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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
最後の戦い篇
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新たな章。始まったそばからなんて重いタイトルなんでしょう

命とはなんであろう。

様々な答えがあるだろう。回答者にとっての“今”を証明する問いであるのだから。


 大国の皇女はこの数日間、ずっと自身に問い続けていた。

秋も暮れかけた肌寒い朝であった。

 今日もクリステルは城内の誰よりも早く起床し、窓際の椅子に座っていた。


「アヤメさん」


 愛しい人の名を呟く。彼女の口から洩れた温かな吐息が窓を曇らせた。

 両手をお腹に当て、目を閉じてアヤメのことを想った。


 命とは何か。


 クリステルにとって命とは未来であり、希望である。体内に宿る新たな命は、生きるための支えとなっていた。


アヤメと別れてから三か月の月日が流れていた。日が経つごとにアヤメが遠ざかっていくようであった彼女にとって、お腹の子は関係を繋ぎとめる大切な存在だった。これはアヤメの愛が確かなものであったという証なのだ。


身に宿る子供に対し、こうも前向きに捉えることができたのは最近のことである。


アヤメの元から連れ去られた数日の間、クリステルはひどく暗い気持ちのまま過ごしていた。 

エルフリーデがクリステルに宿る命を魔物だと言い放ったのが理由である。その言葉は思いのほか心に深く突き刺さった。


アヤメの温もりと愛から授かった新しい命。いつこの世から死するともわからない身の上であるが、生涯愛すると誓える人と出会い、共に命を育むことができるのだ。驚きよりも喜びが勝っていた。

しかし、エルフリーデはくだらぬものでも見下すような目を向けた。

気高い鷲は死肉に目をつけない。エルフリーデを見たクリステルの脳裏にこんな言葉が浮かんだ。

エルフリーデは憎むべき敵であるが、魔物のような黒い力を宿してはいない。強大な力の源は光であると、何の力も持たないクリステルでさえ感じ取ることができる。それほどに彼女は光で輝いている。

そのエルフリーデが自分のことを汚らわしい死肉を見るような目で射抜くのだ。お腹の子を魔物と言ったのだ。


この言葉は消え難い毒の針となり、クリステルの心に恐れを生み出していった。


アヤメは人とモノノケとの間に生まれた特異な存在であると聞いていたし、本来、乙女同士の恋愛であれば宿るはずのなかった生命だ。この子はどこから来たのだろう。


恐い。恐くてたまらない。


眠れぬ夜が数日続いた。




異変に気付いたのは、ヴェルガ城に戻ってから五日目の夜である。


湯あみを終えたクリステルは早々と床に就いたのだが、


「っけ、けほっ、けほっ」


 治ったものと思っていた風邪がぶり返した。咳が止まらず呼吸をすることもままならない。なんとかベッドから這い出ようとしたが、足を踏み外して床に倒れてしまった。


「いたっ」


 床から立ち上がろうとした時、何気なく額に触れてみると想像通り熱かった。


 鼓動が早くなる。


 精神的疲労が重なったのが悪かった。苦しさの中、なんとか人を呼ぼうとした時に浮かんだのはピアだった。


 城にいた頃はいつもピアが付き添ってくれた。そんなピアも、もういない。ソニアもアヤメも――

 ひどく心細くなった。誰か助けてほしい、一人は心細くてたまらない。

 床に座り込んでベッドにもたれかかったクリステルは、窓に映る月明りを見て泣きそうになった。すると、


 トクン、と体の中から鼓動を感じた。


 不思議な感情が浮かんでくる。先ほどまであれほど心細かったのに、今はまるで母の腕の中にいるかのような、言いようのない安堵で満たされていた。

 乱れていた呼吸もいつの間にか穏やかになっている。体の中を瑞々しい力が行き渡っていくのを感じる。かつて桜花国で泉の水を飲んだ時の感覚と似ていた。

 

 病弱な体からこのような治癒力と心の平静を生み出せるわけがない。救い主が誰であるかすぐに思いついた。 


「・・・・・・あなたなの?」


 クリステルがお腹をさすると、トクン、ともう一度だけ鼓動してそれきりしんとなった。

 体調はすっかり良くなっている。


「私を助けてくれたの?」


 応えはなかった。

 代わりに、あの時のことを思い出す。


エルフリーデに攫われてヴェルガ城に戻った時、噴水に顔を押し込まれて溺死しかけた。救ってくれたのは、お腹の子供である。


『それはねあなたの命を蝕んでいるの。世に這い出るため、宿主の命を食い物にしている。そして生まれるまでは宿主が死ぬことを決して許さない』


 エルフリーデは言った。


 命を蝕まれていると意識して浮かんだのは、これまで襲ってきた者達。暗殺者、異形、ヴェルガに恨みを持つ者、皆それぞれが等しく『生きているのが罪』と言わんばかりの顔だった。人を殺すことを覚悟した者達の目は恐ろしく、今も脳裏に焼き付いている。

 無機質な獣と同じ目。


 この子も同じ目をしているのだろうか。


 嫌な想像は拭うことができなかった。


 だが、本当にエルフリーデの言うように蝕まれているのだろうか?


 今も体の内から生命力が溢れてくるのを、確かに感じるのである。体は疲弊するどころか、四肢の隅々に至るまで瑞々しい活力が湧いてくる。虚弱体質である自分に、このようなことが起こるはずがない。命が色濃くなっていく。


 この力はどこから?

 自分の体からこれほどの生命力を搾り取れるはずがない。回復するばかりで、体に全く負担がないのでは理屈に合わない。

 ということは、お腹の子が自らの命を削っているのではないだろうか?

 尊い命を犠牲にし、母親を護ってくれているのでは?


 最初は淡い感覚でしかなかったが、この数か月を過ごしてみてそれは確信へと変わりつつあった。


 クリステルは悪夢のような想像をしていた自分を恥じた。

 宿る命はアヤメと育んだ愛の結晶なのだ。自分の命を吸い取ろうとするわけがない。


「ごめんね、愚かな私をどうか許して」


 この子のためにも生きなければ。


 生きてもう一度アヤメと会い、世界をより良い方向へ導かなければならない。

 これから生まれてくる命に、私たちの過ちを背負わせてはならないのだ。


 クリステルの生きようという気持ちは一層強くなっていく。

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