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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
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宿敵 2

前半はアヤメ、後半はエルフリーデ視点となります

 急に放り投げるとはやってくれる。

 城内には第七環境地区よりも多くの敵が待ち構えている可能性は十分あるのに。

 まあ、なんとか着地はできたのだし、桜花のどの塔よりも高い城を登らなくてすんだのだからよしとするか。


 私は冷静に周囲を見回した。

 ソニアの言った通り、私が着地したのは城内にある庭園。芝生が敷かれ、辺りには噴水や薔薇園がある。水と緑の香りしかなく、人間の気配はまったくなかった。

 私はほぅっと息を継ぎ、突き出していた剣尖を降ろそうとした、その時だった。


 庭園の奥にある扉。そこから蝶番の動く音がした。次いで扉が開く。重苦しい音はやけに大きく響き渡った。

 扉の奥は黄金色に輝いていた。足音もなく、その人物は歩いてくる。

 あまりの光に目が眩む。手で(ひさし)を作り、刀を握る手に力を込めた。


「けほっ、っげ、はっ」


 光から現れた少女は、背中を丸めて咳き込んで血を吐いた。

 ソニアと同じメルリスの衣を纏い、背中に大鳥の如き翼を宿していた。昨日、クリステル様の護衛をしているという少女の写真を見た。目の前の少女と特徴が全て一致する。

 腹部に傷があるようで、腹を押さえている両手からは血が滲み出していた。少女の足元には耐えることなく血の雫が落ちていて、貧血を起こしているのか目も虚ろだ。


「はぁ、誰? はぁはっ」


 私を見つめた後、少女の背中にあった羽が霧のように消えてしまった。同時に膝が折れて前のめりに倒れた。


「おいっ」


 急いで駆け寄り、少女の頭が地面に着く寸前のところで抱きしめる。

 肩を抱き、触診をしてみると肩が外れていた。


「あの、肩、お願い、します」


 少女は息も絶え絶えにそうつぶやく。


「痛むぞ?」


 目をつむり、こくんと頷いた。

 私は刀を置き、すぐさま外れた肩を元に戻してやる。ゴクッ、と音がして少女は瞳を命一杯に閉じ、体を反らした。


「っはあ!? うっ!」


 激痛に私の手をぎゅっと握りしめてくる。

 その手は本当に小さい。今、私の腕に抱かれている少女は、ピアとほとんど変わらない年齢だろう。そういえばかつて私もピアに脱臼を直してもらったことがある。あれは洞窟で怪物と戦ったためだが、この少女はなぜ傷を負っているのか。まだ城内に反乱軍は侵攻していないはずだが。

 少女に握られている手が赤く染まっている。これは私の血ではない。


「腹を斬られたのか? 待ってろ、すぐに手当てしてやる」


 私は帯に下げていた巾着から包帯や消毒液、モルヒネを取り出した。


「これはヴェルガのモルヒネだ。桜花の薬よりも優秀だぞ」


 少女の腕にモルヒネの針を刺す。


「まだ滲みるだろうが早めに処理したほうがいい、堪えてくれ」


 服をめくり上げ、傷口に水筒の水と消毒液をかけた。小さな悲鳴を上げた少女の瞳から涙が零れ落ちた。

 腹部の傷は深かった。膓に届いていないことが幸いであるが、今すぐ医者に見せて縫うべきだ。さすがに針と糸は持っていない。医療用のテープで傷口に貼りつけ、後は包帯を巻いておくしかない。戦争中は仲間の傷を治すことなどしょっちゅうであった。これくらいなら私にもできる。モルヒネも効き始めただろうが、なるべく痛みを感じさせることなく手早く処理した。


「終わったぞ、もう大丈夫だ。ただここから動かない方がいい。動けばまた傷口が開いてしまうぞ」


「・・・・・・ありがとう、ございます」


 少女は息も絶え絶えになりながらお礼を言い、私の手の中からこちらを見上げた。短い黒髪、黄金色の瞳、少女がアンジェリカと呼ばれていて、クリステル様の護衛を務めていたことは間違いなかった。


「君はアンジェリカだろう?」


「なんでアンジェのこと知ってるんですか?」


「私はこの反乱の一員だ」


「この、戦いの一員?」


「君のことは事前に聞いていた。クリステル様の護衛をしていたのだろう?」


 薄く開かれた瞳が不安げに私を見つめる。それでも頷いてくれた。


「君に危害は加えない。ここへはクリステル様を救うために来たんだ。教えてくれ、今クリステル様はどこにいるんだ」


「クリステル様、クリステル様がっ」


「お、おい」


 アンジェリカは私に縋りつくように迫った。


「お願いです、エルフリーデさんが皇帝の間へ連れて行ってしまって。私――止められなくて。だからレキちゃんに助けてもらおうとしてここまで来て・・・・・・お願いですっ、クリステル様を助けて」


 その時――


 額に雷撃のような殺気が走った。

 とっさにアンジェリカを抱きかかえながら後方へ飛ぶ。すると、さきほどまで私たちがいたところに刃が振り下ろされた。剣を手にした人物は爆発的な脚力で追撃してきて、下から上への逆風の太刀を見舞う。

 寸前の所で横に振った刀が剣とぶつかり合う。高い音を立てて交わった刃であったが、素早く振り払って真横に跳躍した。

 着地して構えたが、相手は追撃を仕掛けてはこなかった。

 抱えていたアンジェリカを降ろし、熱い息を吐き出して刀を持ち直す。吐息と同時に、寒気がした。恐るべき二連撃であった。瞬きをしていたら避けられなかっただろう。一歩間違えれば、私の首はこの庭園に転がっていたかもしれない。

 こちらの油断を秒も許さない太刀筋、不似合いな優しい香り。体が――魂がその人物を覚えていた。


「エルフリーデ」


 エルフリーデは片時も目をそらすことなく私を見ている。


「アヤメ、待っていたわ。あなたのことをずっと待っていた」


 クリステル様を奪い、私の左手を切り落として悠々と去って行った憎い敵。蘇る苦い記憶が、心の奥底を焙る。


「あなたの姿が見えたものだから降りてきたのよ。少しは強くなったかしら?」


 恨みがましい私の目を見つつ、エルフリーデは私を見て微笑んでいる。纏っているのは以前のような軍服ではなく、胸元が開いたドレスであった。


「さあ堅苦しいのは抜きにしましょう。私かあなたか、どちらが世界を握るのかここで決めましょう」


 まるで祭りの余興とでもいうような口ぶり。殺気よりも愉悦に近い気を発している。それが私の倒さねばならない敵だ。

 お前には罵倒も詰問も不要。話すことなど何もない。

 柄を握り、澄み切った刀の切っ先をエルフリーデに向ける。そして伝えてやるのだ。

 私はお前の野望を終わらせる者である、と。


「アンジェリカ」


「はい」


 敵から目をそらさないまま、背後でうずくまるアンジェリカに声をかけた。


「君は空を飛べると聞いている。それは今できるか?」


「・・・・・・」


「さっきは動くなと言ったが撤回する、可能な限りここから離れてほしい。あいつを相手にしながら、君を気に掛ける余裕がない。第1から第4環境地区までは戦場ではないから、可能であればそこへ。不可能であれば最寄りの病院まで飛ぶんだ。そこに銃や剣は届かない」


 エルフリーデを前に心の平衡を保つことは困難であった。なんとか冷めたふうを装っているが、瞳の奥にある怒りの焔は今なお膨張を続けていく。そんな私の言葉だ。辛辣に聞こえたのだろう。背後のアンジェリカは動揺しているのか立ち上がる気配がない。


「行け! ここにいては死ぬぞ!!」


「っは、はいっ!」


 手足をばたつかせる音に次ぎ、芝生を踏みしめる足音が遠ざかっていく。足音は城壁の方まで続いていたが、やがて聞こえなくなり、次いで巨大な羽音が空気をかき回す音に変わった。


「邪魔者は消えたわよ?」


 アンジェリカの気配が消えたと同時に、エルフリーデが言った。


「話もしてくれないの。私はあなたと戦うだけでなく、話もしてみたいと思っていたのに」


「黙れ」


 両手で柄を握りしめ、刃を天に向けての霞の構え。


「話すことなど何もない」


 左手に巻き付けてある封印布。いつでもほどけるように結び目を作っておいた。

 布の端を噛みしめ、首を振って魔の拘束を解く。

 白い封印布は地に落ちると燃えて消えた。

 これまで白い包帯と呪符で隠してきた左手が露わになる。影が浮き上がってそのまま左手の形を宿したような、見るもおぞましい黒々とした闇の塊。


「ここへはお前を斬りに来た――ただそれだけのために」



・・・・・・・・・・

 

 冷気が辺りを包んでいた。

 それは地獄の悪魔ですら凍てつかせるほどに冷たい。アヤメの深淵に宿る力はそのようなものである。

 

エルフリーデは笑っていた。


 以前の戦いでアヤメは惜しみなく数十の太刀筋を披露してくれた。刃と体、混然一体と化した秘儀の数々は見事であるが、技も力もまだまだ稚拙であった。首を打たれる不覚を取ったが、油断しなければ十分に対処できるほど小さな力であった。そのため既にアヤメの剣の底は見たつもりでいた。

 しかし、目の前のサムライは以前とまるで別人である。

 なにか不可思議な、それでいて恐ろしい殺気が体から溢れんばかりに迸っている。どれほど強くなっているのか、などと興味本位で呑んでかかっていたが、これは全力で挑まねばなるまい。さもなければ前回のように首筋を打たれるだけでは済むまい、と茫然と息を呑んだ。


しかし、恐れにも勝るのは歓喜の情。実のところ、アヤメと戦える歓びの方が勝っている。


神でもない人物が、ここまで噛みついてくるなど誰が予想しえたであろう。



「左手は切り落としたはずだけど・・・・・・まさかあなた」


 エルフリーデは手のひらを翳し、アヤメに向けてバイズを放った。

 そのバイズは強力な衝撃波であり、戦車すら仰向けに転がすほどの威力であった。

 庭園の草花がザザッ、と波打ち、鉢植えやいくつかの花々は衝撃の波にのまれて空へ放り出された。高波の如く、衝撃波がアヤメを呑み込むが、髪と着物がはためいたくらいである。全く微動だにせずこの衝撃を受けきったのは、エルフリーデの知る中でも二人だけ。一人はアリス、もう一人は――


「天姫ね。あいつから力をもらったということね」


――異な力。天姫のもののようであり、少し違う。あの左手を見せてから急に何かの気配が


 エルフリーデが首を傾げたのは、アヤメの力の本質が見えないためだった。左手の包帯を解いた瞬間、いやな気配を感じた。それと同時、アヤメの周囲が黒く澱んでいくのが見えた。そう、森の奥から浮き上がってくる(かすみ)や靄のようなものに見える。しかし黒々とした(もや)が何であるかわからない。


「あなた、一体なにを宿しているの?」


「お前には見えるはずもないな。先の大戦で学んだだろう? 桜花人を侮るな」


 アヤメは冷笑を浮かべる。


 左手から生み出された闇の正体。これこそアヤメの父、清玄が託した守護獣であった。

 三か月前、一子相伝の秘儀としてアヤメは父から、守護獣宿しを受けた。霊猫一族に伝わる守護獣とは、歴代で最も強かった先祖の霊を憑依させる術である。 

 かつて海を渡り、桜花国に死を運び込んだ恐るべき霊猫がいた。清玄や第二段階の解放をしたアヤメと同じく、巨大ななりをした化け猫は、天姫に倒されるまでに桜花国民の命を半数も喰らった。名は椿之須毘(つばきのくす)()

 強大な霊力を持つ怪猫は今やアヤメを守護する影となり、彼女の周囲を包みこむようにして衝撃から守っていたのだ。



「これで力は対等、後は互いの信念の強さで勝敗は決するな」


 アヤメは言う。

 エルフリーデはアヤメのしんと燃える瞳を覗き込んだ。


 これほどの覇気を見せつつ、アヤメの心は透き通っていた。

 その心にある信念を垣間見ることができる。


 憎むべき敵。

 大切な仲間達、最も愛する者。

 生きている者、散って言った者。

 世界に呑み込まれ、優しい人々が優しいままに暮らす生き方を奪われてしまった。その原因は神のせいではない、全て人間が引き起こしてしまったこと。人の過ちは人が正す、そうしてみせる。   


「ふ、ふふっ」

 

 エルフリーデは笑った。


「愚かね。あなたもアリスも・・・・・・人を正すのは人ではない、人を超えた神のみが正しい世界を創造できる」


「私は議論をしに来たのではない」


「そうね、そうだったわ。始めましょうか」


 二人が地を蹴ったのは、全くの同時であった。

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