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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
アヤメ篇
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再会を果たして

 目が覚めると、私はカーテンの閉め切った部屋で眠っていた。雨季であるビレの日中は蒸し暑い。こめかみから流れた汗が、頬をつたって落ちていく。カーテンの隙間から強い夏の日差しが伸びていた。外の強烈な日光のせいか、部屋の中は一段と暗く見えた。


「ここは」


 次第に目が慣れてくると、視線の先で半開きになっている扉に気づいた。そこからは値の張りそうなカーペットが見えた。扉の奥からは数人の話し声も聞こえてきた。誰かが部屋に籠る熱気をかき回しながら、ばたばたと動き回っているようだった。


 しばらくすると、髪を短く切り揃えた小柄な少女が扉を開けて出てきた。警戒しつつも、私を信じているふうな表情をしていた。


「あなたは?」


 私は少女を怯えさせまいと、慎重に話した。少女は私の問いに答えず、背後にいる誰かに合図をしているようだった。あの優しい匂いがしてきた。


「おはよう、アヤメさん」


 名前を呼んだが、声にならなかった。足に力を入れようとしたが、うまく立ち上がることができずに、私は前のめりに倒れてしまった。

 頬を打つことを覚悟したが、硬い板張りの床の感触は訪れなかった。私はクリステル様に抱きしめられ、慈愛に満ちた胸の中にいた。


「クリステル様、ご無事で、よかった。本当に良かった」

「うん」


 顔を上げて、にっこりと微笑えんでいる彼女を見た。私はこの時間が現実である喜びに打ち震えていた。彼女に抱かれていると、陽だまりが作りだす朗らかな雰囲気に包まれている気がした。


「毎日祈っておりました、私はどうなっても構わないから、あなたが無事であるようにと」

「うん、うん」


 私の頭を撫でてくれるクリステル様は、依然と違う雰囲気が滲み出ていた。毒を飲んだような顔をして、泣いていた面影はどこにもない。瞳には強い意志が宿っているのがわかった。

 それに比べて、私の体は冷たい石のように思われた。硬直した体は思い通りに動かず、指先を動かすのにも一苦労だった。血のめぐりも悪く、少し話しただけで胸が苦しくてたまらなかった。


 これは解放したことによる反動か。

 常人を超える力を使ったのだから、何かしらの代償はあると予想はしていたがこれほどとは。


「お嬢様、よろしいでしょうか?」


 後ろで控えていた小柄な少女は、鞄から聴診器を出していた。


「はい」


 クリステル様は私の体を椅子に座らせてくれた。名残惜しいといった風に手を握ってくれたことが嬉しかった。


「この子はピア。小さいけど、お医者さんだよ」

「もう、小さいは止めてください」

「あ、ごめんね。歳は若いけどって意味だから。こう見えても私の専属医だから腕は確かだよ。ちょっと診てもらってね」


 ピアはぱたぱたと足音を立てて駆け寄り、クリステル様の背中を押して奥の部屋に追いやった。


「お嬢様は奥でお薬飲んでください。そうしたらちょっと眠った方がいいですよ」

「言う通りにするから、押さないでってば」


 後ろ手に扉を閉めると、ピアは私を見定めるような目をした。先ほどの警戒とは少し違い、何かに腹を立てているようだった。

 クリステル様を前にして興奮したためか、めまいを覚えた私は、動くことも話すこともできず、目の前の小柄な少女を見ていた。


 黒い髪に肌は赤系、そして甘い顔をしている。


「私の肌が珍しいですか? シャシールって国じゃみんなこんな感じです」

「シャシール?」

「レガール大陸の東と西が交わる国。今はヴェルガに占領されて、なくなってしまいましたけどね。私はピア、色々とあって今はお嬢様の専属医師を務めています」


 髪を短く切り揃えているのは、医師として清潔でいなければならない、と心掛けているためらしかった。それでも肩にかかるくらいまで髪を伸ばしているのは、乙女心を拭えずにいるためだと後に知った。


「桜花国出身、アヤメという」

「知っています。アヤメ、あなたは起きたばっかり。あんまり動かない方がいいですよ。これから異常ないか検査させてもらいます」


 そう言って私の手を取ったピアの手は氷のように冷たかった。暑い室内で私は疲弊していたが、小さな医師は澄ました顔のまま汗一つかいていなかった。

彼女は手際よく私の体を診断しているようで、クリステル様の言った通り若くても優秀な医師であることが伺えた。しかし、小さな体では色々と難儀なことが多そうだった。血圧計を巻きつけようとしているが、私の腕を持ち上げるのは辛そうだ。腕を持ち上げようとしたが、あまりの眠さで瞼を開けていることさえ困難だった。


「すまない、なんだか眠くて力が入らないんだ」


 急激な眠気に耐えられず、意識が遠のいて頭がカクッと下がるたび、目を覚ますのを繰り返した。


「体が休息を求めてるようです、検査が終わったらもう少し休んでください」

「ああ、検査が終わる前に眠ってしまいそうだが」

「もうちょっと頑張って下さい。とりあえず現状を話しますから」

「話?」

「あなたが寝ている間に起きたことを話します、いいですか?」

「――そうだルリは!?」


 言われてみて気づいた。私が眠っている間に何が起きていたのか、ルリは? それにどうしてクリステル様がビレにいるのか、考えることをすっかり失念してしまっていた。

 知らなければならない情報は山ほどあった。


「お願いしてもいいか? 何があったのか知りたい」

「はい」


 ピアは血圧計を剥がすと、聴診器を私の胸に当てながらゆっくりと話し始めた。


「まず、私たちを襲った桜花人。ルリは去りました。私は殺した方がいいと言ったのに、お嬢様がそれを許しませんでした。ルリは私たちの力になると言い残して、国へ戻ったらしいです」

「それはいつのことだ」

「明け方のことみたいです。お嬢様と少し話して、その後に」

「ルリ」


 彼女とは話さなければならないことがたくさんあった。

 聞きたいこともあったし、叱らなければならないこともあった、そして謝ることも。それが叶わぬうちに、いなくなってしまったことが悔やまれる。


 ルリ、今お前は大丈夫なのか。

 

 私はルリのふわふわした髪の毛を思い、彼女を撫でた右手をじっと見つめた。

思い切り頬を叩いてしまった。

 私に叩かれて辛い顔をしていたが、その前から彼女は目に涙を溜めていた。

なぜこの人と斬り合いをしなければならない! 刃を交えた時、彼女の剣気はそう語っていた。怒りや悲しみが、ルリの剣と体を重くしていた。

 戦争が起きて、別の部隊に配属されたと知るや、アヤメちゃんと一緒じゃなきゃ嫌だ、としがみついてきたルリ。寂しい寂しい、と丸まって泣いて、私を困らせたルリ。

 

 私は拳を強く握りしめた。

 本当は、戦争が終わったらすぐにでもルリのもとへ行かねばならなかった。けど、お前まで私の呪いで失うのは怖かった。戦争ではもう十分に仲間を失ったから――だから距離を置いた。

 そうした一つ一つの選択が間違っていた。ルリを追い詰めてしまったのは私だ。

 すまない、本当にすまなかった。


「彼女が、ルリがクリステル様を襲ったのは私に責任がある――頼む、ルリに何か刑罰を課すなら私にも」

「悪いですけど、この話はもうお終いなんです」

「お終い?」

「お嬢様がルリを許すって言いました。私の主人が、誰よりも痛めつけられたお嬢様がそう言った・・・・・・だからこの話はこれでお終いってことです」

「クリステル様が」

「あのルリって子、戦争で辛い思いをしたみたいですね。だからもうこれ以上は傷つかないでほしいって」


 言葉を失う。

 咎めがない?


「ルリは許されたのか?」


 誰にでも分け隔てなく接してくれるのは知っていた。しかし、自らを犠牲にしてまで、命を狙った者にさえ、救いの手を差し伸べようというのか。言葉だけでなく、行動で。力ではなく、愛を訴える。あの方はどこまでも――


「もういいですよね・・・・・・次の話をしていいですか?」


 ピアが言う。


「あ、ああ、すまない」

「どうしてお嬢様がここにいるのか、ですね。あなたがお嬢様をヴェルガへ逃がしてくれた後、私たちが保護しました。私たちはヴェルガの現政権を打ち崩すべく集ったレジスタンス、ってところです。軍部の奴らより先に保護できてよかった、皇室へ連れ戻されたらなんだかんだ言いがかりつけられて暗殺されてしまいますから。あの方は死んだらいけない人、あなたもそれはわかるはずですよね」


 私は肯定して頷いた。


「でも、私達は反逆者。今は逃げ回るしかない。お嬢様は逃亡生活の中で、国を立て直す計画と同時に、あなたのことを調べていたみたいです」


 ピアは話しながら、私に水を飲ませてくれた。冷水が臓腑に染渡るのが心地よく、私は喉を鳴らしながら飲んだ。喉が潤うと、眠気が少し遠のいていった。


「このビレに来たのだって、あなたのため」


 ピアが重苦しいカーテンを少し開けた。眩しくて目の奥を焼かれるような痛みを覚えた。


「ビレにいればヴェルガの追手は手を出せない、国際問題がありますから。もっともな理由ですけど、あなたを見るお嬢様の目を見て思いました・・・・・・お嬢様は、桜花国に捕らわれているあなたを助けるためにここを選んだんじゃないかって」

「な!? クリステル様が」

「あなたのことは聞きました。命を懸けてお嬢様を救ってくれたんですよね、だから恩人のあなたを助けるためにビレへ。ここなら桜花に近い、隙を見て侵入し、あなたを助け出すつもりだったんです」

「危険すぎる。命を狙われているんだぞ、もし桜花軍に捕らえられでもしたら――」


 ピアは無言で私を睨んだ。


「もっと早く気づいていたら、ビレに来ることは止めていました。そうしていたらあなたのお友達に襲われることもなかった」


 私の心が悲痛でさっと凍り付いていく。

 この少女はルリが許されたことを解しかねているであろうことが伺える。

そして、私がクリステル様の傍にいることも。


「お嬢様にお礼を言ってください。まだご自身の傷が癒えていないのに、あなたの看病をしていたんです」


 少女が私の診察を終え、医療道具一式を鞄に詰めている時、部屋の隅で身を縮めるようにしている愛刀が目に入った。

 それから彼女は声をひそめて「これだけは言っておきます」と言った。


「あなたがお嬢様の命を救ってくれたことは感謝しています。でも、あなたがいるとお嬢様は危険を侵す。今のお嬢様にはヴェルガの未来と、あなたを天秤に掛けることできてない。皇女は国のために、残酷な選択をしなきゃいけない時がある。でも、あなたの存在はお嬢様の中で大きすぎる。何よりもあなたを優先させると思う。それが凄く心配です」


 彼女は前にも増して私を睨んだ。私は何も言い返さなかった。ピアの言っていることは事実だと思ったからだ。

 大切な人が危険に晒されれば、私は命を惜しまず助けに向かうだろう。軍人なのだから、命を捧げて死ぬ覚悟はできている。


 だが、クリステル様は違う。一国の運命を担っているため、どんな犠牲を払ってでも生き続けなければならない人だ。それなのに、命を顧みず敵だらけの桜花へ潜入しようなどと無茶が過ぎる。

 彼女が私に向ける想いはどの花よりも芳しく、如何なる神の恩恵にも勝るものだ。クリステル様に傍にいてほしい。だが、その望みと悦楽は罪だ。多くの民が彼女を慕っているのは知っている。


 彼らが年若い皇女に惹かれる理由は、かつての演説にあるのではないだろうか。敗戦国の人々を奴隷のように扱うことを戒めたあの訴えだ。民はクリステル様が全ての人間に平等な愛を注ぐと信じている。一人の人間に固執し、従者を引き連れて危険を侵している今の姿を見れば、民はきっと失望するだろう。


 私もピアも何も言わなかった。そのせいで室内は闇に沈んだようだった。その中で私達の鼓動の音だけがやけに大きく聞こえた。


「お嬢様にはあまり時間がありません。残された時間をあなたと共に使おうとしてる。私はそれが嫌でたまりません」


 ふうふう、と私を威嚇して息を吐いていた。ピアの口調は、私のことが憎くてたまらないといった感情と共に、自分を責めているようでもあった。


「時間がないとは?」

「もともと長生きできない人もいます」


 そんなふうに言うから私は心配になった。


「病気は治ったはずだ。あの泉の水を飲んだのだから」

「医者として納得できませんけど、確かに病気は治っていました――不思議な力で病気が治っても、一生のうちに使う鼓動の回数はごまかせない。人間は生まれた時から、死に近づいてく。それは誰にも止められない。あの方はもともと長生きができない体質」


 目の前が揺れるような気がした。私は気圧されたように口をつぐみ、ピアを見た。相変わらず暑さには平然としていたが、今はやりきれないと思いからか、眉間に皺を作っていた。


「嘘だ、そんなこと」

「私は医者です。体のことで嘘は言えません」


 ピアは「ちょっと痛いですよ」と言いながら腕に注射をした。いつ針が刺されたのかわからなかった。


「できるならあなたをお嬢様から引き離したいです。でも私にはアヤメみたいに、お嬢様を守る力がない。刺客から守りきれる自信がないの、だからあなたの力に頼るしかない――自分の無力さが嫌になります、襲撃者からもお守りできず、寿命も伸ばしてあげられないなんて」


 クリステル様と再会できたことで浮かれていた心を萎ませるに、十分すぎる現状であった。芳しくないことばかりで、私は言葉を失い、部屋がいっそう静かになった。


「あなたの血液検査したら、見たことない薬品が多く出ました。体に馴染んでるから、定期的に薬を投与されていたのでしょう。ヴェルガでも似たようなことがあったからわかります。たぶん、人体実験の類でしょう。この薬はもう二度と体に入れないことです、次に入れたら心臓が破裂して死にますよ」


 ピアは呆けている私に背を向け、隣室へと歩き出した。

 窓の外は生命力に溢れた光で満ちている。暢気な表情を浮かべている外の世界に対し、憂鬱な状態の私は表情を固くしていた。


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