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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
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高揚

 ヴェルガ城首都航空防衛基地が爆破されてから一分に満たない間に、アンジェリカはクリステルの部屋へ飛び込んだ。非常事態のため、ノックなどする余裕はない。


「失礼しますクリステル様! ご無事ですか!」


 既にブラウスとフレアスカートに着替え終えていたクリステルは、アンジェリカに背を向ける形で窓辺に立っていた。何事かと様子を伺っているのだろうが、これを見たアンジェリカの顔からサッと血の気が引いた。


「いけませんクリステル様!」


 駆けだしたアンジェリカの背中から天使の如く翼が躍り出た。白き翼は人間一人を十分に覆いつくせる大きさである。その翼を一度動かしただけで、アンジェリカは容易くクリステルとの距離を詰めた。室内の空気が、巨大な翼から生まれた風でかき乱された。


「え、アンジェリカ」


「こちらへ!」

 

 クリステルの手を引いて体を抱き寄せ、すぐに翼で覆う。そうして再び翼をはためかせ、数瞬の間に壁際まで身を引いた。

 壁まで真っ直ぐに羽ばたいたはずのアンジェリカの視界が、ぐらりと傾いた。


「あっ!?」


 小さなアンジェリカの体でクリステルを支えることは容易ではなかった。加えて慌てていたこともよくなかった。前のめりになった姿勢のまま、勢いを殺せず背中から壁に激突した。

 

背中を強く打ったため、体の内側を締め上げられるような圧迫感に襲われる。


「あぐぐ」


 惨めにも口端から涎が零れ落ちる。苦しみの中で、己の失態を恥じた。


「アンジェ!」


うずくまるアンジェリカを見て、クリステルが顔を青くする。


クリステルは体をどこも打っていない。

咄嗟にかばえたことが、アンジェリカにとって唯一の救いであった。


「大丈夫ですかアンジェ!?」


クリステルが呻き声をあげて悶えるアンジェリカの背中をさすると、大丈夫ですから、と静止される。

苦痛に顔を歪めながらも、アンジェリカは起き上がってクリステルの体に触れた。ブラウスの上から体躯に沿って、小さな手のひらを隅々まで這わせる。

そうしてひとしきり触診を終えると、心底安堵したようにホッと一息漏らした。


「窓は危ないんです。色々なものが飛んでくるから。でも良かった、クリステル様にお怪我がなくて」


 アンジェリカはクリステルに抱き着く。その小さな体が僅かながら震えていることに、クリステルは気づいていた。この小さな女の子を見ていると、クリステルの中にピアが蘇る。

 幼くとも意志が強かったピア。ピアは自分を守るためなら、命をも投げ出す覚悟だった。もし生きていたのなら、今のアンジェリカと同じことをするに違いない。

 アーバン国で味わった苦しみと、皆で誓い合ったことが思い出される。

 自分のために命を投げ出そうとまでしてくれる従者を、これ以上失うわけにはいかない。そして自分自身も生きなければならない。それが主としての責任である。


「ごめんなさいアンジェ、私が軽率でした」


「いいえ、私こそすみません」


 アンジェリカは背中の羽を小さくたたんだ。


「立てますか? シェルターへ避難しましょう」


「はい、アンジェも一緒に行きましょう」


 クリステルがアンジェリカの手を取ったところで、「ほう、もうお着替えはお済でしたか」という声が聞こえた。何の音も気配もなかったため、クリステルの胸はこの小さな囁きに飛び上がった。

 顔を上げると、いつの間にかエルフリーデがドアの前に立っていた。


「エルフリーデ」


 長く伸びる金色の髪と万物を透かし見ることができる紺碧の瞳。天使や女神と言われるエルフリーデの美貌は変わっていないが、着ているものが常のものとは違っていた。堅苦しいヴェルガの軍服ではなく、胸元の開いたイブニングドレスである。


「私に何か用ですか?」


「酷い言いようですね。異常事態であるから無事を確かめに来たのですよ」


「嘘ですね・・・・・・私の身を案じているなど。お前のように力はなくとも、嘘は見抜けます」


 アンジェリカに向けていた表情は一変し、強い眼差しでエルフリーデに向ける。

 途端に張り詰めた空気に、アンジェリカは「えっと、今は言い合いをしてる時では・・・・・・」とオドオドしながら双方の顔色を窺っている。

引き換えエルフリーデは極めて冷静に、どこか余裕を見せつけるようにして薄笑いを浮かべていた。


「クリステル様、もしや今日のことをご存じだったのですか?」


「なんの話ですか」


「ふむ」


 エルフリーデが笑みを消し、代わりに眉を(ひそ)めた。

 エルフリーデが聞いた“今日のこと”とは、明らかに先刻の爆発を意味している。クリステルがそのことを知らなかったのは事実である。

 だが、クリステルには僅かばかりの確信があった。前日にルリから手渡された種が、突然芽を出して開花していたこと。爆発から数分遅れてエルフリーデがここへ様子を見に来たこと。


 アヤメが来てくれたのではないか?


 エルフリーデはこの部屋に侵入したアヤメがいると考え、慌てて来たのではないだろうか?


 もしかして――


 クリステルが口を開きかけた時である。


「いえ知らないのなら結構・・・・・・アンジェリカ」


「はっ、はいっ」


 急にエルフリーデから視線を向けられたアンジェリカは目をしろくろさせた。


「どうやらこの城は襲撃を受けているようです」


「襲撃」


「そう。クリステル様の身を保護しなければなりませんが、これから私は行くべきところがある。私の代わりにクリステル様を“皇帝の間”へお連れしなさい。いいですか、決して怪我などさせず五体満足のままですよ。できますね?」


「皇帝の間ですか? シェルターでなく」


「そうです」


「何故ですか。いえ、あの・・・・・・お言葉ですがシェルターの方が」 


「アンジェリカ、私には私の考えがあります。お前はただ、クリステル様を皇帝の間へお連れすればいい。これまで私の言う通りにして、何か不都合が起こりましたか?」


「い、いいえ」


「ならば急いで。あなたには期待していますよ」


「はい」


 微笑んだエルフリーデが踵を返そうとすると、


「エルフリーデ」


 重たいクリステルの声がエルフリーデの足を止めた。


「さっき、どうして私に今日のことを知っていたか聞いたのですか?」


「クリステル様、この城は襲撃を受けているのですよ? 今は一刻を争う時なのに、そのような」


「なぜ私を皇帝の間へ移すのか、答えなさい」


「皇帝の間は強固な作りで、シェルターと変わりません。あそこにはヴァーミリオンもありますからね。いざとなればいくらでもお守りできます。さあアンジェリカ、早く」


「エルフリーデ! 答えなさい」


 クリステルの目は、見る者全てを凍てつかせる冷然たるものだった。

 綻びかけた花のようにふわりとした印象のクリステルが、かような如き表情を見せることは稀である。

 もはやエルフリーデとの確執は、埋めようのないものであると判断するに十分な憤りの声。これまで味わった驚き、当惑、哀しみ、怒りの全てが合わさり、クリステルを変貌させているのだ。


「また、その目ですか。あなたはあの娘のことを想う時、決まってその目になりますね」


 胸の底から浮かび上がる想いは瞳に現れる。きっ、と顔を上げたクリステル。

 純真無垢な愛を宿しているが故に朗らかであった表情は消え、今や秀麗な相貌は異常なまでの厳しさが張り詰めている。


――互いのためであるならば、か。本当に面白い二人だ。


 クリステルの方は怒りを露わにしていたが、エルフリーデはその姿にひるまず、かえって底知れない興味を覚えていた。


「・・・・・・あなたの思う通りですよ。どうやらあなたの騎士(ナイト)はここにいるようだ。多くの人間の意志を感じますが、とりわけあなたを強く想う者が一人紛れている。まずあの娘でしょうね」


「アヤメさんが」


 アヤメが来てくれた。微笑みが浮かびかけたその時、


「ふふ、ふふふふふ」


 どこまでも冷たく透き通ったエルフリーデの笑みが、クリステルの心を急激に冷ます。人間がいかに抗おうとも、決して覆せない何か。超巨大積乱雲が巻き起こす風と雷の嵐、大陸を飲み込むほど巨大な津波、そのように他を圧倒するものの全貌を垣間見たようであった。


「今日全てがわかる。星の意思たる私が勝つか、人の意思たるあなた達が勝つか。久しぶりに血が沸きますね。さあクリステル様は早く皇帝の間へ。ヴァーミリオンの力は弱めてありますから、あなたが入っても光で死ぬことはありません。私とアヤメの戦いを最前列で見せてあげますよ」


 白く透き通ったクリステルの指が、固く握りしめられた。


「お前にとってこれは遊びですか。どうして人の命をそうも軽んじるのです」


「誤解ですよ、遊びなどと考えてはいない。ただ、なんでしょうね、心が躍るのですよ。私を倒すために向かってくる者はこれまで数いましたが、取るに足らない理由か凡小な力の持ち主かのどちらかでした」


「アヤメさんは違うというのですか」


「ええ。あれほどまで愚直に愛を求め、そのために強くなれる者は初めてです。過去に何があったのかは知りませんが、よほどあなたとの絆が大切なのでしょう。だがそんな理由で星の命運を変えるわけにはいかない。だからこそ私も全力で挑もうと思うのです。そう、全力でね」


 エルフリーデは窓の近くまで歩んでいき、銃声と怒号の混じる城下を俯瞰する。


 口元を半月にして笑いつつ、熱く滾る心を抑えるよう努めた。


 つい昨日のこと、ヴェーミリオンは覚醒した。五つの石が完全に共鳴した時、空を駆ける彗星の如き鈍い光が走った。石たちは互いに間隔を保ちつつ浮遊し、時計回りに回転していたが、今はぴたりと静止している。これは銃にマガジンが挿入されたのと同義である。あとは光と闇のエルレンディアが力を送れば、再びヴァーミリオンは回転を始め、眩い光で世界を包み込む。そして世界の改変は成る。


 だが、エルフリーデはすぐにヴァーミリオンを起動させなかった。


 あれだけ心血を注いできた世界の改変は目前。しかし胸中では一人のサムライの顔が浮かんで消えないのである。


 アヤメ


 あの少女がクリステルと共に育んだ愛。その愛は本当に世界を変えることができるのだろうか。

 人間とも獣ともつかない、穢れた魔の者。そんなものが星の意思たるエルレンディアに勝るのか。


『人の手は時に神にも届く。強い意志が理を覆すこともある』


 天姫はそう言った。

 現政権を批判したクリステルを殺せ、と皇帝に言わせたのはエルフリーデ。あの時、もしもクリステルを桜花へやらなければ出会うことのなかった二人。きっかけを作ったのはエルフリーデ自身である。

 初めは吹けば消えるような小さな反抗の火であった。しかし、彼女たちは小さな火を集めて、今や可能性と言う名の大火へと変貌を遂げている。

 死にかけの皇女と、東方の小さな島国の戦士がこうも力を見せつけるとは予想だにしなかった。

 かつてアヤメに打たれた首筋。そこが火照って仕方がない。

 天姫の言う通り、本当に抑止力と成り得るのか。そのことがずっと気になっていた。以来、アヤメの顔が瞼の裏で、気味の悪いしつこさで浮かび上がるのだ。


――恐れているのか。あるいは待ちわびているのか。私があのような者を?


 ヴァーミリオンは覚醒したが、もう一日だけ待ってみよう。それがエルフリーデの出した結論であった。

 そして先刻、爆炎と衝撃波を見た瞬間、エルフリーデは全身の血が沸きあがるのを覚えた。


 来た


 その悦びは、かつてないほどにエルフリーデの体を貫いていった。


ほとんど笑みを見せないエルフリーデ。その笑顔がアンジェリカの背筋にぞわり、としたものを走らせた。彼女の性格は決して粗暴でも、短気でもない。控えめで大人しい性格であり、純粋に人と自然を愛する心を持っている。


 「エルフリーデさん」


 争いは決して好まない性格ゆえに、命令に異を唱えることはまずしてこなかったが、皇帝の間で何か良くないことが起こると察した今、黙ってはいられなかった。


 「今のお話はどういうことですか。この襲撃を予知していたのですか?」


 「アンジェリカ」


 「クリステル様に酷いことはしない、ですよね? お二人はちゃんとお話しできればきっとーー」


 「アンジェリカ。早くクリステル様を皇帝の間へお連れしなさい」


 「教えてください。クリステル様に酷いことをするなら、私は――」


 「酷いことをするなら、なんです?」


 エルフリーデの目が鬼火の如く光る。

 思わずびくり、と震えたアンジェリカの背中を、冷たい汗がつたった。らんらんと異常な光を灯した双眸に威圧され、それ以上の言葉を紡げなくなってしまった。


 「私は早く行きなさい、と言っています」


 「・・・・・・はい」


 エルフリーデの眼光はますます荒々しくなり、アンジェリカは観念するしかなかった。

 クリステルの手を取って、すぐに部屋から出て行った。

 

 アンジェリカの思わぬ反抗に僅かばかり気が削がれたエルフリーデだが、窓の外で繰り広げられている戦いを見て、すぐに気を持ち直した。

 このまま窓をぶち抜き、城下へと降りていき、すぐにでもアヤメと相まみえてみたい。そのような誘惑にかられたが、寸でのところで思い直し、本来向かおうとしていた場所へと歩を進めた。


「まだよ。お前が本当に抑止力となるのなら、私も全力で挑まねば。手の内全てを舞台に上げてあげるわ」


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