覚醒
よろしければ評価お待ちしております
「ああっ、ううう・・・・・・あがっ・・・・・・」
自分の唸り声で目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。
妙薬を打たれるまでは覚えているが、それ以降の記憶が曖昧である。どれほど眠っていたのだろうと考えた時、体中の血が沸き上がるような苦しみに襲われた。
「うっ!」
どうしようもないほどの悲痛な思いが溢れ、胸を締め付けた。鼓動は勢いを増し、息苦しさから肩で呼吸をするようになった。湧き上がる激情を沈めんとするため、私はたまらず唇を噛んだ。
この石牢では一切の感情を封じ、痛みに耐えていたはずだ。しかし今、器から水が溢れ出るように憎悪にも悲哀にも似た感情がとめどなく漏れてくる。
「な、なんだ・・・・・・これはなんだ」
落ち着け、鎮まれ、と念じるが胸を締め付ける悲しさみは増していくばかりだ。
噛みついた唇からはポタポタと血が滴り落ち、床に赤い斑点模様を作っていた。
『離せ! やめろ! やめろ!』
聞き覚えのある声に私は顔を上げた。
「な!?」
私は驚きのあまり、瞳を大きく見開いた。
目の前に戦死したはずの仲間がいた。亡くなった彼女の名はナツメ。頭の上で組んだ手に幾つもの鉄製の楔を打たれ、壁に張り付けられている。手から胴体をつたい落ちた血は、足元でぬめりけのある水溜りになっていた。
「ナ、ナツメ?」
はっとして目を閉じ、頭を激しく振った。彼女が生きているはずがない、これは私自身の記憶が見せる幻だ。ナツメはあの時シュタインに――
私は深く息を吸って深呼吸すると、意識を取り戻すための気つけとして舌を噛んだ。が、血まみれで張り付けられている友人は消えてくれない。この世に存在しない筈の者が未だ目の前に存在している。
「そんな、馬鹿な」
私の言葉に記憶の中のナツメがこちらを見た。背筋が波打ち、悪寒がした。
私はこの後、彼女がどうなるのか知っている。
ヴェルガ兵がナツメにガソリンを浴びせた。気化性の強いガソリンは肌に触れただけでも剣山を押し付けられたような激痛が走る。それが傷口に染みると、塩を塗られたどころの痛みではない。
『ああ! あああああ! やめっ! やめて!』
ナツメは絶叫する。悶えるナツメの先に煙草を吹かすシュタインの姿があった。
シュタインはナツメが暴れて血を吹き出す度、半ば呆れたように笑った。シュタインの足もとには、殴られて別人のように顔を腫らしている私が、数名のヴェルガ兵士に取り押さえられているのが見える。
『桜花はどのような作戦を立てている? あの兵器の秘密は何だ?』
彼は地に伏している私の頭を踏みつけながら冷たい声で言った。
拷問を受けているナツメではなく、傷つく仲間を前に手を出せない私に聞いているのだ。
私はこの牢に連行される前、縄に縛られてこれでもかというほど殴られた。口を割らないことに激怒したシュタインは、ナツメの拘束されている牢へ私を連行したのだ。
『やめてくれ! 私達は何も知らない! お願いだ! ナツメを解放してくれ!』
これは思い出したくもない忌まわしい記憶。あの大戦で搭乗していた巡洋戦を撃沈され、捕虜となった私達はシュタインに拷問を受けていた。あの男は私に仲間をいたぶる様を見せつけ、情報を聞きだそうとしたのだ。
『お前は隊長だろう? 部下の命を救ってやれ。最後だ。知っていることを言え』
ナツメが私に絶望の眼差しを向けた。ガチガチと歯を震えさせ、懸命に助けを願っていた。
『い、いいやっ! いやっ! アヤメ、っ、やだ、やだ!』
『本当に知らないんだ! 頼む、彼女の代わりに私を――』
シュタインは私が言い終える前に煙草をナツメに向かって投げた。
「『やめろ!』」
記憶の中の私と、牢獄にいる私が同時に叫ぶ。
タバコは宙空を半回転してナツメの胸に触れた。そこから生まれた炎は一瞬で肥大し、抑えきれないほどに成長した。炎はまるで生物のように彼女の体を覆いつくし、肌をゆっくりと咀嚼していった。
『ヒギッ、ぎゃあああああああ!』
生きたまま焼かれたナツメの悲鳴が響き渡る。
「ああ――あああああああああああああ!!」
ナツメの絶叫を聞いていられず、肺の空気を絞り出して叫んだ。
胸にはほぐしきれない黒い怨念が湧き上がってきた。憎悪と言うだけでは表せない。苦しさのあまり、のた打ち回る程の憎しみと苦悩で狂いそうになる。
首にちくり、と痛みが走った。
見ると白衣の男が注射器を手に笑っていた。
「効いてきた効いてきた」
男は口を吊り上げて笑った。
その言葉に確信する。この薬だ。これが原因で記憶が蘇るのだ。
「貴様、私にこんなものを見せて何になる!」
「憎しみと絶望に身を委ねてくれ、そうすればすぐに終わる」
「なんだと」
薬の効果のためか、突然の耳鳴りと頭痛で目の前が真っ白になる。瞼を力いっぱい閉じたり開いたりしていると、ぼやけていた目の前の光景が輪郭を帯び始める。
縄で縛られた桜花人の兵士が天井から吊り下げられていた。その真下には湯だった窯があった。
「ああ、そんな・・・・・・やめろ・・・やめてくれ・・・・・・こんなものを見せるな」
切なる願い、それを声にするならば、私の言葉はまさにそのような思いが込められていただろう。
兵士は熱い熱いと叫びながら熱湯の中に沈められていく。一瞬顔をこちらに向け何事か叫んだが、そのまま頭まで沈んでいき、ぼこっと泡が出たきり何も聞こえなくなった。
『やめろ! やめろー!!』
『隊長殿は強情だな。おい、もっと猿を燃やせ』
シュタインが言った。
あの時の私は猿ぐつわを噛まされていたので、舌を噛み切って自害することもできなかった。ヴェルガ兵に髪を鷲頭にされてその光景を見ていた。
一つの死を見終えると再び注射され、また一つの死が記憶から再生される。眠ることも許されず、何度も何度も仲間の死を見せられた。
仲間の死を思い返すとさっと顔から血の気が引くが、それが済めばあまりの悲痛と激昂で気が狂う。幾度となく繰り返される絶望に、私の精神は限界を迎えつつあった。
不眠と絶食状態から三日目、医師は好奇と感嘆を交えた顔をして私を見た。
「今日で三日目ですよ、強い体をお持ちだ」
そう言ってまた注射する。首筋は穴だらけで、もう注射針の痛みすら感じなかった。消耗しているためか肺が濡れた雑巾のように感じられて呼吸がうまくできない。頭と臓腑には石を詰め込まれたように重たい。しかし、その苦しみに勝る感情に支配されている。
憎い、憎い、憎い。
どうして私ばかりが生き残る。この不条理が憎い。生き長らえる私自身が憎くてたまらない。
それから更に二日後。憎悪が頂点に達した時、頭皮が裂けた。むず痒い痛みと共に、頭から生えたそれは猫の耳だった。