消えた星 蘇る記憶は夕暮れに染まり
土壁に藁葺きの家は質素ながらも大きな家だった。
壁には先刻背負っていた散弾銃が立てかけてあり、板場には獲ってきた獲物の干し肉と毛皮が干してある。
「適当に寛いで、今お茶でも淹れるから」
悪漢の暴力でほつれた髪を後ろで縛り、腕まくりをしたリラは奥の部屋を指さしながら鍋を火にかけ始めた。
血の匂いは獣のもの、僅かに漂う火薬の匂いは壁にある銃からだけだ。念のため鼻をひくつかせていると、天井から垂れさがっている毛皮を凝視するクリステル様に気づいた。
獣の肉や皮がブラブラと下がっている光景が物珍しかったのだろう。クリステル様は無残に変わり果てた小動物を見て僅かに眉をひそめていた。私も初めて獣の皮を剥いだ時は残酷だと思ったことを思い出す。
「可愛そうだって思う? でもこうでもしなきゃ食べていけないから」
リラの言葉にクリステル様はハッとした。
「いいえ。あの、リラさん。ご家族の方は?」
「ああ、私一人暮らしですから。遠慮なくどうぞ」
「一人暮らしですか?」
「うん、一人には大きすぎる家だけどね。パパとママが死んで、妹とも今は離れ離れ」
「ごめんなさい。言い辛いことを」
「あなたが謝ることないよ、慣れたし――耐えられる」
クリステル様とピアは手伝いを申し出たが、久しぶりのお客様に手伝わせるわけにはいかないとリラは首を縦に振らず、私たち四人は大人しく客間の椅子に腰を下ろした。
腰かけるとどっと疲れが出た。
「アヤメさん、体は大丈夫ですか?」
「はい、モノノケの力が馴染み始めたようです。体もちゃんと動くことは先ほど確認できました。お嬢様は風邪の具合はどうですか?」
「ええと、びっくりすることがたくさんあって。どこかへいってしまいました」
そう言う自分のことがおかしかったのか、彼女は年相応の少女のように笑った。
「気をつけないとまたぶり返しますよ。後でお薬を飲んでくださいね」
ピアは手にした錠剤をいくつかクリステル様に手渡している。
「あの・・・・・・酒場でのことですけど。ソニアさんとアヤメさんがいなくても、お嬢様は止めに入っていたと思います。ビレでも似たようなことがありまして」
ピアがそう切り出した。
「ルリさんのことですか?」
「あの時も私は止めたのに。結果的にあんなことになって」
「そうですね。でも困っているルリさんを放っておけなくて」
「これです。お嬢様は困っている人を見ると反射的に動いてしまって。だから、二人がいてくれたことには感謝しています。そして、リラさんを助けたことに誰も不満がないのならもう言うことはありません」
「ごめんねピア、心配かけて」
「いいですよもう・・・・・・私だって、同じくらいの年頃の女の子が虐げられるのは嫌に決まっています」
「ありがとうピア、私たちのために考えてくれて――あなたは私たちのことを誰よりも考えてくれていますね。我儘な私をどうか許してくださいね」
鼻の頭を赤くしたピアの頭をクリステル様が撫でた。しっとりとした乳白色の肌が、ピアの黒髪に浸透していくようだった。ピアはクリステル様を見つめながら、小さなため息を吐いた。
「すまない、だが私もあのようなものを見せられて黙っていられなかった」
夕日の淡い光が差し込む中で、ピアはやや表情を強張らせながら「いえ、いいんです」と言った。
「わかってます。私たちは今のヴェルガを否定するために戦っています。切り捨てるという発想だけではエルフリーデに勝てません。私たちはお嬢様のやり方を通すべきなのだと思います」
「ピア」
「ソニアさんもありがとうございました、私また――ソニアさん?」
ふと、ソニアの方を見た。
あまり見たことのない不愉快そうな表情が現れてきた。
「ソニア?」
「ん? なにアヤメちゃん」
「いや、ピアが」
「ピアちゃん? あ!? なになにごめん、ぼーっとしてた」
ピアのことを誰よりも気にかけているはずのソニアが目を伏せたまま、顔を上げずにいたのだ。
この時、ソニアの胸中に何が渦巻いていたのか私には判断がつかなかった。天真爛漫で、このような堅く凝った空気は人前では出さない人間だと思っていたからだ。何かよほど思うところがあったのか。
ガチャガチャと盆にのせた食器を鳴らしながらリラがやって来た。
「取り込み中だった?」
止まった空気を見て、リラは僅かに目を細めた。
「ま、わけありって感じだもんねあなたたち。これよかったら」
そう言って机に置かれた盆にはティーカップとパイがあった。
「私のせいでろくに食べられなかったでしょ。玉ねぎとベーコン入りのパイだよ、よかったら食べて」
私は目の前の料理を見て、話題を変えた。
「ありがたいが、こんなことまでしてくれなくても」
「いいって」
リラも椅子に腰かけ、パイを切り分け始める。
「お礼を言うのは私の方。ほんと言うとね、あんたがあいつらをのしてくれた時、胸がすっとしたんだ。強いんだねあんた、いくつ?」
「十六だ」
「うそ、私とほとんど変わらない。それなのに大の男を一瞬で倒しちゃうなんて、苦労してきたんだね」
「――いただいてもいいか?」
「どうぞ召し上がれ」
かぷっとかぶりついた瞬間、ぽわぁ、と頬肉がほぐれる。
え? とクリステル様が物珍しそうに私の顔を覗き込んでいるのに気づき、すぐに垂れ下がった頬を戻す。
リラの手料理は美味しかった。野菜と肉の風味が絶妙だ。
「美味しいな」
「そ? ありがと」
「私にこういうものは作れない、腕っぷしだけだ」
「あれ、慰めてくれてんの?」
「事実を言っただけだ」
「そっか・・・・・・あのさ、夜明け前に出てってよね。あんた達になにかあったら、私は後悔しきれないからさ」
「リラ」
「頼むよ。私は平気だから、それが一番いいんだよ。いいね、今度こそしっかり言ったからね・・・・・・私は向こうで仕事してるから、休むんなら二階に寝室がある。そこを好きに使っていいから」
言うだけ言うとリラは席を立って板場へ戻っていった。
有無を言わさぬという口調に、私たちはあっけらかんとしているだけであった。
「おいしいねえこれ、アヤメちゃんもすっごい美味しそうに食べてたし」
机に頬杖をついて始終を見ていたソニアが言う。
「うん、美味しいな」
「ほっぺたが落ちる~って顔してたよ」
「し、していない。ニヤケながらこっちを見ないでくれ」
「とにかくさ、休ませてもらおうよ。何かするならその後でしょ。お嬢様とアヤメちゃんが先に休んで。私とピアちゃんは見張りをする。四時間したら交代ってことでどう?」
ソニアの言う見張りは外的のみでなく、リラの監視も含まれている。
ひとまず二階で休ませてもらうことにした。
部屋から出る前に、夕日にぼんやりと浮き上がったソニアとピアを今一度見た。ソニアは頬杖をついて、空になった皿の縁を指先で撫でており、ピアは頭を垂れた姿勢のまま動かなかった。
「ソニアと話をしてあげてくれない?」
階段を上がろうとした時、クリステル様に裾を引かれた。
「たまにああいうことがあるの、私にもピアにも理由を話してくれなくて」
クリステル様はそれ以上のことは語らなかった。
私が部屋に戻り、「ソニア、少し話さないか」と言うと彼女はあっさりとした口調で「いいよ」と言った。
二人で外に出てしばし風に当たった。
夜の帳が迫る方角の山々は、赤と黄色の暖色を纏っている。足の指先に痺れるほどの寒さを覚える。積もっていくような寒さは、日が暮れかかると一段と増していくらしい。
「これ野宿してたら私たちも風邪ひいてたかもね」
ソニアが笑う。
私が誘った理由を知ってか知らずか彼女は饒舌になり、私もそれに合わせていると話は変転を繰り返した。
「ウサギって食べたことある?」
「ああ、見かけほど肉はなかったな」
「銃で仕留めたウサギの肉って中に弾丸が残ってるときあるよね? ガリッ、て噛んじゃったことあって最悪だったよー」
「私は戦地で口にした。久しぶりの肉に目が眩んで、小刀で捌く時に内臓を傷つけてしまったことがあった、血が肉に飛び散ってしまってな。中毒になるからもう食えんと上官にビンタをくらったことがある」
「そういえば桜花ではウサギって一羽って数えるよね、鳥と同じ数え方」
「そうだ、よく知っているな。そういえば味は鳥と似ていたな」
「ウサギって昔は空を飛んでたのかも。今は地べたを駆けることしかできなくなっちゃったんだ。かわいそう」
「かわいそう?」
「うん、なんか。かわいそう」
見つめる先を農夫たちが鍬を担いで家路に急ぐ姿が見えた。ソニアはそれを懐かしそうに見つめ、微笑んでいた。
「ねえ、アヤメちゃん」
「なんだ」
「アヤメちゃんて、男の人と経験ある?」
「・・・・・・いや、ない」
「うそ、アヤメちゃんみたいに綺麗な子が」
「私は。死神と恐れられていたからな、手を出そうという人はいなかった」
「小心者ばっかりだね、私が男だったらすぐ飛びついちゃうよ」
「なんだそれは」
ソニアと話す内に私の舌も滑らかになっていた。いい気持ちで話せていることが嬉しくて、微笑んで聞いていた。
「私はしたことあるんだ」
急にソニアが言った。
「なんか思い出しちゃった、それでぼーっとしちゃった。失敗失敗」
そう言って苦笑する。
冷えた言葉だったが、怒りや悲しみは感じられなかった。
「なにか抱えていることがあるのではないか? 耐えるばかりが強さではないぞ」
私は一歩踏み出す。
「耐えてばかりいると心に負担がかかる」
「え、アヤメちゃんがそれ言う?」
「経験から言っているんだ」
「なるほど、すごい説得力」
「・・・・・・悩みがあるなら相談に乗るが」
「うん。ありがとう」
「私だけではないぞ」
「うん、みんなが優しいのわかるよ。それがすっごく嬉しい」
ソニアは笑った。
大切な人だからこそ、言えないこともある。
小さく囁いた言葉を私は聞き取れなかった。聞き返そうとした時、右腕に電流が走ったかのような痛みを覚えた。
「うあッ!」
と、思わず叫んでしまうほどであった。
「アヤメちゃん?」
痛みは激甚であった。
見ると五指の先端から猫の爪が生えてきている。無意識のうちに解放しているらしい。だが、これまで体験したことのないほどの尋常でない苦痛が伴っていた。




