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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
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真解放

歯を食いしばって立ち上がり、一歩を踏み出した所で異変に気付いた。

急に体の痛みが消えた。

あれほど荒れ狂っていた痛みが、砂に染み込んだ水のようにすぅっとなくなった。左腕も今は静かなものである。


「血が、止まった」


 腹部に触れたことで、傷が塞がったことも分かった。


――どうして急に


 気分がいい。血を流しすぎて朦朧としていたのに。

 足を踏み出すことを躊躇っていると、見たこともない花びらが視界に入った。桜色のそれは、ミリ単位の小さなものから、一センチ近い大きさまで様々で、空から次々に降り注いでいた。

 桜の花びらによく似ていた。この庭園にこんな花が咲いていただろうかと空を見上げてみて気づいた。これは空から降っているのではない。私の体から発せられている。

 全身から無数の桜色の輝きが飛び出している。それらは尽きることなく、私の周囲を漂い続けていた。


 なんだこれは。


 今まで感じたことがない。こうも体に力が漲るなど。数多の生命の息吹を一身に受けているようだ。

 私はこんな力を持っていたのか。

 父からも天姫さまからも聞いていない。

 この力の源は何かと考え、すぐに思い当たった。


「そうか。私の体を通して出る力は」


これは今まで私が奪い、ため込んできたもの。それが土壇場に追い込まれて覚醒したのだ。

数多の命の力が溢れてくる。ならばこれは、もう一つの解放。

心の中で様々な葛藤が生まれたが、すぐに気を鎮める。


「すまない。今は皆の命、使わせてもらうぞ」


 走り出した所で思い切り転んだ。

 少し力を入れただけの一歩だったのだが。足は空を滑り、重厚な門を吹き飛ばし、それでも勢い衰えず、城内の石柱を破壊してようやく止まった。立った一歩で数十メートルは突き進んだ。


「制御が難しいな」


 門と石柱を破壊してしまった。体に痛みはない。立ち上がり、肩の埃を払ってエルフリーデの気配を探る。


「上か」


 一刻でも早く辿り着きたい。あいつの傍に、クリステル様もいるはずだから。

 周囲を見渡すと、上へと続いている螺旋階段が見えた。下から見上げると巻貝の中にいるようだ。この階段の奥に奴はいる。


 もっと早く。階段を上っている暇はない、走るのではなく飛ぶのだ。そう念じて足に力を込める。膝を曲げると体内に力が凝縮されていくのがわかった。溜めたものを一気に解き放つ勢いで飛ぶ。

 グン、と景色が凝縮された。石造りの螺旋階段を砕き、即座に頂へ。

着地と同時に大広間へと繋がる扉が見えた。隙間からは赤い光が滲み出ている。


「ここか」


 扉に軽く触れると、容易く粉微塵となった。

 天井に浮く五つの石が部屋を赤く染め上げている。それに手を翳しているエルフリーデと、床に倒れているクリステル様が見えた。

 


・・・・・・・・・


 懐かしい香りと、覚えのある優しい手つきが体を包み込む。

 せめてもう一度だけ会いたいと願った人の顔が浮かんできて、涙が零れそうになる。


「クリステル様」


 その声が意識をはっきりさせた。

 胡乱でいた瞼を開けると、よく知っている人が映っていた。

 朦朧とした意識だったから幻覚だと思っていたのに。


「アヤメさん」


・・・・・・・・・・



 クリステル様を抱き上げる。

 体が汗ばんで、意識が朦朧としているが命に別状はない。命に別状はないのだ。

 私を見て困惑していた様子のクリステル様だったが、すぐにいつもの微笑みをくれた。


「光がたくさん。綺麗、だよ」


 私の頬に触れるクリステル様の手。懐かしい温もりだ。柔らかく、温かい体も。微笑みながら涙を流す姿も。全てが生きていることを証明してくれる。

 コツン、と額と額を合わせる。この温もりを、もう失うわけにはいかない。


「髪、下ろしたの?」


「はい」


「素敵よ」


 リボンはちゃんと左手に結んであることを告げようとして、やっぱりやめた。それよりも先にしなければならないことがある。


「ここでお待ちください。終わらせてきます」


「うん」


 クリステル様を降ろし、「ツバキ」と声をかける。エルフリーデに斬り裂かれたはずの霊獣は、思った通りすぐに現れた。私の体が万全であれば、宿るツバキも回復するらしい。


「ここを動かずクリステル様を護れ。できるな?」


 ツバキはゴロゴロと喉を鳴らし、クリステル様を囲うような体制を取った。


「素直になったな。最初からそうあってほしかったが。さて」


 宿敵に目を向けると、奴もまた私を見ていた。


「よくもクリステル様に」


 カッと、瞳を開いたエルフリーデの両手から雷が放たれた。片手ではなく、両手で放たれるあれを見るのは初めてだ。瞬きよりも早く、電光は数十メートルの距離を潰してきた。

 私は後退せずに踏み込んだ。

 刀の先端を雷の隙間に差し入れ、一本の線の如く貫く。霧散した雷を見てエルフリーデの表情に驚愕の色が走る。間髪入れずに距離をつめて懐に忍び込み、横薙ぎに刀を振った。

 風を断ち切った刃は剣の防御をすり抜け、胸部に届いた。エルフリーデが咄嗟に後方へ飛んだため、感触は浅いものだった。


「っが、くっ」


 胸からの溢れ出た鮮血が、床に惜しげもなく滴り落ちている。ボタリボタリと落ちる血を、奴は薄ら笑いを浮かべて見つめていた。


「バカな。その桜吹雪のオーラなら、対応できるはず。天姫にだって――」


 口元の血を拭ったエルフリーデがこちらを睨みつける。


「その色」


 体から出る霊気は桜吹雪を模っている。それに染められたか。刀身に映る私の髪は桜色に、瞳は緋色に変わっていた。

 桜色の髪と緋色の瞳。これが解放した私の姿。第一段階でも第二段階でもない。これは根本的に全く別のもの、新たな解放だ。


「桜色か。文字通りの桜花人ね」


 エルフリーデがヴァーミリオンに手を翳す。


「エルレンディアとヴァーミリオンの力には天姫すら敵わない。あなたがいくら強くなろうとも、ここで戦う限り私の敗北はない」


 たったいまついた胸の切り傷が消え、奴の目に力が戻った。

 神と呼ばれ崇められた二つの存在。星の意思たるエルレンディアとヴァーミリオン。膨大な力は多くの不可能を可能とさせる、世界を統べることもできれば、まるごと作り変えることも。念じただけで、理を覆せる力は脅威てきだ。


「最後まで楽しませてくれたお礼よ。全身全霊でぶつかってあげる」


 赤い光を一身に受けたエルフリーデは、宿るバイズを数十倍に引き上げた。力の上昇は衰えない。エルフリーデの体から眩い光が発せられ、皇帝の間を白一色にした。

 突撃に備え、きっと睨みをきかせた瞬間だった。エルフリーデの剣がこちらの胸元を指して、紫電の如き速さで迫った。それに応じて私も飛び込んでいく。


「はっ!」


 エルフリーデが手を素早く振り上げ、剣を投げた。宙を飛んで迫る白刃、電光の如き横薙ぎで払う。戛然の次の瞬間、吹き飛ばしたはずの剣が吸い込まれるようにエルフリーデの手元へと収まった。いち早く刀を構えなおした所で、ガッキと十字に組まれた。


 圧し合う剣の切っ先を一歩も譲らず、互いの間に霊力とバイズが交わって爆ぜた。飛びのいた瞬間、即座にまたぶつかり合う。双方が同じ力を持つ者同士の激突。疾風の如く、雷電の如く、刀と剣がいくども馳せ違え、ぶつかり合った。

 ぶつかり合うたびに、エルフリーデの表情がサッと苦痛の色に浮かぶ。剣が左肩、右肩を深々と斬りつけたためだ。


「っく!」


 苦し紛れにはなった上段切りを受け流し、拳で思い切り殴りつけた。


「ぐあっ!」


 床に罅が入るほど、深々と叩き付けられた奴は、それでも横目でこちらを睨んだままだった。とどめ、と剣を心臓へ突き刺そうとした時、刀の切っ先に手を翳した。刃はエルフリーデの手に届くことなく、ピタリと制止した。


「ぐぅぅぅう」


 エルフリーデの喉から、野犬の唸り声にも似たものが漏れた。それほどに追い詰められていると、当の本人が一番痛感してしまうような声だった。


「はあっ!」


「っち」


 突き刺そうとした刀は、エルフリーデの剣で弾かれた。そこから私たちは示し合わせたかのように飛び去り、床の上に佇立した。

 互いに剣を構え、相手の目を睨みつつ呼吸を図る。息詰まる静寂が辺りを包み込んだ。

 次の一撃が最後と、剣を持つ者同士が理解していた。


 アヤメ


 声が頭の中に響く。


 辛い出来事や痛みを正しい力に変えることが正義であるなら、私のしようとしていることは正義のはず。この世界は滅ぼさなければならないのよ


 私は目に力を込めて言い返す。


 世界を憎むな。かつてお前が信じた正義はある、人間の心に必ずあるんだ


「愚かね」


 エルフリーデと私は同時に飛び出した。

 エルフリーデ放った片手平突きに、左肩を向けて体ごとぶつかっていく。

 肩口を僅かに剣で斬られたが、奴の懐に入り込むことができた。

 逆手に持った刀。それにあらん限りの霊力を込め、弧を描き垂直に跳ね上げる。

 エルフリーデが咄嗟に手繰り寄せた剣とぶつかり、鋭い戛然と白い火花が散った。


「っぐぬうううううう!」


「おおおおおおおおお!」


 刃で結ばれた私たち。間近で叫び合い、互いの鍔を押し付け合う。

 私の剣に圧され、エルフリーデの体が浮き上がった。


 ――今!


 ダン! と地面を蹴り上げ、腕力に意識を集中させる。

 瞬間、ガキイインと鼓膜が破れるほどの音が響いた。

 エルフリーデの剣が中ほどから折れた。


 同時に刃がエルフリーデの腹部に斬り込んだ。そのまま胸骨を斬り裂き、中心にある心の蔵を真二つに斬り裂いた。


「がはっ!」


 エルフリーデの口から血があふれ出たと同時、斬り上げた刃が体内から躍り出る。地に沈むように両膝をついたが、そこからしばらくは倒れずに呆然としていた。心臓を切ったのに、まだ息があった。かすれた呼吸をし、私の目をじっと見つめてきた。


 それを最後に、血だまりの中へ前のめりに倒れた。

 赤い石が光を送っていたが、その体は全く動かない。

 桜吹雪と鮮血の雨の中、決着はついた。


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