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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
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天姫の独白

 現在 桜花国 宮殿


 丑の刻。

 桜花国宮殿には刃の如く研ぎ澄まされた月の光が降り注ぎ、周囲はこの時刻特有の青白い光で満たされていた。


 今夜はその年でも一番の冷え込みである。冷え切った空気に、土も草も表面に氷が張るほど。

 そんな夜であっても、神職に就く者達の中には水垢離をする役目を持つ者もいる。

今宵は武神村正に祈りを捧げて満願を迎える日。祈り役として選ばれた巫女が、井戸の水で体を清めている。

静かな夜に、バシャリと水の跳ねる音。桶を頭からかぶった巫女がかぶりを降り、月明りに水飛沫を光らせていた。

 その様子を宮殿内の庭園から見ていたのは天姫である。

 天姫は今まで空を見上げていたが、井戸の滑車がギキーと鳴るのを聞いて視線を巫女に向けたのだ。その視線を感じ取った巫女もまた天姫を見た。


「天姫様」


「おう、この寒いのにご苦労じゃな」


「何事も慣れですよ。私はもう慣れちゃいました」


 にこやかに言う巫女であるが、見ているだけで寒気がしてくる。巫女とは難儀な職業だ。庭園の椅子に座っているだけの自分は恵まれている、と天姫は思うのだった。


白装束で水浸しの巫女は、この寒さを気にするふうもなく、ひたひたと歩み寄ってきた。


「珍しいですね、天姫様が外にいるなんて」


「まあちょっと、気になることがあるからの」


「それも珍しいです」


 濡れた髪を拭きながら巫女は言う。


「何をご覧になっていたのです?」


「遠い遠い国での。ちょっとした賭け事の行く末を見ておる」


「気になるのに、見に行かないのですね」


 不思議そうな視線を向けてくる。

 この巫女は九つの時からこの宮殿に仕え、この十年間は天姫の日常的な世話もしてきた。掃除に洗濯、食事は主に任せきりだった。それ故に天姫との距離は他の巫女よりは近い。天姫の性格をよく把握しているのはそのためだった。


 普段は引きこもっているが、面白いことを見つけるとすぐさま飛び出していく天姫の性格を知る巫女は、「気になることがある」と言ったのに、なぜこの庭園に留まっているのかがどうにも解せない様子である。


「わらわにも敵わぬことはあるのよ。ここで成り行きを見守るのが精いっぱいじゃ」


「またまた御冗談を」


 天姫に不可能なことなどない。それを知っている巫女は口を袖で隠してホホホと笑ったが、天姫はそれに応えなかった。


「それで、賭け事の結末は見えそうですか?」


 すぐさま話題を変えると、天姫が口端を吊り上げて笑った。


「絶望的じゃの」


「絶望的。どの程度です?」


「例えばの、腹を剣で突き刺された人間が五体満足の敵と戦って勝てると思うか?」


「それは、無理なのでは?」


「そういうことじゃ。だから絶望的じゃ――今のところはの」


「今のところは、ということは逆転の見込みがあるということですか?」


「さあの」


「さあっ、て」


「わらわにもわからんのじゃ。それよりお前は早く体を拭け。この寒さの中いつまで水浸しでいるつもりじゃ。風邪じゃすまなくなるぞ」


「平気ですよ私は」


「ぬしを見ているわらわが寒いのじゃ。はよう行け」


「天姫様こそ、いつまでもこんなところにいては風邪をひいてしまいますよ」


 しっし、と手を振ると、巫女はベッと舌を出してにこやかに去っていく。こんなやり取りができるほどには仲が良いのだ。


「風邪、か。バカな」


 自嘲気味の笑みが漏れる。

 わらわは病気になったりせん。死ぬこともできん。それを知っているのは、もう限られた者のみじゃの。極寒の庭園と星空の下ではあるが、天姫が見ていたのは遠い昔の記憶。桜花国民の半数の命を喰らった椿之須毘(つばきのく)(すび)と戦った日の記憶であった。

 

 戦いは七日七晩続いた。互いに全力で戦い、遂に決着の時が訪れた。


――割に合わん相手じゃった


 何度思い返してもそう思う。

 怪猫の力の根源は吸収。物や人の持つ寿命、体力、天から授かった運気や因果までも吸い取る。椿之須毘(つばきのく)(すび)が道を歩けば、それだけで数百人が死に目に遭った。吸い取ったものはそのまま自身に還元し、力として蓄えることができた。何度、斬りつけても倒せないのだから驚異だった。

 だが、とどめをさす寸前で、もう一つの能力を知ることとなった。吸収だけではなく、付与もあったのだ。


 何を思ったか、奴は死の直前に奪った生命を全てわらわに吹き込みおった。おかげで死ねぬ体のできあがり。死ねないのが、これほどの呪いになるとは思いもしなかった。


 だから怪猫の一族は気に入らない。


 死神共の顔を見ると、椿之須毘(つばきのく)(すび)の顔がちらついて苛立つ。


 アヤメよ、怪猫一族は命のことなら自由自在という恐ろしい能力を持っておる。じゃが、ぬしは力を恐れるあまりそれを使うことはなかった。


 唯一、使ったのは金髪の小娘が死にかけた時。あの時は付与の力を使った。


 今、ぬしはあの時と同様に死にかけておる。


 これまで無意識のうちに吸い取り、貯めた他者の命。今こそ使う時ではないのか? 

なんのためにわらわの霊力を与えたと思っておる。左腕を制御するためだけではないぞ。

 本当の力はまだ別にある。

 それはぬし自身で気づかねばならんのじゃ。


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