巣くうもの
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クリステル様の首にエルフリーデの指が食い込んでいた。彼女の白い体は苦しみからのけ反っている。
それを見た瞬間、血潮が荒れ狂った。口からは獣のような吐息が漏れている。
エルフリーデは火を吹き出しそうな私を見てもなお、冷ややかな目で笑うだけであった。その残忍さは冬の冷たい月、肌を斬る鎌のような風を思わせた。
――今の私を見て笑うか
エルフリーデは私を格下と見ているのだろう。
修練未熟であったため片腕を失い、果てはお護りする大切な人まで奪われた。生死を賭して挑む真剣勝負には如何な弁解もなし。そこにあるのは生か死か。強き者が生き残るという事実のみ。
奴にとって私は恐れるに値しないというわけだ。だから、あのような笑みを。
鬱勃の戦意が湧いてきた。
私はまだ戦える。
クリステル様のためなら、どんな時でも戦えるのだ。私はあの方の剣なのだから。
「まだ終わってないぞエルフリーデ」
私は怒気を込めて言った。
「凄まじいわね。そこまでして立ち向かってくるの」
「クリステル様を放せ」
「ただ好きなものを愛でていたいとか、自分が満足したいとか、そういうものを超越しているわ。互いの信頼関係から生まれた愛情。その強さね――そう、その強さゆえに」
エルフリーデの瞳が一瞬、炎のように閃いた。
カッと見開かれた瞳を見た瞬間、視界が暗転した。
気が付くと、周囲一帯が何か白く霞がかっている空間に佇立していた。先刻まで感じていた体の痛み全く消え去っている。しかし、頭がどこかぼんやりとしていた。声を出そうとしてみたが、喉から絞り出されたのは空気のみである。
奇怪な術にじりじりと後ずさろうとした瞬間、クリステル様の声が聞こえた。
『それは本当ですか』
声は洞窟内であるかのように反響し、上下前後とあらゆる方向から聞こえてきた。
『はい、お体の調子が優れないのはそのためかと』
今度は聞いたことのない男の声が聞こえてくる。
私は頭を振り払った。
恐らく幻術の類だろう。すぐにここから抜け出さなければ、そう考え、思い切って白い靄を突き抜けた。
その直後、目の眩む閃光が走った。
思わず立ち止まり、片腕で目を覆う。
「そんな・・・・・・そんなはずありません私は」
またクリステル様の声。今度は先刻より鮮明に聞こえる。
「お心当たりについては私に話す必要はございません」
男の声も聞こえる。
徐々に目が慣れてきた。視界を覆っていた着物の裾を退けると、そこはアーバン国の城にある医務室である。私も何度か世話になったのでこの光景は覚えている。
壁とカーテンは貝殻のように白く、棚には整えられた薬品が並び、消毒液がほのかに香るシーツにくるまれたベッドが点々と配置されている。
その医務室でクリステル様と白衣を着た医師が、向かい合って椅子に座っているのであった。
クリステル様の表情は優れず、胸中困惑がひしめいているであろうことが見て取れた。
「本当に心当たりがないのです、これまでそんなことは」
そう言ったクリステル様がハッとしたような顔をして、腹部に手を当てた。
「・・・・・・感じました、けれどまさか。そんなことって」
「通常、体に変化が出るのは二か月目と言われています。目に見えた変化はありませんが、母体自体が感じることが多くなります」
「・・・・・・」
「そのように暗い顔をされてはいけません、これは喜ばしいことではありませんか。あなた様の体に命が吹き込まれたのです」
「命を――吹き込む」
瞳を閉じ、肩を下げて息をついた。
「そうですね。大切にしなければ」
やや上気した頬で、微笑みながら言う。それは至極前向きな表情であったが、お腹の前で組み合わせている手が小刻みに震えているのである。
いとしく可憐なクリステル様を、これほどまで怯えさせているのはなんだ。彼女の盾になってあげたい、と憤激の情が湧く一方で、とりかえしのつかないことをしたのだという慙愧の情が湧く。
私はじわりじわりとその場から後ずさる。
まさか、そんなはずはない。有り得ないことだ。
私は何もしていない。だって私は――
オオオオオオオオオオオオオオオ
突然の獣の咆哮に私は耳を抑えた。
――違う、私ではない
生臭い香りが漂ってくる。獣の荒い息遣いが聞こえる。
――やめてくれ
目を閉じても、闇の中で巨大な化け猫と向かい合っている私が見える。猫は私をじっと見つめたまま動かない。
――何をした、私は何をしてしまった
あの時の光景が蘇る。
私は第二段階の解放をして、目の前にはお腹から血を流したクリステル様がいて。
綺麗な肌から血が出ているのは可哀そうだったから、優しく血を舐めとった。
この人に死んでほしくなかったから。
私は命を与えた。
「アヤメ!!」
天姫様の声で我に返った。
目の前にはエルフリーデとクリステル様。横には天姫様とルリ。
気が付けば先刻の場所に再び佇立していた。
「しっかりせんか。息をしろ」
天姫様が私の頬を軽く叩いた。
胸が圧迫される。息をしていなかったらしく、肺は萎びた果実のようであった。それに気づいた私は、むさぼるように空気を肺に入れた。そうして何度か咳き込んだ後、込み上げるものを抑えきれずに吐いた。
「愛が大きすぎるあまり、あなたはクリステル様に大変なことをしたのよ」
エルフリーデは言った。
「でもね、クリステル様はそれを喜ばしいと思っているみたいよ? 魔物を植え付けられたのに、愛する人からの贈り物だって」
エルフリーデの人差し指がクリステル様の頬から首筋までをなぞる。痛いくらいに目をつぶって、ビクッと震えた。
「さあ、真実は告げたわ。それでもなお立ち向かってくるならもう一度相手をしてあげる。けど覚えておくことね――私が創る世界に苦しみはない。クリステル様も苦しむことなく暮らせるでしょうね」
「おいおい、ぬしよ」
割って入ったのは天姫である。
「けしかけはしたが、わらわを歯牙にもかけぬとは気に入らんの」
天姫の黒髪が再び赤く燃え上がった。
彼女は剛猛の精霊に等しき力を有している。例え全てを統べる神と戦うことになろうとも、なかなか引けを取らない力はある。
「せっかく久しぶりに再会したんじゃ。もう少し遊んでいけ」
光の使者であるエルレンディアと堂々対立し、縦横無尽に荒れ狂う。
そのはずの天姫がぴたりと動きを止めた。見えない壁に阻まれるが如く、微動だにしなかった。
そうして急所を突かれた如く青ざめ、エルフリーデを睨みつけたのである。
「体が動かぬ・・・・・・朱石を使いおったの」
「私が何の対策もしないと思っていたの? 悪いけど、あなたはもう蚊帳の外なのよ」
「なら初めからそうせんか、人を馬鹿にしよって」
「これで桜花の姫は役に立たないわよ。クリステル様を救いたければ、あなたが来るしかないわね。アヤメ、と言ったかしら。あまり長くは待てないわ、早ければ三か月後には石が共鳴し、この世界は変貌を遂げる」
それじゃあね、とまるで気の知れた友人への挨拶をするように手を振り、エルフリーデとクリステルは消えた。
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