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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
ソニア篇
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ソニア ピアとの出会い

アレクセイとの出会いから数ヵ月後、ソニアは既にメルリス(ヴェルガ国騎士団組織の1つ)になっております。

 その日、ソニアは市中の見回りを命じられた。今日は王立広場でクリステルが祝辞を述べることになっていたので、反対勢力の過激派が紛れていないか監視するためであった。


 この日は祭日ということもあり、街には様々な人で溢れていた。露店からおいしそうな匂いが流れてくるのも、楽器の演奏に合わせて踊る人々がいるのも、いつもの光景であった。

 その中で、少々異質な人だかりができているのをソニアは見つけた。

 人の輪の中央には、男と少女がチェス盤を挟んで座っているのが見える。ずんぐりと太った男はこの街ではばをきかせている商人。奴隷の売り買いで利益を得ている男だ。


 対して少女は黒い髪に褐色の肌。最近ヴェルガが墜とした国、シャシールで見られる人種だ。母国で捕らえられ、ヴェルガに連れてこられたのだろう。


「ねえ、なにやってるのあれ?」


 ソニアは見物人の一人に尋ねた。


「ああ、なんでも商人の奴が自分をチェスで負かせることができたら、どんなことだろうと望みを聞いてやるって言ったみたいだ。それであの奴隷が挑戦してるんだよ」

「ふーん」


 少女はぼろきれ一枚を着せられ、鉄の枷が嵌められている足には血が染み出ていた。痛々しい光景だ。

視線を逸らすと屋台のお菓子を父親にねだる少女が目についた。少し目を逸らせばヴェルガ人の少女はきゃっきゃとはしゃいでいるのに、一方で奴隷として連行され、鉄の錠を足に着けられている子もいる。


 あまりにも不条理。ソニアもクリステルと同じく戦争に敗れた国の人々を奴隷として使うことを好きになれなかった。

ヴェルガが戦争に勝利し、新たな領土を手に入れることで国民が潤うのは理解している。


 だが、それでも近年のヴェルガのやり方は横暴が過ぎるのではないか。あんな少女まで奴隷として連れてくるなんて。

 少女が盤上の駒を一つ動かすと、人々が歓声を上げた。

 ソニアはチェスなど盤上の嗜みには疎いため、何が起きてるのかわからない。


「なになに、どうしたの?」

「いや、あの奴隷なかなかやるよ。一つ駒を動かしただけで状況がひっくりかえったんだ」

「あの女の子に有利ってこと?」

「そうだよ」


 ソニアは身を乗り出して少女たちを見た。駒を見てもわからないが、商人の男があからさまに動揺の色を見せているのはわかる。


「チェックメイトです」


 少女が言う。

 観衆がどよめき合った。


「打つ手はないはずです、私の勝ちですね」


 幼気な奴隷の少女が、大人の奴隷商人に打ち勝つ。人々はこの娯楽に大いに沸いた。

 そこかしこで称賛の声や拍手まで聞こえる。


「約束です、私を解放してください」


 そう少女が言った途端、商人の男がチェス盤をひっくり返し、思い切り少女を殴りつけた。


「ええい! この奴隷めが俺に恥をかかせやがって!」


 地に伏した少女の頭を踏みつけ癇癪を起し始める。

 少女に歓声を送っていた人々が、今度は下賤な笑い声を上げる。


 あぁあぁ、またあいつの癇癪が始まっちまった

 バカな奴隷だよ、身分ってもんをわかってないからこうなるんだ

いいぞやれやれ、奴隷を痛めつけろ


 誰も少女を助けようとしない。


「やく、そく、約束が違います」

「黙れ! お前などこうしてやる!」


 男の靴底が少女の頭にめりこんでいく。


「決めたぞ、お前は娼館に売り飛ばしてやる。そこで一生この日を悔いて生きていくがいい!」

「痛いっ、うう」

「もっと痛くしてやる!」


 足を振り上げたその時、ソニアが男の襟首を掴んで放り投げた。

 男は空中で一回転して、道端にあった馬糞の上に顔から着地した。


「自分の都合で子供を殴るな」


 そう言ってソニアは奴隷の少女を抱き上げ、こめかみから流れる血をハンカチで拭った。

 男は何が起こったのかわからない様子であったが、顔に馬の糞がこびりついていることに気づいて嘔吐した。その後、憤怒の形相に変わり腰に差していた銃を取り出した。


「どこのどいつだ! 俺を放り投げたのは誰だ!」

「投げたのは私」

「お前っ、騎士団の!?」


 自分を放り投げた者が騎士団の、しかもメルリスのソニアであると知った途端、男は腰を抜かしてしりもちをついた。男の手から零れ落ちた銃が石畳の上を滑って、奴隷の少女の足元へ流れつく。

 少女が銃を拾い上げると、群衆は息を呑んだ。

 少女の目は血走っており、不当な暴虐を受けた激昂からか肩で息をしている。追い詰められていたはずの奴隷が狂人と化した。なまじいに止めようとすれば撃たれる。そのような恐怖から、誰もが身動き一つしなかった。


「ダメだよ、そんなの」


 そう言って歩み出たのはソニアだった。


「落ち着いて。銃を下ろそう? あなたの魂はこんなところで汚れるべきじゃないから、ね?」


 ソニアは両の手を広げ、笑顔で少女に詰め寄ったが。

 次の瞬間、堪えかねた奴隷の少女は銃口を自らのこめかみに当て、そして――


「バカっ!」


 ソニアは叫ぶと同時に、常識はずれの瞬脚をもってタッと駆け寄る。もはやこれまでと奴隷の少女は引き金に指をかけたが、ソニアの方が速かった。少女の握っていた銃を掌にて弾き飛ばしたのである。

 少女は小さな悲鳴を上げて、地に伏した。

 奴隷が牙をもがれたと知れた途端、周囲からは罵詈雑言が飛ぶのであった。当然である。本来であれば服従にあるべき者が盾突いたのだ。


 許すな、罰を与えろ、殺せ、そのような言葉が飛び交い、周囲の熱気は一層強まっていく。

 幼い少女に向ける言葉ではない。心を砕くような言葉が飛び交うたび、ソニアのはらわたに悔しさのようなものが滲んだ。


「ねえ!!」


 ソニアが発した一声。あまりにも覇気のある声である。


「ねえ、この子いくら?」


 ソニアは商人の男に言った。

 あれだけ騒がしかった観衆も今はしんと静まり返っている。


「へ?」

「この女の子、私が買うよ。いくら?」

「90です」

 この金額は大人が半年は遊んで暮らせる額である。


「そう、じゃあ支払うから契約書とサインの準備して」

「は、はい。ただいま」


 男は店に戻り、せっせと準備を始める。

 あまりのことに皆が呆けている間、少女はソニアのものとなった。




 ソニアは一度兵舎に戻り、ピアの傷を手当てした後、再び街へ出た。裸足でいる少女のためにまず靴を買い、ぼろきれではない服も買った。


「ほい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ピアは委縮しながら、礼を言ってきちんと頭を下げた。

 言葉遣いや身振りで幼いながらもしっかりしている子だという印象を受ける。この位の年の女の子はわがままだったり、落ち着きがなかったりするものだが。貴族出身の娘顔負けだ。

 容姿だってそうだ。肩まで伸びる黒髪もきちんと梳いて、ぱっちりとした目を大きく広げて笑ってくれれば、見る者の心を春のお日様みたいに温かく包み込んでくれるだろう。華奢な体は触れれば壊れてしまいそうな、繊細なガラス細工のようではあるが、いまにふっくらと柔らかい肌に変わるだろう。


 こんな子が奴隷などという枠に押し込められるなんておかしい。


「私はソニア、ソニア・エルフォード。ヴェルガ騎士団でお仕事してるんだ」

「騎士団?」

「うん、偉い人の護衛とか平和維持活動をするんだよ」

「そう、ですか」

「ねえ、あなたのお名前は?」

「ピア。ピア・フローリオです、シャシール国から奴隷として売られてきました」

「・・・・・・ねえ、お父さんとお母さんは?」

「わかりません。きっともう」

「探してみようよ、見つかるかも」


 ピアは首を振る。


「両親が勤めていた病院に爆弾が直撃したんです。それで何もかも」

「・・・・・・ごめん」


 それ以上は聞けなかった。

 まさか病院にまで爆弾を落としていたなんて。なんて非人道的なことを。

 この子は病院が崩れる様を見て何を思っただろう。あまりに残酷な光景に体が震える。

 両親がいないのではシャシールへ返してあげても意味がないだろう。ついカッとなって買い取ってしまったが、騎士団に身を置いていながら少女を育てることはできない。


 どうしよう、と思った時に浮かんだのは師団長が言っていたこと。

 奴隷を助けようなどと思うな。きりがないし、彼らに希望を持たせることほど残酷なことはない。

 きっと怒られるだろうなあ、と思う。

 でも、こんな小さな女の子が乱暴されるのを黙って見ていられるわけがなかった。

 護ろうと誓ったヴェルガは、あんな姿ではなかったはず。他国へ侵略し、人々を奴隷として強制連行して。奴隷の少女が痛めつけられていても平然と見ていられる市民たち。そんなの絶対に間違っていると思うのだ。


 エルフリーデが軍を仕切り始めた日から、どうも喉に何かつかえているような、不快な違和感を覚える。


「あ、あの」


 ピアがソニアを見上げて言った。


「なに?」

「ソニアさんは私をどうするつもりですか?」

「え? ど、どうするって言われても、ううーん」


 虚を突かれてソニアは慌てる。それを見たピアの顔が曇っていく。


「私っ! お勉強ができます! 字の読み書きもできるし、計算だってできる! それにお父さんがお医者さんで、ずっと手伝いをしてきました! だから、だから・・・・・・」


 ピアの瞳からぽろぽろと涙が零れた。泉のように湧く涙は止まることがなかった。


「もうあそこは嫌、奴隷は嫌です。毎日毎日、凄く痛いことをされるんです、戻りたくない――私、役に立ちますからどうかお願いです、捨てないでください」


 ピアの声が一段と悲痛を帯びた。

 ソニアは頭が真っ白になるほどの衝動を覚える。


「捨てるなんて、そんなことしない! 絶対しない!」


 語気を強めるとピアがびくりと震えた。怒鳴ったことでさらに委縮させてしまったようだ。


「違う、ピアちゃんに怒ったんじゃないよ。ごめんね」


 ピアの両手を握り、言葉を柔らかくすることを心がける。


「ピアちゃんは私が守るから、安心していいんだよ。恐いことや痛いことはさせない、これは絶対だから」

「ほ、本当ですか?」


 ピアは手の甲で涙を拭いつつ、怯えた目で言った。

 ソニアはピアを抱き寄せ、体を優しく撫でてやった。この小さく可憐な少女をこうも怯えさせる国など許されない。そう思うとソニアの中に義憤の火が勢いづいて燃え盛った。


「嫌なんだよ、今のヴェルガは。間違っていることを間違ってるって言えないんだ。それで誰かが傷つくなら、傷つく人全部――私が守る」


 その時、広間に集まっていた群衆が歓声を上げた。

 何事かと思って見ると、クリステルが祝辞を述べるため壇上に上がったところだった。


「うわっ、クリステル様! え!? もうこんな時間、どうしよう警備に戻らなくちゃ!」


 ソニアが慌てふためいていると、広場に設置されている拡声器からクリステルの声が聞こえた。


「私達は我が国を文明国と称しています。ヴェルガの一部となった国々を辱めるのは文明国のすることでしょうか? 彼らと共に手を取り合い、心から誇れる国に変わる時なのではないでしょうか。私はヴェルガを愛している、皆さんはどうですか?」


 こう切り出した演説はクリステルが壇上から降ろされるまでしばらく続いた。

 ソニアもピアも、群衆も息を呑んだ。

 皇家の人間がはっきりと、今のヴェルガは間違っていると口にしたのはこの時が最初で最後である。


「今の言葉、皇女が言ったんですよね?」

「うん」

 ソニアとピアはその場から動けなくなってしまった。

「あのお方は、ご自身のことより民のことを考えて――あっ!?」


 もやもやと霞がかっていた記憶の海に光が差した。

 クリステルの担当医が助手を探していると言っていたことを思い出す。


「ねえピアちゃん! お父さんがお医者さんなんでしょ?」

「は、はい」

「ピアちゃんはお医者さんのお手伝いってできる?」

「はい、手術の経験もあります」

「手術!? その年で!?」

「戦争でお医者さんが足りませんでしたから、父に教えてほしいと頼みました。父の許しを得てから手術をしました」

「よし、なんとかする」

「どういうことですか?」

「クリステル様のお医者さんが弟子を探してるんだ、ピアちゃんを推薦する」

「――あの皇女様の」


 ソニアはピアの手を引いて歩き出した。


「ちゃんと決まるまでは私の部屋で一緒に住もう。ちょっと規則が厳しいけど三食付きで、ベッドで眠れるよ、いいでしょ?」

「あの、ソニアさん」

「ん?」

「私はあなたに買われた奴隷です、それなのにヴェルガ市民のような扱いを」

「ピアちゃん」

「私、私のことは・・・どうか」


 ソニアは俯いたまま震えるピアの頭を撫でた。


「ピアちゃん、ちゃんと言っておくね。今後二度と奴隷だなんて言わないで、私にも他のヴェルガ人にも普通に接して」

「で、でも」

「あなたは生きるために色んなものを堪えてきたでしょう。悔しいこと、悲しいこともあった。それにしたいことだって。今日から私と変えていこう、自分がやりたいことを精いっぱいやるの、それでいいんだよ」

「やりたいこと」

「ピアちゃんのやりたいことは何?」

「・・・・・・」

「あるはずだよ、何もないわけがない。答えて」


 驚いていたピアは顔を伏せて、しかしすぐに上を向いた。意思を示すために。


「私、お父さんのようなお医者さんになりたい・・・・・・お父さんやお母さんの分まで、私がたくさんの人の命を救いたい。そうしたら、いつか空の上で会えた時、胸を張ることができる」


 この少女は、憎しみに捕らわれずに立ち向かうことができるのだと知る。

 先刻、銃を手にした時などそのまま商人を撃つこともできた。それなのに自殺を選んだ。

 今にしても、やりたいことは何かと聞かれれば復讐と答えることもできた。それなのに人を傷つけるより、救うことを望む。


「うん、わかった」


 ソニアはピアの目じりに溜まった滴を指先で拭った。

 この日からソニアには護るべきものが一つ増えた。メルリスとして護るのはヴェルガ、ソニア・エルフォードとして護るのはピア・フローリオ。

 絶望の淵にいたピアにも希望が生まれた。それは未来である。目標を手繰り寄せ、未来に向けて進んでいくこと。遥か先に灯る光を紡いでくれたのはソニアだった。

 二人は小指を絡め、共に生きて命をより濃いものにしていくと決めた。

 こうして二人の生活が始まったのだ。


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