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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
アヤメ篇
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暗雲

生暖かい目で見てやってくださいな

光の射さない石牢に閉じ込められて何日か経った後、師が私に会いに来た。

四肢を錠で拘束されているので礼を尽くすことができないが、たとえそうでなくても師に頭は下げなかっただろう。クリステル様の暗殺を私に指示したのは、この人であることは間違いない。


「ふむ、お前には何と言ってよいのやら」


 師は私を一瞥すると、鞭に手を伸ばした。


「拷問の訓練を受けたお前には大した効き目もないか。そうだ、桜花の兵士の中でもお前は群を抜いて優秀だ。だからこそ重大な命を任せたというのに」

「あのお方が血を流すことに義が見出せません」

「そうだろうとも。だが、義など追い求めていてはこの国は生き残れないのだ」


 鞭を手にしたまま、師は椅子に腰かけて私を見た。折檻を受けた生々しい傷を持つ私よりも、師の方が悲痛な面持ちといった具合だった。


「隊長になると部下にボヤいたりはしないものだ。けど、最近は話のできる上官も減ってきてな。時には部下にボヤくのもいいかもしれん」


 師は持参したウイスキーボトルを口にした。強い酒であるのか目尻に涙を浮かべていたが、水のようにがぶがぶ飲み続けている。


「お師匠様・・・・・・それ以上は」

「自分の心配をしろ、阿呆が」


 ウイスキーボトルを懐に納めると、両手を膝に乗せて少し咳き込んだ。何か重要な案件を伝えようとする時、師はいつもそんなふうだった。


「戦争だ、何もかもそれで崩れてしまった。この国は、桜花は資源に乏しい。よく勝利できたものだ」


 開戦前、戦争を嫌う桜花は幾度となく交渉の場を設けようとしたが、ヴェルガはその提案を嘲笑という侮辱で返答した。猿が文明人の真似事で交渉などするなと小馬鹿にしていたためである。


ヴェルガはこの時、レガール大陸の中でも抜きんでた軍事力を保有しており、既に数十の国の征服を遂げていた。


 勝利に浮かれた彼らは桜花に対し、抵抗して死ぬか、支配されて生きるかの二択を迫ってきたのだ。戦を始める前から、勝者の如き振る舞いだった。

桜花が文明国として圧倒的に劣ると見下されていたためである。国民はこの侮辱に激怒した。

桜花人の誇りをかけて私達は戦わなければならなかったのだ。


「先の戦争には講和に持ち込むことができた。桜花の武力は水準以下と高を括って挑んできた奴らが、吠え面かいて敗走していく光景には心が躍ったものだ。だがそれも完全な勝利とは言い難い。知っているだろう?」

「はい」


 戦争には勝利したが、辛勝であることはあまり知られていない。国民とは違い、実際に戦地に赴いた私は真実を知っていた。


 資源が豊富にある大陸の敵国と違い、資源の限られた島国である我が国は、数において圧倒的に不利だ。戦艦、戦闘機、武器、兵士の全てが不足している。


二百機の戦闘機を攻撃と防衛に分けている敵国に対し、桜花では五十機の戦闘機が攻防の全てを行っていた。


 個の能力が優秀である桜花人とは言え、日に日に増員される何千と言う敵兵を相手に、そう戦えるものではない。だからこそ完全勝利ではなく、敵の戦意を挫く作戦に出た。


 これには桜花の技術力が大きく貢献したと言える。


 設計技術者の集大成とも言える桜花の戦艦は、ヴェルガのそれよりも三倍の速さで海上を移動した。戦艦は徹甲弾の貫通を防ぐため強固な造りにするのが当たり前であったが、桜花は速度を得るために小型で軽量な作りを重視した。


 さらに攻撃に用いる砲弾は鋼鉄を打ち抜くための徹甲弾ではなく、溶かすための焼夷弾であった。


 焼夷弾という兵器は世界で初めて桜花軍が開発した。低予算の上、徹甲弾よりも軽い焼夷弾は速度重視の駆逐艦の頼もしい矛となった。


敵兵は見たこともない兵器に動揺した。戦艦の速力に照準が間に合わず、砲弾は全く当たらない。加えて見たこともない焼夷弾の威力は、確実に兵士たちの恐怖心を煽っていった。


船体に穴を空ける砲弾ならまだ数発は耐えられる。しかしデッキや大砲の全てを焼き尽くす焼夷弾では、一発が致命傷となった。

異常なまでの戦闘能力に畏怖したヴェルガは、桜花人を恐れて戦場では右往左往を繰り返した。


これまでの戦争で連勝していたヴェルガは、兵器や兵士が敵の数よりも勝っていれば、勝利は間違いないという教訓を神聖視していた。


征服した国の兵士を軍に加え、すぐに戦地に向かわせたのだが、彼らはヴェルガ人の言葉を理解できていないままだった。数で勝ればどうとでもなるというお粗末な考えだったのである。


大陸人特有の悠然とした性格が戦場では仇となった。武器や戦闘能力の他にも桜花が勝利した理由はそこにあった。

桜花の兵器に目を丸くした司令官達は、驚愕と焦りで指揮能力を失ってしまった。砲手に砲撃の指示を出しても、砲手は指令されたヴェルガ語の意味が理解できずにいた。


四割近くの戦艦が、このような有様だったため、あの戦争は勝利に終わったのだ。


「しかし、今はもう兵も武器も、あらゆるものが足りない。あれは国民が血を搾り尽くすまで自らを酷使して得た勝利だ。もはや我々に余力はないのだ」

「それをヴェルガに知られてはまずい――奴らの頼みを聞いたのも、我々にはそれほどの余裕があると思わせるため」

「持ちつ持たれつだ。ヴェルガの頼みを聞いてやれば、あいつらが桜花にちょっかいを出すこともない。ところが、ヴェルガというのは困った国でな。皇室に軍人が出入りするのが当たり前。あれでは国家が軍を所有しているのでなく、軍が国家を所有しているも同然だ。最近の横暴さは目に余るものがある」

「・・・・・・そんな奴らの頼みを受けたのですか。それがクリステル様の暗殺」

「気分のいい話ではなかった。彼らは皇女を本国で暗殺するとなれば、由緒ある皇室の歴史に泥を塗ることになるなどと言っていた。ヴェルガに君臨する奴らは自分の手を汚さないことばかり考え、幼気な少女の未来は誰も気にしていない連中達さ。ヴェルガへ送り返したのは間違いだったかもしれんぞ?」


 師は何事かを抑え込むようにして腕を組み、私の顔を見つめていた。私は拳を固く閉じ、虚空を見た。


 あの日から数日が経過しているはずだが、石牢の中にいるために正確な日にちがわからない。順調に飛行していればクリステル様は既に帰国しているはずである。師の言い方から察するに、今のところは無事でいてくれているらしい。


「クリステル様」


 愛しい人の名を囁く。彼女が今も生きていてくれて笑っている姿を想像すると、涙が零れそうになってしまった。何日も堪えていたのに、感情の抑えが利かずに溢れかえった。


誰かに必要とされ、愛される。あの感情を知った後では、孤独が大磐石のようにのしかかってくる。


このまま死ぬことが救いだとも思うが、クリステル様のことを考えると踏みとどまる自分がいる。恋という甘い痛みに触れてしまったが故に、正常な判断ができないほど思考能力が鈍ってしまった。


 視界の先に、師の目が覗いた。射すくめられるような気がした。


「お前の任務失敗は桜花の落ち度である。ヴェルガがどのような対応をしてくるかはわからん・・・・・・しかし、我々はもう奴らと手を切る頃だと思う」


 師の言葉は、厳格な規律から成る桜花軍人が口にしてよい領域を超えていた。呟いた師の目の下には、大きな隈ができていた。師も私と同じく疲弊しているのがわかると、偉丈夫の体が途端に弱弱しく見えた。


「口約束レベルの同盟など、奴らの機嫌次第だ。桜花は近い将来、ヴェルガと再び戦い、やがて敗北するだろう。だが、このまま奴らの言いなりでいるくらいなら、潔く戦って散るべきであるとも思う。お偉い方が開戦を決めれば、お前はヴェルガに噛みついた最初の人間ということになるな」


 師はまだ私の目を見ている。その目には任務失敗を責めるのではなく、決断を称えるような感情が明確な色になって映し出されていた。


「お師匠様は、なぜ私に任務を託したのですか?」

「私にもわからん」


 師は私の血が染みついた鞭を牢の隅へ投げ放って立ち上がった。


「貴様は軍の命令に背いた。除隊よりも有効な使い方をさせてもらうぞ」


師が手を叩くと、ほどなくして細身の男が牢に入ってきた。髪や眉は抜け落ち、白衣の隙間からは骨が浮き上った胸板が見える。かろうじて骨に皮膚が張り付いて見えるほど痩せこけた姿は、干からびた砂漠の住人のようだった。


私を見ると目を細めて嫌な笑みを浮かべた。私よりもよほど囚人に見える男に悪寒を覚えた。


「新薬の実験体になってもらう。超人兵士の血清を作っているのだが、こいつを試す捕虜も囚人も足りなくなったのでな」


 白衣の男が私の首筋に太い注射針を刺した。

その際に男の纏う白衣から薬品の香りを吸い込み、臓腑を握られるような感覚の後、息ができなくなるほどむせ返った。人体に有害な薬品の残り香を吸い込むのは、針で皮膚を突き破られるよりもよほど苦しい。


「三日は堪えてほしいですな。そうでなければ意味がないです」


 路地裏の空虚さを思わせる一方で、地の底から響くような確固たる悪意をも感じさせる声だった。


「三日はもつだろう、その程度でこいつの心臓は破れんよ。舌を噛んで自決することもないようだしな」

「けっこうけっこう。薬が効き始めたらまた来ます」


 瞼が重くなってきた。意識が途切れ始め、牢の松明の灯りの中に、二人の男の顔が見え隠れするようになった。白衣の男は薄気味悪い笑みの後、私の方をなめまわすように見た。


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