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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
109/170

清玄

「天姫様! エルフリーデを追ってください!」


 私は天姫様にしがみついた。


「あなたの力ならすぐに追いつけるはず! 私を連れて行ってください!」

「落ち着け」

「落ち着いていられません!」


 心が焦りと不安で溢れかえる。

 必死になって、悲鳴のような声を上げていた。


「今ならまだ間に合います! 早く!」


 パンッ、と乾いた音が響いた。

 頬を叩かれた私は言葉を失った。


「落ち着けと言っとる。追えるものならそうしておるわ・・・・・・奴め、わらわをヴェルガに近寄らせんつもりじゃ。朱石の力に勝てん、わらわでも無理じゃ」


 苦々し気に吐き捨てる天姫様はそう言った。


「追えないのですか?」

「そう言っとるじゃろ」


 このお方の悔し気な表情は見たことがない。

 本当に無理なのだ、もう駄目なのだと察した。

 私は息を呑んだ。

 金切り声を上げても、力を振り絞ってもどうにもならないこともある。先刻、消え去る前のエルフリーデの笑顔。クリステル様の苦しそうな姿。それらはいつまでも私の頭の中で鮮明に浮かび続ける。


「こうなった以上、ここにいても仕方がないの」


 天姫様の声はどこか遠くから聞こえた気がした。


 ・・・・・・・・・・

 

 クリステル様を奪われてから、私たちは天姫様に連れられて桜花国へ戻った。

 天姫様の神足通は僅か六飛びで海を越えた。

 

 ぼんやりとした意識の中、恐るべき速度で景色が流れるのを見ていた。

 

 私の牙は完全に折られていた。

 全ての力を出し尽くしたのにエルフリーデを止められず、クリステル様を奪われてしまった。なにより


――クリステル様に取り返しのつかないことをした。


 私は生きているべきではなかった。そう思った瞬間、決着はついていた。


「やれやれ、二人抱えているとだいぶ遅くなるの」


 天姫様はそう言って私を降ろす。

 足腰の力を失っていた私はその場にどさりと倒れ伏した。いつのまにかどこかの山奥に着いていたらしい。


「あ! 天姫様支えてあげてよ! アヤメちゃんがかわいそう!」

「ん? ああすまんな」


 ルリが私を抱え起こした。


「止血は上手くいってるけど、はやくお医者さんに見せてあげようよ」

「その必要はない。だからここへ来たんじゃ」


 冷たい草の香りが漂っていた。どこか懐かしい匂いに、私は顔を上げて絶句する。


「あ、ああ」

「懐かしいじゃろ? ぬしの故郷じゃぞ」


 目の前には大きな穴がある。

 穴の奥には一片の光も通さない暗闇が横たわっている。


「やだ、私はこんな所に来たくない」


 後ずさろうとした時、天姫様に襟元を掴まれた。


「いいや、ここへ入る」

「嫌だ、嫌です。どうか、それだけは」

「駄々に付き合っていられる状況ではない。ルリはここにいろ」


 そう言った天姫様はルリの返答を待たずして、私を抱えたまま穴の中へ飛んだ。


 穴はどこまでも深い。

 灼熱の業火も、極寒の吹雪もない。ただ体に纏わりつく濃い闇と、不快な匂いがあった。

 私たちは落ちていく、どこまでもどこまでも穴の奥へ。

 常夜の世界だ。私の父は光を嫌うから。


「着地するぞ、気合を入れんと両足折れるからの」


 常人の目では自らの肢体を見ることすら不可能な暗闇。


「うっ」


 ドタン、という衝撃と共に地面に落ちた。


「・・・・・・まったく何をしておるか」


 倒れ込んだ私を見て、天姫様は眉をひそめた。

 地面に落ちる赤い血の色。それすらも黒く見える。

 ここはどこまでも暗い永遠の夜の世界。


 ぞっと鳥肌が立った。見えはしないが近くにいることがわかる。

 闇の中で金色の双眸がうっすらと開いたのを見た。

 視線はゆらゆらと漂い、やがて私たちの方へ焦点を合わせる。


 珍しい客もあったものじゃ


「相変わらず辛気臭い場所におるの清玄」


 名を呼ばれるのは久しぶりじゃ。桜の姫と・・・・・・娘か


 私を見た瞬間、禍々しい気が満ちていくのを感じる。


 何用あって参った


「親子が会うのに理由はいらぬだろ、と言いたいところじゃがの。ちと面倒なことになった。ぬしの力を借りたい」


 儂の力と?


「詳しくはこやつに聞け」


 そうしよう


 盤石をも容易に吹き飛ばす、巨大な足が近づいてくる。ズルズルと穢れた色と影を引き連れてこちらへ迫るのだ。それだけで、もうたまらなかった。私は生まれた日から、このモノノケと同じ色を宿しているのだと思い知らされてしまうから。


 嫌だ。誰か助けて。


 (うずくま)り、ガチガチと歯を鳴らして怯える。

 父の大きな鼻が私の体に触れた。


「っひ、嫌だ! おっ(とお)やめてくれ!」


 父は鼻から深々と吸い込んだ。

 吸い込むのはこれまで私がしてきた所業の数々、その記憶である。


 フハハハハハ、殺しも殺したな。やはりお前は儂の一部じゃ


「ううっ!」


 モノノケの力を受け入れたな! そうじゃ! お前はそのために。殺すために生まれてきた!


 触れ合ったことで、父の感情の波が私の体に入り込んでくる。解放を身に着け、人を殺めた私の成長ぶりを見て、父は歓喜しているのだ。


 見える、見えるぞ。憎しみを血肉とし、人間のはらわたを引き裂くお前の姿が


「違う・・・・・・護るために! 私はっ!」


 護るときたか。色欲に呑まれ、人間を愛すなど。愚かな娘よ


「私はおっ(とお)とは違う」


 違うだと? 


 ニタリと笑ったことで見えた牙。その大きさと鋭さは、戦車など空き缶のように喰い破るであろう。


 そうじゃの。儂がお前の母親にしてやったことを教えてやろうか


「おっ(かあ)に・・・・・・」


 あれはいい女じゃった。呪いを振りまく儂を止めるために、自ら贄となるべくここへ来た。(わし)を見ても少しも驚かん。鋭い目つきで睨んできおった。

 人間にしては強い心を持っておった。興味が湧いたでな、しばし飼ってみようと思ったのじゃ。

 一年近くここで暮らす内、だんだんと女のことが分かってきた。お前の母親はなアヤメ、実に強く清い心を持って負った。

 贄に選ばれた友を救うべく自ら犠牲となり、非力ながら儂にたてつこうともがき、最後には――“闇の七族”の長である(わし)を。モノノケを、愛で救おうとした。

 儂はそこが気に入った。だからこの女には魔を孕んでもらおうと決めたのじゃ。

 フフフ、くれてやったぞ。とっておきの魔物をな。

 そうして生まれたのがお前じゃ。お前は人間と愛を育むのではない。この世に夜の来訪を告げ、人間の命を意味もなく摘み取るために生まれてきた。“闇の七族”の使命を果たすために生まれてきたのだ


「よくもっ・・・・・・よくもおっ母にそんな真似を!」


 解放した私は右手の爪を高々と掲げ、泣きながら父に飛びかかった。

 闇のうねりを目端で捕らえた瞬間、父の手がすぐさま私を抑え込んだ。圧倒的な初動の差であった。地に押さえつけられた私は、まったく身動きが取れない。


 お前も同じことをしたようじゃ。愛する者に魔物を植え付けた。儂とお前が違うじゃと? 何も違わん


 胸に突き上げる悔恨。

 っひ、っひ、と胸がえずく。


 私は泣いた。子供のように。次々と溢れる涙は止まることがなく、拭ってくれる人もいなかった。


「そこまでにしてもらおうかの」


 天姫様が言う。


「親子喧嘩をさせに来たのではない。そいつの左腕。それをなんとかするために来た」


 むざむざやられおったか


「流石に生身ではそうなるだろうよ。それほどの相手じゃった――のお清玄よ、ぬしにはこれまで奪った魂があるじゃろ。“四人組”“一角の火車”“詩人の髑髏”と名のあるモノノケたちを喰らい、それは力となっておる。その一部をこいつの左腕にくれてやれ」


 なに?


「そやつにはまだ役目がある。死なせるわけにはいかん」


 我が娘では扱えぬ。力に押しつぶされ、果てるだろう


「そこはわらわがなんとかする。今事を起こさねば、世界は光に埋め尽くされて消えるだろう。それを止められるのはそいつだけじゃ」


 ぐるる、と父は喉の奥から声を出した。


 桜の姫、何が起きておるのだ


「わらわと同等の力を持つ阿呆が暴走しおった。止められるのは光でも魔でもない、強い人間の意志じゃと考えておる。こやつはモノノケの中でも特質な魔を宿しつつも、人として生きてきた。そして愛を知った。その力が必要なんじゃ」


 面白くなりそうか?


「ああ、とびきりにの」


 ・・・・・・そうか


 私の上に乗っていた手が浮き上がり、重みが消える。

 ゆっくりと顔を上げた視線の先、そこに黄金色の目を宿した化け猫の顔があった。


 力をくれてやる、より多くの魂を喰らい。そして生きるが良い


 くあっと開いた口に飲み込まれる。私の体は父の体内の奥へと流れ込んでいった。


胃の腑に落ち、液体が体に染み渡る。体中の穴から入り込んで、私の感覚を奪う。


私は落ちていく。


どこまでも深い深い闇の奥へ。


その中で私は見た。北の街の暗い海辺、海面に反射する琥珀色の月明かり。東の森の奥に建つ金色の塔。西の砂漠で見た赤い朝日。南の丘を抜けた先にある湖畔、水面に立つ顔のない闇の住人達。


それはモノノケの父の記憶。


魔猫の強大な力。


父がどのようなモノノケであるのか、そして私が何者であるのか。その時、全てわかった。


たまらなくなって叫んだ。それが怒りであるのか、高揚であるのかわからない。


父の記憶が私の傷口に群がる。獲物に牙をたてる生物のように。バリバリと喰い破ってくる。


違う、私の体に触れた瞬間から、お前たちは私のものだ。


言うことを聞いてもらう!



・・・・・・・・・・


「急ぎで頼む」


 せかすでないわ


 っべ、と口からはじき出されたアヤメ。


傷を負った体は癒えており、左腕から黒く染まった手が生えていた。


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