上陸 1
ヴェルガ国は近年の侵略戦争で多くの国土を得た。
戦争に勝利したヴェルガは、他国を吸収合併することにより大国から超大国へと変貌を遂げた。
しかし、急速な国の吸収が内部に混乱をもたらしていたのも事実である。
例えば先の桜花国との戦争が、そうした問題を浮き彫りにした。
ヴェルガに呑まれたいくつかの国の兵士達は、ヴェルガへの愛国心も養えぬまま、ヴェルガ語もわからぬままに戦争へ送り込まれた。信念のない兵士たちは、ヴェルガ軍の上官が自分たちの理解できぬ言語で罵倒するのに戸惑うばかりだった。
戦場でただ銃をもって立つカカシ同然。数で圧倒したヴェルガが桜花に敗北した原因である。
実際の所、ヴェルガで指揮を執ったエルフリーデは国土が欲しかったわけではない。ただ、世界のどこかに眠るヴァーミリオンの欠片を捜索するための侵略であった。
彼女は人間が心で動くものだということを知っている。だが人間の業の深さを知り、人の心の在り方に絶望し、そして興味を持つことを忘れた。
ずさんな管理でどれほどの人間が死のうと興味がなかった。
興味があったのはヴァーミリオンのことだけ。人も国も目的のための手段として使うのみで、消えたところでまた生えてくる雑草程度にしか考えていなかった。
そしてヴァーミリオンを手に入れた今、もはやエルフリーデは国の維持に興味はない。
世界の書き換えは目前であり、国を操る理由もなくなった。
国政や国策などは全て目下の者に任せ、城に籠りきりである。
・・・・・・・・・・
ヴェルガ国西、アキテリーヌ海岸。
深夜と明け方の境目であった。周囲は明け方特有の群青色に包まれていた。風もなく、穏やかな海面が清々しい水音を立てている。
アキテリーヌ海岸を防衛するヴェルガ国海軍のミシェール大佐は、高官に与えられるケピ帽を目深にかぶり、幾人かの部下を引き連れて海の先を見つめていた。未だ空には星が瞬いており、岸から先の海は暗く沈んでいるように見える。そこからヌッと巨大な船影が見えた時、待機していた何人かは思わず「おお」と声を上げた。ミシェール大佐は皺の出始めた目を少しも動かさず、ただただじっと迫る船を見つめていた。
「到着したようだ」
ミシェールが言うと、すぐさま兵士達は動き出した。船と連絡を取って港へ誘導し、荷下ろしのための車を数台用意した。
「よくもこんな目立つもので来たものよ」
船は戦艦の如き大きさであった。口ひげを指で擦り上げミシェール大佐は船の方へと急いだ。
船に掛けられた橋からは既に何人かが港に降り立っている。そのうちの一人の大柄な男が手を振りながら、ミシェールの方へ走り寄ってきた。クリステルを護衛していた大男、アヒムである。
「ミシェール、お前は必ずこちら側についてくれると信じていた」
「黙れ、こんなでかい船で来てからに」
「百人以上乗せてたんだ、仕方ないだろう」
「隠す方の身になれ」
「それはお前、うまくやるのがミシェール大佐殿だろうよ」
ミシェールはフン、と鼻を鳴らした。
各国は陸や海、空に至るまで境界線を引いている。それはヴェルガも同じことであり、各地にレーダー施設を設け、その情報は統帥部であるヴェルガ城へ逐一送られている。
しかし、国土を広げたことで防衛線の管理が追いついていないのが現状だった。統帥部も各地へ報告が迅速かつ正確になるよう、レーダー施設増設に発破をかけている。
ミシェール大佐を筆頭にしたアキテリーヌ海岸防衛軍は非常に優秀であり、これまで幾度も境界を越えた他国籍軍を追い払ってきた。
陸軍と海軍の連携がとても巧みで、これは海軍であるミシェール大佐の尽力によるものが大きかった。人徳のあるミシェールには多くの支持が集まり、団結した二大勢力はいくつもの成果を挙げた。
統帥部がミシェールに信頼を置くのは当然のことである。
「・・・・・・返事がないが、本当に大丈夫なんだろうな? エルフリーデにバレたら俺たちは袋の鼠だ、数は向こうの方が多い」
アヒムが言葉に少しだけ気弱なものを漂わせて言った。
「二言はない。お前たちが来たことは奴には洩れん、安心しておけ」
髭を弄りつつ、そう言った。落ち着き払った声の中にどこか荘厳なものが含まれていたため、アヒムもミシェール大佐の言葉を信じることができた。
「恩に着る」
「いいから早く行け。丘に登ればあとは陸軍が誘導してくれる手はずだ」
「さすが、準備がいい」
その時、ミシェールの目端に桜花国軍の戦闘服である裾の短い着物を纏った少女たちが映った。
「ヴェルガ国はどこぞの国と違って陸海軍の連携がきちんととれているからな。この西海岸は特に」
ヴェルガ国西海岸の陸・海軍はミシェールの意向に賛同している。レーダーにどんな機影が映ろうとも、指令本部には知らぬ存ぜぬで通すつもりである。口を割るくらいなら死を選ぶ、生粋のヴェルガ軍人達であった。
「そうか、頼もしい奴だよお前は」
笑ったアヒムを制するよう、ミシェールは鋭い目つきになった。
「なあアヒムよ、私はお前との約束を守った。次はお前が守る番だ」
「おうとも」
アヒムはぐっと腕に力こぶを作り、胸をドンと叩いて応じる。
「私が忠誠を誓うのは誇り高き皇家の人間のみ、我が国を貶めたあの売女ではない」
ミシェールは早くからエルフリーデの悪行に気づいていた。気づいていたが、これまで何もできなかった。ただ与えられた命令をまっとうすることが、いずれはヴェルガのためになると信じていた。
「アウレリア様を頼んだぞ」
アウレリアの名を出したミシェールの目が、一瞬だけ慈愛に満ちた。
ミシェールの一族は代々、皇族シェファー家を護る任に就く者が多かった。ミシェールの祖父は前皇帝と護衛の合間にいつしか世間話をする仲になり、ミシェールが生まれた日などは前皇帝が友人として手紙を送ったことまである。
シェファー家の人々の心の温かさを聞いて育ったミシェールは、強い憧憬の念を胸にヴェルガ軍へ入隊した。仕事にかかりきりで、家庭のことはないがしろにしがちであった。
一人娘が逸り病で亡くなった時も、彼は戦場に立っていた。
使命と悲しみの狭間に立たされ苦しんでいた時と、アウレリアが皇女として矢面に立たされた時はぴたりと符合する。
年で言えば死んだ一人娘と変わらないアウレリアが、皇女として必死に生きていく様に胸を打たれた。いつしか死んだ娘とアウレリアを重ねていた。
そのアウレリアが命を狙われた。
コンシェンからの暗殺部隊が戦闘機に爆弾を積み、城に突貫したのだという。
侵略戦争のツケが回ってきたのだ。ツケを払うのは戦争を始めたエルフリーデではなく、取り巻きの老人達でもない。皇女という存在のアウレリアだった。
そこでミシェールの目が覚めた。
エルフリーデ率いる軍の意向など知ったことではない。いかなる理由があろうとも、シェファー家の人間を護ってこそヴェルガ軍人である。
雪の国、スネチカから数名の議員を連れて逃げ出してきたアヒム達一団を海上で捕らえたのはそんな時であった。西側、アキテリーヌ海岸の防衛線は優秀であり、アヒム達はその網にかかったことになる。ミシェールはこの一団を捕らえたことを統帥部には連絡せず、自ら尋問を行った。そしてクリステルと、アウレリアがどのような状態にあるのかを知った。
ミシェールも自らの心境を吐露し、アヒム達の縄を解いた。
そして船を与え、準備を終えたら堂々とこの西海岸に戻ってくるように言い放ったのである。
「動物がお好きな優しい方なのだ、本来であればこのような・・・・・・いやもう言うまい」
ミシェールは咳払いを一つして、今一度アヒムを睨みつけるようにして目を開いた。
ミシェールは戦いに参加したくてもそれができない。
アヒム達が内戦を始めれば、その情報はすぐ世界に広まるだろう。城下町には未だ拘束できていない、他国のスパイが潜んでいるはずなのだ。彼等はすぐにでも母国へ連絡するはず。
ともなれば、隣国がこの混乱に乗じてヴェルガへ侵略しにやって来るのは目に見えていた。
その兵達をこの海岸で止めなければならない。
ここには軍を含め、民間人が多く暮らしている。侵略を許せば、彼らへの被害も免れない。
ここで命をかけるのが、いまの自分にできること。
そう理解していた。
「頼んだぞ、この国を取り戻してくれ」
人は人と繋がることによって世界を作り出していく。
エルフリーデが斬り捨てたものが、アヤメ達の力となっていた。
この西海岸での出来事が、エルフリーデへの最初の反撃となる。




