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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
ソニア篇
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アヤメ対ソニア

翌日、辺りが薄暗くなり始めた頃、クリステル様の護衛隊長を務める男がノックもせずに部屋へ押し入ってきた。穏やかな気持ちで窓から外を見ていたのに、両手に木剣を持つ偉丈夫はあからさまな敵意を私に向ける。平穏という透明な感情が濁っていくのを感じる。


「桜花人、俺と来い」


 その言葉に私は難色を示す。クリステル様は今日も応接室で話し合いをしている。昨日と同じく、私はこの部屋で待つように言われていた。


『ごめんね――すぐに戻るから、待っててね』


 主がそう言った以上、この部屋から離れることはできない。


「断る、ここで待つようにクリステル様に言われている」


 ヒュッと空気が鳴った。


 男は私の返答を待たず、持っていた木剣を投げつけてきたのだ。眼前に迫る木剣の軌道を見極め、利き腕で受け止める。男は不愉快そうに鼻を鳴らす。


「何をするんだ」


受け止めた手が痛む。そんなに勢いよく投げなくてもよかったろうに。

 男は答えない。目には親しみが無く、敵意があった。私を蔑んでいた村の子供たちと同じ目だ。


「聞こえたか? 外へ出ろと言ったんだ」


 ただならぬ雰囲気に、周囲の人間も何事かと集まり始めた。押し黙る者や、殺気立つ男を止めようとする者がいた。


「隊長、お嬢様に無断でこのようなことは許されません」

「黙れ」


 男が一括すると、周囲の声は一斉に収まった。兵士としての覇気は勿論だが、肉体も相当なものだった。背は私に比べて随分と大きい。胸板も厚く、服の上からでも膨らんだ筋肉が伺えた。


 先ほどまで私に向けられていた敵意ある視線が、今は止めに入った若い兵士に向けられてしまっている。


「わかった、外へ出よう」


 私は木剣を握り直して外に出た。


陽が沈む前の、肌寒い風が吹いていた。北の空で灰雲が獣みたいにうねっている。時折、身を刺すような北風が吹くが。雲から雪は未だ落ちてこなかった。

 隊長であるらしい男は私と同じく木剣を持っているが、彼が持つと小さな木の枝のようだった。


「囲め」


 男が言うと、ぞろぞろとついてきていた他の兵士たちが私たちを取り囲んだ。

闘技場のつもりか。兵士たちは生きた柵となったわけだ。


「これで逃げられまい。真に相手を理解するには、剣での会話が一番だ。一合、二合と打ちあえば、剣を通じて心がおのずと見えてくる」


 私達は灰雲の下で対峙した。他の護衛達は、周りを取り囲むようにして立っていた。


「なるほど、私を理解しようというわけか」

「お嬢様の身に危険が迫れば、排除するのが俺達の仕事だ。俺を含め、兵達は貴様の腹積もりがわからんでいる。桜花人、貴様を我が部隊に加えるかどうかは俺が決める」


 男が雷のように声を荒げて突進してきた。

振り下ろされる剣。それは斧で丸太をたたき割るかの如く。

やみくもな力ではなく、剣筋も極めて適格。木剣にて受け止めれば、それごと骨を叩き折られそうだ。


私は受け太刀をせず、ひたすらに木剣を避け続けた。頭上で空気の裂かれる音を聞き、足元の地面が揺れるのを感じた。

 一太刀ごとに渾身の力が込められている。それは男の表情や咆哮からも察することができる。金剛力士のような戦いぶりは、戦場で編み出されたものであろう。戦は気合と気合の勝負、それ故に圧倒的な気構えと敵意を相手にぶつけることが常である。


 その分、動きは単調になりがちで至極読みやすい。


 真向からの唐竹割りを避けた私は彼の胴元に木剣を押し当て、するりとなぞり上げた。

そのまま風のように駆け抜けて間合いを取る。隙を突いた一閃だった。胴体を木剣でなぞられた男は一瞬の驚愕の後、憤怒の形相に変わって私を睨む。


「貴様、騎士として真剣に戦う俺を侮辱したな! よくも舐めた真似を!」

「わかっている、なればこそ私も全力で応えた」

「全力だと? 打ち込む際に情けをかけ、軽くかすめたことが全力か。構えろ! まだ終わっていない」

「いや、終わりだ。貴殿の実力はわかった、あなたでは私に勝てない」

「ふざけるな!」


 他ならぬ武芸のことで戯言を吐かれた、とでも思っているのだろう。男のこめかみに静脈が浮かび上がっている。

 と、その時、一人の騎士が人の輪を抜けて歩み出た。


「アヒム隊長さん、あなたの負けだよ」


 ソニアだった。どこからか飄然と現れた。


「屋敷に誰もいないと思ったら、こんなところでなにやってるの」

「ソニア殿、俺はこの桜花人を理解するのに剣を交えようとしただけなのだ」


 男の言葉にソニアはむっとなる。


「桜花人、じゃないでしょ。アヤメちゃんだよ。お嬢様の恩人なんだから、名前を呼ばないのは失礼だよ」

「しかしソニア殿、こいつは俺を侮辱して」

「侮辱してない、桜花とヴェルガの剣士は戦い方が違うだけだよ。そうでしょ?」


 ソニアは私を見て微笑む。


やはりこの騎士は気づくか。

 

彼女は腰に下げているロングソードを抜いた。黒い鞘に納められていた刃は、薄暗い中でも陽の光を浴びたように輝いている。


「私たちが使ってるのは両刃剣。よーく刃先を研いで、剣の重さで叩く。突き刺すことにも特化してるけどさ、どっちかって言うと打撃に使うことが多いでしょ? 桜花の刀は違うんだよ。私たちの剣に対して、まったく別の技術があるんだ――叩くんじゃなくて、斬る」


 ソニアは手にした剣で横なぎに空を裂いた。


 目を疑う。静から動へ、一気呵成に刃を水平に抜く横一文字。彼女が見せたのは桜花国軍が正式採用している夢幻神道流の型にぴたりと符合したのだ。何故ソニアが桜花軍の型を会得しているのか。


「桜花の刀の切れ味はすっごいよ。隊長さん見たことないでしょ?」

「な、ないが」

「太刀筋が完璧なら、そおーっと滑らせるだけで服なんてはらりと切れちゃうよ」


 間違いではない。斬ることに特化した刀は、例えば刃先に葉を当て、ふっと息を吹きかけるだけで真二つになる。


「だから剣の稽古でも相手を叩くってことはあまりない。アヤメちゃんみたいに刃を押し当てて、引き抜けばそれで終わりなんだよ」

「ではもしあれが本物の刀であったなら」

「んー、隊長さんの胴体は背骨まで斬られてたと思う」

「っうぬ、くそっ」


 男は脂汗を流し、大人しく身を引いた。


「ソニア殿」


 私はそう言って頭を下げる。


「あなたの目は確かなようだ、感服した」

「ソニアでいいよ、私もあなたをアヤメちゃんて呼ばせて」

「構わない。ところで先ほどの横なぎ、夢幻神道流に間違いないが、桜花の剣を習得する機会があったのだろうか?」

「ないよ」

「ではなぜ」

「一度だけ街に侵入した桜花の密偵と戦ったことがあるの。その時、見せてもらったから」

「一度見ただけで術理を看破したと?」

「うん、わかっちゃった」


 にこにこと笑う彼女。有り得ない。太刀筋とは子供の遊びではない、夢幻神道流を一度見ただけで会得するなど不可能だ。そう思っていると、ひやりとするものを感じた。


 見ればソニアは凄艶の色を消し、冷然と口元に笑みを浮かべている。ただ見れば少し雰囲気の違う彼女だが、殺気が剣に満ちていて微塵の隙もない。彼女に鳥肌を立てるのはこれで二度目になる。


「さて、私がここに来たのは隊長さんとの戦いを止めるためじゃないんだ。ずっとアヤメちゃんを探してたの」

「私を?」

「うん」


 ソニアは剣の切っ先をこちらに向けた。


「勝負だよ、私と真剣で」

 

 全員がソニアに呑まれた。

 彼女が手にしているのは木剣ではなく真剣である。


「何を言うんだ・・・・・・刃を納めてくれ。勝負などと、互いの力量なら木剣でも見て取れるはず。あなたにはそれを見破る目があるだろう、この場で真剣を用いて戦うことが適切とは思えない」


 私の願いをソニアは黙殺で応える。返事に窮しているというわけではなく、これ以上の会話は不要とでもいうような目つきだった。

 次の瞬間、ソニアの剣の切っ先が眼前に迫っていた。剣先が吸い込まれるように、的確に、私の右目を貫いた。


「――っ!? なっ! 正気か!」


 思わず腰の刀を抜いたが、私は一太刀も浴びていない。

 道場で、戦場で、幾度となく剣を振り下ろされ、銃口を向けられて自然と身に着いた他者が私に向ける敵意や殺意の念。熟練の戦士は殺気を覚えると、身を斬り裂かれる幻を見る。


 ソニアは私に殺気を放ったのだ。


「待ってくれ、あなたが私の闇に不安になる気持ちはわかる、だがこの身に宿る闇は生まれつきなんだ」


「それをクリステル様に向けないって保証はない。体の中の暗い力が全身に行き渡ってるのが見える、それは良くないモノの力だよ」


「十六年、このモノノケの宿った身で生きてきた。追い払えない力は呪いと同じだ、諦めて受け入れるほかなかった――出生を悔やむ日々であったが、クリステル様は私に生きる目的をくれた。私はあの方を護りたい、あの方に忠義を尽くす者達もだ。わかってはくれないか」


「わからないんだ、アヤメちゃんは濁っていてよく見えない――そう、その束ねた闇で本当の姿は覆われたまま、私でも見通すことができないの。あなたの真意、それは剣の中にある」


 ソニアは剣を構えなおし、じりじりと迫る。彼女の剣が行き届く間合いが、少しずつ私の間合いを犯していく。


「私が勝ったらここから出て行って、二度とクリステル様の前に現れないで」


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