消えた星 アリス対ルリ
「なんなのよ今日は次から次へと」
「えー、あたしだってこんなの予想外だったんですけど」
抜き身の短刀をくるくると手元で回しているルリを見て、アリスは苛立つ。
突如現れた白い少女はアウレリアと変わらない幼さを宿している。歳のくらいで言えば同年代かもしれない。だが、まごうことなき戦士の魂を宿しているのだ。
先刻から半眼にて、気だるげにしているようだが微塵の隙もないのである。
桜花人を侮るな、先の大戦でヴェルガが学んだ教訓だ。
――剣は木の根に取られた。こいつを倒すにはバイズで
そう考えているアリスの瞳の閃きを見て、ルリは足に力を入れダッと駆け寄った。
かなりの瞬脚であるが、心の準備を整えていたアリスにはさほどの脅威と映らない。カッと目を恐らせて、手をかざす。
「うっ、うわ、なにこれ」
そうしてルリの体が浮いた。
「下郎、推参てわけ? 図に乗らないことね桜花人」
この力で捕らえれば逃げる術なし、と快然の笑みが漏れる。
だが、それを見たルリもまた笑った。
「くふっ、うふふふ」
「・・・・・・なにがおかしいの?」
「こんなちんけな妖術で得意げになってるあなただよ」
ルリの声は飽くほど落ち着いて、侮辱の調子さえ含まれていた。
「口の効き方に気をつけなさい三下」
「その三下の力、ご堪能あれ――解放するよ」
ルリの言葉と同時に、大地から無数の根があふれ出た。周囲の草は切れ味の良い刃と化し、木々から舞い落ちる葉は礫の如く飛んだ。
アリスはルリに込めていた力を解き、周囲からの猛攻を寸でのところで交わしながら飛びのいた。
すたっと地面に降り立ったルリの足元で、無数の草花が咲き乱れる。
「森で私と戦おうなんてね」
これなるは明らかに対手を小ばかにした笑みであった。
――こいつ、捕虜にするのは無理ね。殺すか
アリスはじわじわと両手にバイズの力を溜め、油断しきったルリへぶつけようと機を伺っていた。襲い来る根と草を左手に貯め込んだ力で吹き飛ばし、同時に右手で電撃を浴びせようという魂胆である。
地面から飛び出した根が鞭のようにしなり、真っ向から振り下ろされたのを躱し、アリスは力を放った。植物はひしゃげて断ち切られ、次いで放たれた電撃がルリに襲い掛かるが、無数に伸びた青い白い稲光は虚しく空を切っていた。
「外れ」
電撃を躱していたルリは、禍々しい力を体に漲らせていた。
「周り、よく見たほうがいいよ。あたしが捕まえられる?」
いつの間にか温度が下がっていた。冷えた森の中では霧が生まれ始める。
白い霧の奥にいたルリは、すうっと消えていった。
「くだらない。目隠しのつもり?」
アリスが手を振るうと、風に飛ばされた周囲の霧は一斉に消え去る。
しかし、あとからあとから湧き出る白い霧を全て消し去るのは不可能であった。
――霧に紛れて襲うつもりみたいね
瞳で対象を認識し、力を行使する。あの桜花人はこの力をそのように捉えているらしい。アリスは笑みを浮かべた。
バイズは大気に存在する精霊の力を行使するものである。大気に残存する力を読み取ることのできるエルレンディアにとって、周囲一帯は自らの手足と同じ。例え目を潰されようとも、この空間掌握能力がある限り、対象がどこにいるのかは手に取るようにわかる。
「随分と姑息な手を使うのね」
霧の中から蔦や葉が襲い来るが、それらはアリスに触れることなく弾けて塵となる。
「無駄よ」
目が見えない分、かえってアリスの感覚は研ぎ澄まされていく。彼女を中心として、半径五メートル以内に侵入した異物は全て力により滅ぼされることになる。
――さあ、出てきなさい。とっておきをくれてやるわ
じりじりと息の詰まる静寂が訪れた。これなるは互いに相手の呼吸を図ろうとしているためである。深い霧の中、両名は確かに互いの目を睨みつけて対峙していた。
油のようにゆっくりとした時間が流れる。
一分、二分、と時間だけが過ぎていき、未だ両者は動かなかった。
――どういうつもり、なぜしかけてこないの?
どうにも解せない、とアリスは思う。
そして次の瞬間、異変に気付いてハッとした。
白い少女が隠したのは自らの姿ではない、周囲で巨大化していく植物たちだ。
緑は恐るべき速さで光合成を促進しさせ、危険な濃度の酸素で満たしていた。
「っく」
アリスの跳躍と同時に、ルリの放った火種が急速に肥大した。
かろうじて火を躱し、後退したアリスが目にしたのは巨大な炎の壁である。
巨大な松明が爆ぜたような、凄まじい炎が吹き上がり、それは炎上網となってアリスを追いやった。
これほどの火と植物と白い少女、三つ全てを相手にするのは分が悪い。
「桜花人め」
そう恨み言を呟く。
はあ、とため息をつくと肩が重くなった。
なんだか、今日はとても疲れた。
アリスの右腕は未だ震えを帯びていた。ピアを撃った時の銃の振動が未だ残っている。何故、撃ってしまったのかわからない。あんな小さな女の子を、傷つけてしまうなんて。
殺すべき時に殺す、師であるエルフリーデにはそう教わってきた。
そしてあの瞬間は、殺すべきではなかった。
「帰ろう――帰りたい」
何より優先すべきは回収した「石」をエルフリーデに届けること。
「顔は覚えたからね。次に会ったら殺すわ」
アリスは歯を噛みしめてその場を後にした。
・・・・・・・・・・
「ごめんね、あとでちゃんと治してあげるからね」
燃え盛る緑を見つつ、ルリは言う。
両肩にはそれぞれソニアとピアを担いでいた。
「とりあえず、ピアが死にかけてるからこっち優先で」
「うっ、う――」
「あ、赤髪のお姉ちゃん気づいた?」
「ピア、ピアちゃんに手当を」
「応急処置はしといたよ。このまま二人仲良く病院に連れてってあげる」
オオオオオオオオオオオ
と、向かうべき先から咆哮が聞こえた。
ルリの朱い瞳に大きな驚きの光が走った。
「この邪気、アヤメちゃん」
ルリは足を震わせていたが、すぐに思い直して、
「あっちって村の方?」
ルリの問いにソニアはこくんと頷いた。
「まずはあなた達を病院に。あたしはアヤメちゃんの所に行かなくちゃ」
そう言って砂塵を蹴立てて空高く飛び上がった。
――駄目だよアヤメちゃん、解放しすぎると元に戻れなくなるよ




