんです」
「な、なに?」
「どうか立ち上がって、最後まで」
「立ち上が――なに、どうゆうこと?」
「約束して」
ピアの呼吸が荒くなり、瞳は色を失いはじめていた。
死の間際、走馬燈を見た人間がうわ言を呟くことを知っていたソニアは絶望する。
「私がいなくても部屋の片づけはしてください、それと道にも迷わないでください」
「うん、わかったぁ」
ソニアもまたピアの頬に触れた。思っていたよりもずっと温かかった。
触れた肌を通して、ピアの感情が伝わってくる。
死への恐怖と悲しみ、だがそれよりも大きいのは深い愛と喜びであった。触れ合うほどに頬を擦り寄せ、抱きしめ合った。ソニアの涙がピアの頬にこぼれ、そのままつたい落ちていく。
「死ぬことは怖くありません――どうしてでしょう。またソニアさんに巡り合える気がするんです」
「ピアちゃん、私、私は」
「信じています、ソニアさんも信じて――」
「――うん」
「ありがとう、あなたに会えて私――――――」
すぅ、と大きく吐き出された吐息。
上下していた小さな胸が止まった。
「ピアちゃん? ピアちゃん!」
ピアは閉じた瞼を開けなかった。
「あ、あぁ、いや、いやだぁ――やだよぉ、ピアちゃんがいないと私」
尽きることのない涙がこみ上げ、声が震える。
「お願い、一人にしないで。一人はやだ」
息を奪われるよりも辛い、愛する人との別れであった。
「うあぁ、うああああぁぁぁあ、っく、うああああああああああああああ」
ソニアの泣き声が、部屋を満たした。
ピアは眠っているようだった。嬉しそうな寝顔そのものであった。
まるで、愛する人と旅立つ前夜にベッドに入るような。そのような顔であった。
ピアの魂はゆっくり上へ上へと昇っていく。満天の星の海に登り切った魂は、記憶となり光の元へ旅立つ。死者の魂は箒星に乗り、然るべき場所へ運ばれていく。
その夜、一つの星が空を流れて消えた。
対象に触れることで摂理を読み取るエルフの力も万能ではないというお話でした。
激動篇 これで終了となります




