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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
激動篇
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消えた星 月下

場面変わってピアの話になります



「うっ、ううっ、――はあ、はあ」

 

 ピアは涙を拭いもせず、夜の森を走り続けていた。


「ソニアさんの、バカ、私のっ、ひっく、私のバカぁ」


 ふいに木々が途切れ、開けた平原に出た。驚いた羽虫たちは羽音を止めた。


「はぁはぁはぁ」


 もう走れない、とピアは足を止める。

 コバルトの夜空に青い月の光が灯っており、涼しい風が野草を揺らす。夜空の下で一人ぼっちなのだと思うと、しんしんと寒さが増していくように思われた。


「どうしよう、あんなこと言ってしまって。もう私、戻れません」


 後悔と悲しさで涙が止まらない。そのせいで乱れた呼吸も容易には収束できずにいる。


「あらあら、夜のお散歩かしら?」


 声が聞こえた。

 びくりとしたピアが周囲を見回すと、家屋ほどもある岩の上に一人の少女が腰かけていた。銀色の髪を夜空の光になびかせ、星を見ている。


「あなたも月を見に来たの?」


 翡翠色の双眸は星々の瞬きよりも鮮明に映る。


「でも、夜の森に一人で来るのは止めた方がいいわね。夜の森には獣が出るの」


 その瞬間、ピアの背後から幾つもの影が躍り出た。


 魔狼である。

 アーバン国に生息する魔狼は人語を操り、時に人に化けることもあるという。それは人間を食することで力を取り込むからであると言い伝えられている。


「ひゃうっ」


 ピアは咄嗟に頭を抱えて(うずくま)った。

 魔狼の牙は果肉を噛みちぎるが如く、容易にピアの四肢をもぎ取るはずであるが――


 ガゴッ

 ゴギッ


 と、異音と共に絶命し、ばたりと草むらに倒れ伏した。


「夜の森には魔女も出るけどね」


 そう言った銀髪の少女は岩から飛び降りてピアの前に立つ。


「大丈夫だった?」

「は、はい・・・・・・あの魔狼は」

「殺したわ。死にたくなければ夜の森に一人で来ないことね」

「はい、ありが――」


 恐る恐る目を開け、差し伸べられた手を取ろうとした時、ピアの心臓が跳ね上がった。

 そんな馬鹿な。なぜ彼女が、エルフリーデの右腕が目の前にいるのか。


「あ、ああ」


 心臓が早鐘を打って、足が震え始めた。


「ん? あなた見たことがあるわね」


魔女は訝しげな目を向けてくる。

 ここにいてはいけない、すぐに逃げなければ。そう思ったピアは少しずつ後ずさりを始める。


「あの私、これで」


 咄嗟に踵を返そうとしたが、


「待ちなさい」


 その言葉と同時に、体が見えない力で拘束される。


「は、うっ、なに!?」


瓶にでも詰められたように、手足の指先さえ動かせなくなった。どんなにもがいてみても、かろうじて動くのは瞼と口だけである。



「どこだったかしら・・・・・・サルカラかシャシールか。いいえヴェルガの城内で見かけた気もするわね」

「は、離してください」

「思い出したわ、あなたクリステルの主治医。そしてソニアのお気に入りよね」

「あうっ」


 魔女が指揮棒を振るうように腕を上げると、ピアの体が空宇に浮き上がる。


「こんなところで会うなんてね。あなたとクリステル、それにソニアは仲よく揃って手配中よ」

「知りませんそんな人たち、あなたが言っていることも何のことかわかりません、人違いです」

「あらそう?」


 銀髪の魔女、アリスは見開いたピアの瞳を見つめる。


「うっ」


 途端にピアの心に異変が生じた。何かもやもやと霞がかったものが、頭の中を這いまわっているような不快感を覚える。悪夢と金縛りが一度に襲ってきたようである。


「・・・・・・そう・・・・・・あなたも私と同じね」

「お、同じって、なんの、ことです」

「奴隷だったんでしょ?」

「っ!? な、なんでどうして!?」

「っていうか大体のシャシール人は奴隷か、心を読むまでもないわね」

「心を、読む?」

「・・・・・・クリステルの居場所を知っているわね。教えなさい」

「いやっ、やです」

「強情ね・・・・・・正直、はやくヴェルガに戻りたいのよ。この国での任務は終わったし、こんなことに時間をかけたくないの」

「っく」


 迫る翡翠色の瞳に怖気が走る。

 この目だ。頭蓋の奥まで透かし見るような引力を持つこの瞳で心を読むのだ。

 そう察したピアは瞳を閉じて歯を食いしばった。


 僅かな情報でも与えるわけにはいかない。自分のせいで仲間が傷つくことだけは避けたかった。

 死をも覚悟したピアである。これに魔女は溜息をつく。


「まったく、あなたを苦しめる気はないんだけど。さあ目を開けて、私の瞳を見なさい」


 頬に触れようとしたその瞬間、

 

 疾風

 

 まさしく一陣の風の如くはせ参じた騎士がいた。


「アリス!!」


 アリスが空を見上げた時、その騎士は宙空で剣を構えていた。

 アリスは咄嗟にピアを解放し、剣の及ぶ範囲から飛びのいて遠ざかる。その直後に先刻までアリスが立っていた空間を、剣先が鋭く空を切った。


「あら、やっぱりあんたも一緒か」


 参じた騎士はピアの体を抱えると、大地を蹴って後方へ飛んだ。

 通常の間合いの倍ほどの距離をとった。


 これを見たアリスは小気味よい笑みを浮かべた。そんなに私が怖い? とでも言うような笑みである。



「久しぶりねソニア」


 ソニアは答えない。


 恐れからではない。距離を取ったのは、いち早くピアを安全な場所へという思いからであった。

 実のところ、この時ソニアが孕んでいたのは怒りである。

 ただ、自身のプライドよりも愛する人に万一のことがあってはならないと。ソニアは考えたのだ。



 ピアの体を触診し、傷がないことを確かめつつも、アリスへの警戒を緩めなかった。


「ピアちゃん下がって」

「ソニアさ――あの、私」

「うん、後でちゃんと話そうね。今は隠れて」

「・・・・・・負けないでくださいね」

「負けないよぉ」


 笑顔で言うソニアの言葉にピアはこくんと頷くと木の陰に走っていく。


「アリス、なんであなたがここにいるの」

「こっちの台詞よ裏切り者」


 アリスは乱れた銀髪を風に流すように手で梳かしながら言う。なにやら面倒なことになった、と感じさせるような表情をしている。


 ソニアは相手に触れることで思考を読み取れるが、それは心を許している者に限られる。アリスの思考を読み取るのは不可能であった。

 アリスがこぼした僅かな感情を拾いつつ、何故この国で出会ってしまったのかを推察するしかない。


 メルリスの中でも最強とされる彼女は、小規模な争いの収束やテロリストの殲滅など、いわゆる小さな事件で容易には出動しない。


 それこそ。皇女の抹殺、という重大な使命でもない限り。


 クリステル様がここにいると、どこかで情報が漏れたのか。しかし、アーバン国に飛ばされてからそう時間は経っていないはずだ。いや、アモンの獣の光に呑まれてからここへ来るまで、想像以上に時間が経過しているのかもしれない。そういえばこの国に来て日付の確認をしていないままだった。ぐるぐると考えが巡る。


 もしアリスがクリステルの居所まで掴んでいないのであれば、自分の返答一つで事態は悪化する。会話は慎重にしなければならないと、生唾を飲み込んだ時であった。


「私の仕事は終わったからのんびり夜の月を楽しんでたんだけど。まさかあんた達と会えるなんてね」


 小さな違和感があった。

 先刻からアリスはどうにも億劫といった様子なのだ。

 クリステルのことは知らないのだろうか。本当にただの偶然で鉢合わせただけなのか。


「こっちも驚きだよ。ここへは一人で来たの?」

「シュタインの部隊とよ」

「シュタインの部隊って」

「ああ、途中まで一緒だったけど。今あいつらは別の任務を遂行中。ここには私一人よ」

「任務ってなんのこと」

「そこまで言う義理ないでしょ。さてと、口のきけるうちに喋ってほしいんだけど」


 アリスはキラリと目を光らせた。


「クリステルはどこ?」


 鋭く冷たい声であった。


「あんたと、クリステルの主治医を務める女の子がここにいるってことは、行方不明中の皇女様もこの国にいるんでしょ?」


 やはりクリステルがここにいることは知らなかったのだ、とソニアは確信する。


「なんのことかな、私はクリステル様とは関係ない。ピアちゃんと一緒に旅をしていただけ」

「しらばっくれるつもり。ねえソニア」

「なに」

「あんた、殺すわよ?」


 その覇気たるや、このまま無事ではすまないと緊張するに十分なものを含んでいた。

 ソニアは手にしたファルクスの剣の柄を強く握りしめた。

 彼女の質問には慎重に答えなければ、などとピントのズレた考えだった。


 アリスだけはここで仕留めておかなければならない。


 数々の戦場と修羅場をくぐったソニアの心は、騎士として磨かれていき、今やダイヤの如く光っている。研磨された経験が、この場でアリスを討てと命じるのである。

 この場は逃げおおせても、どこかのタイミングで必ず鉢合わせる。今よりももっと折りの合わない時と場所で対峙するやもしれない。ヴェルガを取り戻すには、いずれはアリスを倒さなければならないのだ。


「ピアちゃん、逃げて」

「え」

「ここ危なくなっちゃうからさ。でも、心配いらないよ」


 にっこりと微笑んだ後、剣を構えた。


「ふふふ、私と戦うつもり?」


 アリスは笑う。


「エルフの出来損ないが、エルレンディアの私に勝てると思う?」


 挑発の笑みであった。


 そう、挑発だ。アリスの注意を引くにはそうすることが一番であるとソニアは判断した。


「それがなんだっていうの。本当のこと言ってあげる、私ねアリスの戦ってるとこ見たことあるけど負けるって思ったことないよ。私の剣舞に合わせて、どうやってあなたが躍るのか――すっごく興味あるな」


 剣の切っ先を向けて言うと、アリスの目が怪しく光る。


「吠えるわね」


 これでいい。アリスをクリステル様達のいる小屋へ近づけてはいけない。なんとしてもこの場に留め、そして討つ。


「エルレンディア。あなたもエルフリーデも、光の加護を持つあなたたちが、どうして酷いことばかりするの。私はそれが許せない――私にもエルダールの加護がある。あなたには負けないよ、アリス」

「そう、いいわ。あんたは酷く痛めつけてから殺してあげる」 


 両者は共に翡翠色の双眸を持つ。瞳の奥に無限の光を散りばめつつ、夜空の下で対峙した。

 片や抜身の剣を青眼に構え、片や腰に差した剣を抜こうともせず立ちすくんでいる。


「いくよ!」


 辺りの空気をつんざく声を上げ、ソニアは跳躍した。


エルレンディアという専門用語が出しました


これこそアリスとエルフリーデの正体です。後々、お話のなかで説明していきます。


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