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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
118/170

二人のエルフ

大変長らくお待たせしました!


場面変わってソニアの話です。

花が咲いていた。

 

しっとりとした空気の森の中で、それは瑞々しい輝きに満ちている。大地に横たわる葉は力強く、真っすぐに伸びる茎の先端に青い花弁を咲かせている。

 他の花よりも彩を増している青い花はすぐに捉えることができる。


 青い花は輝いて見えた。

 水滴や蜜が陽の光に照らされているのかと思ったが、花自体が輝いているとわかった。


 しばらく歩くと、青い花はまた見つけることができた。


 あちらへ


 かつてファルゴンの森でファルクスの剣を見つけた時と同じ声。それは腰に差している剣から聞こえてくるのだ。


 さあ進んで


 ソニアは声に導かれるようにして森の奥へ奥へと入っていった。

 森は静かだった。時折、風になびいた葉のざわめきがあるだけで鳥の声も虫たちの囁きもなかった。木の根を踏み越え、蔦をかき分け、ただ声のする方へと進んで行った。

 陽が沈み、また昇った。

 日中は歩き続け、陽が沈みかければ休んだ。

 一人になったことで悩むことが増えた。

 歩いているうちは雑念を払うことができたが、夜の森は殊更、心に葛藤をもたらす。

 夜の森でたき火に枯れ枝を放りつつ、ソニアは自身の心に問い続ける。

 この方向で間違っていないか、フィンデルの言っていたエルフ達には近づけているのか。

自分の選択は誤りではなかったのだろうか。クリステル達と別れてよかったのか。本当に強大な力に立ち向かうことができるのか。アリスと再び対峙した時、自分は何をするべきなのか。


 戦わなければならない、そしてエルレンディアの強行を止めなければ。


 それはエルフとして? それとも復讐に燃える欲を満たすため?


「エルフとしてだよ、そう決めたんだ」


 ため息は夜の闇に消えていく。

 そうした時はピアの紅を唇にさした。


「ピアちゃん」


 名を読んでも、答えはどこからも返ってこない。だが、心には平穏が訪れる。

 今はなんとか自分を支えるしかない。これを乗り越えれば必ず答えは見いだせるはず。そう信じて、来る日も剣の声に従い歩き続けた。



 或る昼下がり。ソニアは森の中で足を止めた。

 気づいた時には見られていた。

 ソニアの手が腰に差すファルクスの剣に伸びる。

 集中すると、荒い息遣いと弓の(しな)る音が聞こえてくる。静寂に包まれた緑の中で、常人であれば聞き逃しそうなその異音。僅かな殺気であろうと、超感覚をも持ち合わせたソニアはすぐに嗅ぎ取ることができた。


「そこの人。私の右斜め後ろ、草の中にいる人」


 息を呑むのがわかる。


「私はソニア。訳あって森に入ったの、あなたの居場所を荒らすつもりはない。すぐにここから離れるから、武器を収めてくれないかな」


 それは春を知らせる風の如く穏やかな声であった。敵意のない、気まぐれに頬を撫でる風と同じ。


「あなたが武器を収めてくれないと、私歩けないよ」

「・・・・・・やれやれ、まいるなぁ。こんな小娘に見破られるとは」


 声に敵意はなかった。

 ソニアは柄から手を放し、振り返る。

 ザザッと草をかき分けて現れたのは、口ひげを生やした老人だった。握っていた矢を筒に納め、きまり悪そうに頭を掻いて現れた。


「儂も老いたかの」

「そんなことないよ、すぐには気づけなかったし」

「ほほっ、気遣いはいらんよ」


 やせ細り、皺だらけの手に握られていた弓。長い年月を老人と共に過ごしたであろう弓もまた、黒く澱んで皺があるように見えた。


「立派な弓だね」

「これは儂の一部よ。外の世界では銃が主流らしいが、老兵には手に馴染んだものが一番じゃ」


 弓を背に負い、むせるように笑った。


「ここにエルフが来るのは何百年ぶりじゃ」

「何百年? おじいちゃんは、その――」

「千年前からここで番をしとる。それが儂の役目の一つ。で、お若いの、何しに来なさった?」

「・・・・・・フィンデルさんに聞いて。エルフに会いに来たんだよ」

「フィンデル・・・・・・フィンデルか、その名を聞くのも久しぶり」


 髭に触れた老人は頷きながら、顔に皺を寄せて笑った。


「あやつめ、いい拾い物をしおったようじゃ」

「あのね、私は――」

「ああ、儂に話さなくてもよい。あんたの腰に差しているものを見ればわかる。そのファルクスの剣は、正しい者の手にしか収まらんようにできておる」

「知ってるんだね、フィンデルさんのことも剣のことも。なら教えて、二人のエルフのことを」

「それは自分の目で確かめるがよかろう。ファルクスの剣を鍛えたのも、その二人じゃ」


 老人は森の奥を指さした。


「ここから先、青い花はない。ただ直感に従って進むといい」


 老人はソニアに近づき、そっと鼻を動かして息を吸い込んだ。


「うむ、あんたなら行けるよ優しいお嬢さん。さあ進むのだ」


 背中を押された。


「さあ行け、儂の居場所はここ。お嬢さんの居場所はここではない」


 ソニアが振り返ると、もうそこに老人の姿はなかった。

 まやかしか何かのように、跡形もなく姿は消えていたのだ。





道が開けると同時に、川の流れる音が聞こえた。

石で埋め尽くされた平野を裂くように、冷たく澄んだ水が流れていた。

穏やかな音の中に、鳥の鳴き声や魚の跳ねる音が混じる。水の香りに誘われて、川面を覗き込むと空が写り混んでいた。


手ですくい、喉を鳴らして水を飲んでみた。

触れたものの構造を読み取るソニアの超感覚は、小川の成り立ちを即座に把握した。

山々の頂きから雪どけ水が、降り注いだ雨が、幾つも重なる土の間を抜けて来ていた。大自然により育まれた、清らかな水である。


小川の辺りに三角屋根をした木造家屋が見えた。花が咲き乱れる屋根と、美しい彫刻の施された壁。

 ソニアは深呼吸を一つして、扉をノックした。


「すみませーん」


 そう言って、ドアから半歩引いた。


もう少しで装飾が施された真鍮のドアノブが回り、中から二人のエルフが出迎えてくれるはずだ。そう思うと今更ながら緊張してきた。

エルフ、美と創作の神、世界の恩恵を受け、あらゆる生命の中で優れた資質を持つ種族。数千年前に地上に存在していた者達で、今や神話の中で語り継がれる存在になってしまった。


だが、その名残は今もある。フィンデルの残したファルクスの剣、そしてソニア自身がその証明。

生きているエルフを目にするのは初めて。その事実がソニアの鼓動を早めるのだ。

期待と不安が入り混じり、ソニアは思わずドアから目を逸らした。

ぎらぎらとした陽に照らされ、青草が揺れている。小川の流れも変わらずに穏やかである。


ソニアはドアに向き直る。

大丈夫、落ち着こう。そう言い聞かせた。


「・・・・・・」


 誰が出てきても、決意に変わりはない。


「・・・・・・」


 力を得るためにここに来た。ピアとの約束を果たすために。


「・・・・・・ん?」


 ノックしたドアは一向に開かれる気配がなかった。


「すみませーん」


 もう一度ノックする。

 返事はない。


「・・・・・・入りますよー」


 そう言ってドアノブを開いた。

 開いたドアから陽が入り、室内を徐々に照らしていく。板張りの床に次いで、装飾の施された戸棚やテーブルが光を浴びて形を帯びていく。使い込まれた暖炉や、縄で縛って固定されている大樽、いずれを見ても誰かが生活しているのはわかるが、その主が見当たらない。


「えっと、おじゃまでーす」


 靴底の泥を払ってから中に入る。


「誰もいないのかな」


 外観もそうであったが、中もこじんまりとしていてそこまで広い家ではない。誰かがドアを開ければすぐに聞こえるはずだが。


「エルフさん、いませんか」


奥の部屋の小窓が開いていて、カーテンの揺れと共に森の香りが部屋に広がっていくのが見える。そこでソファに寝そべっている二人を見つけた。

それぞれ肩まで伸びる金髪と銀髪の乙女達が、だらしなく口を開け、いびきをかきながら眠っていた。その姿はお世辞にも気品があるとは言えない。

絵画で目にしたエルフ、夢に出てきたフィンデル、いずれも美しい姿であったが、こういうタイプもいるのかと驚く。


「昨日は楽しい日だったのかな」


ソファの下にはワインの空き瓶と思われるものが転がっている。


 ソニアは腰に差したファルクスの剣を壁に立てかけ、眠っているエルフ達の元へ向かった。金髪の乙女はそんなソニアに気づくことなく、未だすやすやと眠っている。吐いたと息がトウモロコシの髭のような前髪を揺らしている。


 夢の中で会ったフィンデルは真っすぐ透き通るような金髪であったのに、惰眠をむさぼるこのエルフの髪はボサボサだった。

 膝を折ってじっくりと寝顔を覗き込む。顔を見る限りでは二人の乙女は自分とさして変わらない年齢に思える。数百年を生きてきたエルフだと思っていた。そこまで長く生きていないのかもしれない。或いはエルフという種族は年若い姿のまま数百年を生きるのだろうか。

 

 頬を指でつついてみる。


「あー・・・・・・この人だね。やっぱエルフだよ」


 同種であるが故か、触れればすぐにその人であるとわかった。


「ってちょっと起きてくれないかな、眠ってるとこ申し訳ないんだけど私急いでるんだよ。起きてー、プリーズ」


 つんつん、と頬をつつき続けると、


「んっ、んあ?」


 金髪のエルフが薄目を開けた。その瞳は紺碧の海のような青だった。自分の尻尾を追いかけすぎて目を回した犬のように、ぐらぐらと視線が定まらない。


「んー?」


 唇を尖らせつつ顔がぐっと迫った。ものすごく酒臭い。


「あ、ども。私ソニアっていって――」

「あー、フィンデルか。悪いけど今日は店じまいだよ」


 そう言って再びソファに顔を埋めてしまった。


「いやフィンデルさんじゃないってば、ねえ起きてよ」

「んー・・・・・・うるさいな」


 眉間に皺をよせ、瞳だけでソニアを見る。


「フィンデル、あんたなんでまだいんの?」

「だからフィンデルさんじゃないんだってば」

「そうだね、フィンデルは五百年くらい前にくたばって――」

「くたばってないよ、私に会いに来てくれるもん」

「飲みすぎてイカれたかな、あんたが見えるなんてね。でも会えて嬉しい――」


 その瞬間、金髪のエルフの目がカッと見開かれた。と、同時にソニアに飛びかかったのである。

 あまりのことに受け止めきれなかったソニアは体制を崩してしりもちをついた。


「いった! お尻打った!」

「あんた何者!? なんでここに!?」

「いやいやちゃんと言ったじゃん! ちょっ、やっ、落ち着いてよ」


 圧し掛かって来た金髪のエルフはぎらぎらと光る目と、酒臭い息をソニアに浴びせる。


「人間が来やがった! くそっ、門番のジジイは何してたのよあの役立たず!」

「よーく! よーく見て! 私もエルフだからね、パパとママ人間だけど、私はエルフ認定受けたから!」

「んなもんあるか! エルフ認定だと? ふざけたこと言って・・・・・・遊ぶ相手を間違えたねお嬢ちゃん」

「受けたよ! フィンデルさんが認定してくれたって!」

「フィンデルが何よ!・・・・・・ってなんでフィンデルのこと知ってんのよ!」

「だからっ!」

「このっ! 人の古傷を抉る名前を出しやがって!」


 腰から短剣を引き抜き、ぎらりと光る刃をソニアの喉元につき付けた。


「待って待って! ほらあれあれ!」


 ソニアはドアの横に立てかけたファルクスの剣を指さした。


「あれ私が抜いたんだよ」


 金髪のエルフは油断すまいと警戒しながらゆっくりと視線を向けた。その瞳が僅かに揺れる。


「お前・・・・・・」

「うわっ、ちょっと、なにすっ」


 喉元の刃は動かさず、空いている手でソニアの顔をペタペタと触った。


「ファルクスの剣と・・・・・・エルフの息吹・・・・・・お前、何者?」


 動揺するその肩に手が置かれた。

 いつのまにか銀髪のエルフも起きていて、翡翠色の目をソニアに向けている。


「ナイフしまってスウェン、この子は同族だよ」

「イリス」

「スウェン、ナイフ」


ソニアの喉元からゆっくりとナイフの刃が離れていく。


「エルフは私たちの代で最後のはず」

「でも自力で森を抜け、門番も通したって。人間にはできない芸当――なによりその子の顔」

「でも、でも、あり得ない。イリスやっぱり――イリス?」


 イリスと呼ばれた銀髪のエルフは体が捩じられたようにふらつきはじめた。


「ねえ大丈夫? なんだか顔色が」


 そして体を「く」の字に曲げた次の瞬間、思いっきり嘔吐した。

 

 口から飛び出した爆弾は、ソニアの顔面に直撃したのである。


・・・・・・・・・・

 

 なんだかよくわからないけど、とりあえず殺されなくてよかった。でもピアちゃん、私汚されちゃったよ。


水浴びを終えたソニアは、膝を抱えてむくれていた。タオル一枚を纏い、暖炉の火に当たりながら濡れた髪を乾かす。

ここ数日、森を歩いているときは水浴びができなかったため、お風呂を借りられたのは嬉しかったが。それにしても、遥々ここまで来てあんな洗礼を受けるとは予想外であった。


ソニアに向かって嘔吐した張本人、イリスと呼ばれた銀髪のエルフは気分が悪そうにソファで寝ている。

一方でソニアに襲いかかったスウェンという金髪のエルフは、ぶつくさと不満を呟きながら、ソニアの纏っていた服の洗濯をしてくれている。


「ねえ、あなた」


ソファで横になっていたイリスが寝返りをうちながら言った。


「名前は?」


「私はソニアだよ」


「ソニア、そう。ごめんねソニア、ゲロ吐いちゃって」


「びっくりしたよ、あなたはイリスさん?」


「『さん』は、いい。イリスでいい」


「はい。じゃあ、イリス」


「うん」


伏し目がちに言うイリス。

粗相した負い目もあるのだろうが、口調もどこか端的で怯えているようだった。どうやら、あまり会話は好まないようだ。


「あの、イリス」


「な、なに?」


「私もいきなり家に入っちゃったから、驚いたよね? ごめんね」


ソニアが微笑んで見せると、イリスも頬を緩めた。


「・・・・・・うん、お客様なんて久しぶりだから驚いた。それにあなた、フィンデルと同じ顔」


「そんなに似てるかな?」


「そっくり。ねえ、ソニアは何しにここに来たの?」


「フィンデルさん、ここに行きなさいって教えてくれて。私は力を――」


「待った! その話は私も聞く!」


浴室から足音が迫った。水びだしの足を拭かずに床を歩いてくる、ビチャビチャという音。前髪を水で濡らしたスウェンが現れた。


「私のいないとこで大事な話進めないでよイリス、誰の尻拭いしてあげてると思ってんの?」


「ごめん、気になって」


ギロリと睨まれたイリスはしょんぼりして素直に謝る。それを見たスウェンは決まりが悪そうに「あんだけ吐いたんだから、水飲んどきなさいよ」とだけ言って、すぐに視線をソニアに戻した。


不安げに視線を泳がせるイリスと違い、このスウェンという金髪のエルフは明確なものを孕んだ目を持っている。

スウェンに見つめられると、ソニアの体にも緊張が走った。


「とりあえず、えっと、ソニアだっけ?」


「はい、スウェンさん」


「スウェンでいい。色々と粗相して悪かったね。仕切り直しをしようじゃん、あんた剣のことやフィンデルのこと知ってるみたいだし。同族だってわかったしさ」


「なら、あなた達がフィンデルさんの言っていたエルフでいいんだよね?」


スウェンは吹き出した。


「どっからどう見てもエルフじゃん、ねえ」


曲げていた背中を伸ばし、美しい立姿を作ったスウェンはイリスに顔を向ける。イリスも丸めていた体を伸ばして起き上がり、ソファにきちんと座り直した。


しかし二人とも肩まで伸びる髪はボサボサ。身に付けている服も、スウェンは穴の空いたニットセーターだったり、イリスはシワだらけのカーディガンだったりする。

エルフとは斯くあるものだ、とは言わないが。夢に現れたフィンデルはとても綺麗だった。


「なによ、その顔。目とか髪の色はエルフそれぞれだって。あんたみたいな赤髪の方が珍しいんだから」


「そうじゃなくて。二人とも髪とか、着てる服が」


「悪かったわね、千年も生きてりゃこうなるのよ」


「千年!?」


「そう千年」


「だって、その。若い」


「ああ、しわくちゃのお婆さんじゃないって? 私とイリスには傷が癒える力がある。どんな傷も肌荒れも元通り、だから年も目に見えてとらないってわけ」


イリスがソニアに微笑みかけながら口を開いた。


「昔はお酒に酔うこともできなかった。毒も麻酔も効かない私たちが酔えるようになったのは、つい最近のこと」


「酔っぱらうのが楽しくて、つい飲みすぎたね。さすがに年を取ったよ、力が弱まってきてる・・・・・・で、本題だけど」


スウェンは濡れた足を片足ずつ持ち上げ、ぶらぶらと揺らして水を払い、木製の椅子を蹴飛ばした。反転した椅子にどっしりと腰を下ろし、背もたれに肘をついた。


「聞かせてくれない? これまでのこと、そして私たちの所で何をして、それからどうするつもりなのか」


イリスも興味がありそうに、少しだけ前のめりになってソニアを見つめる。


「長くなるんだけど」


「長いのはよしてよ、簡潔に」


スウェンはピシャリと言った。


「わかった、簡潔に言うね」


ソニアは語り始めた。

特異な力を得て生まれたこと、フィンデルの残した剣を手にした日のこと、ピアとの出会い。そしてこれまでの戦いの日々を。


スウェンとイリスは時折頷いたり、相槌をうったりして真剣に話を聞いていた。

ソニアはなるべく簡潔に話をするように努めていたが、いつからか黙って聞いていた二人から質問を受けることが増えた。


「ピアって子を助けるため、お前は何を差し出した?」


「別に何も」


“隠しても”


“わかるよ”


二人の声が交互に頭に響く。


“自分を傷つけてまで護りたかった女の子”


“その子を失ったあなたの傷は計り知れない。私たちも、フィンデルを失った”


フィンデルの名を出したイリスにため息を吐きかけたスウェンは煩わしそうに前髪をかきあげた。そうして、今度は口を開いてソニアに伝えた。


「嫌なことでも隠し事はなし、そうやって話してくれないと私たちもお前に力を貸せない」


「ソニア、辛いだろうけど」


ソニアは目を見開いて二人を見ていた。


「私のことが読めるなら、触らなくても読めるなら・・・・・・初めからそうすれば」


「いいや、お前の口から聞きたい。色んなことを全部」


この二人の前で自分の話をするのは戸惑われた。

どんなに着飾って話しても全て筒抜け。化けの皮を剥がされた気分だった。まるで初めから全て見ていたとでも言うような、意味深な表情を浮かべている。


アリスを討つのはなんのためか。


口ではエルフの役目としながら、復讐を求めているだけではないか。


二人のエルフに会う前に、あれほど意思を固めてきたのに。


話しているうち、ソニアは自分のことがわからなくなった。だんだんと、自分が何を語っているのかわからなくなってきた。


「ソニア」


スウェンが言う。ボサボサな前髪の隙間から、鋭い眼光が光った。その瞳は幾千の星の瞬きのような優しさと、深い記憶を蔵した海の底のような得も云えない力が秘められている。


「お前がしてきたことはわかった、しようとしていることも」


スウェンは立ち上がると、つかつかと剣の所まで歩いていった。そうして剣を掴み上げて扉を開けた。


「ちょっと風にあたろうか。一緒に来て」


 言われるままにソニアは立ち上がり、スウェンを追って外に出た。

 何事か秘めたスウェンの背中はとても大きく見える。先ほどまで酔っていた面影はない。数百の時を生き続け、過ぎ去りし日々の中で多くを得、そして失った者。彼女はこれまでの全て覚えているのだ。だから何を打ち負かし、何をすべきかを知っている。そんな風に思えるのだ。

 老齢を感じさせないエルフを前にすると、自分がとても小さく見える。ファルクスの剣を手にした日、どのような存在になるべきか自然と分かった。ピアと出会ったことで心のぬくもりを知り、この気持ちをどう使えばいいのかわかった。だが、それを失った今、自分の心をどこへ持って行けばいいのかわからない。

 胸にあった純粋な想い、切実な願い、確かにあったそれが今は遠い所にあると思えてならない。

 結局のところ何も知らなかった、力も足りていなかった。


 ざわざわと草が揺れる小川の辺。そこに立つスウェン。彼女の後姿を見てソニアは自らの小ささを知った。


「ソニア」

「なに?」

「手を触れずに、この剣を引き寄せることができる?」


 鞘を掴んだスウェンは鋭い眼光のまま、剣の柄をソニアに向けた。


「やってごらん」


 ソニアは手を伸ばす。そうして剣に語り掛ける。


“来て”


 空を切る音と共に、鞘から剣が飛び出した。そして吸い寄せられるようにソニアの手に収まる。


「ふん、気に入られてるみたいだね」


 一連の流れを目にしたスウェンは頬を緩ませた。


「私とイリスはこれまでたくさんのものを作ってきた。鎧、盾、弓、そして剣。その全てに光と願いを込めた。私たちの作品はこの世を照らす光。この世の悪を罰し、光持つ者に力を貸す。そういう特別なものよ」


 手にした鞘をソニアに放る。

 スウェンはファルクスの剣が迷いなくソニアの元へ飛んだことが嬉しいようで、解れた表情のままだ。


「ファルクスの剣は扱う者を選ぶ。ふさわしい者でないと決して従わない、私たちの最高傑作なの」

「ふさわしい者」


 羽のように軽い剣だが、そう聞くとずっしりと重くなった気がした。誰もが扱えるものではない、剣はまだソニアを見捨ててはいないのだ。


「誰が丹精込めて作ったと思ってんの。その辺のおかしな武器と比べられちゃたまんないわね。じゃあ次は剣を浮かせてみて」

「え? 剣を浮かすって」


ソニアの疑問に答えることなく、スウェンは枯れ枝を拾い上げてそれを掲げた。


「剣を浮かして、この枝を切ってみてよ」

「やったことないよ」

「それくらいできるでしょ」


これまで剣を手に戦うばかりで、触れずに操るなどということは試したこともなければ、想像もしたことがなかった。


「できないの? じゃあ、剣を手に飛んでみな」

「飛ぶ!?」

「そう」

「飛ぶって、飛ぶ?」

「そう」

「鳥とか飛行機みたいに飛ぶ?」

「そうだって言ってんでしょうが!」


苛立ち紛れに怒鳴られ、ソニアは慌ててファルクスの剣に視線を移す。

両手で柄を握りしめ、ファルクスの剣に念じてみる。

柄の握り方を変えたり刃を振ったりしてみるが、先ほどと違い剣は全く応じてくれない。


「ぬぬぬ」


眉を八の字にして念じてみる。先ほど剣を引き寄せた要領で、空中に放てばいいのだ。さほど難しくはないはず。


「飛べ!」


 バホン! と空気がはじける音と共に剣が上空へ飛び上がった。柄を握りしめたソニアはつられて空中へ飛び上がるが、


「あわわ!!」


 あまりの勢いに体がついていかない。制御を失った結果、空中でくるりと反転し、ずしゃりと情けない音を立てて頭から地面に着地した。滑らかに風になびいていたソニアの赤髪にも、奥ゆかしい白い肌にも泥がへばりついた。


「うえ~、っぺっぺ」


 口の中に土の味が染みわたる。それを吐き出しつつ、ぼんやりとした視界のままスウェンを見つめた。

 スウェンは頭を抱え、とても残念なふうにため息をついた。


「はあ~、少しは使いこなせてるかと思ったけど全然だね。ってかそんな状態でよくエルレンディアと戦ったわね。それ素っ裸でシロクマと戦うようなもんよ?」

「だ、だってそんなことできるなんて聞いてない」

「そういうのは誰かに教わるんじゃなく、察するもんよ。触れたものの(ことわり)を“読む”ことのできるあんたができなくてどうすんの」


それを言われると返す言葉がなかった。同時に、自分の能力を軽はずみに語るべきでなかったとも思う。


「いい? ファルクスの剣は持ち主のためならどんなことだってやってのける。全ての“汚れ”から持ち主を護り、時には癒し、意思の疎通により更に強くなる。その剣はお前の命そのもの、ってこれが理想なんだけど、ソニアは見事なまでに剣と意思疎通ができてない」


「うっ、でも剣を引き寄せたり闇を払うことは――」


「それはファルクスの意思じゃなくてフィンデルのもんよ。どういうわけか知らないけど、剣の中に彼女の息吹を感じる。あんたに応えてんのは剣じゃなく、フィンデル。本当の力はそんなもんじゃないわよ?」


「剣の力は使えてなかったってこと?」


「そうよ。気に入られてるのは剣にじゃなくてフィンデルに。なんでかしらねー、あんたの顔がフィンデルとそっくりなのと理由があるのかしら?」


「・・・・・・スウェン、絶対なにか知ってるよね?」


「さあ知らないね、知りたければ全部終わった後で調べてみれば。まあともあれ、それの使い方を教えてあげる。はっきり言って半分も使いこなせてないわ、今のままじゃ剣も、作った私たちも不憫だから」


 手にした枝を放り投げたスウェンは言った。


「ウダウダ考えるのはファルクスの剣を使いこなせるようになってから。相当時間かかりそうだけど」


「そんな、それ困る」


「ソニア次第でどうとでもなる問題よこれは」


「私時間がないんだよ、クリステル様達の所へ早く戻らないと。ドーピングでも荒療治でもいいから、剣を使いこなす方法を――」


「許さないよ」


 スウェンの瞳が力を帯びた。


「そうやって甘えることは許さない。ここでエルフの生き方を学んでいきなさい」


「生き方って、なにか特別なこと?」


「別に何も。ただ森を見て回って命を育てる、これだけだよ。自分を磨きたければ外に目を向けるんだ。困っている生き物がいたら助けろ。自分の外にある生命に目を向ければ、自然と内も磨かれていく。そうしてエルフの血をより濃くしていきなさい。

心が弱いままではエルレンディアには勝てない――エルレンディアには光と闇の属性があって、それぞれ帯びた使命が違う。人間が泣きわめこうと小便漏らそうと、星のためならどんなことでもする奴らだ」


 差し出された手を取り、ソニアは立ち上がる。


「私たちは違う。人間やらドワーフやら多くの種族のため身を粉にして光と希望を生み出し続けてきた。エルフは助けを求める者達を絶対に見捨てない、ただ重大な使命を帯びて力があるだけの奴らなんかには負けない・・・・・・そんな連中、恐るるに値しない」


「でも」


「でも? なにを気圧されることがあるの。それはエルレンディアに対して? それとも自分自身に対してかしら?」


「・・・・・・私決めたのに、ちゃんと決めたんだよ。でも、この気持ちは醜いものも混じってて。ピアちゃんの(かたき)だからって」


「あのね、エルフだからって常に清く正しくなんて気負わなくていいの。憎しみや怒りだって大切な感情よ。その気持ちを肯定して進んでこそ正しくなれる、きちんと自分自身と向き合いなさい。きっとファルクスの剣は――いいえ、フィンデルはそれを望んでる」


 スウェンの言葉は希望であった。


 この日から、ソニアの――エルフとしての本当の生き方が始まった。


展開篇はこれで最後となります。


次回から最終決戦に向けて話が進んで行きます。

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