ビレへ
ここまでお読みいただいて感謝いたします。
このあたりでざっと、あらすじを。
桜花国の軍人アヤメはヴェルガ国の皇妃クリステルを暗殺するよう命じられる。
しかし誠実な人柄のクリステルを殺すことができず、それどころか恋心を抱く。
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アヤメはクリステルを逃がすが自身は囚われの身となり人体実験の被験者にされてしまう。
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生き延びたクリステルはアヤメを救い出すために行動することを決意。独裁国となったヴェルガをあるべき姿に戻すこと。そしてアヤメのいる桜花国との戦争を回避しなければならない。
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一方、アヤメは旧知の仲であるルリに助けられ、軍の施設から逃亡する。
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脱走兵として追われる身のアヤメ、危険因子として追われる身のクリステル。
二人は逃亡先として、同じ場所を選んでいた。
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今ここ
アヤメとルリは桜花国から逐電し、本土より南へ六千キロ余りの島国へ向かった。
この逃亡はその日の内に明らかとなり、軍は陸路や海路に無数の検問を敷いた。
脱走兵は捕まれば極刑、即ち死刑である。
各国で行われている死刑には特色がある。
例えばヴェルガでの死刑は、残酷な刑をあえて民衆の前で行う。それは見せしめであり、大衆の娯楽でもあった。桜花の死刑は定められた役人のみがひっそりと行う。けじめであり、儀式であった。
桜花人はよほどのことがない限り、罪人を晒すようなことはしない。しかし、脱走兵だけは別だった。
ただ殺されるだけでなく、真に恐ろしいのは刑を待つ間に行われる暴行だった。ヤマタと呼ばれる鞭は、八つに別れた組紐の先端に鋭い金属片がついている。これに数回打たれた後、荒縄で縛られて水をかけられる。すると水で縮んだ縄が肌に喰い込み、鞭でできた切り傷を押し広げていく。
あまりに残虐な行為は寝る間もなく繰り返される。外傷による痛みと恐怖で死した後、遺体を磔にされて街道へ晒されるといった恥辱も待っていた。国賊として見せしめにされるのだ。
この極めて異例な措置は大戦中、捕虜になった者が敵側に作戦を漏らし、多くの桜花軍人が犠牲となったことに端を発する。
アヤメもルリも捕まればどうなるのかはよく理解している。
だからこそ彼女たちは最新の注意を払いながら進んだ。必要であれば三日三晩走り続け、ある時は身じろぎ一つせず丸一日影のように身を潜めた。
桜花軍の中でも優秀な兵士である二人は、先の大戦でも生き残り、今回以上の修羅場を幾つも乗り越えている。戦場で上官から下された無理難題に比べれば、桜花国からの逃亡は容易であった。
逃亡から一週間後、貿易船にまぎれた二人はビレに辿り着いていた。
しかし、彼女たちの逐電成功にはもう一つ理由がある。軍が悟られぬ程度に検問を緩めていたのだ。
彼らの目的はクリステル・シェファーの暗殺。アヤメを囮にしてクリステルをおびき出し、ルリが暗殺する。そのため二人には逃げてもらわなければならなかった。
アヤメは検問の少なさに疑問を抱いていたが、その胸中は目の前のルリを守るという使命、そしてクリステルの安否で溢れていた。心が乱れていなければ、この違和感に気づいていたはずだった。穏やかでない心が、アヤメの目を曇らせていた。