シェファー姉妹
「アウレリア、ごめんね。ずっとこの城に一人ぼっちにしてごめん」
「わたくしこそお姉さまを助けることができなくて。あの時、お姉さまが桜花に行くことをきちんと調べておけば。こんなことには――」
「私は色んな人に助けられてここにいるの、あなたも私を助けてくれたわ。ありがとう」
「お姉さま」
ゆっくりと妹へ歩み寄るクリステルの膝が震える。
父に役に立たないと言われ、妹には口もきいてもらえなかった暗い過去が思い出される。
私っていらない子なんだ、そう思っていた。だからこそ、もう帰れないとわかっていながら桜花国へ向かった。誰からも嫌な顔をされて、生きている意味が分からなくなってしまったから。
けど違った。アウレリアはずっと一人で闘っていた。
小さな体で生き抜くには、辛いことに目を背けるしかなかったんだ。それを解ってあげられず、逃げ出してしまったことがたまらなく悔しい。
だから次に会うことができたら、絶対に抱きしめてあげようと決めていた。
アウレリアはクリステルの前まで来て、急にはたと歩みを止める。
眼が下を向き、スカートの裾を握りしめている。
「戻ってきてくれましたのねお姉さま」
それきり唇を閉ざし、頬に力を入れている。胸から突き上げてくる感情を、必死で堪えているようだった。
クリステルの手がアウレリアの頬を包み込む。瞳を大きく見開いた時、一筋の涙が零れ落ちた。クリステルはアウレリアを抱き寄せた。
たまらない感情が胸に沸き起こる。
片時も離したくない、大切な妹をこうして抱きしめることがでる。荊の道を走り抜け、ここまで生き延びたことの理由の一つが満たされていく。
「アウレリア」
小さな体であったはずのアウレリアは、少しだけ背が伸びていた。
「大きくなったね」
「お姉さま、良かったですわ。会えて・・・・・・会えて」
胸元に顔を埋めるアウレリア。
何度もお姉さまと呟き、頬を擦り寄せてくれる。
「会いたかったんですのよ、ずっと。これまでのこと、謝らなくちゃって」
後悔の混じる吐息は熱かった。
「謝るのは私の方だよ。ずっと無理させて」
鼻の奥がツンとして、喉が痛む。ピントの合わないカメラを覗くように、目の前が淡くなっていく。これまで幾度となく涙を流してきたが、今回のこれは喜ばしいものだった。
妹をこれ以上傷つけないように、努めて優しく頭を撫でた。すると胸にしがみついていたアウレリアの体から、ゆっくりと力が抜けていった。
相変わらず体のあちこちが固い。疲労した体に鞭打って、懸命に立ち続けたのだろう。
「辛かったね、頑張ったね」
慈しみ、敬い、そういった気持ちを込めて、背中をさすった。
そうした愛を受け、体が熱くなっていくのを感じる。クリステルの柔らかくたおやかな体から、心地よい心音が伝わってくる。
「お母さまが亡くなった夜も、お姉さまがこうして撫でてくれました。すごく嬉しかったのに――わたくしは素直になれなくて、怒ってしまって」
片時も離れたくなかった。
ずっとそう思っていたのに、優しい姉を遠ざけてしまった。
愚かだった。
大切な人を拒む理由なんて一つもないのに。
クリステルの顔を見上げてみる。微笑んで、額に口づけをしてくれた。
――お姉さまはいつも優しい。だから、甘えてしまうんですの
アウレリアは姉の胸元から離れ、目端の涙を指でそっと拭い去った。
「いやですわ、わたくしったら。お姉さまに会えて嬉しくて――子供みたいに」
クリステルは離れたアウレリアを再び抱き寄せる。肩に回した腕に前よりも少しだけ力を込める。
アウレリアは驚きで何も言えなくなってしまった。優しい姉ではあったが、おずおずとして俯きがちであった。こんなに大胆なことはしなかったはずなのに。
「もっと甘えて。ずっとあなたのお姉さんでいさせてね」
今は心の強さを感じる。こうして包まれていると、護られていると思える。なんだかそんなところまで、お母さまに似てきた気がする。
恐らくこの旅路で全てが変わったのだ。以前と違うのは、成長したからなのであろう。
「変わりましたのねお姉さま。優しいのに力強い、皆が求める皇女の姿ですわ」
「ふふ、そうだよ。アウレリアと一緒」
「わたくしもですの?」
「私たちはお母さまの娘だもの」
「まだお母さまやお姉さまのようには――お姉さまに、人へ慈しみを向ける作法を学ばないといけませんわね」
「アウレリアが私にしてくれること、私がアウレリアにしてあげることを、他の人にもしてあげればいいんだよ」
「難しいですわ」
「そうかな?」
「だって」
アウレリアは羞恥に頬を染める。
「特別だと思いたいんですの。お姉さまがわたくしにしてくれることは、わたくしにだけの・・・・・・」
「まあ」
「悪いことでしょうか?」
不安げな眼差しを向けるアウレリアの頬にキスをする。
「特別だよ。アウレリア」
・・・・・・・・・・
二人はアウレリアの自室へと場所を変えた。
皇務を行うアウレリアは優遇され、自室は皇帝の部屋に次いで広い。設備も充実しており、ベッドルームの脇には浴室があった。
「意地を張ってばかりでした」
アウレリアの告白は白い壁でできた浴室の中で反響する。
「お姉さまに甘えて張り詰めたものを解いてしまったら、きっと外の世界に戻った時に圧倒されてしまうと思って」
「それで、ずっと我慢させちゃってたんだね」
妹の背中は白い線のようであった。
育ち盛りの体であるのに、痩せすぎである。
爪でひっかかないように、慎重に背中を洗う。
「でも、わかったんですの。そんなふうにしている方が子供じみているって。お姉さま、変わりますわ。次はわたくしが洗います」
振り向いたアウレリアは笑顔で、その姿が本当にいたたまれなくて泣きそうになる。
「お姉さま?」
きゅっと噛んだ唇に涙の粒が落ちないようにしなくては。いつまでも泣いてはいられない、まだできることがある。もっとやれることがある。
「ねえアウレリア、あなたのことをもっと聞かせて。これまで話せていなかったことたくさんあるから」
妹が皇務をしてからの数年間、ずっと互いのことを話さなかった。実の妹なのに、驚くほど知らないことが多すぎる。自分のことも話していなかった。わかってもらえないだろうと思い込み、正面から向き合うことができなかった。
「いいですわ、お話します。では、お姉さまの髪を洗いながらお話しますから、さあ後ろを向いてくださいな」
アウレリアは手のひらにシャンプーを馴染ませ、クリステルの髪に触れた。
しゃこしゃこ、という洗髪の音と石鹼の香りが心音を優しいリズムにさせてくれる。
「動物が大好きだったよね? まだ庭園に行ったりしているの?」
「ええ、時々ですけど。この前も花壇の手入れを少し手伝いましたのよ、水を撒いていたら雀が飛んできて、草の上をぴょんぴょん跳ねてましたの。とても可愛らしくて」
アウレリアの声が弾むのを聞いて、クリステルは安堵した。小さなころから動物が好きなのは変わっていない。立派な皇女で時に冷然とした対応をこなしていたけど、本質的なところは変わっていない。とても優しい子なのだ。
浴室から出た二人は、濡れた体を拭いて衣を纏いベッドに腰かけた。
「アウレリア、髪整えてあげるね」
「お姉さまから先に、わたくしの髪は短いから」
肩までしか伸びていない自らの髪よりも、腰まで伸びる姉の髪を気にしているようである。髪は長いほど手入れが大切であるとの気遣いであったが、クリステルはやや強引にアウレリアの肩を回して後ろを向かせる。
「やりたいの、いいでしょ?」
髪を手ですくい、ブラシをかける。
陽に照らされた窓の外から光が差し込み、サッと髪を梳く音が部屋の中に呑まれていく。乱雑な外の世界から隔離され、二人は静かな空間で寄り添っている。この空間では言葉はなくとも心が共鳴し、二人だけの世界へと変わっていく。
そうしてクリステルは、もう一度初めからこれまでのことを語った。
雪の国スネチカでは何度か無線を通して近況を報告していたが、その時には話せなかったことも全てである。
アヤメが大切な恋人であること、ソニアが力を得るために旅立ったこと。
ピアの死。
そしてエルフリーデとアリスが何を目的にしているのか。
ヴァーミリオンを使い、世界に何をしようとしているのかを。
姉妹百合は素晴らしい。
けど、この良さを伝えるのは難しいですね。今回、書いてみて痛感しております。
いつかもっと上手に書けるようになりたいです。




