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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
ソニア篇
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ソニア合流

やがて船がスネチカの港に着いた。

 ソニアは船を下り、呆然としばらくその場に佇んだ。

 

あまりにも人が多い。この国は貿易が盛んになったと聞いていたが、辟易するほどの人口密度である。もうすぐ日の落ちる時間なのに、人がいなくなる気配が感じられなかった。

  上を見れば青や黄色の塗料で染められたカラフルな建物が目立つ。極寒の地であるスネチカは陽の差す時間が短く、昼間でも安寧とした曇り空が一層の暗闇を作り出す。


この地で暮らす人々は色彩を求め、絵本に出てくるような色で建築物を染めるのだ。様々な色が乱立しているが、今は立ち並んでいるどの建物も雪の帽子をかぶって、屋根だけは白一色に統一されている。


 下を見れば行きかう人々に踏まれ続けた雪が潰され、泥に交じって茶色くなっていた。赤い帽子が落ちていた。きっと誰かの落とし物だろう。今は泥と雪にまみれ、こちらも茶色く変色してしまっている。

 そんな景色が沈んでいく日に照らされ、やがて赤々としたものに変わっていった。


「日が暮れちゃう、急がないと」


人々が蠢く市場を、彼女はひらりひらりと交わして先へ進む。


「ええと、どっちだっけ。右から来たから、左へ行って、ううん、さっきは後ろ向きで今は前を向いているから右が左で左が右で」


 せっかく道を覚えてきたのに、人混みに流されるとわけがわからなくなってしまう。混雑の中では人を避けるより、止まることの方が難しい。

 現在地を確認するために地図を広げたいがそれも叶わず、人混みに流され続けていると気が付けば港町の外れに出てしまっていた。


 ここまで来るとさきほどの雑踏が嘘のようだ。そこは港が一望できるほどの小高い丘で、強い潮風が吹いていた。あまりの風の冷たさに思わず体が震える。

この辺りの雪は手付かずの状態で白いままだ。夕日を浴びて表面がきらめきを帯びている。丘の先は海辺があり、やはり海面が黄金色に輝いていた。はるか向こうで雲と交わる青い水平線が見える。


「寒いけど綺麗な所――じゃなくて。こ、困ったな。ええと、地図。とりあえず地図を」


 ソニアはオロオロしながら鞄を探るが、入れておいたはずの地図が見当たらない。


「あれ? 無くしたはずないのに」


 ふと、これまでの出来事が蘇る。

 アウレリアから護衛の任を解かれたと思えば、すぐさまクリステルの護衛を命じられた。ソニアはこの時クリステルが生きていることを知って歓喜した。

クリステル生存とその居場所を知られるわけにはいかない。この命令は極秘だった。


皇居を後にしたソニアはヴェルガ軍部に尾行される可能性を考慮し、彼らを欺くためスネチカには直行せず、様々な国を二転三転した。

 その度に増えていく荷物の数々、特に地図がかさばって仕方がなかった。

 

そして昨晩、もうゴールは目の前であるからと、これまで溜まりにたまった各国の地図を捨てることにした。形跡を残さないため、地図はゴミ箱に捨てるのではなく甲板から海へ投げ捨てたのだが――


「まさかあの中に・・・・・・私スネチカの地図まで捨てちゃったの!? ど、どうしよう」


 己の失態にがっくりと肩を降ろしていると、プリーツをぐいぐいと引っ張られていることに気づいた。


「ソニアさん」

「お?」


 見下ろすと、そこには荒い呼吸をしつつ、頬を膨らませているピアの姿があった。


「ピアちゃん!?」

「はぁはぁ、何度も呼んだのにどんどん反対側に行ってしまうから困りましたよ」

「ごめん。気が付かなくて」

「ひどいです。私の声、忘れちゃったんですか」

「ないない、ピアちゃんの声忘れるなんて絶対に」


 ピアは腰に手を当て、ふくれ面でソニアを見上げる。睨まれたソニアは反省の濃い表情を浮かべ、自分より小さい少女に頭を下げた。


「迎えに来てくれたの? 私のために?」

「そうです、ソニアさんが心配だったので。もう! 大人がどうして道に迷うんですか」

「地図がなくて」

「持参し忘れたんですか?」

「持ってたけど、間違えて捨てちゃった」

「な!? 毎度ブレないですねソニアさん。というか地図なしでも歩けるようになってください。この際だから言っておきます、ソニアさんはいつもマイペースだからこんなことに――」


 ピアの鼻の頭が赤い。この寒い中ずっと待っていてくれたのだと知ると、ソニアの中に嬉しいやら申し訳ないやらの気持ちが溢れてきた。


「うふふ」

「何が可笑しいんですか」


 ピアが訝しげな眼をする。だがソニアは意に介さず、手で口元を隠しながら笑みを浮かべていた。


「ふふ、ピアちゃん心配してくれたんだ」


 はっとしたピアがしまったと感ずく。

 このソニアという娘、いかな状況であろうと興味が逸れればこれまでのことなど切り捨て、気の赴くままに行動してしまう節がある。


ピアは反省するソニアを見て、いい機会であるからと危機感のなさへの警告、クリステルを護衛することの重要性などを説こうというつもりであった。しかし、今やソニアの興味は自分へと注がれているのである。


「私は護られるばかりの子供じゃない、もうあの時とは違うんです。心配ぐらいさせてください」


 なんとかこちらのペースに持ち込もうとしたピア。気丈にも負けじと言い返す。一方でピアの来歴を知るソニアは、成長した姿を見て身悶えするほどの悦を覚える。ピアの行動がソニアの心に、かえって火をつけた結果となる。


「ありがとうピアちゃん! こんなに立派になって嬉しいな!」


 ソニアはピアをぎゅっと抱きしめた。甘い桃のような香り。

この時ばかりはピアも懐かしい香りを思い出して頬を緩めた。


「まだ話がおわっていないのに。苦しいじゃないですか」


ソニアの赤い髪がピアの首筋に触れる。

 勢いづいたソニアはピアを持ち上げて「ほりゃ、たかいたかーい」とはしゃぎ始める。


「あ! ちょっと、下ろして! 下ろしてください! 子ども扱いしないで!」

「ピアちゃん十二歳じゃん、子供だもーん」

「精神的にソニアさんより大人です!」

「お姉さんになんてこと言うんだこのこのー」

「えうっ!? ちょっ、やめ、あはははは」


 ソニアに脇をくすぐられてピアは吹き出す。

 あまりに子供じみた真似をするので驚いた。立派に成長したところを見せたかったのに、こんなふうにくすぐられては年相応の笑い声が出てしまう。化けの皮をはがされた気分だ。


「やめてください! はしゃぎすぎです!」


 ピアはぜえぜえと息をしながらソニアを窘めた。


「会いたかったよピアちゃん、私寂しくて」


 怒られたはずのソニアはニコニコ笑いながらピアを見ていた。

 ピアはうっ、と言葉に詰まる。ソニアは自由で素直だ。なんだか身を硬くしていた自分が子供に思えてきた。


「そんなの」


 もう私の負け、ピアは思った。無理に着飾ってもちぐはぐした感じが漏れてしまうだろう。素直になろうと思った。

 会いたくて、寂しくて。これまで離れていたが、想いは同じであった。

ピアはこみ上げるものを抑えられずに笑う。


「そんなの私もです。ソニアさん、会いたかった」


 触れられなかった時間を埋めるように、二人はしばらくの間、互いの存在を確かめ合った。


「ソニアさん、ちょっと腕が痛いです」


 ソニアが抱く力を強めると、ピアは痛みに眉をひそめて腕をさすった。


「あ、ごめん。そんなに強かった?」

「違います、前に腕を痛めることがありましたから」

「ピアちゃん」

「なんですか?」

「何かあったね」


 ソニアはピアの頬にそっと触れて言った。


「誰かと喧嘩でもしたの?」

「喧嘩って、そんなこと――」

「ピアちゃんは自分が悪いことをしてしまったと思うとき、目の下がたまに痙攣するんだよ――誰かに酷いことを言ってしまった時なんて、そうなることが多いよ」


 ピアは言葉を詰まらせた。


「アウレリア様から聞いてるよ、桜花国の女の子がクリステル様を助けてくれたんでしょ? そのことに関係あるの?」

「私は――」

「ピアちゃん話して」

「・・・・・・ビレで、お嬢様の大切な人に辛くあたってしまったんです。だってお嬢様は――いえ、違います。私はお嬢様のお役に立てなくて、自分がみっともなく思えて、そういうイライラをぶつけてしまったところもありました」


 ピアはこれまでの経緯をソニアに伝えた。

 ルリの襲撃、アヤメがクリステルを救ったこと、アヤメが仲間になったこと。だが、護衛兵の中にはアヤメを信じていない者が多いこと。それでもクリステルはアヤメを離さないこと。


「だからこう、なんというか。やきもきしてしまうと言いますか。それにしてもお嬢様の命の恩人にあんなことを言ってしまうなんて。なんてことを・・・・・・私は、自分で思っていたよりもずっと意地悪な性格だったみたいです」


 ソニアは笑みを浮かべて両手を広げた。


「おいで、ピアちゃん」

「子供扱いしないでくださいと言ったのに」

「そんな風に思ってないよ、ね?」


 うぅ、と呻いた後、周囲に誰もいないことを改めて確認して、ピアはソニアの胸に飛び込んだ。


「私たちはクリステル様が大切だから、過剰になっちゃうこともあるよ。ピアちゃんが言わなくても、他の誰かがアヤメちゃんに警告しちゃってたと思う。誰かが言わなければいけないことだったんだ、あなたは辛い役目を背負ったの。私にはわかる」


 ピアの頭に頬をつけ、努めて柔らかく抱きしめる。

んっ、と満足そうに声を出して、ピアはソニアの胸元に顔を埋める。


「よーしっ」


 ソニアは荷物と共に、ピアを抱き上げた。


「ソニアさんこれはなんですか?」

「お姫様だっこだよー」

「また唐突に何をしだすんですか」

「ピアちゃんの気持ち私もわかるよ」

「はい?」

「いくらクリステル様が信頼しているからって、アヤメちゃんがどういう人なのか見えてこない。それが不安なんだよね?」

「はい、護衛の方々も未だに信じきれてないようですし」

「ここで考えてても仕方ない、まずはアヤメちゃんがどういう人なのか確かめないと。よしっ、行くよピアちゃん!」


 ソニアはピアを抱きながら走り出す。雪がくるぶしまで埋まるほどの悪路であるが、メルリスであるソニアにとって平坦な道と何ら変わりはない。強靭な脚力は降り積もった雪を泡の如く四散させてしまうのだ。


障害を無視して自由に動き回れる者が超人であるなら、ピアはそれに当てはまらない。


ソニアの腕に抱かれたまま走られる、というのは烈風のただ中に放り込まれたようなものである。蹴り飛ばされた雪や小石が、顔も上げていられないほどに飛んでくる。轟轟と風が音を立て、見えていた景色が一瞬で後方へと押し流されていく。


「はやっ、速すぎます! 息がっ、私の体がもちませんよぅ!」

「とにかくアヤメちゃんに会ってみる、それで私からも話をしてみるよ」

「その前に私の話を聞いてください! ってちょっと待ってください! ソニアさん道わかってるんですか! 止まって下さい! 逆です逆! 道はあっちですよ!」


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