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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
150/170

ソニア対アリス 2

 見えた景色は少しだけぼやけていた。

 人も景色も、輪郭がかろうじて捕らえることができるくらいだった。


――おかしい。完全に心へ侵入できない。見えない何かに圧迫されて押し戻される


 感覚としては水中でもがきながら、対象を捕らえようとする様に似ている。その歯痒さがソニアの心を余計に逸らせる。


――バイズで抵抗されてる? でも負けない。見せてよ、あなたのことが知りたいの


 すると、急に視界が開けた。

 ぼやけていた視界も明確になったということは、完全に心へ入れたということ。あれほどの抵抗がなぜ急に止んだのか。戸惑うソニアの、その目に飛び込んできたものは――


 マリア

 

 タスケテ・・・タスケテ・・・タスケテ・・・・・・

 

 イタイ、クルシイ、タスケテ・・・・・・


 遠い昔の、アリスの記憶。


――なに、これ・・・・・・


 シネ、シネ、シネ・・・・・・


 ミンナ、シンデシマエ・・・・・・


――ひどい。こんな


 マリア、アナタトモウイチド


 そして――


 アウレリア


 彼女が過ごしてきた三十年。断片的ではあるが垣間見ることができた。


 ――アウレリア様。アリスはアウレリア様と


 と、ここでソニアの胸がどきりと跳ね上がった。心象風景は突然に途絶え、現実へ引き戻される。夢から覚めたかのような感覚にあるソニアは次の瞬間、思わず身を(すく)ませた。刃で交わった先にいるアリスの目が、異様なまでにギラギラと光っていた。かつてその目は澄んだ渓流を思わせる翡翠色であったが、今や鬼火の如く猛々しい赤である。感情を奪われたと思っていたが、今のアリスは憤怒一色に染められていた。

 あッ、とソニアが思った時にはアリスの体からバイズが放たれていた。再び鍔迫りを繰り出され、剣で圧される力が強くなった。


――これは


 茂みから飛び出した巨獣に覆われるが如く、全身にはかつてないほどの力が圧し掛かる。


「っぐ!」


 圧するバイズは先刻の三倍ほどに膨れ上がり、それを持ってソニアを押しまくる。必死に堪えるソニアであるが、もはや切り返しも効かないほどに追い込まれていた。重みにソニアの足が沈んでいく。バキ! ベキ! と石畳に亀裂が走り、足が埋め込まれていく。

 怒り、憎しみ、哀しみ、それら負の感情が込められた赤い瞳。らんらんと輝く瞳に己の顔を射すくめられ、威圧され、そしてアリスの痛ましい過去に胸を打たれた。そのような状態のソニアには到底、防げる力ではなかった。


「あっ」


 剣が押され、アリスの持つ剣の刃が肩にトン、と触れた。

 その刃がギチギチと音を立て、ゆっくりと肩に斬り込んでいく。


「うッ! アッ! ああッ!!」


 プシッ、と肩口から躍り出た血がアリスの頬に飛び散った。

 赤黒い瞳がカッと開いた。

 ソニアの剣を上に弾くと同時、アリスは渾身のバイズを刃に乗せ、強烈な横一文字を放った。狙うはわき腹。骨で臓器を守られていない箇所である。

 ガアン! と凄まじい音が響いた。

 二の太刀を生み出せないほど、思い切り振り抜いたアリスの剣。轟音についで、爆風が生み出されるほど、凄まじい一撃である。それを受けたソニアは、打ち出された弾丸の如く弾き飛ばされた。距離にして数十メートルも吹き飛ばされ、そのまま背中から建物の壁に打ち付けられた。衝撃で石造りの壁に稲妻のような亀裂が走った後、ソニアの体は壁をぶち抜いた。それでも勢いは止まらず、ドオン! ドオン! と、壁に穴の開く音は鳴りやまなかった。


「・・・・・・」


 その様子をアリスは無言で見ていた。

軽々と人間を弾き飛ばし、振り払った剣圧で暴風をも生み出す恐るべき力。並の人間であれば今の一撃で死んでいるはずであるが――


「・・・・・・」


 ソニアを倒すために抜いた剣は、未だ手に握りしめたままであった。人体を斬り裂く音ではなく、鉄を打った音しか耳にしていないためである。

 確実に仕留める、と放った横薙ぎであった。あの一瞬の光景が目に焼き付いて離れない。

剣を弾かれたソニアが、再び防御の構えを取る方が早かった。

 アリスは建物の壁を見ていた。穴が開いた個所からは濛々と土埃が立ち上り、奥からはガラガラと何かが崩れ落ちる音がする。その先にいる者はまだ死んではいない。




「う、うぅ、はぁはぁ」


 結局、四枚の壁を突き抜けた。室内にあった椅子やら机やらを吹き飛ばし、散々に転がった先でようやく止まった。ぼんやりとしていた視界が、次第に戻ってくる。視界の先には天井から吊り下げられている電球が見えた。どうやら仰向けに転がっているらしい。


「い、いたた」


 手で支えて上半身を起こそうとした時、肩に激痛が走った。

 アリスに鍔迫りで斬られた個所からはどろりとした血が垂れている。


「んっ」


 痛みに唇を噛みしめつつ、指先を動かしてみる。小指から親指まで、五指はきちんと動く。

 ソニアはゆっくりと体の隅々まで力を込めた。

足も動く。胴体に骨折などの損傷はない。軽い脳震盪を起こしているが、視界は回復した。

このように一か所ずつ体の傷を確認していき、まだ戦うことができると判断した。床に転がっていたファルクスの剣を拾い上げ、ソニアは立ち上がった。


「ありがとね。私まだ戦えるよ。戦える」


 そう言うと、剣の刃が輝きを帯びた。

 エルフの元で修業したソニアは、ファルクスの剣との一体化を完了させている。剣が纏う光は、常にソニアを保護しているのである。


 ―エルフの暦、第三期の記録―


 かつて七日七晩の夜が訪れた時、天にはルシリと呼ばれる星だけが輝いていた。北の森に住んでいた銀のエルフ達は極光を操る術に長けており、この星の光を湖面に浮かべて(すく)い取った。光は指輪や宝石などの鉱物に込められ、エルフ達が身に着けた。ルシリの光を込めた物は森を大いに癒し、また闇からエルフ達を守護したと言われている。



 ルシリの光が宿る物質は所有者を守護する。物理的な攻撃から魔法まで、光の盾を生み出して障害を弾き返す。ファルクスの剣にもルシリの輝きが込められている。ソニアの身に危険が迫れば、光が盾となり守ってくれる。

 先刻の壁への激突。

 ソニアの背中が壁に当たろうというまさにその時、ファルクスの剣からルシリの光が飛び出した。光の盾がソニアを包み込んだことにより、直接的な損傷は免れた。四枚の石壁を抜く威力である。このように光が背中を守ってくれていなければ、重傷は避けられなかったであろう。


――死んでたかも、しれない


 ゴクリ、と生唾を呑み込む。少しだけ手足が震えた。

 ソニアは恐怖を払い落そうと、首を左右に振った。


「いたっ!」


 ズキっという痛みに、頭の中が一気に冷え込む。僅かな所作ですら痛みを伴う。この状態で本当に戦えるだろうか。


「えへへ、やっぱ強いねバイズ」


 肩の傷からは血が止まらなかった。

 ベルトに備え付けておいたポーチから止血剤と包帯を取り出し、片手のみで器用に傷の処理を済ませる。

 そうしてファルクスの剣の刃に目を落とした。

 刃こぼれはしていないし、欠けてもいない、(ひび)が入っているわけでもない。刃には眩い光がまだ灯っている。ファルクスの剣は壊れていない。光の守護は消えていないということだ。それにもかかわらず、肩を斬られ、弾き飛ばされてしまった。


「ルシリの光も万能じゃないってことだね。エルレンディアの力が強すぎるんだ」


 ソニアはこう解釈した。

 事実である。

 弾丸を防ぐ鋼鉄の壁も、さらに強力な弾丸には貫かれてしまうのと同義であった。


「はぁはぁはぁ・・・・・・ふぅぅぅ」


 大きく深呼吸し、足腰に力を込めた。今しがた空いた壁の穴に鋭い視線を送る。


「っ!?」

 

 ソニアが剣を構えた時、穴から雷が飛び出してきた。アリスの容赦ない追撃である。以前は手も足も出なかった青い閃光が再び目前に迫る。


「っつ!」


剣で電撃を受け止める。

体が仰け反るほどの力だった。この雷も、以前より数段威力が増していた。


「うぅぅ! このっ!」


かろうじて光は雷を防いでくれているが、いつ突発されるやもわからない。バチバチと火花を散らしながら、今もなお押し込んでくる。


 激流のただ中に放り込まれたようだった。剣が手から離れていきそうになる。足の支えが効かない、上半身がのけ反りそうになる。


「ぐっ、ううっ」


 タスケテ・・・タスケテ・・・タスケテ・・・・・・


――強い、でも!


 イタイ、クルシイ、タスケテ・・・・・・


聞こえてきたのはアリスの声である。


「負けない、負けたくない!」


 逃げもせず踏み出しもせず、ただ悠然と言い放った。

 ソニアの瞳は澄んでいた。


「おおおお!!」


 雑念を払い、全てのエネルギーを剣の先に込めた時、纏わりついていた雷は霧のように消え去った。


「っは! はぁはぁはぁ」


圧してきたものが消え、転倒しかけた所をグッと踏ん張った。すると膝が曲がり、ずっしりとした疲労が肩にのし掛かってきた。


「はぁはぁ」


肩で息をし、心拍の安定を試みる。流れる汗が目に入って滲みた。


「まだまだ」


――前に受けたんだ。原理はわかってる。私に二度同じ攻撃は通じないんだ!


 ソニアは地を蹴った。

空を滑ることで、風が頬に触れた。


――風が、風の香りがする。ちゃんとわかる。まだ私は冷静だ


 吹き飛ばされた時とほぼ同じ速度で穴を抜け、再びアリスの元へと飛んだ。

着地の時、僅かに体が傾きかけたが、悟られないように剣を構える。

顔を上げれば、アリスは依然として無表情のまま立っていた。


「心、読ませてもらったよ。あなたのことを知ってから戦いたいって思ってたから」


「・・・・・・」


「あなたはマリアさんを、私はピアちゃんを失った。あなたの辛さはよくわかる。あなた自身が受けた痛みも・・・・・・私にも経験ある。違うようで、似てるのかもね私たちは」


「・・・・・・」



「ふふっ・・・・・・悩むことなんてなかった。やっぱり。やっぱりね、私は嫌だ。ピアちゃんの仇討ちなんて、最初からできなかったんだよ」


「・・・・・・」



ソニアはアリスを憎んだ。

ピアはこの世界で一番大切な人。奪われた憎しみは彼女の心に重くのしかかり、その苦しみがアリスへの怨恨を強めた。


しかし、アリスを憎むと同時に、異なる苦しみもまた生れた。それは時に吐き気を催すほどソニアを追い詰めた。


悲しみである。

悲しみが呪印のように、心と体を締め付けるのだ。


憎しみ、怨み、苦しみ、悲しみ。これらは人間の感情の頂点ともいえる。それに耐えられる心を、ソニアは持っていなかった。


彼女が選択したのは、もう一方の感情の頂点。


「嫌なんだよ。人が苦しんだり、悲しんだり、痛い思いをしたりするのが。そういうのを無くしたくて、私はメルリスになろうって思ったんだ。大切な人を奪われて、やり返して、また誰かが悲しい思いをする。悲しみと憎しみの繰り返しは、もうやめよう。辛い思いをするのは私で最後にしたい」


 話しているうちに感情が溢れた。

 ソニアの目に大粒の涙が浮かび、一本の線になって頬を滑り落ちた。

無意識のうちに泣いてしまったのは不覚。すぐにグシグシと袖で目元を拭った。


「心の中のアリスは泣いてたよ。ずっとずっと、苦しい助けて、って今も叫んでる。私は――」


 ソニアは右手を空へ掲げた。


「私は光のエルフ、ソニア・エルフォード。あなたを、闇から救うんだ」



 ただ一念、心に決めたものが沸き上がり、緑の瞳は星が瞬くように煌いていた。


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