消えた星
今回からアヤメ視点に戻ります!
アモンの獣を殺めてはならない。彼らは死の間際、最後の力で残された魔力を一気に放出する。その光はアモンの民でない者を一瞬のうちに追放する。光に呑まれた者の行先は誰にも分らない。
目を覚ますと私は草むらにいた。口の中に土の味がする。ぺっぺっと吐き出して目を開けると、空は澄んだ紺色で西の空がほんのりと茜色に染まっている。
「ここは」
寝覚めでうつつであった意識が覚醒した。洞窟で化け物と戦い、妙な光に包まれて、そこからの記憶がない。
「クリステル様っ」
立ち上がろうとしたが、手足がもたついてすぐに倒れてしまった。
「くそっ、動け」
全身の血がこぼれ出てしまったようだ。蒼白痩身となった今、虫のように地を這うのが精いっぱいだ。解放の反動だ。長く変わりすぎたらしい。
「間抜け。モノノケの力に奢り、クリステル様を護ると息巻いておいてこの程度か」
手探りで草をかき分けて進んでいると刀が落ちていた。光に包まれる直前、私は刀を放り出して彼女の手を取ったはずだ。放った刀がここにあるなら、皆も近くにいるはず。
「誰かいないか」
大声が出ない。地を這うだけで精いっぱいだ。
己の不甲斐なさに憤慨しようとした時、前方から草をかき分けて近づいてくる足音が聞こえた。獣のものかと思ったが、それは人間のものだった。
現れたのは金髪の少女だった。
私を見降ろす赤橙の瞳がころころと動いた。
「あのっ、いましたよー! おーい!」
村娘のような恰好をした少女は、おーいおーいと背後にいる誰かに手を振っている。
言葉は海向こうの大陸のもの、キャバリア語だった。
「ここですよー!」
少女が言うと耳慣れた足音が近づいてきた。
「アヤメさん!」
「クリ・・・・・・お嬢様」
ああ、よかった。心の底からそう思う。
「ソニアさんこっちです! なんでそっちへ走るんですか!」
「ピア」
「ごめんごめんうっかりうっかり、あ! アヤメちゃんもいた! これで全員だね!」
「ソニア」
ソニアの肩を借りて立ち上がる。私がいたのは草が鬱蒼と茂る平原だった。
「最後の仲間です、本当になんてお礼を言ったらいいか」
クリステル様が少女に礼を述べた。
「やだっ、そんなたいしたことじゃ、でもお役に立てたみたいでよかったよ」
「助かりました。ありがとう」
「あ、いいよいいよそんな。大したことしてないしさ」
微笑むクリステル様に困惑気味の少女はあたふたしながら手を振る。手足は棒のように細かった。年齢は私と同じ十代も半ばといったところだろう。成長期にある体は肉がつきにくいらしいが、それにしても痩せすぎている。首の後ろで結んでいる可愛らしい金色の髪も、どこか萎びていた。
「えへへ、でも嬉しい。いつも皆から役立たずって言われてるから。私ってなんの取り柄もなくて。でも土地勘だけはあるんだ、この山は私の狩場だから。役に立ってよかった」
頬を染めて陽ざしのようなとびきりの笑顔を振りまいた。
「私リラって言います」
「私はク――クレアと申します」
瞬時に思いついたのか、クリステル様が偽名を口にした。
「よろしく、クレアさん。ところで皆さんはどうしてここに? この辺りに住んでいるわけじゃないよね。狩りに来たってわけでもなさそうだけど」
首を傾げるリラの言葉に、ぎくっと胸が鳴る。
金髪碧眼のクリステル様はコートの下に純白の白いブラウス、首元には赤い紐のリボン。ひざ丈まである真赭のフレアスカートを纏っている。
黒髪で褐色肌のピアはコートの下にロングニットとショートパンツ姿。
赤髪に翡翠色の双眸を持つソニアはコルセットとプリーツ、腰にはロングソードと小銃ホルダー。
最後に黒髪で鳶色の目を持つ私は桜花軍正装である着物を纏い、ソニア同様に帯刀している。
私たちは見事なまでに均一がとれていない。怪しい一団にしか見えないだろう。
今はバレていないらしいが、僅かな疑念がきっかけでクリステル様の正体を知られてしまったら。
ヴェルガ国は皇女クリステルが行方不明であると全世界に公表している。正体がバレて国に連れ戻されればお終りだ。
そんな心配をよそに、クリステル様は笑顔のままゆったりとした動作で踏み出してリラの質問に答える。
「北方のスネチカから来ました。私たちはとある事情で共に旅をしています。生まれた国は違えど、同じ道を歩む仲間です」
姿勢を保ち笑顔を絶やさず、心の焦りをおくびに出さず落ち着いた動作で。こういう時のクリステル様の姿はいつも目を見張る。
「こんな田舎の村に用事でも?」
「い、いえ・・・・・・実は昨晩、街道で野党に襲われ、皆ここまで逃げてきたのですが散り散りになってしまって」
え? 私とソニアは顔を見合わせた。
クリステル様の即興だ。うまく合わせなければならない。
「野党か、災難だったね。まだこの辺りには出るから」
「はい、こちらは私の付き人でピア、ソニア、アヤメさんです。皆は武器を携帯していますが、とても敵わず」
リラはクリステル様の後ろに控える私たちをちらりと見やり、曖昧な笑みを浮かべて俯いた。
「皆さんお疲れですね、できれば私の村へ案内してあげたいけど」
リラは顔を上げる。表情がいささか固くなっていた。
「私の村には立ち寄らないで」
「え?」
「今あそこはこの山よりも物騒で。だからこのまま西へ進んで、山の向こうに町があるから。いい? 絶対に村には来ないでね」
困惑気味のクリステル様の手を取り、リラはぐいぐいと眼前に迫っている。人懐こい笑顔で迫るならまだしも、いささか高揚しているのか表情が固い。さすがのクリステル様も少し押され気味だ。
「じゃ、私はこれで。皆さんに神様の加護がありますように」
リラは言うなり背中を向けて歩き出す。その背には長銃が下げられていた。ソニアはその銃をじっと見つめていた。
「ねえリラちゃん」
「ん、なに?」
ソニアの言葉にリラが振り返る。
「この辺りはどんな獲物がとれるの?」
「テンやウサギが取れるよ。灰色熊も出るけど」
「背中のそれ、年代物だね。ユーレス銃でしょ?」
「よく知ってるね、こんな旧式の銃」
「んっふふー、私はガンマニアなのだ」
ソニアが少女の銃を食い入るように見つめる。
「小動物相手に使う銃ってことは、散弾?」
「そ。すばしっこいし的が小さいからね」
「でもユーレス銃の口径は散弾には向いていないし、ライフリングがそんなに短くない、後から削ったものだよね。改造したの?」
「そう、元は軍用銃で国から払い下げで」
「ユーレス銃を軍用に採用していて、キャバリア語で、リラちゃんみたいな目の色を持つ人がいる国と言えば――ここはアーバン国だ」
「そうだけど? ここをアーバンだって知らなかったの? 街道から来たっていうからてっきり港の方から来たものだと」
「ああ、ごめんね。ちょっと確認したかったってだけだから。助けてくれてありがとう」
リラはきょとんとしていたが笑顔で手を振るソニアに倣い、手を振って笑うと走り去っていった。
「スネチカからだいぶ飛ばされたね」
ソニアが言う。
「アーバンか、どのあたりだったか」
「スネチカから見てずっと東の方。桜花国からわりと近いよ。確か七千キロくらい」
「近いのかそれは?・・・・・・それで、あの洞窟でなにがあったんだ。どうやって私たちはここに来た」
「私たちこの平原にてんでバラバラに飛ばされたらしくてさ、あの子が皆を探すの手伝ってくれたんだよ」
「飛ばされた? あの光のせいか」
「うん、もうアモンの獣と戦うのはやめようね。あの光、怪我はしないけどこういうことになっちゃうみたいだから」
ソニアにしては珍しく、反省の濃い表情である。
そう、これは失態だ。主を護衛すると誓った私たちは下手を打ったのだ。
私は表情を硬くし、目を伏せた。堅く凝った空気が身にのしかかってくる。
「二人とも。特にアヤメさん」
そうしているとクリステル様が近づいてきて、柔らかい両手で私の頬を包んだ。
「駄目」
「で、でひゅが」
「駄目」
「ひゃい」
「うん」
彼女は微笑んでくれた。
「まだお礼を言っていませんでしたね。アヤメさん、ソニア、ピア」
私たち一人一人に目を向けた後、胸に手をあてて言った。
「ありがとう、皆のお陰で私はまた生き延びることができました」
惑乱していた表情を暗く伏せていた私とソニアは、瞳を輝かせて言ったクリステル様の顔を見つめていた。
完璧とは言えぬまでも、皆の命があることは喜ぶべきことかもしれない。凝り固まった慙愧の念から幾分か解放される。
「悪いことばかりではありません。飛ばされたのがアーバンなのは、運がよかったと言えます。もしここがヴェルガで、あの少女が兵士だったら今頃捕まってます。それにアーバンの姫とは面識があります、とっても優しい人です。彼女が治める国だもの、きっといいところです」
あの洞窟から生き延びたことは確かに悦ぶべきことだ。が、今もなおその悦びが無に帰する危険に晒されていることも忘れてはならない。油断はできない。
「ピアちゃん?」
ソニアの言葉にピアを見る。
私たちの中でピアだけ笑顔でない。ピアはしばらく顎に指を当てて何事か悩んでいた。
「――このまま野宿は無謀かもしれません。アーバンはスネチカほどではないけど夜はかなり気温が下がります。リラの話ですと獣も出るようですし」
「大丈夫だよ、私がやっつけてあげるから」
心配しないで、とソニアがピアの頭を撫でる。
「ああ、頭を撫でないでくださいっ、ソニアさんとアヤメさんが負けるなんて思っていませんよ、けど真面目な話。クリステル様はまだ体調が、それにソニアさんもアヤメさんも戦って疲れているはずです。体力のない時に山のものを口にすればお腹を下したりもします。せめて食事だけでも栄養のあるものを取るべきです、可能であればいくつか薬も買っておきたい」
村に行くべきだとピアは言う。
「私はピアに賛成です。人の集まる場所へ行くのは危険もありますが」
私のことはさておき、クリステル様のことを考えるならば村へ行くべきだ。宿屋でもあるならそこで一晩だけでも過ごすのが望ましい。
「うーん、リラちゃんの話だと違う村に行った方がいいと思うけど。もう日も暮れかけてるしね。それに甘いもの食べたいし」
「ソニアさん・・・・・・そういうの今は自重してください」
「甘いものは心の栄養だよピアちゃん」
うぅ、とジト目をしているピアに微笑むソニア。
私たちがどう言おうと決定権はクリステル様にある。視線が自然とクリステル様に向けられた。
「ピアの言う通り、みんなボロボロですね」
クリステル様がピアの肩に乗っていた枯葉を払いながら言う。
「村に行きましょう、僅かばかりでも英気を養えれば疲れや傷も早く癒えるでしょう・・・・・・私たちがここへ飛ばされてから、どれほどの時間が経っているのかも気になります。情報がほしい。けど、リラさんの言ったことが気になります。少し休んで様子を見て、騒ぎが起こるようならすぐに出立します。どうですか?」
私たちは頷いた。
危険かもしれないが、村に行くのは賛成だ。食料や薬などは手に入れておいた方がいいだろう。しかし目を伏せがちに話していたリラに引っかかりを覚えないでもなかった。
「ありがとうソニア、もう自分で立てる」
「お、そう?」
「ああ、治った」
「あー、またアヤメちゃんがやせ我慢してる」
「していない。ソニア、油断は禁物だぞ」
「そだね、注意しよう」
こうして私たちはリラの村へ向かうことにした。




