ピアの憂鬱 2
前半はピアの追憶、後半は現在の話となります
ピアがまだソニアと暮らしていた時のこと。
ヴェルガの医師として働いていた彼女には正当な給料も支給されていた。
初めてお金をもらった時、ピアは心を弾ませた。
このお金はソニアのために使おう、と決めていた。
次の休日に二人は街へと足を運んだ。
「ソニアさん、これ私のお給料です」
そう告げるとソニアは飛び上がって喜んでくれた。
さすがに公衆の面前で抱っこされたり、たかいたかいをされるのは恥ずかしかったが、それでもはしゃいでくれるソニアを見て嬉しくなった。
「お礼がしたいです。ソニアさん、なにかほしいものはありませんか?」
「そんなのいいよー、初めてのお給料なんだから自分のために使いなよー」
「ソニアさんが喜んでくれる姿が見たいので、これは自分のためですよ」
「お、そうか! なるほどなるほど――じゃあねえ、何がいいかなー」
ソニアが選んだのは桃色の口紅だった。
「これ流行ってるらしいよ、ほら桃色なの」
「口紅って、赤だけだと思っていました」
「最近はオレンジとか紫とかもあるみたいだよ」
「凄いですね――ソニアさんは、それがいいんですか?」
「うん」
ソニアはメルリスとして皇女の護衛を務めているが故、社交パーティーに招かれることもあるらしい。そんな時は軽めのお化粧をしなければならない、と言っていたことをピアは思い出す。
「ではこれを」
ピアが手に取ると、ソニアも一つ手に取る。
「じゃあこれは私からピアちゃんに」
「え、私にも?」
「うん、二人でお揃い! ダメかな?」
「いえ――とても、とっても嬉しいです!」
こうしてソニアとピアはそれぞれ桃色の口紅を渡し合った。
・・・・・・・・・・
それ以来、ピアは使うあてもない口紅を肌身離さず持っている。
最初は眺めているだけで幸せだったが、やがて唇に塗ってみたくなった。
なんとなく気恥ずかしく、ソニアが仕事で出かけた時を見計らった後、鏡の前に座って口紅を取り出す。
部屋で一人、唇に紅を差すと鼓動が跳ねた。
「桃色の口紅、ソニアさんと一緒」
ピアはソニアに強い憧憬の念を抱いていた。
初めて会った時、あの奴隷商人の手から救い出してもらった時のことは一度も忘れたことはない。
手を差し伸べてくれたソニア。
草木や雲の狭間で見た光、或いは鉱物の中に潜む輝き。これまで目にしてきたどんなものよりも美しいと思った。
ソニアの髪は春の新芽のように煌く赤。ピアの髪は夜の闇に溶けたような黒だった。肌の色も褐色な自分と違い、静脈が透けるほどに白い。
焦がれる気持ちと同時に生まれる自身への引け目。
一緒にいたいと願いつつも浮き出た歪。
それでもあの日――
『口紅お揃いだね、ピアちゃんと一緒』
そんなことを言ってくれた。
この口紅を使えば、ソニアと一緒になれる気がした。
「ソニアさんと」
鏡で見る自分の唇が、ソニアのものと重なった。指の腹で唇に触れると、ちゅっと音がした。ソニアはもうつけてみただろうか。
「ソニアさんと同じ唇の色・・・・・・唇で触れ合って色を分け合ったみたいです」
ドキン
なんとはなしに呟いた言葉だった。けれどそれから
ドキン、ドキン、ドキン、ドキン
鼓動の波は勢いを増していく。
「な、なな。なんでしょう、私一人で、何を言っているんでしょう」
鏡にはもじもじしている自身が映っている。
その時は違うと否定した。
しかし、ソニアと過ごす時間が長いほどに。
そして、ソニアと離れていた時間が募るほどに。
違わないことがわかった。
大切な人をそんな目で見てしまうことに引け目を感じ、涙してしまうこともしばしばあったが、ソニアが好きだと、はっきりと悟った時、全てを覆うような恋慕の情に包まれてからは、満たされる気持ちが強くなった。
――違わない、私はソニアさんが好き。離れたくありません
・・・・・・・・・・
【現在 スネチカ国】
ピアは夢を見ている。
麦穂が揺れる平原。その脇には穏やかな水路があり、ゆるやかに水が流れている。
ああ、またこの夢だとピアは思う。
静かな風が吹けば麦が揺れて、進む方向を示してくれるかのように静かに背を曲げる。風の吹く先へ、麦が揺れた先へ、水の流れる先へ、歩いていく。風と麦の匂い、虫の羽音と陽に照らされてキラキラ光る水面。
ピアは歩いていく。その先で待っていてくれる人がいる。
麦畑の先に佇んでいるのは、誰より大切な人。
『ソニアさん』
ソニアは風に揺れた髪をかき上げ、ピアを抱き上げた。
いつもはここで目が覚めるのだが、この日は違った。
頬に手を添えられ、美しいソニアの顔がゆっくりと迫る。
『・・・ん・・・・・・』
唇が重なり合った。
「っん、んう」
どうせ夢ならば、しばらくこのまま。とろとろと微睡んでいると。
「うんうん、私の指はおいしいかね?」
ソニアの声でピアはすぐに目を覚ました。
「ソニアひゃ、むぅ?」
顔を起こそうとすると、口の中に違和感。見ればソニアの人差し指を咥えていた。両手ではソニアの手首をしっかりと握りしめている。
ピアはひな鳥が押しつぶされた様な悲鳴を上げた。
「あははは、そろそろ起こしてあげようと思ってほっぺたツンツンしてたらさ、急にピアちゃんが指咥えたからびっくりしちゃった」
微笑んでそう言うソニアに対し、ピアはあわあわと戦慄するのみであった。
「おはよ」
「お、おはようございます」
「って言っても、いま夜だけどね。よく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
「よかったよかった」
ピアはこんなにも狼狽しているのに、ソニアは全く動じていない。
ツキン、と胸に痛みが走った。
――私は好きな人、として意識しているからこんなにも。ならソニアさんは? ソニアさんにとって、私はなんなのでしょう
ベッドシーツをぎゅっと握りしめていると、
「ピアちゃん、あーん」
ソニアが焼き菓子を摘まんで迫ってきていた。
「あ、これは」
「クッキー作ってみました。ピアちゃん好きでしょ」
「はい」
「ならほれほれ、あーん」
ピアはソニアの指ごと焼き菓子にかぶりついた。
ピア・フローリオ12歳。恋に興味を抱くお年頃。




