反乱~第六環境地区 北側~
いつもお読みいただいている皆さま、本当にありがとうございます!
皆さまの目に留まるだけでも光栄ですが、ブックマークや評価や感想をいただけて
感謝しております!
いよいよ大詰めですが、最後まで気合を入れて書き上げたいと思っております。
第六環境地区 北側
雪の国、スネチカでアヒムと共にクリステルの警護をしていた青年ヨハン。彼もまた、愛銃を手にこの反乱に加わっていた。
ヴェルガ人の特徴である金色の髪と青い瞳を持つ美青年である。ヴェルガ兵として戦地に立っていた時は刈り込んでいた髪も、今ではすっかり頬に当たるほど伸びてしまっている。
戦場には無用な美しさを持つこの青年の愛銃は、口径7.92mm、装弾数は6発のボルトアクション式ライフル。
ヨハンは四階建ての家屋へ駆け入り、階段を駆け上がると、すぐに狙撃に最適な窓に身を寄せた。銃の先端を割れた窓ガラスへ差し込み、片眼でライフルスコープを覗き込んだ。
銃床に頬を乗せると、奇妙な安堵感が彼の心を満たす。これまで共に戦い抜いてきた愛銃。いくつもの修羅場を共に乗り越えたこの銃は、かけがえのない戦友である。眠る間もなく、食べるものもなかった戦場では何度も死を覚悟したが、こうして銃を手にしている時は不思議と心が安らぐ。
十字のスコープサイトからは先行する味方が、敵陣と凄まじい戦いを繰り広げているのが見える。
戦場は混乱の極みであった。マズルフラッシュを確認するたび、血飛沫が上がって誰かがバタリと倒れる。火薬が爆ぜれば人が死に、血と黒煙が都市の建物を塗りつぶしていく。ヴェルガの首都が戦場になる日など、誰が予想したであろう。
ふぅぅ、と息を吐いたヨハンは引き金を絞るため、指をかけた。
スコープには、武器を血で染めたベルセルクの頭蓋が収まっている。ヨハンの指は自然と引き金を絞っていた。火薬の炸裂音に次いで、銃床が肩にめり込む。肩甲骨の辺りから脳天まで振動が伝わったのと同時に、数百メートル先にいたベルセルクの頭が吹き飛んだ。
――人も果物と変わらない
コッキングレバーを手前に引き、遊底をスライドさせるとチャンバーから薬莢が飛び出す。それが床にキンと音を立てて落ちる頃には、次の標的が十字サイトに収まっている。
再び静かに引き金を引く。大きな銃声の轟きが耳鳴りを招き、一時の無音世界に入り込む。そうしてまた一人、ベルセルクの頭が破裂した。
・・・・・・・・・・
ヨハンの家系は、ヴェルガ国北部の山脈に根付く狩人の一族であった。
白い皮を持つ獣たちを狩り、肉は食して毛皮は仕立てて売ることで生計を立てていた。獣を狩って生きる狩人の存在というものは、往々にして恐れられるのが常であるが、この山脈の一族が恐れられているのは別の理由がある。
ヴェルガ北部の山脈で狩りを行うことは容易ではない。降り注ぐ雪や、常に吹き渡る風がその原因である。雪は白い毛皮の獣たちの姿を隠し、風は銃弾の進行方向を著しく変化させてしまうためだ。
ところがヨハン達、山脈の一族には恐るべき力があった。
彼らは獲物がどのような場所に潜んでいようと音や臭いで察知し、そして例え暴風の中であっても風を読み、放った銃弾を急所に必中させるのだ。
獲物までの距離、風の角度など、どんな精密機械でも割り出し得ない計算を直感でやってのける。代々伝わる狩人の血が成せる、デタラメな力であった。
・・・・・・・・・・
一人のベルセルクが身を屈め、四足獣の如く唸り声を上げていた。
目の前で頭を吹き飛ばされた味方を凝視した後、慌てて取った狙撃手への対抗策である。
ベルセルクが身を屈めたのは、戦士たちが押し合いへし合いを繰り広げる戦いの真っただ中。こうして蹲っているうちは、撃たれることもない。
味方の死体を凝視し、彼方に聳える建物へ鼻を向ける。
撃たれた死体がどのように倒れたのかで、狙撃手の場所はほぼ特定できる。加えて四階建ての建物の最上部から、人間の息遣いと匂いがする。
あそこか
目標を捕らえたベルセルクが、鼬のような素早さで地を這い始めた瞬間、その頭は粉々に吹き飛んでいた。
ヨハンはその光景を、600メートル離れた場所から見ていた。
狙撃手の鉄則。見敵(&)必殺は標的より先に行うこと。トリガーを引くタイミングは自らの狙撃技術と、環境と、状況を吟味した上で行うこと。
もし取り逃がせば、敵に位置がばれる。狙撃手にとってそれは致命的だ。死を司る女神は、簡単に相手側へ靡くだろう。
だからこそ、ヨハンは一撃必殺にこだわり抜く。一撃で仕留められないと見た場合、戦場で一時的に退くという勇気も持っていた。
故に、ベルセルクがどのように動いたところで「撃つ」と決意したヨハンの弾は逸れることはない。
「山の獣たちに比べれば、お前たちは果物と同じだ」
ヨハンが銃を持ったのは六歳の時である。柵の上にスイカを固定し、それを狙撃したのが最初の訓練だった。爆ぜたスイカは柔らかい果肉を周囲一帯に吹き飛ばした。人の頭を吹き飛ばした時、それと全く同じ光景が広がった。
コッキングレバーを引いてフォトン弾の薬莢をエジェクション・ポートから抜き、次の弾を装填してスコープを覗き見る。
ここでは敵がはっきりと見える。建物が多いので風もない。故郷の山とはえらい違いだ。これほど狙撃に適した環境はない、とヨハンは思っていた。
もう一発撃ったら場所を変えよう、と平静であった彼が絶句したのは、戦友であるアヒムが倒されるのを目撃したためである。
・・・・・・・・・・
ヨハンが絶叫する十数秒ほど前、アヒムはけたたましく吠え、迫る敵を薙ぎ払っていた。
左手に握った小銃で牽制しつつ、迫りくる敵は右手の大剣で叩き潰す。単純にして明快、それがアヒムの戦い方である。
ベルセルクの出現時は隊を乱れさせはしたが、自らが率先して敵陣に先行することで、怯んだ味方の士気を再び引き上げた。
「うぬっ!」
アヒムが扱う大剣は、その重量故、振り上げた剣の落ちる方へ少し力を込めれば恐ろしい威力を発揮した。強固な作りであるベルセルクの鎧に痕跡を残し、その肉体にも甚大な被害を与えた。膂力と重量ある武器は、強引な鎧通し戦法となっているのだ。
だが、アヒムだけの力でここまで押し込めているわけではない。
アヤメの師であるという者と、その配下にあるサムライ達が敵を全く寄せ付けない。頭から妙な耳を出したサムライたちは、一薙ぎだけで四、五人は再起不能にしている。ベルセルクとすら対等に渡り合ってくれる。後方からはヨハンの援護射撃もあり、加えて携帯式対戦車砲の分隊もまだ健在。自走砲や戦車が来ようとも十分に対処できる。
このまま一気に!
第七環境地区まで、と続けて叫んだはずであるが、突如飛来した巨大な影に押しつぶされた。アヒムの喉からは血胞がゴポゴポと零れる音と、隙間風に似た音が絞り出された。
これまで勢いづいていた反乱軍は、飛来したモノを見てさすがに色を失った。
アヒムの体を前足で踏みつけたのは、ワイヴァーンと呼ばれる恐るべき獣である。
翼を持つ生物の中で最も大きく、人が飛行機を作り出す前は空の王者として君臨していた獣。
体は7~8メートルと、皆等しく巨大である。腕は翼と同化しており、その翼は、例えば水かきのような、強固な骨に皮膚を張って伸ばしたようなものであった。
爬虫類を思わせる顔は尖っており、口には捕らえた獲物を噛み砕く牙が生えそろい、牙の隙間からは炎の吐息が漏れていた。翼はあるが鳥のように体毛はなく、頭から尾の先まで剣の刃を重ね合わせたような鱗があった。
有史以前に絶滅したとされていた伝説の獣が、突如としてヴェルガの首都に降り立った。そして前足から伸びた鋭い爪で、隊長の喉元を突き刺しているのだ。この光景を見て驚かない者がいるのであれば、その者は神が現界したとして、いつもの日常とのたまうだろう。
「お、おのれっ」
おそるべき獣に踏み潰されたアヒム。既に左半身は全く感覚を失い、潰れた肉体からは血がとめどなく流れ続けている。もはやこれまで、と腹をくくった彼は手にした手榴弾のピンを動く方の手でなんとか外そうともがいた。
すると蛇の如き獣の首が下へ下へと降りていき、足元で悶えるアヒムを覗き込んだ。首を傾げて獲物を見るその瞳は赤く、その中心には深淵と呼ぶべき黒い点がある。おおよそ生物とは思えない無機質な瞳の色に、アヒムが明確に死を感じ取った時、獣はアヒムの顔に噛みつき、首と胴体を引きはがした。
これまで驚愕していただけだった反乱軍は、隊長の死に様をみて金切り声を上げる。
おのれ!
よくも!
ばけもの!
皆はそう叫んで銃を撃ち続ける。
鋼の鱗を持つ獣に、通常の弾丸は通じない。悪戯に刺激するだけで役には立たない。それでも彼らは吠えながら、引き金を絞り続けるのである。獣が不愉快そうな目を向けると、彼らはますます声を荒げた。
その混乱の中、アヤメの師は気づいていた。彼らの声は戦場で響く檄や喝とは程遠い、泣き叫ぶ子供が発する恐怖の声と同じである。
「異形対策猟兵部隊!」
もはや口のきけないアヒムに変わり、アヤメの師が叫んだ。
「我らの手でこの国のモノノケを駆逐する! 続け!」
刀を手にしたサムライ達が怒声を上げ、ワイヴァーンへと斬りかかる。
桜花国で国の平和を守るため異形を相手にしてきたサムライ達は、このような大型の獣の倒し方は心得ている。
一対一で勝てる望みは少ないが、多対一であるなら勝算はある。一方が頭部への集中攻撃を行い、一方が足元を切り崩す。鎧の如き肉体は傷を与えにくいが、目や鼻など神経が集中する頭部、巨体を支える足の指を集中的に叩けば、勝機は生まれるのだ。
鍛え抜かれた精鋭たちによる巧みな連携。入道雲を蹴散らす風の如く、刃を閃かせて数人が一気に攻撃を繰り出した。
ひゅっと空を斬り裂いて飛来する刃は、しかしガッキと弾かれてしまう。世界でも最高峰の切れ味を発揮する武器「刀」。銃弾すら容易に斬り裂く刃が、獣の肌に食い込んでいかない。顔面、足の指先、共に傷一つつくことのなかったワイヴァーンは、瞳をギョロリと動かして口を開いた。
その瞳を見たサムライ達は、揃って首筋に寒気を覚える。
「退け!」
アヤメの師の命令でサムライ達が高々と宙に舞った次の瞬間、熱気が周囲を満たした。
ワイヴァーンは足の鍵爪を大地にめり込ませ、長い首を伸ばした。その口からは大地から吹き上がるマグマをも凌ぐ、高熱の焔が躍り出た。
吹き出した炎が石畳の道を覆いつくし、焼かれた者達の断末魔が響き渡った。火炎の元であるワイヴァーンは、金切り声を上げて相手を威嚇し、翼を広げて飛び上がる素振りを見せた。
大地を蹴り、家屋の屋根に避難していたサムライ達は、解放した自分たちの力が及ばない獣に生唾を飲み込んだ。
「さて、どうするか。厄介だな――」
アヤメの師がそうつぶやいた時、
「隊長殿」
「ん?」
「我らは常に準備はできております」
一人がそうつぶやけば、数人が揃って頷く。サムライである少女たちの瞳に、まざまざとしたものが灯っていた。見れば口角を吊り上げ、笑みを浮かべている者までいる。
「貴様ら、笑っているのか?」
師はそう問いただしておいて、すぐさま誤りであったことに気づく。
彼女たちは笑っているのではない。現れた強敵たちを威嚇するため、牙を剥き出しにしているのだ。
「隊長殿」
「なんだ?」
「我々はヴェルガとの最終決戦のため、ひいてはやがて発展するであろう世界大戦のために訓練を続けてきました。それが、講和などという幕引き――敵を殲滅せずに終えるなどは屈服に同じ」
一人の少女から零れた心の内。それは一介の兵士が口にする域を超えていた。
国は戦争を講和で収めた、ならば国に準ずる兵士はそれに従わなければならない。
如何な理由であれ、それを否定し、拒むことは重罪であった。
しかし、彼女たちはこの戦場で奇妙な笑みを浮かべて次々に思いのたけをぶちまけたのである。
「戦士が戦わずして安寧に身をやつすなどあってはなりません。闘争に身を投じて果てることこそ本義とみます」
「そこへきて今回の任、天姫様直々に我らをご指名とのこと。感涙のあまり、言葉もありませんでした」
「隊長殿、我らは死に場所を得たのです! あれほど羨望した光景の中、撤退はあり得ません。準備ができているとはそういうことです。どうか、お情けを。我らの・・・・・・サムライの本懐を」
次々と上がる部下たちの声。師は各人の思いを聞き入れる度、その口角を吊り上げていく。
血と消炎の中、散華の覚悟を述べる部下に対して笑みを見せるこの人物もまた、地獄から這い出た恐るべき獣である。師の笑みを身じろぎもせずに見る者たちもまた、魔性のたぐいであることは疑いなかった。
だが、これこそ命を賭して国を護ろうとした戦士の心。常人の物差しでは測れず、決して理解できない。戦場を生きる場とした者のみが辿りつける領域である。
「貴様ら、よくも吠えたな」
「ここで果てては、散華した仲間に涅槃で顔向けできません」
「・・・・・・あの門だ」
「はい?」
「第七環境地区へ抜ける門が一つでも開けば、この戦いの流れも少しは変わるだろう。弟子の一人に約束したのだ、この戦いで勝たせてやると。そのためにはあのトカゲが邪魔だな」
師の瞳にはことのほか穏やかな風が凪いでおり、そのまま静かに刀を鞘に戻した。
「我ら桜花国異形対策部隊――いや、白狼部隊。“狩りの神”の名を宿す我らが、あのような醜い獣に邪魔だてされたとあれば名に傷がつくな」
師を真似て刀を鞘に戻した少女たち。その目は爛々と輝き、心臓は胸を突き破るような強い鼓動を始める。
解放では敵わない。
第一段階の解放では。
「さて、これよりは大手を振ってまかり通ろうかい」
・・・・・・・・・
ワイヴァーンの脅威に晒されつつも、地上では未だ反乱軍の怒号が飛び交っている。
「何をしてるんだフォトン弾を使え! ええい、怯むな! ワイヴァーンを飛ばせたら、手持ちの武器では手が出せなくなる! いいな、空へは絶対に行かせるな!」
ようやく数名の分隊長が、自らのすべきことを実行し始めた。
隊長の声で、乱れていた兵達も少しずつまとまり始める。
「分隊! バズーカー砲を!」
炎を逃れた四名の分隊が、即座にバズーカー砲を肩に担いで狙いを定めた。想定外の兵器を相手にする場合、一つの砲では対処できない。ならば息を合わせて、個々を巨大な一として砕く。超大型戦車に対処する際の方法を彼らは選択した。
「撃て!」
携帯式対戦車砲が呼吸を揃えてワイヴァーンの翼めがけて飛来する。空を飛ばせるな、という命令から狙いは胴体ではなく翼である。
ワイヴァーンの翼は肌を引き延ばしたような巨大な膜であり、その部位はひどく脆弱である。
この獣は風を読んで空を飛び回るが、そのためには皮膜を活用していた。皮膜で風を受け、空気抵抗を読み取り、翼を動かしている。目ではなく皮膜で風を読み取り、空を飛ぶのだ。それ故に、皮膜には無数の神経や血管が張り巡らされている。
射出された2.6インチのロケット砲は、3インチの鋼鉄板に穴をあける威力を持つ。それが集中的にワイヴァーンの翼部を直撃した。
強力な鱗でなく、脆い翼の方に集中攻撃を受けた。さすがに無傷と行かなかったワイヴァーンが怯み、再び炎を吐き出すために口を開いた時、一発の銃弾が舌から顎までを喰い破った。ヨハンのフォトン弾が口元に命中したのである。
冷たい山の山脈に木霊するような、怒りと憎しみに満ちた咆哮が上がる。
怯んだのは束の間、すぐさま恐るべき獣の目に怒りが浮かんだ。もう一度業火を見舞ってやるとばかりに口を大きく開けた瞬間、
オオオオオオオオオオ!
と、多くの獣たちの咆哮が上がった。
ヴェルガの兵士たちは、敵も味方もみな等しく驚愕した。
巨大な白銀色の狼が、ワイヴァーンに次々と喰らいついていくのである。
狼の一噛みは驚くほど容易く部位を削り取っていく。ワイヴァーンはまるで穴あきチーズのような、無残な姿へと変わっていった。もはや火を噴く余力もなく、只一声。断末魔の金切り声を空に向けて放った後、ぐったりと果てた。
皆が勝鬨を上げようとした時、大きな影が次々と空から降りて来た。
数十のワイヴァーンの群れであった。




