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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
122/170

天使と悪魔 3

話しは過去編から現在に戻ります。


レキとアンジェリカはヴェルガ国メルリス騎士団になっています。

 控えめなノックの音が響いた。


「はい」


 クリステルが応えると、廊下から弾んだ声が聞こえる。

『クリステル様、アンジェリカです。お食事をお持ちしました』

「どうぞ」

「失礼いたします」


 扉がゆっくりと開かれると、食器を乗せたトレーを持った少女が現れた。

 トレーは少女の肩幅よりも広い。着ているワンピースから伸びる腕はか細く、今にも折れてしまいそうなほど震えていた。

 健気にも唇を結んで力んでいるが、すぐに手から落としてしまいそうだった。


「アンジェリカ、私が持ちますから」


 すぐに駆け寄ったクリステルだが、少女は首を振った。


「いいえ、やらせてください。クリステル様は休んでいてください」


 トレーには食べきれないほどの食事が乗っている。前菜からメインディッシュまで、これほどの量を一人で食べられるはずがないのに。皇族への料理として古い格式で決められているということで、断っても毎回同じ量が出されてしまう。


 少女は肩まで切り揃えたさらさらとした黒髪をなびかせて懸命にテーブルまで進んで行く。

 透明な血を宿しているのではと錯覚するほどの白い肌。クリステルの半分ほどしか身長がないため、纏っているヴェルガ国メルリス騎士団の正装である、コルセットとプリーツスカートは他の者に比べて格段に小さい。。

まだ十歳を少し過ぎたばかりの少女の名はアンジェリカ。メルリスとして、今はクリステルの護衛を務めているのである。


「ご不便をおかけするわけにはいきません」

「私はずっとここに閉じこもりっぱなしで。だから、体を動かしたいのです」

「あ!?」


 クリステルはアンジェリカからひょい、とトレーを取り上げる。


「私の、お役目なのに」

「ここまで運んでくれただけで充分です。重かったでしょう? あなたには酷な仕事です」


 仕事を奪われたアンジェリカは涙目でモジモジし始めた。


「アンジェ」

「はい」

「あなたから仕事を奪ったのではありませんよ。私も少しは体を動かさないと。我儘を許してくださいね」

「そんな。私なんかにお気遣いを」

「座ってアンジェ、一緒に食べるのを手伝ってくれますか?」


 クリステルは固辞させないために、すぐに椅子を勧めた。アンジェリカもそれを理解し、恐縮しつつも腰かけた。

 こうして二人で食事をするのは数回目である。最初の内は恐れ多いと断っていたアンジェリカも、今は謹んで食事を共にしてくれるまでになっていた。


「あの、クリステル様。お体の具合はいかがですか?」

「いいですよ。アンジェが一緒に食べてくれると嬉しくて、ご飯がおいしいですから」


アンジェリカは頬を染めて俯いたが、クリステルが覗きこむとすぐに顔を上げた。

嬉しいです、そう言うように目を細めて頬笑む。


「何かしてほしいことはありませんか? 可能な限りなんでも」

「こうして一緒に食事をしてくれるだけで充分です、とても楽しいですよ」

「はい、うむっ」


 おどおどしつつも頬張った野菜が口からはみ出てしまう。すぐに飲み込もうとしたが、レタスが生き物のように動いて口の周りがべったりとなってしまった。恥ずかしさに赤面していると、クリステルが手にしたナプキンで口を拭いてくれる。


「クリステル様――」

「動かないで」


 皇女の顔が近づいたのがわかると、一瞬で固まったアンジェリカ。ナプキンの匂いの奥に、クリステルの甘い香りが漂うのを感じる。緊張やら気恥ずかしさやらで、もうわけがわからなくなってしまった。

 と、思った時。アンジェリカの心にふわりと、しかし明確な形を帯びた想いが浮かぶ。


 この人は優しい。野心と功名が蔓延る狂気の時代。その中で己を顧みず、誰かのために崇高な行いができる人。世のために生きるべき人だ。


 これまでずっと言うに言えなかったこの想い。

 何故か今なら、自然と伝えられる気がした。


「クリステル様」

「なんですか?」


 微笑みの尊い皇女を、死なせてはならないと思う。いや、死んでほしくない。そう強く願った。


「エルフリーデさんと仲良くできませんか?」


 エルフリーデの名を聞いた途端、クリステルの表情が曇る。

 アンジェリカの言葉はあまりにも唐突で、刃の如き閃きを帯びていた。


「あの、話を聞いてください。どうか」

「――はい」

「私はレキちゃんと一緒にここに来ました。ここに来るまでは本当に酷い暮らしで、あのままだったらきっと私もレキちゃんも死んでいたと思います・・・・・・そこをエルフリーデさんが助けてくれました。エルフリーデさん、この世界をよくするんだって。そうしたら私もレキちゃんも一緒にいられるんだって――」

「私は」


 クリステルは言いかけて、一度呼吸をし直し。まっすぐな目で言った。


「できません、この世界を滅ぼすなど」

「外の世界は恐い人たちがたくさんいて、私にもレキちゃんにも酷いことを――世界は滅ぼされるんじゃありません。生まれ変わるんです、新しい世界で大切な人と生きていけるなら私は」

「アンジェリカ」

「エルフリーデさんいい人です、私たちに優しくしてくれる。それはクリステル様も同じなんです。どうかお願いです、クリステル様は新しい世界で生きるべき人です。このままじゃ」


 そこまで言ってアンジェリカは口をつぐむ。

 俯いたまま椅子から立ち上がると一礼して言った。


「お食事、続けてください。食器は後で取りに参ります」


 もう一度だけ一礼してアンジェリカは部屋を後にした。


・・・・・・・・・・


 クリステル様の護衛を任されたのは三か月前のこと。

 

 私に与えられた命令は、クリステル様の体調に変化がないか見守ること。敵からお守りすることじゃないんですか、と聞いたら、もうこの城に内通者はいないし(アウレリア様が狙われた時は本当に驚いた)、外から攻めて来ようにも無理だろうと言われた。エルフリーデさんの力は強力だし、レキちゃんもいるからそれはそうなんだろけど。


 クリステル様は体が弱いから、心身にかかる負担ですぐに衰弱してしまうことがあるって。だから何かあればすぐに力を使って助けてあげてって命令だった。

 クリステル様を城から出さないのは安全のため、万一に備えてなんだって言うけど、私は違うとわかっていた。

エルフリーデさんはクリステル様をあそこに閉じ込めておきたいんだ。

どんな理由かは知らないけど、大切なものを隠しておきたい人の目はわかる。


前は私も、そんなふうに閉じ込められていたから。



檻から出られた私はとても幸せだから。クリステル様にもそうなってほしい。お城に閉じ込められるのは辛いに決まってる。だから、なんとか助けてあげたい。

エルフリーデさんと仲よくできれば。


「はふ」


ため息が出ちゃう。

きっとクリステル様を困らせてしまった。そんなつもりじゃなかったのに、とても困った顔をさせてしまった。綺麗な顔に悲しみが浮かぶのを見ていられなくて、逃げ出してきちゃった。


どうしてだろう。クリステル様もエルフリーデさんもいい人なのに。仲よくできないはずないのに。


こんな時はレキちゃに会いたくなる。

なんでもない話をするだけで、悲しいことを忘れられたり、悩みごとが解決したりする。


レキちゃんどこかな。


すれ違う衛兵さんに頭を下げて、廊下を抜けたら・・・・・・そうだな、庭園の方へ行ってみようかな。



 私、お父さんとお母さんの顔を知らない。お姉ちゃんや弟がいるのかもわからない。

 生まれた時から一人で。施設に引き取られてからはずっと、研究所と呼ばれる場所にいて、外に出ることを許されなかった。真っ白な部屋に、ずっと一人ぼっち。


窓に写る景色を見ている時間を知り、横切る鳥たちを見て外の世界を想像した。

あの時は寂しいとか、外の世界に行ってみたいとか思わなかったなあ。この部屋で生きることしか知らなかったから。


教えてくれたのはレキちゃん。


レキちゃんは私とは違う不思議な力を持っている。無理を言って見せてもらったことがあった。

 赤いお月様よりも真っ赤な瞳で、栗色の髪の毛を支える首筋は白く細くて。

砕けた硝子玉みたいに、妖しくきらめく火の粉を纏った姿はとても綺麗だった。


私は「うわぁ」なんて声をあげて、感動してしまった。こんなに綺麗な人を見たことがなかった。


 もし、レキちゃんに出会えていなかったら今頃私は――


「アンジェリカ」

「え」


 振り返ると、クリステル様がいた。


「クリステル様!?」


 後を追って来た!? エルフリーデさんのことを話したから、怒っちゃったのかな。思わず後ずさりした私の手を、そっと取ってくれる。

 白い指先はうっすらと血が通っていて、桃色になっている。温かい指先に胸がドキドキする。いつものように微笑んで、上気した頬で顔を寄せてきた。


「ね、アンジェリカ。私のこと好きですか?」

「あの、私」


 尋ねるクリステル様の、桜色の唇に目を奪われてしまう。どうしたんだろう、いつものクリステル様らしくない。

 クリステル様が私の肩に手を置いて、頬に口づけをしてくれた。


「あっ」

「嫌ですか?」


 クリステル様は微笑んだまま膝をついて、おへその辺りにも口づけをする。コルセット越しだったけど、熱い吐息が絹を通して伝わってきた。

 呆然と見下ろしていると、そのままコルセットをたくし上げられてしまった。私のお腹を見て唇に笑みを刻んだクリステル様は、そのまま唇を這わせた。


「ふあっ」


 ダメ、声が出ちゃう。


「クリステル様、おやめください」


 そう言ったけど、やめてくれなかった。

 クリステル様の舌がぴちゃぴちゃと音を立てて、私のお腹を舐めていく。


「やめ、て、ください」

「可愛い。可愛いですよアンジェリカ」


 唇と、舌が動く感触。時折、向けられる目線。

 おかしい、こんなの。クリステル様はこんなことしない。


「やめて!」


 声を上げて離れようとしたけど、ごつごつとした手に捕まれた。

 わけがわからなかった。

 さっきまで目の前にいたのはクリステル様だったのに。今目の前にいるのは、研究所で私を襲った髭の生えた男の人。


「おぉ、天使様」


 悲鳴をあげることもできない。恐くて逃げ出そうとしたけど、男の人の方が強くて押し倒されてしまった。あの日と同じように。


「天使の力をわたくしめにお与えください」


 いや、やだ、そんなところ舐めないで。

 恐くて悲鳴も上げることができない。


『フハハハハ!』


 男の人が笑う。

 あんなに明るかったお城の廊下が、真っ暗になっていた。巨大な手が太陽を包み込んで、夜を生み出したみたいに。


しまった、この人・・・・・・悪魔。


『天界の住人よ、お前の肉と魂をいただくぞ。実に良き、良き匂いだ』

「違うっ! 私は天使なんかじゃっ」

『んあぁ』


 頬をつたう涙を舐めとられた。


『甘い、実に』



 下がれ!!


 声が、聞こえた。

 来てくれた。


 ジャラジャラと金属のこすれる音が聞こえる。それは真黒な鎖。風になびく旗のように自在に動き回っていた。それが私を押さえつけていた男の人にむかって踊りかかった。

体を縛られた男の人は、耳を覆いたくなるような悲鳴を上げた。

 痛みと怒りで暴れ回るけど、鎖は振りほどくことができない。動くほどに体に食い込んでいくようだった。


 ふわりと漂ってきたのは、レキちゃんの匂い。食べごろになった甘い果物のような、そんな落ち着く匂い。

 栗色の髪の毛を逆立てて、目は燃えているみたいに真っ赤になっていた。


「レキちゃん」

「離れてな」


 私を抱き上げると、男の人から庇うようにしてくれた。


魔手(タロン)地上(ここ)に何の用だ」


『お前か、お前が“火”か』


 男の人の声を聞いたレキちゃんの目がいっそう鋭くなったのを見た。


『地獄の力を持ちながら、なぜ天使に味方する。冥王はお前のしていることにお怒りだ“裁きの日”には王自らお前を捕らえに来るぞ』


「そいつはいいぜ。この炎と鎖があれば、世はこともなし。おまけで糞野郎の悲鳴が聞けるならハッピーだ」


 レキちゃんが突き出した拳を握る。

 ッギャリ!

 と、空気をつんざく音がして。レキちゃんの鎖がもっと強い力で男の人を縛り付けた。


「地獄へ帰りな」


 黒い鎖がオレンジ色に輝く。暗くて寒かった廊下が、すぐに耐えられないほどの熱さに呑み込まれていく。


『火か、俺は火から生まれたんだぞ』


「ハッ、この炎はてめえらですら燃やせるんだよ。さあ惨めに踊れ、そしてあたしを楽しませてみろボケナス」


 鎖は更に熱を増して、男の人は蝋燭みたいに溶けだした。その光景と悲鳴が恐ろしくて、私はレキちゃんの腰に手を回して、必死にしがみついていた。


「ボスによろしくな。ついでに伝言を頼むわ」


 ククク、とレキちゃんが笑う。とても小さな笑い声なのに、男の人の悲鳴よりも耳に残った。


「こいつはあたしのもんだ、てめえはクソでも喰らってろってな」


 ボン! という音がして、それから何も聞こえなくなった。

 廊下は、いつも通りの。昼下がりの静かなものに戻っていた。



「なにしてんだよ、クリステル様んとこにいるはずだろ?」


「レキちゃん」


来てくれた。

レキちゃんは私が探してると、いつも来てくれるの。


「なんかあったのか?」


「あ、うん」


綺麗だな。

同じメルリスの服を着てるのに。プリーツスカートから伸びる足の細さとか、コルセットを押し上げるような胸の膨らみとか、つやつやの唇とか、やっぱり私とは違うな。


「どうせまた余計なこと言ったんだろ? ガキはガキらしくしてりゃいいのにお前は」


「余計なことって、だってクリステル様がかわいそうで」


「でも、お姫様が自分で決めたことだろ。ならその気持ちも汲んでやれよ。ったく、シェファーのお姫様がたはひ弱なくせに頑固で困ったもんだ」


「レキちゃん、なんとか助けられないかな」


「お前にできることって。病気治したり、寿命のばしたり――」


「あの、それ無理。アンジェは怪我しか治せない」


「ならこの話はおしまいだ、クリステル様とあたしたちの考え方は違うんだ。どうにもできない」


「そう、かな」


「そうだよ」


 レキちゃん。


 本当にそれでいいの? 私たちだけが幸せならそれでいいのかな。

 



アリスの話を書いている時から、同じような境遇の女の子の構想はありました。

あまり暗くしすぎてもあれなので、できるだけコミカルに明るくしようとしたらレキが出来上がりました。


娼婦って時点で暗いんですけどね。

アリスとレキは境遇が似ているので仲良しな設定です。本編では書けなかったので、百合っとの方でできれば進めていきたいです!

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