穏やかな城内で
遅くなりました!
待っていてくれた皆さま、申し訳ございません
ヴェルガ国城は天に聳える塔のようである。
城壁に用いられたゴロビナ白石は光を反射する性質を持つ。太陽から星々の灯りを受けて輝く美しさ、かつ大砲でも砕けない堅牢さも併せ持っている。
城塞都市に住む者達は今日も城を見上げる。雄大にして優美。下界に住む人々は想いを馳せる。天上界からの眺めはどのようなものなのだろう、と。
その城内。皇家の居住区に星が弾けたような光が現れた。
瞼を焼かれるほどの閃光が引いた後、クリステルを抱えたエルフリーデは姿を現した。
「さあ着いたわ。久々の我が家ねクリステル様」
クリステルはぎりっと歯を噛みしめる。大切な人を傷つけたエルフリーデへの怒り、そして何よりなにもできなかった自分自身への苛立ちがあった。
「ここで成り行きを見守りなさい。あなたにできることはもうその程度よ」
そう言われた途端、クリステルの胸で何かが破裂する。次いで抑えきれないほどの怒りで頭が真っ白になった。
「見ていなさい、私たちは決して負けない。お前がどんなに力を持とうとです」
「――そんな目もするのですね。無垢なお嬢様だと思っていましたが」
「私たちを見くびらないで」
「見くびる、ねえ。確かにそうかもしれませんね」
エルフリーデはクリステルの髪を掴み上げた。
「うっ!」
後ろ髪を掴まれたクリステルは抵抗するが、万力の如き拳は振りほどけない。歩き出したエルフリーデに、そのまま地面を引きずられていく。
「あなたほど清い人間がバカな真似をしたものです」
ずるずると石畳の上を滑る。
痛みに目を細めたクリステルはエルフリーデの向かう先に噴水を見た。
百年前、城の地下にある水脈を利用して作られたものである。名のある彫刻家が設計を手掛け、噴水の中央には水の神を模った石像があった。
その噴水の元までやってくると、エルフリーデはクリステルの顔を水中に押し込んだ。
クリステルは何が起こっているのか理解できなかった。
目、鼻、耳、口。あらゆるところに水が入りこんでくる。口からは肺にあった空気が吐き出され、ガボガボと目前で気泡になっていく。必死に手足をバタつかせて逃れようとするが、どうあがいてもそれは敵わない。
エルフリーデが水中からクリステルの頭を引っ張り上げる。
「がはっ! けほっ、っは」
むさぼるように息を吸うと、飲み込んだ水が口から吐き出された。
疲労により痺れた手足では抵抗できず、口元を拭うこともできない。ただ、だらんと下がる手。ぼやけていた視界が徐々に鮮明になると、目の前に神の石像がある。
――ああ、神様。お願いです、どうか
「あなたはまだ自分の体がどうなっているのか知らないようだ。教えてあげますよ」
そう言ったエルフリーデは再びクリステルを水中に戻した。
二度目は抵抗できなかった。口から吐き出される空気も、すぐに尽きていく。
無音の水の中、クリステルの視界はゆっくりと暗転していく。
やがて心音が止まった。
波打っていた噴水も、今は穏やかである。
「死んだわね」
そうエルフリーデが言った時、横から伸びた手がクリステルを引き上げた。
「おかえり」
皇帝の間でヴァーミリオンを見張っていたアリスである。
「ただいま。よくここにいるってわかったわね」
「気配がしたから」
アリスは引き上げたクリステルを抱き上げ、石畳の上に寝かせた。
「クリステルじゃない」
「そうよ」
「挨拶に行くだけだと思ったわ、連れ帰ってくるなんて。ヴァーミリオンがある今、こいつをどうこうする必要もないと思うんだけど?」
「色々あったのよ」
アリスはクリステルに視線を戻す。
先ほど触った時、既にこと切れていることがわかった。
そのことで怒りが湧いた。
こんなことに何の意味もない。殺すべき時に殺せ、と言ったのはエルフリーデなのに。
そしてなにより。
これではアウレリアが悲しむ――
「アリス」
「なに?」
アリスの目に小さな怒りの炎が灯っている。エルフリーデは涼しげな目でそれをやり過ごし、横たわるクリステルを指差した。
「よく見てみなさい」
クリステルの体がドクンと跳ねた。
「な!?」
アリスは思わず半歩身を引いた。
「っけ、けほ、けほけほ」
意識を取り戻したクリステルが水を吐きながらケンケンと咳き込み、体を小さくしている。
ありえない、確かに死んでいたはず。
エルフリーデが何かしたのかと疑ったが、エルレンディアの力は感じなかった。
死んでいたクリステルは、自らの力で甦ったとしか思えない。
これまで見てきたのだからわかる。皇家にそのような特別な力はない。
アリスはエルレンディアの目を用い、クリステルを見る。そうしてある違和感に気づいた。
「クリステルの中に、何かいる」
アリスが驚愕に零した言葉を背で受け取り、エルフリーデは膝を曲げた。
意識を取り戻したクリステルを真っ直ぐに見据えて言う。
「あなたを見くびっていましたとも――魔に寄生されるとは。それはねあなたの命を蝕んでいるの。世に這い出るため、宿主の命を食い物にしている。そして生まれるまでは宿主が死ぬことを決して許さない。あなたが愛を向けた相手はねクリステル様、そういうものを世に生み出す魔物ですよ」
エルフリーデはそういうと向きを変えて去っていく。
「ヴァーミリオンが成るまであと数か月、共に待ってみようではありませんか。あなたを殺す魔物を植え付けたサムライがやってくるのをね」
クリステルは何も言えなかった。
ただお腹を抱え込み、静かにしくしくと涙した。
残されたアリスはそんなクリステルを見ていた。
かつていた牢獄を思い出す。
獣共に襲われて命を宿してしまった娘たちも数多くいた。生まれてくるのは悪魔の子だ、と嘆く女達の泣き顔がクリステルのものと重なって見えた。
「・・・・・・どうなっているのかわからないけど、とりあえずアウレリアを呼んであげる。立ちなさいよ」
アリスはクリステルを抱え起こした。
昼下がりの静かな城内。噴水から流れる水の音と、クリステルの泣き声だけ。




