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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
アヤメ篇
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ルリ

一部の表現を規制させていただいております。

 気が付くと私は薬品の臭いがするベッドで横になっていた。

 窓の外には晴れ渡った夏空が広がっている。

 傍に立っていた少女と目が合った。


「あ! アヤメちゃん起きたあ~」


 少女はそう言って私の首筋に手を回し、頬をすり寄せてくる。鼻先に少女の持つ特有の甘美な香りが漂った。


「えへへっ、アヤメお姉ちゃんにやっと会えた」


 お日様のように笑う少女の名はルリ。

 十六歳の私よりも二つ年下だが、桜花国異形対策猟兵部隊から選ばれた精鋭中隊に在籍している。背に青い陽射しを受けるルリは、すっきりと咲く花のようにかわいらしい姿である。


 袖に清楚な刺繍が施された白い着物。袖から僅かに覗かせている指先も、丈の短い袴からすっと伸びた足も雪が染み込んだように白い。紅潮させた頬を覆うようにして短く切り揃えた白髪が垂れており、どの宝石よりも輝く緋色の双眸で私を見つめている。


 整った顔立ちをしているのにいつも気怠そうな半目が玉に傷だ。せっかくの綺麗な瞳が隠れてしまってもったいないし、戦闘中は視界を広げろと注意したのにまだクセが抜けていないらしい。それに小さな体できゃっきゃとはしゃぐ姿は成長がみられない。


「ルリ、か」


 眠気が抜け切れていないためか、眉間にもやもやと重たいものを感じる。ルリはそんな私に構うことなく、抱きつく力を緩めない。まったくいつまでたっても子供だな、と呆れる一方で、それが嬉しくもあった。

 私が髪を撫でてやると、彼女はんふっと満足そうに息を漏らす。


「会いたかったよアヤメちゃん。ずっとずっと会いたかったの、だから嬉しい~」


 ルリの吐息が首筋に触れてこそばゆい。柔らかな風が吹き、窓の外の若草とルリの白髪を揺らしていた。


「そろそろ離してくれ、苦しい」

「あ、ごめんねー」


 彼女は私からぱっと飛びのいた。そうしてベッドに頬杖をついて、にまにましている。

 この娘はいつも甘える子猫のようだ。ほら、撫でて撫でて! とでも言うような瞳で私を見上げ、体を摺り寄せてくる。

 頭を撫でると、きゅうん、なんて嬉しそうな声を漏らす。


「顔がほぐれているぞ、その表情だと美人が台無しだ」

「えー、だってアヤメちゃんに会えて嬉しいから」


 嬉しいことを言ってくれる。彼女は私を恐れない人間の一人だ。

 初めて会った時はこんなに懐いてくれなかった。


『あたしに触らないで』


 警戒の色を濃く浮かべ、身をすくませていた。声を掛けた私をキッと睨んだ瞳に、モノノケの怪しい光がまざまざと浮かんでいた。


 私と同じく彼女もまた、神の力によって生まれ落ちた身だった。両親を亡くしてから軍に引き取られたという経緯まで同じで、ルリのことを放ってはおけなくなった。

 軍の戦闘訓練でルリは身に宿る力を使うことを嫌がり、その度に上官から折檻を受けていた。座敷に放り出され、しくしくと泣いている姿が痛々しかったのを思い出す。あんまりかわいそうで、私はルリを抱きしめた。


『ここでは生きるために訓練を積むしかない。そうしないと殺されてしまうぞ』

『お母さんが、この力で人を傷つけるのは駄目って言ったんだもん』


 竹刀で掌を打たれた彼女は、手を真っ赤に腫らして泣きながら呟いた。私の心にツキンと痛みが走った。

この優しい少女は亡き母との約束を反故にすまいと小さな体で抵抗していたのである。


『そうか、ならば力は護る為に使え。そのために訓練を積み、強くなれ』

『でも、お母さんが』

『恐らく母君は君に気高くあれと願って力のことを咎めたのだ。その力に呑まれないためにも、ここで制御の方法を学んでおいた方がいい。そして母君が願ったように力強く生きろ』


 ルリが泣き止むまで、私はずっと彼女を抱きしめていた。

 それがきっかけになったのだと思う。やがて私達はぽつりぽつりと会話をするようになり、今では閉ざしていた心を見せてくれるまでになった。


 配属された部隊が別々であると知った時、ルリは泣き喚いて駄々をこねた。私も悲しくはあったが、こうも慕われていたのだと知ることができてある種の幸福を感じたものだった。


「ねえねえアヤメちゃん、あたし強くなったよ。もうちょっとで大隊長なの、すごいでしょ~」

「そうなのか?」

「うん! ほめてほめて!」

「えらいぞ、よくやったな」


 階級は私より上なのだが、こうして頭を撫でてやらないとルリはへそを曲げる。そういうところがまた可愛らしくもあり、もし妹がいればこのような光景もあっただろうと家族を亡くした私の心は癒された。


「偉いおじさんも褒めてくれたけど、あいつら戦争であたしが殺した人の数しか見てないんだもん。つまんない、なんにも考えてないからっぽな大人ばっか」


 ルリの頭をぽん、と叩く。


「いたい」

「そんなことを言うな。任務とはいえ人を殺めたのだろう、消えていった命に黙祷を捧げたか? 私達は軍人だが、人の命を軽んじてはいけない」


 そう私が(たしな)めると、ルリは満面の笑みを浮かべて私の手を取った。


「うふふ、アヤメちゃんのそういうところが好き。大好き」


 ルリが握りしめている私の右手には包帯が巻かれていた。そういえば私は牢獄にいたはずだと思い出す。


「ルリ、私は牢に入れられていたはずだが」

「ああ、そうだよね。アヤメちゃんはねー、あたしの作った薬の実験に使われたみたいだね。それで効果が出たから、貴重な実験体ってことで一時的に牢から出されたんだよ」


 はっとした私は頭に触れてみる。髪の感触のみで、妙な猫の耳は生えていなかった。


「まさか実験体がアヤメちゃんだったなんて。ごめんね、あたし何もしらなかったから」

「いや、ルリが謝ることではない。それよりもあの薬はなんだったんだ? ただの幻覚剤とは思えないが」

「あれはあたし達みたいに力を秘めた人を覚醒させる薬だよ。あの大戦でモノノケの力を持った人達が、追い詰められた時に化物に変わって暴れ回ったって記録があってね、今後その力を兵器として有効に使おうってことになったの」


 その噂は私も耳にしていた。

 だが、報告書にも公式記録としても詳細を目にしたことがなかったので、ただの噂だと思っていた。


「死神を宿す者が自分の意思で神の力を解放する、これができれば戦力は何倍にもなるもん。そのための薬を開発してたんだよ」

「そうか――モノノケの宿る私は実験体としてうってつけだ」


 軍の戦略ではなく兵士の戦術を高めた所でたかがしれていると思うが。とうとうそんなものに頼らなければならないほど、桜花は追い詰められているらしい。


「桜花は兵器作るお金ないからねー、こうやって人間の命を兵器にしちゃった方が安上がりみたいだよ。それであたしも協力してたんだけど・・・・・・でもあたしに何の相談もなくアヤメちゃんを使うなんて許せない。安心してね、あのごぼうみたいな男は痛めつけてやったから」

「ごぼうみたいな男?」

「アヤメちゃんに注射してたあいつ。ひーひー喚いてて鬱陶しかったけど、できるだけ苦しめてあげたよ」


 ルリが喜悦を隠さずに言った瞬間、嫌らしい笑みを浮かべていた白衣の男の顔が浮かんだ。


「なんだと!?」


 私はこの可憐な少女の口から残酷な言葉が出たことに驚いた。それと同時に限りない憤怒の情が沸き上がってきた。


「ルリ! 私と約束しただろう! 力は護る為に使おうと!」

「護るためだよ。アヤメちゃんを傷つける奴は許せない」

「あいつは命令で、それなのにお前は――」


 ルリは一瞬だけその表情に鬼を宿し、私を押し倒した。まだ体力が万全でない体は容易に拘束される。苦も無く組み伏せられてしまった私は、かっと目を見開いた彼女を見上げていた。ルリの目に息を呑んだ。気怠さを帯びていた双眸はこつとして消え失せ、今や禍々しい活力に満ちているのである。


「ならあたしも言いたい。戦争が終わったらずっと一緒にいようって約束したのに、アヤメちゃんは・・・・・・・・・・・・ねえ、好きな人がいるんでしょ?」


 否とは言えない気迫をたぎらせてそう迫った。


「なんだと」

「寝ている間ずっと名前を呟いていたけど、ヴェルガ人に知り合いでもいるの?」


 しまった、と私は後悔した。心に染みついた恋慕の情が漏れていたらしい。

 あの作戦自体が極秘であったため、ルリはクリステル様が訪れたことを知らないのだ。

 私が黙していると彼女は奇怪な笑みを浮かべた。


「なにそれ、意味わかんないなー。ヴェルガ人なんかに心を許すなんておかしいよ、そんな人好きになってこれからどうするの? あいつらは桜花人を利用することしか考えてない汚れた民族だよ」


「違う、クリステル様はそのようなお方ではない」


 そうだ、クリステル様はシュタインのような男とは違う。

あのお方は皇女でありながら慈しみを持っていた。汚い大人達とは違い、美しく誠実だった。


「クリステル・・・・・・ふーん、その人クリステルって言うんだ」

「ルリ」


 私の顔を覗きこんでいたルリは憎悪に瞳を滾らせていた。

その凄まじい気迫から、ルリは私の知る頃よりも進化を遂げていることがはっきりと窺える。人にして神の如き力を使う、宿る異形の力の奥底を見極めて強くなっているのだ。


「ねえ、クリステルって誰?」

「・・・・・・言えない」

「あーあー、アヤメちゃんはあたしに隠し事なんてしないと思ってたのになー」


 ルリはふっと笑って拘束を解き、私の知る表情に戻った。

 だが、僅かばかりでも彼女に鬼が降りたことは見間違えるはずもない。ルリはあんな顔ができる子ではなかったはずだ。私は妹のような存在が気づけば遠のいていってしまうような消失の念に襲われた。


 こちらの不安を余所に、彼女は花瓶に挿してある二輪の花を指先で愛でている。


「あたしはアヤメちゃんに隠し事なんてしないよ。本当のことを教えてあげる」

「本当のこと?」

「うん。あのねアヤメちゃんは体力が戻ったら、また牢屋で実験に使われるの。あたしはそんなのやだな、このままじゃアヤメちゃん死ぬまで閉じ込められたままだよ。だからあたし良いこと思いついちゃった」


 悪戯に微笑む彼女は花瓶の花、二本の桔梗を手に取った。


「どうするつもりだ」

「二人で逃げよう? あたしはこの基地の抜け道を知ってる。このままアヤメちゃんが苦しむのをほうっておけないよ、桜花よりアヤメちゃんが大事だもん」


 ルリの言うあまりの提案に呆然としたが、すぐに頭を激しく振った。


「バカを言うな、脱走兵は死罪だぞ」

「えー。あたしとアヤメちゃんなら大丈夫だよ、誰も敵わないって」

「ダメだ、危険すぎる。ルリの身にもしものことがあったら、私は後悔しきれない」

「ほんと?」

「当たり前だ、妹のようなお前が傷つけば私はお前の何倍も傷つく」

「そう、ならあたしの気持ちもわかるでしょ? あたしだってアヤメお姉ちゃんが傷つくのは嫌だよ。ねえ逃げよう? アヤメちゃんはここに残れば殺されちゃう。そうなったらあたしも後を追って死ぬしかなくなるし」


 微笑んだルリの両手に桔梗が握られている。


「ここで朽ちるか」


 ルリの右手に握られた桔梗がみるみる枯れていく。


「生きるかだよ」


 一方で左手に握られた桔梗は甘い香りと共に生命力を増していった。


「どうするの?」


 ここでこのまま朽ちるなら、逃げるべきなのだろうか。考えている時間はあまりない。 風が吹いて、頭のリボンが揺れるのを目端で捕らえた。


 クリステル様。


 そうだ、私は決めたではないか。桜花の軍人としてではなく、一人の人間としてあの方をお守りしようと。もしも彼女が助けを求めるのなら、命に代えても守ると。

 リボンを見るルリの目に影が宿った。

 何か胸に閊えるような違和感を覚えたが、覚悟を決めてルリの手を取った。


「わかった、だがお前は必ず守る」

「きゃあー、アヤメちゃん素敵」


 ルリはそう言って私に抱きついてきた。

 肌のぬくもりを感じればわかる。ルリは私のことを想い、身も心も任せるつもりだ。一瞬でも彼女を恐ろしく思った自分が情けなく、後悔は骨身に染み渡った。


「ルリ、言いそびれたが私もお前に会えて嬉しい」

「あたしも嬉しい。嬉しいよアヤメちゃん」

「私の持ち物は?」

「ぬかりないよ」


 ルリが向けた視線の先に、私の衣服と刀があった。


「身を隠す場所もちゃんと用意してるんだから」

「いや」


 得意げに言う彼女の提案に私は首を振る。


「逃げる以上、桜花国内に留まるのは危険だ」

「え? じゃあどうするつもりなの?」


 目を閉じて、これまでの状況を整理する。

 桜花国軍は規律を何より重んじる。兵から脱走者を出したとなれば、面目が立たないだろう。意地でも私達を捕らえに来る。

 しかし、国外に出てしまえばどうか。これ以上の敵を増やさないために、桜花は他国に対して慎重な姿勢だ。脱走者の捜索とはいえ、他国にまで捜査の手を伸ばすことはしないと思う。それであらぬ誤解を招き、他国との関係を悪化させることは望ましくない。今の桜花は国際問題を何よりも恐れているのだ。


 では、どの国へ逃れるべきか。

 大陸は難しい、特にヴェルガには行けない。


 クリステル様が今も生きていれば、私は彼女と関わった重要参考人として囚われる可能性がある。そうなればルリも危うい。

 それならば――


「ひとまずはビレへ向かう」

「ビレ? あのちっこい島の国だよね?」

「そうだ、そこならば桜花よりは安全のはず」


 ビレならば容易に桜花軍も手を出せない。少なくとも時間は稼げるはずなので、色々と準備ができる。


「ルリ」


 私は神妙な面持ちで言う。


「私には護ると誓った人がいる。その方の助けをしたいと思っているんだ――だから」

「クリステルって人?」

「そうだ」

「ふうん」


 低い声でルリは言う。

 私は彼女が次に何を言うのか不安になる。窓の外の天気が変わった。いつの間にか灰色の薄い雲が広がり陽を遮っているようだ。薄暗くなった部屋の中で、ルリの顔がうまく見えなくなる。

 沈黙が続く。

 私がもう一言告げようとした時――


「いいよ、わかってる。あたしもさっきはあんなふうに言ったけど、アヤメちゃんが護りたいっていう人と会ってみたいしね」


 少し唇を尖らせた彼女が言った。




この時、アヤメとクリステルがビレを選んだのは全くの偶然である。

 多くの国がありながら二人が同じ国を選ぶのは奇跡的な確率であった。或いは 若き乙女の強い想いが、互いを引き寄せたのかもしれない。

 

 それが乙女たちにとって幸福であるのか不幸であるのか、世界にとって幸運であるのか不運であるのか。今は誰も知らない。

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