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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
157/170

反乱~第七環境地区 聖堂前~ 償いは晴天の下で

「うくっ、っく」

 

 むくり、と起き上がったのはアリスの方であった。


「はぁはぁ、はあはあ」


 激しい頭の痛みを鎮めるように、呼吸を荒げた。ぼやけた視界で周囲を見渡すと、剣はすぐそばに落ちていた。


「・・・・・・」


ソニアの剣が砕け、双方ともに吹き飛ばされはしたが、どちらも致命傷は受けていない。ならばまだ、戦いは終わってはいないのだ。確実にとどめをささなければ。

 薄れる意識の中、そう判断した。

 剣を拾い、立ち上がったとみるや、ぐらりとよろめいて片膝をついた。

 肩を大きく上下させてみるが、呼吸が上手くいかない。全身から力が漏れていくようであった。


 ソニアの放った強力な一撃。

ヴァーミリオンの破壊はできずとも、アリスの体に著しい損傷を与えていた。今や足は震え、腕は痺れて感覚を失い、焦点も定かではない。全身が悲鳴を上げている。

 剣を杖に、ずるずると足を引きずって前に進む。

 ようやく倒れ伏しているソニアの元へ着き、剣の柄を強く握りしめた。


 既にソニアの体に光の力はない。髪の輝きも、目の輝きも消えており、鋭利に尖っていた耳もまた元に戻っていた。

一目見て、事切れていると判断できる。打ち捨てられた体は、それほどに痛ましい姿であった。

 だが、アリスは剣の先端をソニアの心臓に向けた。


――この者は油断ならない。確実な死を


 そうして剣を振りかぶった時である。

 ドクン! と全身を貫かれたような震えが走った。


「あっ! ぐぅぅっ! ああああああああ!」


 と、異様な叫びを上げたアリスが前にのめった。


「あああああああああ! あああああああああああああああああ!!」


 苦痛に表情を歪め、頭を抱えて蹲る。同時に額のヴァーミリオンの輝きが、急速に失われていった。ひとしきり悶えた後、ふと顔を上げたアリスの目は、赤黒い色を失い、常のような緑の色に戻っていた。

目の前で倒れているソニアを見てハッとする。

同時に、ここ、第七環境地区に来るまで、殺めた人間の顔が浮かんだ。


「そんな・・・・・・私は、私は何をっ、なんてことを」


落ちていたガラス片に、自分の姿が映っているのを見た。

額のヴァーミリオンの光が今は失われている。

今であれば、そう思ったアリスは剣の刃を自らの胸に向け、そして――


「許してね、アウレリア」


一思いに突こうとした時。


「うっ!」


 悪夢から覚めたのは、ほんのひと時であった。再び体がよじれるほどの激痛に襲われた。

 痛みの元は額のヴァーミリオンである。この魔石は、闇の心を否定するアリスを決して離さない。


「あああ! うっ! うあああああああああ!」


ガシャン、と音を立てて剣が落ちる。アリス自信もまた、ばったりと地面に倒れ付した。


 石畳についた手が、痛いほど強く握りしめられている。土だらけの地に、白い頬を擦りつけて悶え続ける。手足をいくら動かしても、苦痛を逃す術がなかった。


「うぅ、ああ」


 苦しみにもがく中で、チャリン、と透き通る音を聞いた。

 見れば鎖骨から零れたチェーンが地に落ちていた。ソニアとの激突の際、光と風の衝撃で服の胸元が破れていた。そこから零れ落ちたのだ。


「っく」


 水をすくうように、チェーンを掌ですくい上げてみる。そこには指輪があった。


――アウレリア


「がっ! うぅぅぅっ!」


――お願い、お願いよ


 アリスは指輪を両掌で包み込み、それを胸に抱いて悶えた。


――あの子は、あの子だけは傷つけたくない。護りたい、そう思うから。だから


「ああっ!!」


 ドグン! と先ほどよりも大きな衝撃を体全体に感じた。ビクンと跳ね上がったアリスの体が、しばしすると全身の力が抜けたようになった。そうして、再び立ち上がったアリスの目は、赤黒く変色していた。ヴァーミリオンの赤い輝きも、元に戻ってしまっていた。


落とした剣を再び拾い、ソニアに突き刺そうとした。

 その時である。


「アリス!」


 聖堂横にある径に、アウレリアが立っていた。

 髪も服も乱れた姿である。途中で転んだのか、膝には擦り傷ができており、白い頬は汗と涙のつたった上に埃を被り、黒く汚れてしまっていた。胸元で抱きしめるように持っているのは、ヴェルガ皇女のみが持つ銀色の懐剣であった。


「ソニア・・・・・・あなたがソニアを?」


 アリスがゆっくりと振り向く。その瞳が未だ赤く染まっていること、そして彼女の足元で倒れているソニアを見たことで、アウレリアは懐剣を握る手に力を込めた。


 アウレリアの瞳に一瞬、暗いものがほのめいたが、きゅっと唇を結び、凛然とした表情でアリスを見た。


 悪夢を見た。アリスが幾人もの大切な人を奪っていく夢である。

悪い予感は的中した。現に、アリスは倒れたソニアに剣を突き刺そうとしていた。


「ピアだけでなく、ソニアまで」


返事はない。


「もうやめて、誰も傷つけないで。その赤い石。 それがあなたに、酷いことをさせるのでしょう? お願い、元に戻って・・・・・・で、できないと言うならわたくしが」


 アウレリアは懐剣の刃を抜いた。両手で柄を掴み、その切っ先をアリスの胸元へ向ける。


この懐剣で止められるとは到底思えない。戦闘における実力差も明らかである。アウレリアはそれでも向き合うことを決断した。


今アリスを止めなければ多くの人が犠牲になるのは明白であった。


――わたくしが、止めなければ


アリスが石に操られているのは、察しがついている。

このまま操られ続ければ、多くの人を殺めてしまうことも。


愛する者が罪を背負うのであれば、寄り添う自分もまた同じ罪を背負う覚悟。例え地獄へ落ちようと、自分だけは最後までアリスの味方でいようと決意していた。


しかし、アリスが人の道を外そうというのなら、止めなければならない。


味方であるからこそ、愛しているからこそ、命を奪うという悪の所業、断じて看過することはできない。



「わたくしのことを、まだ愛してくれているのなら、もう一度名前を呼んで。お願いです」


 アウレリア


 優しく髪を撫でながら、そう呼んでくれた夜を思い出す。


アリスが剣を手に、無言でアウレリアへ迫っていく。その瞳に、かつての光は全く消え失せていた。


「アリス」


淋漓(りんり)と頬を涙がつたった。


手が震えたため、懐剣の切っ先も揺れた。


「お願い、愛していますの。大好きなんですの」


肩を張りつめ、悄然(しょうぜん)と嗚咽を飲みこんだ時である。



「にげ――さい」


アリスの声にハッとした。


「にげ、て。はやく」


剣を手に迫るアリスは苦悶の表情で、アウレリアに逃げろと訴えかけていた。


「アリス」


「ばか、早く逃げて、はや、く。はやく! 早く!!」


鬼気迫る叫びを上げたアリスを前に、アウレリアは微笑んだ。

何事か呟いたアウレリアの瞳に力が宿った。

懐剣を握る力が強まったと同時、手の震えは消えていた。


「ふふっ」


次に聞こえたのは強ばったアリスの笑い声。常よりアウレリアに向けているものとはかけ離れた、憎悪が込められていた。


「やめて、お願い。その子だけは」


また次に聞こえたのは、懇願の声である。

悲しみに歪む表情は、しかしすぐに、邪悪な微笑みにとって変わった。


ピアをあやめてしまった時に見せた、恍惚とした笑みと同じである。


瞬間。アリスは胸のチェーンを引きちぎり、指輪をかなぐり捨てた。

放られた指輪が弧を描いて落ちた時、アリスは地を蹴り、恐るべき速度でアウレリアとの距離を詰めた。避けることなど、到底不可能な速さであった。振りかぶった剣が、瞬きする間もなくアウレリアの胸元へ振り下ろされた。


ドキュッ! という衝撃がアウレリアを襲った。


鮮血がほとばしる様は、華の開花の如しであった。


瞳を大きく見開いたアウレリアの頬に、血飛沫が飛び散る。

足元の血溜りは、既に靴底を赤く染めていた。


「あ、あぁ」


アウレリアが絶望の声を漏らす。



懐剣が、アリスの胸に深々と突き刺さっていたのである。



ガシャン、と音がした。アリスの剣が落下する音である。斬られたと見えたものは錯覚であった。アリスは剣を振り下ろす寸前で、上空へ放り投げていた。空の手のまま、殺気のみを飛ばしていたのだ。


あの土壇場で、アリスはヴァーミリオンに打ち勝った。大切な人を護るため、闇を振り払ったのだ。

しかし、勢い止まらず、そのままアウレリアの懐剣に飛び込んでしまったのである。

刃はアリスの胸に深々と飲み込まれていた。プッ、と吐き出された血が、アウレリア頬に飛んでいた。


ぐったりとしたアリスを支え、互いに抱き合うようにして、血溜りの中にへたりこんだ。


「アリス」


アウレリアが呟いた時、アリスの額に埋め込まれていたヴァーミリオンが碎け散った。

はぁぁぁ、と。アリスの口から、長い安堵の吐息が漏れた。口の端からは血が流れ落ちていたが、苦痛とは不釣り合いな、清清しいものであった。

顎をアウレリアの肩に預け、自らの方へ抱き寄せた。


「よかった・・・・・・よかったわ」


そう呟いて、震えるアウレリアの頭を、何度も撫でるのだ。


「私のこと・・・・・・止めに来たの?」


「あ、あぁ、ふっ」


「いい子ね・・・・・・アウレリアは、本当にいい子・・・・・・」



アリスが掌をかざすと、落ちていた指輪がふわりと浮いた。そのまま、アウレリアの眼前に運ばれていく。


「血でね、汚れちゃうと思ったから外したの」


「ふっ、ひっ、わたくしは――」


アリスがいくら頭を撫でてあやしても、アウレリアの震えは収まらなかった。


「ねえ、ほら。指につけてよ」


想い人を刺してしまった衝撃から、アウレリアの思考は完全に停止していた。言われるがまま、血まみれの手で指輪を掴み、アリスの左手、薬指に通してみせた。血で赤く染まった銀の指輪は、なんの抵抗もなく指にはまった。


微笑んだアリスが、左手を空に向けた。陽を浴びて輝きを放つ指輪は、本当に美しかった。今までで身に付けてきたものの中で、一番の耀きであった。


「ふふ、あはは。綺麗だわ・・・・・・アウレリア・・・・・・ごめんね」


アリスがそれから口を開くことはなかった。

空に向けていた左手は血溜りの中にパシャリと落ちた。


アリスの体から力が抜けたのを、アウレリアは確かに感じ取っていた。たった今、腕の中にあった命が消えたことを理解した。


「あっ」


アリスの体から、鼓動が消えた。


「アリス、アリス」


思い出したのは、母が死んだ日のこと。


あの時も突然に命が終わりを迎える瞬間を見た。それと全く同じであった。


感情が消えていく。

何も考えられなくなる。


真っ暗な世界に、一人だけ取り残されたような感覚に陥る。次第に周囲の景色も、音も消える。暗闇の中、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。


ドン! という炸裂音が響き、アウレリアの体がはね上がった。


戦いは未だ終わってはいない。どこか近くで、爆弾が破裂したのだろう。その音がアウレリアを現実に引き戻したのである。


「アリス、ねえアリス。帰りましょう」


揺さぶっても、答えはない。


「帰りましょうよ。わたくしたちの家に帰りましょう。話したいことがたくさんありますのよ。だって、まだわたくしたち、出逢ったばかりで」


ただ、体が重くのし掛かるだけである。


「・・・・・・うそ、ですわ。こんなに温かい。まだ体がこんなにも温かいのに」


そこまでが限界だった。


もう認めるしかない。アリスは二度と、自分に微笑みかけることも、触れることもないのだ、と。

どんなに泣こうと、決して答えてくれないことは知っている。母が死んだ夜も、あんなに泣いたのに、母は――


アウレリアは泣いた。


爆音が響き、煤が漂う戦場の中。


アリスを抱きしめ、青い空を見上げながら、大声を上げて泣いた。




第七環境地区、聖堂前の戦い


ソニア、アリス共に戦闘不能

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