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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
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巣くうもの

いつも読んで下さる皆様、ありがとうございます


最近は投稿ペース落ちぎみですが、今後ともよろしくお願いします!

 クリステル様の首にエルフリーデの指が食い込んでいた。彼女の白い体は苦しみからのけ反っている。

 それを見た瞬間、血潮が荒れ狂った。口からは獣のような吐息が漏れている。


 エルフリーデは火を吹き出しそうな私を見てもなお、冷ややかな目で笑うだけであった。その残忍さは冬の冷たい月、肌を斬る鎌のような風を思わせた。

 

――今の私を見て笑うか


 エルフリーデは私を格下と見ているのだろう。


 修練未熟であったため片腕を失い、果てはお護りする大切な人まで奪われた。生死を賭して挑む真剣勝負には如何な弁解もなし。そこにあるのは生か死か。強き者が生き残るという事実のみ。

 奴にとって私は恐れるに値しないというわけだ。だから、あのような笑みを。


 鬱勃(うつぼつ)の戦意が湧いてきた。

 私はまだ戦える。

 クリステル様のためなら、どんな時でも戦えるのだ。私はあの方の剣なのだから。


「まだ終わってないぞエルフリーデ」


 私は怒気を込めて言った。


「凄まじいわね。そこまでして立ち向かってくるの」

「クリステル様を放せ」

「ただ好きなものを愛でていたいとか、自分が満足したいとか、そういうものを超越しているわ。互いの信頼関係から生まれた愛情。その強さね――そう、その強さゆえに」


 エルフリーデの瞳が一瞬、炎のように閃いた。

 カッと見開かれた瞳を見た瞬間、視界が暗転した。


 気が付くと、周囲一帯が何か白く霞がかっている空間に佇立していた。先刻まで感じていた体の痛み全く消え去っている。しかし、頭がどこかぼんやりとしていた。声を出そうとしてみたが、喉から絞り出されたのは空気のみである。

 奇怪な術にじりじりと後ずさろうとした瞬間、クリステル様の声が聞こえた。


『それは本当ですか』


 声は洞窟内であるかのように反響し、上下前後とあらゆる方向から聞こえてきた。


『はい、お体の調子が優れないのはそのためかと』


 今度は聞いたことのない男の声が聞こえてくる。

 私は頭を振り払った。


 恐らく幻術の類だろう。すぐにここから抜け出さなければ、そう考え、思い切って白い(もや)を突き抜けた。

 その直後、目の眩む閃光が走った。

 思わず立ち止まり、片腕で目を覆う。


「そんな・・・・・・そんなはずありません私は」


 またクリステル様の声。今度は先刻より鮮明に聞こえる。


「お心当たりについては私に話す必要はございません」


 男の声も聞こえる。

 徐々に目が慣れてきた。視界を覆っていた着物の裾を退けると、そこはアーバン国の城にある医務室である。私も何度か世話になったのでこの光景は覚えている。


 壁とカーテンは貝殻のように白く、棚には整えられた薬品が並び、消毒液がほのかに香るシーツにくるまれたベッドが点々と配置されている。

 その医務室でクリステル様と白衣を着た医師が、向かい合って椅子に座っているのであった。


 クリステル様の表情は優れず、胸中困惑がひしめいているであろうことが見て取れた。


「本当に心当たりがないのです、これまでそんなことは」


 そう言ったクリステル様がハッとしたような顔をして、腹部に手を当てた。


「・・・・・・感じました、けれどまさか。そんなことって」

「通常、体に変化が出るのは二か月目と言われています。目に見えた変化はありませんが、母体自体が感じることが多くなります」

「・・・・・・」

「そのように暗い顔をされてはいけません、これは喜ばしいことではありませんか。あなた様の体に命が吹き込まれたのです」

「命を――吹き込む」


 瞳を閉じ、肩を下げて息をついた。


「そうですね。大切にしなければ」


 やや上気した頬で、微笑みながら言う。それは至極前向きな表情であったが、お腹の前で組み合わせている手が小刻みに震えているのである。


 いとしく可憐なクリステル様を、これほどまで怯えさせているのはなんだ。彼女の盾になってあげたい、と憤激の情が湧く一方で、とりかえしのつかないことをしたのだという慙愧の情が湧く。


 私はじわりじわりとその場から後ずさる。


 まさか、そんなはずはない。有り得ないことだ。

 私は何もしていない。だって私は――


 オオオオオオオオオオオオオオオ


 突然の獣の咆哮に私は耳を抑えた。


――違う、私ではない


 生臭い香りが漂ってくる。獣の荒い息遣いが聞こえる。


――やめてくれ

 

 目を閉じても、闇の中で巨大な化け猫と向かい合っている私が見える。猫は私をじっと見つめたまま動かない。


――何をした、私は何をしてしまった


 あの時の光景が蘇る。

 私は第二段階の解放をして、目の前にはお腹から血を流したクリステル様がいて。

 

 綺麗な肌から血が出ているのは可哀そうだったから、優しく血を舐めとった。


 この人に死んでほしくなかったから。



 私は命を与えた。





「アヤメ!!」


 天姫様の声で我に返った。

 目の前にはエルフリーデとクリステル様。横には天姫様とルリ。

 気が付けば先刻の場所に再び佇立していた。


「しっかりせんか。息をしろ」


 天姫様が私の頬を軽く叩いた。

 胸が圧迫される。息をしていなかったらしく、肺は萎びた果実のようであった。それに気づいた私は、むさぼるように空気を肺に入れた。そうして何度か咳き込んだ後、込み上げるものを抑えきれずに吐いた。


「愛が大きすぎるあまり、あなたはクリステル様に大変なことをしたのよ」


 エルフリーデは言った。


「でもね、クリステル様はそれを喜ばしいと思っているみたいよ? 魔物を植え付けられたのに、愛する人からの贈り物だって」


 エルフリーデの人差し指がクリステル様の頬から首筋までをなぞる。痛いくらいに目をつぶって、ビクッと震えた。


「さあ、真実は告げたわ。それでもなお立ち向かってくるならもう一度相手をしてあげる。けど覚えておくことね――私が創る世界に苦しみはない。クリステル様も苦しむことなく暮らせるでしょうね」


「おいおい、ぬしよ」


 割って入ったのは天姫である。


「けしかけはしたが、わらわを歯牙にもかけぬとは気に入らんの」


 天姫の黒髪が再び赤く燃え上がった。

 彼女は剛猛の精霊に等しき力を有している。例え全てを統べる神と戦うことになろうとも、なかなか引けを取らない力はある。

 

「せっかく久しぶりに再会したんじゃ。もう少し遊んでいけ」


 光の使者であるエルレンディアと堂々対立し、縦横無尽に荒れ狂う。

 そのはずの天姫がぴたりと動きを止めた。見えない壁に阻まれるが如く、微動だにしなかった。

 そうして急所を突かれた如く青ざめ、エルフリーデを睨みつけたのである。


「体が動かぬ・・・・・・朱石を使いおったの」


「私が何の対策もしないと思っていたの? 悪いけど、あなたはもう蚊帳の外なのよ」


「なら初めからそうせんか、人を馬鹿にしよって」


「これで桜花の姫は役に立たないわよ。クリステル様を救いたければ、あなたが来るしかないわね。アヤメ、と言ったかしら。あまり長くは待てないわ、早ければ三か月後には石が共鳴し、この世界は変貌を遂げる」


 それじゃあね、とまるで気の知れた友人への挨拶をするように手を振り、エルフリーデとクリステルは消えた。


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