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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
激動篇
70/170

消えた星 ピアの憂鬱 3

ピアとソニアの心理状態が交差します。


ピアのこと書くの久びさでして、「ピアの憂鬱」シリーズを何度も読み返してしまいました。

 夕日が消え、夜の帳が下りて久しい頃。あれほど苦しんでいたアヤメはけろりとして二階から降りてきた。

全身に鉛が食い込んだようなしこりと激痛も消し飛んだらしい。


 不思議なことだが、ピアもソニアもほっと胸を撫で下ろしたものだった。


「心配をかけてすまなかった。私はもう大丈夫だから、二人もゆっくり休んでくれ」


 アヤメはそう言って微笑んだ。



 ピアとソニアは連れ立って二階へ上がった。

 二人並んでベッドに腰を下ろすと、さすがに疲労がのしかかってきた。


 スネチカで暗殺者と怪物に襲われ、飛ばされたアーバンでは村のいざこざに介入し、アヤメには死にかけるような症状が現れた。僅か一日二日の間に、心を消耗していたのだ。


 と、同時にピアは『自分は常に死と隣り合わせなのだ』との気負いを深めていった。

 命を脅かされたことはこれまでにもある。


 まだシャシール国で父と母が生きていた頃、思いがけぬところで、思いもよらぬ敵意を向けられた。

 病院で患者を診察しようとした父と母が罵声を浴びた。患者は白い肌をした異国人であり、褐色の肌を持つ人種を酷く侮辱した。最初は何を言われているのかよくわからなかった、からかっているのかとも思えたが、やがて恐ろしくなって涙が出た。


 それから肌の色を蔑まれるたび、驚きと当惑が生まれ、或いは憤り、或いは悲しくなって逃げた。


 白い肌を持つ人々にとって、私たちは醜いんだ。

 ピアの幼い心は恐怖で締め付けられた。

 

 やがて父と母を戦争で亡くし、奴隷となったピアはヴェルガに売り飛ばされた。奴隷商人はピアが気に入ったらしく、毎晩のように折檻し、首を絞めた。


「醜い民族のくせに、お前は可愛くてたまらんぞ」


 開いた口から垂れた涎が頬にいくつも落ちてきた。

 殺される、そう思ったが、いつも寸でのところで首から手が離れる。いつでも殺せるのに、そうはしなかった。

 命を握られている感覚は例えようもない恐怖であり、恐怖はそれ以外の感情を削る。


しかし、ピアは一人で耐え続けた。父と母のことを思うと奮い立つことができた。


奴隷商人にチェスの勝負を挑まれた時、今こそシャシール人の誇りと意地を見せる時であると心得たが。結果的に待っていたのは暴力と理不尽と、侮蔑と嘲笑。


 もういい、何が起きてもどうだって。仕方のないことなんだ。


 諦念を強めることで恐怖を抑えた。世界は澱んだ灰に染まった。 


 その時、ピアは出会ったのだ。天が遣わせたと思えるまでの、美しい女性と。


光の騎士、ソニア・エルフォードと。


 ただ一人、悲しみも喜びも、そんな感情を惜しげもなく向けられる人。火照った頬を寄せたい人がいる。


 ソニアはいつも優しく気遣ってくれ、温かく包み込んでくれる。そんなソニアにピアが思いを寄せるのは、あまりにも自然な成り行きであった。


 明日あるかもわからない命。この事実が、ピアの秘めていた気持ちに拍車をかけた。

 これまで聞くに聞けないと自制していたが、今やソニアへの想いは業火となって、僅かな迷いなど火にくべられた花の如く消えていた。


ソニアに触れたい。キスをしてほしい。

この前、いつも見るあの夢の中で。麦の稲穂が続く平原で、ソニアとキスをした。

できるなら、今この世界でも。


「あの、ソニアさん」

「うん? どうしたのピアちゃん」

「疲れましたね」

「そうだね。たくさん頑張ったもんね」

「ええと、あの・・・・・・側に行ってもいいですか?」

「いいよ、おいで」


 ピアはソニアの腰に抱き着いた。


「おっと、どうしたの?」

「こうしていたいんです。駄目でしょうか?」

「いいけど、珍しいねピアちゃんからなんて」


この時、ソニアが抱えていた感情はピアのものとまるで違っていた。


 酒場でリラが悪漢たちに捕まれた瞬間、ソニアの体は忌まわしい過去の記憶に貫かれていた。

 ピアを救うため、ディートハルトに犯された日の記憶が昨日のことのように鮮明に浮かび上がっていたのである。


 メルリス師団長として優れた年配の御仁と尊敬していた当の相手から、「今晩九時、服を脱いでベッドへ入っていろ」などと言われて、何と答えてよいであろう。


 純血を失った日から一週間は夢にうなされた。ディートハルトの髭濃い顔が近づき、体を舐めまわる、そんな悪夢であった。

 大切な人を護れたことと、体を汚されたという、絶えず二つの事実が光と影となって入り乱れ、人知れずソニアを苦悩させるに至った。


――ピアちゃん


 ピアを抱きしめる時、胸の底に潜めた想いはすぐに浮かんでくる。見せた笑顔の裏で、少なからず苦悩もしていた。ふとした拍子に表情が翳りだすのは、このような葛藤のためであった。


 と、このソニアの表情が年若いピアには夢と映った。

 ソニアの彫りの深い秀麗な双眸に、厳しさが降りる時、それは異常なまでの美しさを帯びていた。

 ピアの胸はキュンとときめき、魂の底まで大きく揺すぶられた。


 ソニアは触れた物体や親しい人間の心理を読み解く力がある。その能力でこういったピアの気持ちは重々承知であった。


 ピアの気持ちは素直に嬉しいと思うし、ずっと一緒にいたいとも思う。しかし、ディートハルトに汚された体でピアに口づけをすることは躊躇われた。


「ん? あれ、震えてる?」

「その・・・・・・はい、我慢してたんですけど」

「恐いことたくさんあったもんね。ピアちゃん、争い事とか嫌いだし」


ソニアはピアを抱き上げ、自らの膝に座らせると、そっと抱き締めた。


「恐くない、恐くないよ~」


ゆらゆら、と揺れながら頬をすり寄せるソニア。

嬉し恥ずかしいピアは頬を染め、うぅ、と呟きながらも満たされた表情である。

揺りかごに乗っているような感覚を覚える。


「おりゃおりゃ」


ソニアがピアの股を指でつまんで遊ぶ。


「うーいうい~」

「うぅ――えいっ」

「おっと」


手で叩こうとするとソニアは瞬時に腕を引っ込めてしまう。

そんなふうにじゃれつきながら、二人はキャッキャとはしゃいだ。


「私がいるから大丈夫だよ。ピアちゃんは私が護るから」

「ソニアさん」

「ん~?」

「好き、です」

「私もピアちゃん好きだよ」


ゆっくりとではあるが、ソニアの中で蠢いていた忌まわしい記憶が薄れ始めた。

このままピアを抱き締めて眠ることができれば、起きた時にはすっきりしているかもしれない。

 

「ソニアさん」

「今度はなあにピアちゃん?」

「これ大切にしています」


 ピアはソニアからもらった口紅を取り出した。


「あ、私もちゃんと持ってるよ」


 ソニアも取り出してピアの眼前に掲げ、微笑んで見せた。


「この間、ちょっとだけ使ってみたんです。唇が桃色になって綺麗でした」

「そうなの? なんだ見せてくれればよかったのに」

「今、ちょっとやってみせます」

「うん、やってみて」


 ピアは口紅を差し、上目遣いにソニアを見つめた。今やピアの唇は薄い桜色に染まっている。


「思ったんです、ソニアさんの唇と触れ合って、色を分け合ったみたいだなって」


 しばしの沈黙。

蝋燭の光が、がらんとした部屋を照らしていた。

 暗い部屋で揺らめく火が、二人の頬を包んでいた。

 ピアはソニアの手を握ると瞳を閉じ、ゆっくりと唇に迫った。


 瞬間、ソニアの鼻に老人特有の加齢臭と口内に苦い舌の味が蘇った。

 ドン、とソニアはピアを突き飛ばしていた。そうして身を竦めて壁際に逃げる。

 はっきりとした拒絶、それにソニア自身が驚いていた。


「ソニア・・・・・・さん?」


「・・・・・・あ」


ピアの両肩に、じわりとした痛みが生まれ始める。

ソニアの手に、突き飛ばした衝撃の波が生まれ始める。


一方は何をされたのか、また一方は何をしてしまったのかわからないといったふうだった。二人は仄暗い部屋の中で見つめあっていた。


先にハッとしたのはピアである。

 ごめんなさい、悪ふざけが過ぎました。と、そう言えばまだこれまでの関係に戻れる。

 早くしなければ、沈黙が意味を持ち始めてしまう。


 早く言わなければ。悪ふざけであったと、魔が差してしまったのだと。


「私とキスはできないんですか?」


 だが、ピアの口から出た言葉は思考したものでなく、強い意志によるものであった。


 これにハッとしたのはソニアであった。


 心臓が早鐘を打って震えていた時に聞こえたのは、ピアの悲痛な声だった。

 目を見開いて驚いていたピアは、悲痛な面持ちで顔を伏せてしまった。


「違う、ピアちゃん今のは」


 ソニアは慙愧に苛まれていた。なぜピアとディートハルトを重ねるような真似をしてしまったのだろうか。


「私ずっと、ソニアさんだけを見てきました――ずっとソニアさんだけでした。好きです、好きなんですソニアさん」

「ピアちゃん」


 ピアは小さな拳でシーツをぎゅっと握りしめ、肩を揺らしていた。ここで止めなければ大変なことになる、そうわかってはいても口からはこれまで抑えていた思いが次々と飛び出した。


「私じゃだめですか? 魅力がないでしょうか、ソニアさ、いつも触れてくれるのに、キスはしてくれませんでした」


 ため込んでいた思いは尽きることがなかった。 


ひっ、ひっ、と嗚咽混じりに言葉を紡ぐピアの姿が痛ましい。

しかし、ソニアは動けない。


「ちょっと、落ち着いて」


ピアはソニアを見た。焦りと困惑とが表情に色濃く浮かんでいる。ソニアの表情にピアは傷つく。ああ、駄目だ。そんな顔をされてしまうなんて。


「どうしてですか?」


 ピアの瞳から一筋の涙が頬をつたい落ちた。それがきっかけと言わんばかりに、幾つもの雫が頬を伝い落ちた。


「私の気持ち、気づいていたはずです」


 ぎくり、とソニアは表情を硬くする。



「教えて、ソニアさんにとって私はなんですか?」



 ざわついていた衝動はいくぶんかなりを潜めたが、心には言い知れない不安の渦が生まれていた。

 どうしてピアちゃんを拒絶したの、駄目、嫌だ、ここで手を伸ばさなくちゃ、ピアちゃんが遠くへ行っちゃう。

 不安に寒気を覚えて、ピアを抱くべく手を伸ばした。抱きしめれば不安が和らぐはずだった。


 しかし、その手はピアに弾かれた。


「違います・・・・・・そうじゃないんです・・・・・・私が知りたいのはそういうことじゃない。私を好きでいてくれるか、です」

「・・・・・・ピアちゃ、」


 私だってずっと、ピアちゃんと口づけを交わしたかった。


 その言葉が出てこない。


「ごめんなさい・・・・・・私、勘違いしてたみたいです、私、子供で、馬鹿だから、うっ」


 そう言ったピアは次の瞬間、脱兎のごとく部屋を飛び出した。

 ソニアは呆然としていて、すぐに動くことができなかった。ようやくハッとして階段を駆け下りると、アヤメとクリステルが心配そうな表情で立ちすくんでいた。

 二人の視線の先には開け放たれた扉があった。


「ソニア、何があったのですか?」

「お嬢様、私――」


 己を取り戻したソニアの表情から、二人はすぐに察した。


「追いかけてあげてくれ、お嬢様は私が護るから心配いらない」

「ピアを連れ戻して。気をつけて下さいね」


 ソニアは頷き、夜の森へと駆け出していく。


「ピアちゃん」


会って何と言えばいい? 何を話せばいい?


ディートハルトのことは知られたくない。ピアちゃんは凄く悲しんじゃうだろうから。


でも、あの時。私が拒絶した理由を知りたいはずだよね。


ああ、どうしたらいいの。


常人より抜きん出た脚力を持つソニアは、この時、水の中をもがいて進むような、僅かな力しか出せていなかった。

お読みいただきましてありがとうございます!


キスに興味津々であっただけにピアの傷は深いのでありました。

次回はアヤメ視点に戻ってしまいます。

構成上しかたないのです、申し訳ない。


さあ、盛り上げていかなければなりません。


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