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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
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ソニア対アリス 4

「っくはっ」


 弱々しい吐息を吐き出したのは、敵を吹き飛ばしたソニアの方であった。


 アリスはまだ生きている、そう確信したソニアは額に滲んだ汗を拭いつつ、追撃をしかけようと歩き出す。その姿は誰が見ても憔悴しきっていた。こめかみから滝のような汗が流れ落ちており、剣を構えていた腕もだらんと下がり、歩く様もどこかしどろもどろであった。


「まだまだ。あっ!?」


 石畳の僅かな段差に足を取られ、ついには片膝をついてしまった。


「はは、ははは。まいったな」


 立ち上がろうとしたが、足に根が生えたかのように体が動かなかった。


「ちょっと休憩――まだやれるけど」


 ソニアが呟いた時、百メートル先の瓦礫(がれき)の中からアリスが姿を現していた。

 ファルクスの剣の一撃を腹に受け、吹き飛ばされた勢いで住宅街を三軒ほど貫通した。バイズでの防御を破られた。その事実をアリスの中に眠る感情は重く受け止めていた。


――思ったよりも厄介だ


 額のヴァーミリオンが、これまでにないほど光る。


――あの剣士を一級の障害とみなす。全力を持って排除する


 その赤い光が、片膝をついているソニアの目にも届いた。急に周囲の空気が鋭さを帯びたが、これもまたソニアは感知していた。常識外れの、あまりにも禍々しい闇の力。一個に宿すには、強大すぎるものであった。

 ズズズ、と地面が動いた。



 ソニアは微細な揺れを感じた。

 遥か東の桜花国は地震の多い国であるが、ヴェルガは数百年に一度というほど少ない。それ故にヴェルガ人は僅かな地面の揺れにも敏感である。

 揺れは徐々に大きくなっていく。初めのうちは立っていられたが、今はそれも難しいほどに大きくなった。大地の底で巨大な蛇がのたうち回るようであった。

 足場が不安定では急襲に備えられない。ソニアはすぐさま空へと逃れた。


「これは!?」


 あり得ないものを見た。

 街が浮いているのだ。第一環境地区から第七環境地区、ヴェルガ城に至るまで、首都全体が浮遊している。先ほどの地震は、首都が浮く際に発せられたものとみて間違いない。


「こんなことって」


 上空からは首都の隅々まで見渡せる。既に大地から数十メートルは浮いていることが見て取れた。


――自然に浮いているんじゃない。街全体が何かの力に覆われてる


「まさか」


 驚愕していたソニアが目を向けると、ちょうど建物の中から姿を現したアリスとはたと目が合った。両手を広げ、掌を上にしてクツクツと笑みを浮かべていた。ソニアの背筋にゾクリとした怖気が走った。

 これはアリスのデモンストレーションなのだ。これほどのことが容易くできる、お前の首を取ることなどもっと容易いぞ? そのような意図が伝わってくる。

 すっとアリスが手を降ろした瞬間、浮き上がっていた首都も落下した。ズズウンと下腹に響く音が鳴り響いた。ヴェルガの首都といえど、地震の対策が行き渡っている建物は城や聖堂を含めた一部のみ。家屋や見張り塔など、多くが音を立てて崩れ落ちた。


「なんてこと、なんてことするの!」


いくらエルフの力を覚醒させたとはいえ、これを阻止する手立てはソニアにはなかった。その無念から鋭い声を発した時、アリスが再び掌を上に向けた。再度、あれをやられてはただでは済まない。より多くの犠牲が出てしまうだろう。


「やめてー!!」


 絶叫が響いた。

 ソニアは先刻のように、剣に力を込めた。

 空中から一直線に相手へ斬り込む一撃。高速と強大な威力を兼ね備えた技を、再び繰り出そうというのである。

 アリスの体から発せられるバイズが強大であることは感じ取れる。斬りかかれば相手よりも、自分の方が甚大な痛手を被ることも予想できる。それでもソニアは行かなければならなかった。


アリスに向け全霊をかけて突っ込む。


ボッ、と空気の壁を突破したと同時、並々ならぬ暴風が吹いた。常人であれば殴りつけられたような衝撃に気を失ってしまうだろう。ソニアの技はまさに超自然の域。おおよそ人の理解と範疇を超えた威力であった。


ふふっ


 豪秒の最中、ソニアは確かにアリスの笑い声を聞いた。


――うそ、声なんて聞こえるはずない。あれ? なんか景色がゆっくり流れて・・・・・・


 ガン! という衝撃にソニアは思わず「あう!」と悲鳴を上げた。巨人の手に押さえつけられたような、言いようのない不快感を覚えた時、自分がどのような状況に陥ったのかわかった。

体がアリスに届く寸前で制止している。


「はッ」


 ソニアが驚愕に慄く。

 ファルクスの剣の光は弱まっていない。それであるのに、アリスは涼しい顔をしている。


「届かない、どうして」


 無表情であったアリスに、快然たる笑みが浮かんだとき全身を貫くような恐怖に襲われた。眼前にいる敵を前に、体を拘束されて動くことができない。

 その時、エルフの武器たちが一斉に動いた。

 ソニアを救うべく、中空にあった弓が再び光の矢を放つ。残っていた剣や槍もまたアリス目掛けて突貫した。


「待ってみんな! そんな一度にっ! アリスを殺しちゃだめ!」


 ソニアの叫びに、武器たちは応えない。

 エルフの武器たちはソニアの意思で動いているのではない。ソニアを主と認めた瞬間から、各々の意思で動いている。主を守るため思考し、最善の選択をするのである。

先刻、アリスに襲い掛かったのは剣、槍、斧の三本。近接戦闘において、多くの武器で襲い掛かれば、互いの刃が触れ合ってしまい、武器の良さを殺してしまう。故に武器たちは三本が適切と判断した。

しかし今回はニ十本以上の武器たちが一斉にアリスへと突貫した。主の重大な危機、そして敵の強大な力を判断したためである。


 まず、弓から次々と放たれた光の矢がアリスに迫った。これに続くように、数個の武器たちが鋭い先端を光らせて迫ったが、いずれもアリスの目の前で制止した。

アリスの目やのど元、心臓まであと僅かというところで武器たちは動くことができない。

 ブツブツと何かを呟いたアリスが、とある剣の先端に指で触れた。剣はみるみる灰色に染まり、次いでボロボロと灰になって崩れ落ちた。

 再び何事か囁いたアリスが、また武器に触れる。そうすれば灰が生まれる。次々と武器を屠るアリスを止めるため、弓は光の矢を放ち続けた。アリスがひと睨みすると、弓は中央部分から捻じれて破壊された。


アリスが囁いているのは、口に出してはならない闇の言葉。

 いくつもの光の武器が、ただ一度触れられただけで無に帰していく。


「あ、あぁ」


 ソニアの口から絶望が零れた。

 ついに目の前の武器がすべて消え、アリスの手が頬に触れた。ひやりとした指先に、人の温みはなかった。

 ファルクスの剣を含む光りの武器たちは、主を助けようと動くが、やはりアリスに触れる前に制止されてしまっていた。

 闇の言葉を囁いたアリスが、


「んっ!」


 ソニアに口づけをした。


「あッ!」


 それは、


「カ、ゲホッ、ゴホッ! ゴホッ!」


 大いなる闇を持って、


「イヤッ、ああぁアア!」


 人体を破壊する呪いであった。

 闇のエルレンディアは、これまで苦痛と共に死した者の霊を行使することができる。この時、アリスが呼び出したのは、この地で拷問され、殺された死者達であった。


「いっ、や、やめっ」


ソニアの顔に絶望が浮かんだ。


彼女には見えているのだ。


 火で炙った釘を何本も足に打ち込まれた者。口から水を流し込まれ、腹部を激しく打たれた者。指の爪を残らず剥ぎ取られた者。その記憶、その痛みがこれから一斉に襲い掛かることを。


ズキュッ! という鋭利な痛みが体を駆け抜けた。


「がほっ! おっ! おうっ!」


 呪いが体をゆっくり切り刻むように具現化した。


 ソニアの口から水が吐き出され、足や指からは血が噴き出していた。と、ここでゴキンと鳴って、右腕が不自然な方向へ向いた。


「あ、アぐ、あ! ギィッアアアアアア!」


 これなどは、腕を鈍器で潰された者の記憶である。

 ガゴ! と今度は足が折られた。


顔をのけ反らせ、あらんかぎりの声を上げた。


「ヤァアアアああああ!! あがっ! あああああ!!」


 死した者の無念。

それらを一身に受け、涙と涎で顔をぐしゃぐしゃに歪めた。


逃れる術はない。痛みに体が反応する度、悶え続けるしかなかった。


アリスの呼び出した霊は、一級の罪人や殺し屋ばかり。罪を犯した者や、苦痛の訓練を受けた者達には通常の拷問は行われない。常人ではとても耐えられないような、厳しい攻めが与えられた。


「はぁ、はあ、はあは、ぁ」


呪いを受けてから僅か三分で、ソニアの体は凄惨な姿と成り果てていた。


「は、ぁ、はあ」


 呼吸が弱弱しくなり、瞳の光が消えていくのを見たアリスは、彼女を拘束から解いた。

地面に音を立てて倒れたソニア。口からは泡を吐いており、手足は不自然に曲がっている。かくも美しいエルフの姿は、完全に消えていた。


 この傷では、もはや戦うことなど不可能。放っておいても後は呪いによって死ぬだろう。そう判断し、ソニアに背を向けて第七環境地区の正門へ向けて歩き出した。

 アリスがソニアの元から離れたことで、ようやく武器たちは動くことができた。


虫の息であるソニアに、まず鎧が近づいた。

兜や手甲、脛当て、腰当など、細かく分裂し、それぞれの部位がソニアの全身を包み込んだ。

これには治癒の魔法が込められており、纏う者の傷を癒す力がある。


「は、はぅ」


 エルフの光はあらゆる傷を瞬時に癒す。手や足の怪我はみるみる内に治癒されていくのだが、苦痛に吸われた体力や気力、流れ出た血までは戻らない。また、内部に埋め込まれた呪いの根を取り除くこともできなかった。


「はぁはぁ」


鎧の力で傷口はふさがり、折れた骨も繋がった。


ソニアは手足に力を込める。


「まだ――う、うぅぅうう!」


 なんとか立ち上がり、霞んだ目でアリスの背中を見る。


「うっ、アリス、待ってまだ・・・・・・」


 だがここまでであった。

ソニアの意識は途絶え、ばったりと突っ伏してしまったのである。


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