消えた星 王女の命令
ふと、クリステルは瞼を開けた。視界の先に満天の星空がある。地を這う風が火照った体に心地よい。手の甲で額に触れてみると、驚くほど熱かった。
起き上がろうと力を込めたが体が鉛のように重い。おまけに頭が胡乱で、頭痛も酷い。
――ここ、どこだっけ。何があった、
「っ!? アヤメさん」
浮かんだのはシュタインの部隊に撃たれたアヤメの姿。
懸命に腕を張り、なんとか上体を起こすとアヤメはすぐに見つかった。三間ほど先でこちらを背にして倒れている。
「アヤメさん! アヤメさん!」
アヤメは生まれたままの姿だった。
たまらなくなったクリステルは重い体を引きずるようにして、恋人の元へ這っていく。
その途中で、べしゃ、と血だまりに触れた。跳ねた水滴が頬に飛び散った時、腹部を撃たれたことを思い出した。慌てて触れてみるが、服に乾いた血がついているだけで傷はどこにもなかった。
「な、なんで」
愕然として顔を上げれば、血だまりの中にアヤメのリボンがあった。
クリステルはそれを握りしめると、再びアヤメの元へ急いだ。
傷がないのならそれでいい、今は想い人の元へ行ければと乙女は疑問を捨て去った。
そうしてやっとの思いで辿りつく。
「アヤメさん、聞こえますか」
頬を撫でるが反応がない。口元に耳を近づけると、僅かではあるが呼吸音が聞こえる。白くてか細い体を見回すが、傷はどこにも見当たらなかった。
「よかった、アヤメさん」
彼女をかき寄せ、クリステルは涙を流した。
その時、風を斬り裂く音と共に、遥か頭上から白い少女が飛来した。
白い着物をふわりと靡かせ、鳥の如くはせ参じたルリが地に降り立った。
「よっと――あ、クリステルさんだ」
「ルリさん、ですか?」
ルリは呆けているクリステルに向けて微笑む。
「うん、来ちゃった」
「どうしてルリさんがここに――私たちがアーバンにいると、知っていたのですか?」
「ああ、その話は後でにしよ。またアヤメちゃん寝ちゃってるのか。でもよかった、ギリギリのとこでモノノケにならずに済んだね。クリステルさんが鎮めてくれたの?」
「ええと、私――何が何だか」
「見た?」
「はい?」
「・・・・・・見てないみたいだね。そのほうがいいよ、アヤメちゃんだって見られたくなかっただろうしさ」
「ルリさ――」
バン、と辺り一面がフラッシュライトの光で満たされる。
夜の闇に慣れたクリステルはたまらずに目を閉じた。
『我らはアーバン国軍である、武器を捨て投降せよ!』
拡声器の声が響く。光の奥で軍靴の踵がいくつも鳴った。
クリステルは咄嗟に裸のままのアヤメに覆いかぶさり、彼女の体を隠した。
「話の途中なのにめんどくさいなあ」
ルリは腰の短刀を引き抜いた。
それを見たクリステルは慌ててルリを諫める。
「待ってくださいルリさん、やめて」
「え、だってあれ――」
「大丈夫です」
息を吸ったクリステルは叫ぶ。
「我が名はヴェルガ国皇女、クリステル・シェファーです! こちらに敵意はありません!」
『そのまま動かないで下さい』
そうして一人の兵士が歩み寄ってきた。
だんだんと目が光に慣れてきた。うっすらと目を開けると――
「これは!?」
クリステルは見た、周囲は血の海であり何人ものヴェルガ軍人の死体が転がっていた。その様の凄惨たるや、筆舌に尽くしがたいものである。銃や剣で死したのではない。体を引き裂かれ、千切られて、いたる所に臓物が飛び散っている。それを見て、ようやく周囲の腐臭に気づいた。
気を失っている間に何が起こったのか、呆然としていると――
「クリステル様ですね」
歩み寄った軍人が膝をついて言う。
クリステルはアヤメを抱きしめた。
「あなた誰? お姉ちゃんたちを殺そうっていうんなら、あたしも黙ってないよ」
ルリは軍人とクリステルの間に割って入る。
「心配召されるな。我らはフィオ王女の勅命ではせ参じた、クリステル様一行の保護を仰せつかっている」
クリステルはその名を聞いてハッとする。
「フィオ王女の命と言いましたか」
「左様にございます――この村に不穏な動きがあるとして諜報員を潜り込ませていました。その諜報員がクリステル様のことを知らせ、フィオ王女はなんとしてもあなたを守り、王宮にお連れせよと」
「そうですか。ルリさん、フィオ王女は大切な友人です、心配いりません」
安堵の表情を浮かべたクリステルを見て、ルリは刀を収めた。
「ひとまず姫様の元へ――怪我人はおりませぬか?」
「ああ、村のお医者さんのところに二人いるの。助けてくれるなら急いでほしいな」
ルリが言った。
「承知。では急ぎましょう」
・・・・・・・・・・
先刻、酒場にてアヤメがリラのために大立ち回りをしていた時、離れた席で目を光らせていたのはアーバン国内の治安を維持する特別諜報員であった。その者に与えられた任は、辺境の村での不穏な動きを調査することであったが、
『なんということ――あれはヴェルガ皇女クリステル様』
行方不明の皇女がそこにいると見破り、慌てて指令本部へ戻った。
指令本部はその情報を常駐軍に連絡した。常駐軍は首都に連絡をした、首都は王宮に連絡した。
そのようにして、クリステル達を守るため、アーバン国軍が出動していたのである。




