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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
ソニア篇
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ソニアとピア

 一年余りの時が流れた。

 

 ソニアは朝早くに兵舎を出て、夜遅くに帰ってくることが常である。その間、ピアは兵舎の掃除を手伝ったり、借りてきた医学の本で勉強を続けた。

 

 今日もソニアが兵舎に戻ってきたのは夜の帳が下りてから、大分経った頃のことである。部屋に戻る前にシャワールームで熱いお湯を浴びた。頭から熱いお湯を浴びて、ふうっと息をつく。

 

 一日を思い返しながらお湯を浴びると、汚れや疲れがはがれて清々しい気分になる。キュッと蛇口を捻ってお湯を止めると、暗いシャワールームには緩んだ蛇口から水滴が落ちる音だけになる。

 

 深夜にシャワーを浴びているのはソニアだけ。照明は彼女がいるところだけに灯っており、あとは暗い空間が広がっている。

眠い目をこすりながら天窓を見上げると、闇の中で白い楕円の月が浮かんでいるのが見える。


 前は一人でいられる時間が好きだった。一人は気ままで、自由だった。けど今は違う。

 いつからだろう、大好きだったはずのシャワールームに長居しなくなった。

 早く部屋に戻りたい。ソニアは体を素早く拭くと、走り出した。


 なるべく静かに部屋のドアを開けるようにしている。立て付けが悪くて常のように開けばギィィイとガラスを擦ったような音が出てしまうのだ。

寝ているはずのピアを気遣ってのことであったが、開いたドアの隙間からオレンジ色の灯が漏れてきた。


「ソニアさん、おかえりなさい」


 机の上にランプを灯しながら、本を読んでいたピアが笑顔を向けてくれる。


「た、ただいまーピアちゃん!」


 ピアはいつもソニアの帰りを待っていた。どんなに遅くても、疲れていても、起きて待ってくれている。ソニアはそれが嬉しかった。


「お疲れ様でした、何か飲みますか?」

「ううん、平気。ありがとね、ピアちゃんぎゅっとしてるほうがいいもん」

「ちょ、ちょっとソニアさん、苦しい」


 ソニアは人の体に触れる癖があった。何の気なしに手をつないだり、後ろから抱き着いて来たり。そうしたことに慣れていないピアは少し困惑する。細い指先が触れると、相手の熱が伝わってきて困ってしまう。

 今は「いい匂い~」なんて言いながら耳の裏に鼻を寄せられている。


「ソニアさん、ちょっ、くすぐったいです」

「え~、いいじゃん。ずっと我慢してたんだもん」

「シャシールではこんなことされた経験ないですから、困ってしまいます」

「ヴェルガ人はスキンシップ多めなのだよピアちゃん」

「それは私以外にもこんなことをしているということですか?」

「なにそれ嫉妬?」

「こ、答えてください」

「ううん、ピアちゃんにだけ。ピアちゃんは特別」

「よ、よくもそんな、恥ずかしい言葉、を」

「だってピアちゃん言わないとわからないじゃーん」


 ピアとの暮らしが始まって長い。ピアのことならある程度のことはわかっている。一人でいることに耐えられる子だけど、本当は人と接することが大好きなのだ。でも、恥ずかしがり屋で本心を口に出すことは滅多にない。だからその分、ソニアはありのままに本心を告げるのだ。


 ひとしきりピアを堪能した後、ベッドに倒れ込む。


「あー、疲れた」

「今日もずいぶんと帰りが遅かったですね」

「うん、西側のテロリストの動きが活発になってきててね――これからも帰りは夜遅くになっちゃうと思うから、そうゆう時は無理しないで先に寝ててもいいよ?」


 ソニアはそう言ってしまう自分の言葉に傷つく。本当は嫌だ、先に寝ていてほしくない。ドアを開けたら笑顔で『おかえりなさい』と言ってほしい。


「待っていますよ」


 ピアは言う。


「私はずっとソニアさんを待っています」


 ピアもまたソニアのことをわかってくれていた。


「まずい、ピアちゃんが可愛い。誘拐してしまいたい」

「誘拐も何もあなたの部屋で暮らしているんですけど」


 ピアはため息をついて、再び読んでいた本に目を戻す。


「お勉強はどう?」

「今日も先生と往診に出かけました。次回からは私一人に任せてくれるそうです」

「すごいなピアちゃん、本当にお医者さんになっちゃったね。夢がかなったね」

「いいえ、これからです。本当の夢は、まだまだです」

「そっかそっか、よかった。よかったなー」


 ソニアはシーツの上でもじもじしながら満面の笑みでピアを見つめている。


「ソニアさん、あなたの夢は?」

「ん? 私の夢って?」

「ソニアさんには感謝しています、私のためにここまでしてくれて。できれば私もソニアさんのために何かしたい、だから夢を聞かせてくれると嬉しいです」

「な、なに突然」


 珍しい。こういうことを言うのは苦手だろうに。


「私が奴隷だった頃、あの商人は毎晩のように私の首を絞めました。お前は死んだ方がいいと冷たい声で囁きながら・・・・・・苦しくて、恐くて、でも、私はそれを受け入れていた。意識が遠のいた時だけ父と母が見えたからです」

「ピアちゃん」

「もちろん今は死にたいなんて思いません、ソニアさんがいてくれるから。だから私、恩返しがしたいんです」


 恥ずかしさからか、はたまた当時を振り返って恐怖したのか。小さな肩を震わせてピアは言う。


「夢ねえ」


 答えは目の前にある。


「ピアちゃんかな」

「私、ですか?」

「うん、ピアちゃんが今みたいにやりたいことができて。笑顔でいてくれて、ずっと私といてくれることが夢」


 ソニアをメルリスに推薦したアレクセイは、あの日こう言った。


『君は秘儀の数々を学んだが、力を使うだけでは面白くあるまい。生涯をかけて護りたいと思える者。そういう人が必要なのではないか?』


・・・・・・・・・・・・・・


 シングルベッドに二人で入ると、ソニアはすぐに寝息を立て始めた。


「毎日お疲れ様です、ソニアさん」


 ピアは二人で使うには小さすぎる布団をソニアにかぶせる。こうすると背中が出てしまって少し寒いけど、くっついて寝れば温かい。


「あなたと少しでも話せる時間が好きです。でも、こうやって寝顔を見られる時間も好きですよ」


 ピアはくすりと笑う。幸せだ、こうしている時は何も考えずに済む。

 ずっと一緒にいようとソニアは言ってくれる。ピアも何よりそれを望んでいた。

 父と母が死んだ時、天涯孤独になったはずだった。けれど、もう一度家族ができた。


 嬉しかった。


 ソニアの父と母は遠い村で農業をして暮らしているらしい。いつかその村に行って、新しくできた家族と静かに暮らすことがピアの夢だ。


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