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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
113/170

呪い

 こちらは表現を規制させていただいております。


【ノクターンノベルズ】の「皇女の猫【解放版】」に完全な形で掲載しておりますので、そちらをご覧ください。




誰もが口を揃えて言った。

ヴェルガの皇帝は偉大な君主であると。

誰もが称えた。

考案した数々の政策は、100年先も民と国を支えるだろう。


平和を愛し、民を愛で、ヴェルガ国のために尽くした。ひいては他国の民まで尊重するその姿勢は、多くの国々から支持をえた。


だが、人々は失念していたのだ。


いかに皇帝といえど、一個の人間に過ぎない。

そして人間は酷く脆い生き物である。

国の命運を左右する立場の人間には、絶えず重圧が襲いかかる。こちらを取るか、あちらを取るか、という些細な選択が、今後100年の国の命運を決めかねない状況に陥る。こんなものが日常茶飯事である。


国の王や、地位ある軍人たちはこうした心の葛藤とも戦っている。


早急な判断を迫られ、時には直感で決めるしかないこともある。しかし、己の行うことは逐一記録され、結果は何十年先も語り継がれてしまう。

失敗すれば、方々で容赦のない糾弾が待ち受けている。


こうした皇帝の重圧を支えたのは皇妃であった。淑女の模範たるべくその行動や仕草の一つ一つが気品に溢れていたし、女性特有の包容力で影から夫を支え続けた。

皇帝はこの妻を存分に愛した。二人の娘まで授かり、これからも国のために力を尽くそうと決意した矢先である。


皇妃は死んだ。


病によるあまりに突然の死。皇帝は苦悩した。

いなくなったということが理解できず、何かに奪われたのだ、と思うことで自分を落ち着けた。


奪われた。


それは神か悪魔か。いずれにしても奪われてしまった。


あんなに大切にしていたのに、誰より護らねばならなかったのに。


そう考えることによって生れたて怨恨の大きさは、誰しもの想像を越えていた。


・・・・・・・・・・


皇帝は妻の眠る霊安所、「白い棟」に籠りがちになった。

今日も棺に身を寄せ、日がくれるまで一時も動かずに過ごしていた。


黄昏時になると、食事のために自室へ戻るのが習慣である。

幽鬼のごとく長い廊下を歩いていると、クリステルの部屋の扉が開かれているのが見えた。この部屋は無人のはずである。

誰かいるのかと、扉に手を触れた。扉はそっと触れただけで、何かに引かれるようにゆっくりと開いた。

床から冷気が這いより、足元を流れていく。その先に柔らかな香りがある。


部屋の奥で濡れそぼった髪を拭いていたクリステルと目があった。


皇帝もクリステルも、互いに瞳を丸くした。


だっ、と駆け寄った皇帝はクリステルの華奢な腕を強く握りしめる。


「なぜだ! なぜここにいるクリステル!」


お前は桜花で死んだはず、そう命令した。


皇帝は言葉を飲み込み、ぎりぎりと歯を剥き出しにしていた。その瞳は明白な敵意を孕んでいる。

父の凶行に震えたクリステルは手を振りほどこうともがくが、力の差がありすぎてそれもかなわない。


「お父様、痛いです、離してください」

「いいや離さん! お前は桜花で死んだはず・・・・・・私の前から消えなければならなかった!」


あらんかぎりの叫びを上げたとき、股からそそりたつものがあった。枯れ木と思えていたそれが、大木の如く力強く膨らむのを感じる。


「むう」


くぐもった声と同時に、切なさとも高揚ともいえる感情が胸の内で沸き上がり、せめぎあうのを感じる。

思わず指にも力が入った。クリステルは痛みに身をよじらせ、息づかいを荒くしていく。それを見た皇帝もまた、鼻を膨らませ、荒々しい息づかいになるのだった。


何があったのか、クリステルは髪を濡らしている。白いブラウスにまで水が染み込み、肌が透けている。胸の膨らみがより鮮明になり、湿った肌からは甘い香りが漂う。稀代の美を宿す皇女が一層、可憐に写るのである。


「うッ! ああッ!」


皇帝は娘の首もとに顔を押し付け、香りを一心に吸い込む。

蜜を舐めるように、頬に舌を這わせた。


「はっ、ひう・・・・・・」


クリステルは恐怖のあまり引きった声を上げたが、皇帝にはこれが熱を帯びた吐息に聞こえていた。


「おお、クリステル。息が弾むか」


クリステルは亡き皇妃に瓜二つであった。

真っ直ぐに伸びる金色の髪も、どこか憂いを帯びた紺碧の瞳も。

誰にも平等に柔らかい眼差しを向けるそのしぐさ、その心のあり方までも、何もかもが生き写しなのだ。



「お父様、やめ、て! やめてください!」


皇帝は無言のまま、クリステルをベッドに押し倒して羽交い締めにした。


「いたっ、いや!」

「ぐぬ・・・・・・! なぜだクリステル、お前は出来損ないのくせに、なぜこうも我が心を乱す」


妻に比べれば遥かに劣るお前が、なぜ同じ顔と仕草を持っている。お前は桜花で死ぬべきだった、それで丸く収まったのになぜまたここへ戻ってきた。どうして私を苦しめようとする。


「ふ、ふふふ。ははははは!」


わかった。


お前は悪魔の子だ。


我が妻は心を惑わす魔女を孕んだのだ。


憎たらしい娘だ、鉄槌をくれてやろう。








「お父様!!」


クリステルの部屋に絶叫に近いアウレリアの声が響いた。


「アウレリア」


か細いクリステルの声、その声がアウレリアの流れる血を熱くする。

父が姉に向ける感情の断片は、これまでも感じたことがある。父と娘の間で生じてはいけない、おぞましいそれ。


「お父様、やめてください。お姉さまから手を離して」


ぎんぎん、と怪しく目を光らせる父が恐ろしい。それでもアウレリアは歩みを止めない。全ては大切な姉のため。

母が死んでから、姉だけが優しくしてくれた。姉の眼差しは、温かかった母を思い起こさせた。恐らくは父も姉の中に亡き母の残滓めいたものを見たのだろう。


「アウレリア、外に出ていなさい」

「お姉さまから手を離したら出ていきますわ」

「なぜ邪魔をする。お前たちは揃いも揃って私の邪魔ばかりする。アウレリア、お前は母の死に涙ひとつ流さなかったのに、なぜクリステルには・・・・・・姉には感情が動くのか? ・・・・・・読めたぞ、お前もクリステルが欲しいのだろう? 渡さんぞ、これは誰にも渡さん」


皇帝の長い舌がクリステルの頬を這い回る。

心の病から食不全に陥ったため、舌にはのう胞がいくつも浮き出ており、さながら蝦蟇の肌のごとくであった。それが動く音と感触に、クリステルは心の底から震えた。

どうして父はこれほどまでに自分を苦しめるのか、理解できなかった。


姉が苦悶の表情を浮かべ、小さな悲鳴を上げた。いよいよアウレリアは止まれなくなった。


「お父様!」


アウレリアが皇帝の腕に飛び付いた。


「なんということをなさるのですか! 正気の沙汰ではありませんわ! お姉さまにこんなことをして――」


自分でも驚くほど腕に力が入った。指に力を込めるほど全身に血が行き渡り、怒りで頭が白く霞んでいった。


その時アウレリアは父の目を見た。

暗い穴が二つ、顔に張り付いている。窪んだ眼球の奥、そこには無明の闇が広がっていた。これは錯覚か、あるいは真実か。いずれにしても、壊れた心はもう二度と元には――


「はなせっ!」


父が拳を作ったことで、クリステルの心にさっと寒い風が吹いた。この上、妹に手をあげようというのか。そんなことは許されるはずがない。


「お父様! アウレリアを傷つけないで! 私のことは好きにしていいから!」


クリステルの制止も虚しく、アウレリアの頬に皇帝の拳が飛んだ。

びくっ、と身を固くしたアウレリア。しかし、訪れるはずの痛みがない。ゆっくりと閉じていた瞳を開けると、目の前でつき出された拳が制止している。


「ぐぬ、ぬおおお」


皇帝の呻き声と共に、拳はゆっくりと開かれる。伸びた指はゆっくりと反り返り、ゴキンと鳴った。

皇帝が悲鳴を上げたと同時に、その体が空宇に浮いた。弾丸の如き速さで空宇を滑り、そのまま壁に叩きつけられた。


失神した皇帝を苦々しげに眺めていたのはアリスである。


「下衆・・・・・・衛兵!」


アリスが叫ぶとすぐに数名の兵士が馳せ参じた。


「娘を手にかけようとしたわ、これからは最低でも二人見張りをつけて。あの子達に近寄らせないで。いいわね?」


兵士たちは命令を受け入れ、皇帝を担いで速やかに去っていった。


「アウレリア」

「アリス、ありがとう。助かりましたわ」

「ちょっと来て」


アリスはアウレリアを手招きする。招かれるままに、アウレリアはアリスの手の中に収まった。


「叩かれてないわよね?」

「平気ですわ、危ないところでしたけど」

「私以外の奴に、そんなことされたら許さないからね」


手のひらでコシコシと頭を撫でられたアウレリア。

むず痒そうに、物足りなげに、ほっと息を吐き出した。


「アウレリア」


不安げなクリステルの声を聞いて、アウレリアは振り替える。

両手を広げているクリステルの表情は不安で歪んでいた。指先が震え、肩も力んで強張っている。


「アウレリア、危ないから。その人は危ないから・・・・・・こっちにおいで」


ヴェルガを乗っ取ったエルフリーデの右腕、それがアリスである。アリスはアーバン国でピアを殺した。かけがえのない、大切な仲間を奪った。

ソニアを負かすほどの力を持ち、この城では権力も持っている。叫べば即座に衛兵が駆けつけ、皇帝よりもアリスの命令を優先する。


そんな人に、大切な妹を近づけるわけにはいかない。


「お姉様、アリスは――」

「行きなさい、久しぶりに大好きなお姉さまと再会できたんだから。また後でね」


アウレリアの言葉を待たず、アリスは踵を返して去っていった。


アウレリアはしばたたいたアリスの瞳が翳ったのを見た。

恐らくピアを殺めてしまった時のことを思い出したのだ。

あれはアリスの本意ではない。闇の力によるもので、アリス自身もそれに苦しんでいる。


アウレリアの心にちくりと痛みが残る。去っていく背中は、このまま消えてしまいそうな儚さを帯びている。

追いかけて抱きつき、もう一度言うべきだろうか。

あなたの罪は私も背負う、いつまでも一緒だと。


「アウレリア」


姉の声で我にかえる。

アウレリアは姉の元へ走った。




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