宿敵
二人のエルフに鍛えられ、力を増したソニアは飛行することが可能であった。プロペラを猛らせることなく、翼を羽ばたかせる必要もない。ファルクスの剣に振れていれば意のままに飛翔することが可能、という優れた能力を得た。
しかし、誰かを抱いて飛ぶとなれば、その能力は著しく制限される。手が塞がることで動きが限定されるし、まして搭乗者が暴れてしまえばなおのこと飛びにくい。
無理矢理に連れてきてしまったアヤメが暴れるのではないか、とソニアは懸念していた。
アヤメにとってルリは妹のような存在であることは聞いていた。目的のためとはいえ、そのルリを残して進むことは苦渋の決断。無理やりに連れてきてしまったため、引き返せ! 降ろせ! と言われると思っていたのだが。
「・・・・・・っ!」
懸念は杞憂に終わっていた。歯がゆさに顔を歪めてはいるが、意外にも大人しくピタリと寄り添っている。
ソニアはアヤメと繋いでいた手に意識を集中させる。
こうして体に触れ、強く念じれば心が伝わってくる。開眼したソニアは、もはや誰であれ心の奥を覗くことができた。
アヤメの心の中にいたのは見たこともない桜花人であった。
裾の短い桜色の和服を着ていて、左右に髪を結った女の子である。年齢で言えばルリと同じくらいに見えるが、なにやら態度が大きい。
『いいか死神。ぬしにはぬしの目的がある、戦場でルリと離れてもただ目的を遂行することを忘れるな』
『ですがっ』
『たわけ! ですが、ではない。そんなことで心が乱れるならルリはここに置いていけ。連れて行くのであれば、サムライとしてのルリを信じよ』
『・・・・・・はい』
『うむ、忘れるな。此度の戦いは世界を賭けた大戦じゃ。心せよ』
――ルリ、お前を信じるぞ・・・・・・無事でいてくれ
アヤメの声が聞こえてきた。
その切実な思いに触れ、ソニアはアーバン国で別れたクリステルを思い出していた。
『これ以上の犠牲は許しません。皆に命じます、必ず生き抜いて下さい。死ぬことは禁じます』
ピアを失った時、世界の全てが闇に包まれた気がした。けど違った。自分にはまだ守らなければならない仲間と、ピアとの約束がある。
一刻も早くこの戦いを終わらせようと、ソニアは更にスピードを上げる。
援軍のおかげで第七環境地区も大方制圧し、空を飛んでいてもワイヴァーンや機銃に狙われることもないのだ。敵の増援が来る前に早く城内へ。それがソニアの狙いであった。
「皇帝の間へ行こう、そこにクリステル様がいるはずだよ。エルフリーデも」
戦場の空気を掻きまわし、これから潜入すべきヴェルガ城を見上げた時であった。
この戦場で火薬や血とは異なる匂いに気づいた。
次いで、かつて戦った時に感じた実力の違い、その脅威がありありと蘇り背筋が寒くなった。
ピアを殺したその人物を、はっきりと感じる。
――いる、すぐ近くに
ハッとして見下ろした瞬間に目が合った。
アリスもまた、地上からソニアを見ていた。
「アヤメちゃん、先行ってて」
「何を言っているんだ急に」
「上を見て」
ソニアの声に釣られ、アヤメは上を見る。空を飛んでいてなお、巨大なヴェルガ城は見下ろすことができない。
「二時の方向、あそこに庭園があるの。そこからなら皇帝の間までは、階段上ればいいだけだから楽だよ」
「おい、ソニア」
「ごめんね、うまく着地して」
ソニアはそう言うと、アヤメを力いっぱい上空へ放り投げた。放たれた矢のように弧を描いて飛んでいったアヤメは、うまい具合に庭園へと着地することができたようである。
「ナイス、さすが猫さんだね」
無事に見届けた後、ゆっくりと地上へ目を向ける。
敵味方が入り乱れ、噛み合っているこの戦場で、明らかに異質な力を放つ者。アリスはじっとソニアを見上げている。
既に太陽は昇りきり、上空から戦場へ一杯に光を投げかけている。陽を背に受けたソニアは、ゆっくりと下降し始めた。彼女との距離が縮まるほど、ソニアの胸は高鳴っていく。興奮や怒り、恐怖と苦痛、様々な思いが頭からつま先にかけて駆け抜ける。
アリスはソニアが降りてくるのを待っていた。その目は狡猾な爬虫類に似ていた。
獲物を前にした狩人は身動き一つしなくなる。もはや砥いだ牙を一たび閃かせればそれでことは済む状態。獲物は決定権を奪われ、そこからは狩人の独断領域となる。そのような、ある種の傲岸が感じられた。
ソニアの足が地に着いた。
アリスはまだ動かない。
ファルクスの剣でヒュン、と空を払い、口火を切ろうとした時、ある異変に気づく。
アリスの様子がどうもおかしい。
アリスは敵を前にすると決まって笑みを浮かべる癖があった。圧倒的な力で相手を嬲る悪癖があるためである。だが今の表情は氷で模った人形のようだ。目の前に障害があれば退ける、という以外の思考を全て奪われているような気がした。
そして額に埋め込まれている朱い石。
「ヴァーミリオン」
ソニアはその石を目にしたことはない。名前を聞いて特徴を知っているだけである。が、エルフとして成長した彼女は心がざわついた、という理由で、アリスの額にあるのはヴァーミリオンであると看破した。
なぜアリスの額にあの魔石が埋め込まれているのか。
ヴァーミリオンを扱えるのはエルフリーデかアリスのみ。どちらかがアリスの額に埋め込んだことになるが、アリス自身が今のような姿を望むはずがないことはわかる。ではエルフリーデがアリスの額にヴァーミリオンの欠片を埋め込んだのか?
なぜ? ヴァーミリオンなどなくても、アリスの力は強大であったはず。
あのように感情を奪い取られたのでは、思考が麻痺して戦場では命取り・・・・・・感情を奪われた?
エルフリーデはアリスの感情を奪う必要があったのだろうか。
もし事実だとしたらそれはなぜなのか。
ソニアは猛々しく力を振るうアリスを想像して修行し、今日この時を迎えている。
気性が荒く、完膚なきまでに相手を叩き潰すアリス。そのアリスがいつになく冷静で――というより、人形のように無感情というのは想定外であった。
その理由を知らずして戦うことに戸惑いが浮かび始めたと同時、二人のエルフのことを思い出した。
『ソニア、あんたはアリスをどうするつもりなの? その決断は今ここで聞かせてほしい、さもないと迷いが命取りになるよ』
――スウェン、イリス
『ファルクスの剣はこの世の悪しか罰せない。たとえ魂が闇から生まれた者でも、光へと変わろうとしているのなら、そいつを斬ることはできないんだよ。それはソニアも知ってるでしょ?』
『エルフとして闇を払うのか、ソニアとして復讐を果たすのか』
『何かのきっかけでアリスが光の方へ進んでいるとしたら。その時、ソニアはどうするのか。それを聞いておきたいんだけど』
――アリスが善人になろうとするなんて、そんなことあり得ない。って私は言ったよね。そしたら二人ともちょっと怒っちゃったんだよね
『バカ、そういうのがあり得るから言ってるのよ。純粋なエルレンディアなら光と闇は変わらない。めったにないことだけど、人間の魂からエルレンディアに覚醒する奴もいるのよ。私たちが見てきた中でも二人はいたわね』
『純粋なエルレンディアか、人の魂からエルレンディアに変わったか。アリスが後者なら、光と闇の境はとても曖昧。そのアリスが闇から光へ変わろうとしていたら、ファルクスの剣では倒せないし。なによりソニアは動揺すると思う』
『ここで十分力をつけたからね。もう誰の心だって読み取れるでしょ? 戦いの最中にアリスの心を読んで、倒そうとした敵が改心しようとしてたら剣が鈍るってもんでしょ』
『だからちゃんと決めておいた方がいい。どうするのかを』
『そうだよ、あんたはどうするの?』
二人の言葉が蘇る。
ソニアは微笑んだ。
「どうする、か・・・・・・うん、ちゃんと決めてきた」
ベルトに挟んで置いた口紅を取り出し、唇をなぞって桃色に染め上げる。差すのは今日で二回目。ピアの口紅も、残りわずかとなっていた。
「さて、見ててねピアちゃん」
パチンと口紅のキャップを閉める頃には、心の準備もすっかり整っていた。
その時、アリスが腰にさしていた剣を抜いた。
そしてソニアの方へ歩き出したのである。




