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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
アヤメ篇
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アヤメとクリステル 2

クリステルは自室で通信機に耳を当てていた。

八畳ほどの部屋の窓には全てカーテンが引かれている。光が入らない部屋は重苦しい雰囲気だった。万が一にもヴェルガの皇女が滞在していることが露見しないようにと、数日前に護衛達が厚みのあるカーテンを取り付けたのだ。机や床には読みかけの本やメモした紙が散乱し、足の踏み場もなかった。室内は古い家屋の匂いと、クリステルの甘い香りが混ざり合っていた。


「ねえアウレリア、アヤメさんを助けることができたよ。今日はその報告」


 クリステルはヴェルガの皇室で陰ながら手助けをしてくれる妹へ連絡をとっていた。


『わかりました。けどお姉さま、無理は禁物ですわ』

「わかってる」

『命の恩人に肩入れしすぎて、お姉さまが殺されたのでは意味がありませんもの。私だってそう何度も助けてあげられるわけではありません。最近は軍部の監視も厳しくなっていますの。機材や逃亡のための資金、バレないようにするのも一苦労ですのよ?』

「アウレリアのおかげでうまく逃げられてる。本当に感謝してるよ」

『ヴェルガが生まれ変わるには、お姉様のような人が必要ですわ。あの演説で心を動かされた人は多い。みんなお姉様が帰ってくるのを待っていますのよ』

「うん、頑張るね」


 受話器の向こうでアウレリアがため息をつくのが聞こえた。


『あの、お姉様――もう少しうまく人を利用することを覚えて下さいまし』

「どういうこと?」

『ノブレスオブリージュというお姉様の考えは立派だと思いますわ。けど、理想を実現するためには、何かを犠牲にすることを覚えないといけません。人をうまく利用して、生き延びることを考えて、ということですわ』

「そんな」

『人の上に立つには少なからず必要なことです。泥沼に沈みそうな時は、誰かを踏み台にして這い上がらねば。助けた桜花人に利用価値はありますの? 襲撃されたら鉄砲玉に使うとか?』

「そんなことしない! 違うの・・・・・・大切な人なの」


 声を荒げてしままったことに、クリステル自身が驚いた。


『ですから、それでは甘いということですわ。辛くても、危険が迫れば選択しなければならない。お姉様の護衛も全員が無事でいられる保証はありませんのよ。この局面で、犠牲なしに成功はありえません』

「私の周りには主の命に誠実な人ばかりなの。忠に報いようとしてくれる人達を利用しようだなんて考えられない。体と心で手を繋ぎ合う、人はそうやって国を作り、歴史を作ってきたんだと思う。私も皇女である前に一人の人間、失敗もするし、嘆くこともある。でも、信じてくれている人達を裏切ことだけはできない」

『罪を背負うのが怖いのですか? 贖罪を身に刻んで生きるのも、皇族の役目ですわ』

「覚悟はしてるんだ。その時が来たら最善を尽くすよ。絶対に誰も死なせない」

『・・・・・・まったく』

「なに?」

『まあ、よく考えれば私もお姉様のそんなところに惹かれて、色々と手助けしてるんだと思いまして・・・・・・私はお姉様の演説を聞いて、この人には敵わないと思いました。ほら、私ってお父様の言うこと聞いてばかりでしたでしょう。でも、お姉様は違いました。自分の意思をしっかり持っていた。憧れた一方で、嫉妬もしましたわ』

「アウレリア」

『でも、そのお姉様が私に協力を求めてくれます。憧れてる人に手助けできていることが、私は嬉しい。ある意味、うまく利用されてるのは私かもしれませんわ』

「そんなふうに思ってないよ。あなたは私ができなかった皇務をこなしている。憧れて、嫉妬していたのは私の方だよ」

『あはは、変な姉妹ですわね・・・・・・あの、絶対に無事に帰ってきてくださいまし』

「大丈夫。私を信じて」

『あ、そうそうソニアを派遣させていただきましたわ、私の護衛でしたけど暇を出しましたの。お姉さまのことが心配のようでしたので、喜んでいましたわ』

「ソニアですか? “メルリス”を私の下へ?」

『心強い護衛ですわ、ソニアがいれば暗殺者などひとひねり。数日後には合流するはずですわ』

「ソニアがいなくなってあなたの護衛は?」

『私は反逆者とみなされていませんもの、護衛などいなくても平気です。とにかくお姉さまは自分を大事にしてください。私はお姉様が無事ならそれでいいです。そろそろ、切りますわ。これ以上は盗聴される可能性があるので』

「あの、アウレリア」

『はい?』

「あなたも気を付けて」

『はい。勉強もいいですけど、あまり部屋を散らかさないようにしてください。今はメイドもいないのですから』


 クリステルは静かに笑い、妹に別れを告げて受話器を置いた。


・・・・・・・・・・・・・・


 日中はずっと眠っていたおかげなのか、夕刻には私の体は歩けるようにまで回復した。外の空気を吸おうと扉まで行くと、クリステル様の守衛が声を掛けてきた。


「もう歩けるのか?」

「・・・・・・貴国の優秀な医師のおかげだ」


 私よりも遥かに背の高い男が「今の時間は物騒だ」と言って扉を塞いだ。脇にある柱時計に目を向けると、五時を少し過ぎていた。背後では十人の大柄な男達が物々しい面持ちで、武器に手をかけていた。


「どこに行くつもりもない。外の空気を吸いたいだけだ」

「駄目だ。しばらく外に出ることは許さん」


 男達の熱気が頬に感じられた。僅かに殺意も混じっていたと思う。殺気を覚えれば、すぐに刀を抜くようにと訓練されていた私は、刀に手を掛けるのを必死で堪え、用意された部屋に戻った。


 八畳ほどの部屋だが、ベッドがあるので狭く感じられた。私は愛刀を肩に掛け、壁を背にして座り込んだ。昼の暑さに熱せられた床は、未だ冷めていなかった。蝋燭にぼうと浮かび上がる自分の影を見つめながら、クリステル様のことを想った。


 絹の擦れる音が廊下から聞こえてきた。足音を殺しているようだが、床から伝わる僅かな振動で誰かが近づいてくるのがわかった。音の主が悟られぬようにしているのは足音だけではない、腰にある大刀と銃のホルスターにも手をかけていることがわかる。扉の前で何者かが立ち止まった。恐らくは守衛の一人が、私を見張るために立っているのだろう。

 ピアと同様にクリステル様の付き人達も、私を好ましく思っていないようだ。彼らからしてみれば、私は不確定要素の塊だ。あらゆる危険からクリステル様を警護することが仕事なのだから、この対応には納得がいく。だが、窮屈で面白くはないことには変わりなかった。


 再び壁際に寄り掛かった時、隣の部屋から別の気配を感じた。空気の僅かな振動と足音から察するに、この部屋へ入ろうとしているようだった。蝋燭の光を壁に向けてみると、うっすらと亀裂が入っているのがわかった。どうやらあらかじめ壁に四角い穴をあけておいて、後でうまくはめ込んでいたようだ。壁が少しずつ押し出され、人一人が通り抜けられるほどのスペースが浮き上ってきた。

四角い壁は牛歩の如く、ゆっくりと浮き出てくる。侵入者は隣の部屋から壁を押しているようであったが、その重さに難儀していることがわかった。耐えかねた私は突き出ている壁を掴むと、手前に引き寄せた。穴の奥では肩で息をしているクリステル様がいた。


「きゃああっ」


 彼女は慌てて口をつぐんだ。かろうじて外の守衛には聞こえなかったようだ。耳を澄ますとぼそぼそとした話し声が外から聞こえるので、今は誰かと話しているようだった。


「・・・・・・何をしているのですか」


 鼓動が高鳴るのを感じた。冷たい感情に包まれていたはずなのに、彼女が視界に入るだけで胸が暖かくなる。


「えへへ、来ちゃった」


 クリステル様は四つん這いになって穴を抜け、私の部屋に入った。汚れてしまったと言って、純白のドレスの膝に着いた埃を払っていた。白い肌と澄み切った瞳、あの頃から少しも変わっていない可憐な姿。そんな彼女から目が離せず、やっぱり私は、どうしようもなくこの人のことが好きなのだと思った。


「あんまり驚いてないね、もしかして私が来るのわかってた?」

「い、いえ、驚いています。隣の部屋からクリステル様の匂いがしたので、まさかとは思いましたが」

「え、私って臭う?」

「そういう意味ではありません。クリステル様の香りは特別なので」

「ふ~ん」

「あ」


 あまりのことに茫然として、己を取り戻せていなかったためか、つい秘めていた思いが口をついて出てしまった。(ゆで)(だこ)みたいな顔になってしまっていたと思う。


「おはなししましょ」


 顔を赤くして萎んでいる私を見て、クリステル様は微笑んだ。そして彼女はベッドに腰掛けると、隣をぽんぽんと叩いた。

クリステル様と話ができる。その気になれば、触れることさえ容易だ。石牢に閉じ込められていた時、こんな時間をもう一度だけ過ごしたいと何度も願った。その光景が目の前に広がっている。すっかり浮かれた私は、口元のゆるみを隠せずにいる。会いに来てくれるなど思ってもみなかったから、嬉しくてしかたなかった。


 唐突に、胃の奥から冷たいものを感じた。

 思い出してしまった。


 これは私のクセみたいなものだ。幸福を覚えると恐怖を感じ、途端に幸せを否定してしまう。

 クリステル様の護衛達は私を不信がっている。特にピアがそうだ。今もピアに言われたことが刺さっている。先程まで、クリステル様とは距離を置くべきなのかもしれない、と考えていたばかりだった。


「どうしたの? どこか痛い?」


 私が表情に影を宿したので、クリステル様は首を傾げていた。


「あの、ですね。クリステル様、私の部屋に来て下さったのは嬉しいのですが」

「なあに? 聞こえないよ」

「ひっ」


 もじもじしていると、手を取られて強引に隣へ座らされてしまった。


「アヤメさんがもっと元気になったら来ようと思ってたんだけど、我慢できなくてね。体の方は大丈夫?」

「それは問題ないのですが・・・・・・」


 決して離すまいというように、指を絡ませて手を握ってくれていた。距離が近すぎて、顔を上げることができない。心臓が相手に聞こえてしまうほど強く脈打っている。


「クリステル様、その、ルリのことです」

「ルリさん?」

「申し訳ありませんでした、ルリは、私のせいで」

「いいの、わかっているつもりだよ」


 そう言ってクリステル様は静かに笑った。


「死は絶望しか生まないし、罰は悲しみを生みます。辛い思いをしてきたルリさんには、どちらも必要ありません」

「ですが」

「命は大切だと、生きてほしいと、アヤメさんは私に言ってくれた。この気持ちを思い出させてくれたのはあなたなの。アヤメさんと離れ離れになっている間もずっと胸にあった気持ち。大切な人がくれた気持ちだから、大事にしたいの」


 顔が火照るのを隠せなかった。


「ね、だからそんなに悲しい顔をしないで。私まで悲しくなっちゃう」


 クリステル様は細い体を震わせ、私を見つめていた。


「ありがとうございます、クリステル様」

「私こそ。まだちゃんとお礼を言ってなかった――助けてくれてありがとう、アヤメさん」


 その瞬間、歓喜の情が体を貫き、やがて悦楽となり骨身にまで染みた。

 愛しい人が名前を呼んでくれる。その声の、なんと美しいことか。

 そしてまっすぐな眼差しは、想う人が私に心を向けてくれていることを物語っている。


「あっ」


 嬉しい、言葉にできない。

 鼻先に迫った甘い香り、つないだ手には細い指。私は今更ながら羞恥に頬を染め、ぷいと顔を逸らしてしまう。


「ああ、あれが気になる?」


 私が顔を逸らした先には、クリステル様がこの部屋に入ってきた壁穴があった。


「たぶん過保護な護衛の人達がアヤメさんに会わせてくれないと思ったから、作っておいたんだよ」

「思いがけず、大胆なことをなさるのですね」

「うふふ、凄いでしょ? アヤメさんのためなら何でも頑張るよ」


 クリステル様が語るにつれて、私の顔は曇っていった。

私を想う気持ちはとても嬉しいのだ。だが、同時に心には歪みが生まれるのも事実。

 会話の節々で、彼女が私のことを、大切に思ってくれているのが伝わってくる。ピアの言った通り、この人は私を救うためなら危険を冒すと悟った。

ずっと傍で同じ時間を過ごしたい。だが、クリステル様は追われている身だ。当然、敵襲を受けることもあるだろう。そんな時に、もし私が人質にとられてしまったら、この方はどうするだろう。嫌な予感が脳裏をよぎって、私は俯いた。これまでぽつぽつと話をしていたが、気の抜けた返事ばかりしているのがばれてしまった。


「アヤメさん、ピアに何か言われたんでしょう?」


 取り繕うように笑えばよかったのだが、確信を突いた質問に私は死人のような顔をした。 

 一人でこの部屋にいた時、どこかでクリステル様が来てくれると思っていたのかもしれない。それは叶うことなどない願望だと自分を嗜めていたら、彼女は本当に来てくれた。


 目を覚ました時から、一緒に話せる時間が来ることを楽しみにしていたのだ。喜びのあまり心が躍ることなんて、本当に久しぶりだった。しかし、周囲の人間が私達を遠ざけようとする。

 

 人も世界も時代も、何もかもが敵だ。

 もしこの世界が私たちだけなら、こんなことを考えずともすむのに。

 

 怒りと熱いドロドロとした感情に呑まれそうになる。愉悦は歪みとなって、全てを敵にしても、クリステル様を我が物にしたい衝動に駆られた。


 クリステル様がほしい。

 

 ほしい、ほしい。自分が抑えられない。


 いっそのこと、クリステル様を私が永遠に幽閉してしまえば、そうすれば命を狙われることもなく、誰に邪魔されることもないのに――


 違う! 断じてそんなこと!


 私はなんということを考えてしまったのだ。

 心の奥底に眠る黒い感情を自覚した後で、純白のナイトドレスに身を包んだ清廉な彼女を見ると、自分が恥ずかしくなった。

 水が顎をつたって、ぼたぼたと地に落ちていた。何かと思えば、それは涙だった。私は無言のまま泣いていた。


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