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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
138/170

アンジェリカという少女

前半はアンジェリカの過去篇になります!

 魔女め! 

 魔女だ! 魔女だ!

 

 人々はそう叫んだ。

 心の休まる場所はどこにもなく、いつも隅の方で膝を抱えて震えていた。

 抱えた膝までが自分の世界、そこから先は外の世界。

 少女は世界が恐かった。味方など一人もいない世界が。

 少女は悲しかった。誰もが自分のことを魔女と呼ぶことが。


『ひっ、天使様、ひっ、お助け下さい』


 涙を拭い、天に助けを乞う。天使――少女にも同じ名がつけられていた。

 父がくれたのか、母がくれたのかわからないが、少女にはきちんと名前があった。体と名前だけが、顔も知らない両親から授かった大切な宝物だった。

 しかし、とある孤児院に拾われたことで少女の世界は一変する。その孤児院の地下では、地上に残された天界の聖遺物を人間に移植し、人工的に神を作り上げる研究がおこなわれていた。

 天使が残したとされる翼が、少女の背中に融合した。数多の人間を拒み続けた翼が、少女を選んだのだ。


 天が彼女を選んだ。聖女だ。

 天使さま。


 その日から少女はそう呼ばれるようになった。

 白い塔の中に閉じ込められる日々が続いたが、もう誰も少女のことを虐めたりしなかった。

 少女の世界は、抱えた膝よりも少しだけ大きくなる。白い塔の部屋の中は安全だと、そう思っていた。

 ところが、


『おお、天使さま! なんと神々しい』


 一人の老人が、少女に襲い掛かった。

 信教の長であった老人は、少女の姿を見て正気を失った。

 使用人の女性が気づき、すぐに人を呼んだため少女に怪我はなかった。それでも、この白い塔は再び恐れていた世界へと変わってしまった。


『さあ、お逃げなさい』


 ナディアと呼ばれていた使用人の女性が、塔の鍵を開けて外に出してくれた。


『空へ、さあ早く』


 少女は焦がれていた外に出たが、飛ぶことを拒んだ。

 ここで逃げれば、ナディアに罰が下されることは明白だった。


『いいのです。私のことは――この肌の色ですから、どこへ行こうとも。神などいないと思っていました』


 シャシール人であることで辛い目に遭ってきたようだ、と少女は思った。


『けど違った、あなたがいた。神は天にいると確信できたからこそ、私は信仰を取り戻せたのです、それだけで十分』


 ナディアは少女の背中を押す。


『私は一緒には行けません。空を飛んで一人で逃げた方がいい。さあ行って。行きなさい』


 少女は飛び立った。

 必ず戻ると約束して。

 少女は逃げた先で悪魔の少女と出会う。悪魔の少女は地獄の力で、少女の世界を守ってくれた。それから少女たちの逃走が始まった。

 いくつかの旅を経て、少女はナディアとの約束を果たすために白い塔へ戻った。

 そこは、ヴェルガという国の兵士たちが占領していた。

 エルフリーデと少女たちの邂逅もこの時であった。

 少女はナディアを捜したが、彼女はいなかった。もう既に、去ってしまっていた。


 天使を逃がしたことを咎められ処刑されていた。磔にされ、燃やされたのだという。皆の罵詈雑言が飛ぶ中で身を焼かれ、その煙は暗い空の上へ、真空へと還っていき無となった。


 どんなに恐かっただろう。どんなに助けを求めたのだろう。


 恐怖と悔恨に襲われ、少女は泣いた。

 神ではない。全ては人間が起こしたこと。なぜ人間はこうも残酷な真似ができるのか。

 こんな世界など――


“私は世界を変えることができるわ。あなたたち、私の力になる気はない?”


 少女たちに声をかけたのは、少女たちの信じる神とは全く異なる、より強大な神であった。


・・・・・・・・・・


 エルフリーデによりアリスが放たれる十五分ほど前。

 アンジェリカはクリステルを抱えつつ、皇帝の間へと続く廊下を飛行していた。

 しかし、幼い体には限界が迫っていた。

 背中の翼で羽ばたくのも、クリステルを抱える腕の力もギリギリの状態。なにより心に浮かぶ疑問がアンジェリカの胸を締め付ける。


 本当にこのままクリステルを皇帝の間へ連れて行って良いのか?


 エルフリーデは否応なしに命じたが、このままではクリステルの命が危ういのではないか?

 胸中で渦巻く迷いが、少ない体力を更に削っていくように思われた。


――どうしようレキちゃん、私


 こめかみからつたい落ちた汗に気づいた時、自分でも思っている以上に体力を消耗していると悟った。そのようにして少し気が逸れたところで、右腕がガクっと力を失った。

 このままではクリステルを落としてしまう、と判断したアンジェリカは急ぎ廊下に着地した。

 足が床に着いた途端に膝が笑いだす。これまで人を抱えて飛行したことはなかったが、かなり体力を削られると知って愕然とした。


「アンジェ! 平気ですか」


「クリステル様。窓際はだめです。壁に、壁側に移動を」


 クリステルに支えてもらいつつ、なんとか壁側に移動して腰を下ろすと途端に疲労が圧し掛かって来た。皇帝の間までは、まだ距離がある。


「アンジェお願いです、どうか妹を。アウレリアを捜しに行かせて」


 アンジェリカの手を取ったクリステルが言った。


「あの子を安全な場所へ避難させたら、アンジェの言うことを聞いて皇帝の間へ行きます。約束しますから」


 その言葉に偽りは感じられなかった。

 アンジェリカは言葉を失う。疲労で動けない自分に許可を取る必要などない。このまま逃げることは容易なはずだ。


「クリステル様」


 エルフリーデは何か企んでいる。皇帝の間へ向かえば、恐ろしい目に遭うことは間違いない。それなのに、自ら死地へ赴こうというのか。


「どうして」


 実のところアンジェリカは、先刻からクリステルが逃げない理由を察していた。いくら天使の羽があるとはいえ、人を抱えて飛べるのは数分間だけ。それだけ非力な人間から、逃げようと思えばいくらでも機会はあったはずであった。

 それでもクリステルは逃げなかった。

 その理由は、アンジェリカが目に見えない鎖に縛られて人質となっているためである。

 クリステルが逃亡すればアンジェリカは十中八九、エルフリーデから罰を受ける。命令の際の念の入れようからみても、失態を犯せば罰が下るのは明らかだった。


『クリステル様を“皇帝の間”へお連れしなさい。いいですか、決して怪我などさせず五体満足のままですよ。できますね?』


『あなたには期待していますよ』


 エルフリーデのあの言葉はアンジェリカにではない。少女が失敗すれば罰せられるぞ、とクリステルに向けられていたのだ。


「どうして」


 クリステル自身、そのことには気づいているはず。ここから逃げないのは、そういうことだ。


「クリステル様」


「なんですか?」


 見上げたクリステルの瞳は、エルフリーデのものと違う。その瞳にはいつも他者を思いやる慈愛に満ち

ている。優しさを利用されていると知りつつ、どうしてそんな顔ができるのだろう。


「クリステル様、教えてください」


「え?」


「恐いことをする悪い人たちのためではなく、優しい人たちのために世界を変えることはいけないことでしょうか? エルフリーデさんは間違っているのでしょうか?」


「・・・・・・・間違っています」


「なぜ、どうしてそう言い切れるんですかっ」


 思わず声を荒げたアンジェリカに対して、クリステルは少しも動じない。普段通りの笑みで話し続けた。


「悪のない世界は誰もが求めています。そんな世界は、まるで楽園でしょうね」


「だったら」


「エルフリーデは悪のない世界を作りたいのではない。ただ、自分の思う通りに世界を作り変えたいだけなのです・・・・・・この世界は完璧ではないのかもしれない、皆が完璧ではないかもしれない、だからこそ争いも起こります。

けど私はその中で、たくさんの人に支えられて変わることができました。人は変われます、どんな人でもです。信じてくださいアンジェリカ、信じることを諦めないで」


 アンジェリカは何も言い返すことができなかった。

 クリステルの目には常に他者が映っている。目の前に、とても大きな存在がいる気がした。この優しい人を、エルフリーデに渡すわけにはいかない。たとえどうなろうとも、それだけはしてはいけない。


「わかりました」


 アンジェリカはクリステルの手を取って立ち上がった。


「アンジェ!?」


 そして走り出す。

 皇帝の間とは別の方向へ。


「逃げましょう・・・・・・逃げるのです! クリステル様を皇帝の間へお連れするわけにはいきません! アウレリア様を捜して、地下のシェルターへ!」


 少女の心は燃え上がった。


 何が起ころうとも、この方だけは生き延びねばならないと強く思った。


――ナディア


 かつて、孤児院で自らを犠牲にして救いを与えてくれたナディア。

 もしナディアと立場が逆であれば、同じことができただろうか? 

 この難問にずっと苦しめられてきた。レキに相談したら、過去に“もし”は存在しないと言われた。それならば自らに課せば良いと思った。


 もし今後同じようなことが起きたら必ずナディアと同じ行動を取ろう、と。それがナディアの命を吸って生き続けている、自分の責務だと考えた。

 今まさに、その信念を貫く時であると心得た。


「今度はアンジェが――私だって!」


 クリステルの手を引いていたアンジェリカが蹴り上げられたのはその時であった。

 その人物は曲がり角から急に現れ、幼いアンジェリカを容赦なく蹴り飛ばした。

 思いもよらぬ衝撃。避けることもできず、アンジェリカは冷たい床に叩き付けられた。


「アンジェ! アン――ジェ」


 叫んだクリステルの声が、勢いを無くしていく。

 倒れ伏したアンジェリカの元へ屈もうとしたクリステルの視界に、見覚えのある剣の鞘が映った。歴代の皇帝が腰に差してきた、由緒正しいヴェルガの聖剣である。


「お父様」


 目の血走った皇帝が、聖剣を手に現れた。皇帝が全身に滾らせている殺意の衝動は、見る者の心胆を寒からしめるほどである。

 皇帝は震え声を出した娘を、じっと見つめていた。


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