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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
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死闘

二年前。桜花国。

 

右の首を打たれた私は、木剣を落として血を吐いていた。

 喉につかえた血が、がえがえとうずく口からこぼれるのを見ながら、それでも高揚感に満たされていた。どのような太刀筋であったのか、まるでわからなかったのである。このような秘剣が存在するなど思いもしなかった。


「ちと、強く打ちすぎたかの。加減したんじゃが」


 木刀を肩に担いだ(あま)(ひめ)様が言った。


「いえ、大丈夫です。見事な御手前、感服いたしました」

「そうか」


 天姫様はふと笑みをこぼした。


「わからなかったじゃろ?」

「・・・・・・はい」

「同じようにわらわに打ち込めるか?」

「できません」

「情けないのう、少しは自分で工夫せねばならぬぞ」


 私は羞恥に頬を染めた。


「ま、見切られたらそれはそれでつまらんのじゃが」


 木剣を手にした私は天姫様に向き直り、青眼に構えた。


「今一度」

「いいじゃろう」


 互いに構えた時、さっと風が吹いた。その中、天姫様が再び迫る。脇構えのまま、迫りくる天姫様は間合いに入っても未だ剣を振る素振りを見せない。間合いに入ってからの速度は更に上がった。焦った私はほぼ無意識のうちに、右肩から左腰にかけて斜めに木刀を振った。がん、と音がして木刀が吹き飛ばされ、唖然とするうちに再び右の首を打たれた。


「っがあ!」


 精妙な剣は寸分たがわず同じ個所を打ち、私を吹き飛ばしていた。


「見えたか?」


 脇を走り抜けていった天姫様が言った。


「・・・・・・み、見えません」

「左様か」

「今一度」


 震える足に力を入れ、なんとか立ち上がった。青眼の構えは容易く破られた、ならば次は下段の構えでと向き直ると、天姫様は少々呆れている様子だった。


「何度やっても同じじゃよ。剣術には上段、八相、青眼、脇構え、下段と構えがあるが、この技は全てを封じることができる。何故じゃ? この秘剣を会得するにはまず何をすべきじゃ?」

「・・・・・・受け太刀を極めることかと」

「左様、受け太刀から転じて瞬時に相手を(ほふ)る。名を“地獄流し”という」

「地獄流し」


「そうじゃ。わらわが目前に迫ったのに剣が動かぬので、お前は大層焦ったはずじゃ。無理もない。間合いに入っておきながら急所をさらけ出したままの相手などまずおらぬからな。この秘剣はそういった所をつく。このままでは斬られる、という焦燥と恐怖を利用する。虚を突かれた者が繰り出す剣は、妙な力が入って太刀筋が読みやすい」


 天姫様が青眼に構えた。


「死神よ。これからわらわは好きに打ち込ませてもらう。手は抜かぬ、それを全て防いでみせい。伝授できるかどうかはそれからじゃ」

「はい」


 そうして始まった秘剣伝授の修行は熾烈を極めた。

 来る日も来る日も五行の構えからくる剣閃を受け、何度も何度も吹き飛ばされた。

 やがて全ての剣を受け止められるようになった時、私の剣が自然と相手の首筋を狙うように動いた。


「よいぞ、次じゃ。わらわはこの場から動かぬ。今度はお前から来てみろ。そしてわが剣を防いでみせい」


 受け太刀とは元来、相手の出方を待つもの。こちらから攻め込めば反撃にあう。


「柔軟な壁となれ。こちらから動くも決して斬られず、なおかつ返しの太刀を見切られぬように変異させよ。それを五体で覚えるのじゃ」


 夢幻神道流、秘刀七太刀の四“地獄流し”。

 間合いに入ってからの急加速、対手に斬り込ませ、受け太刀に転じつつも柔軟な剣筋で刃を放つという逆襲の秘儀であった。





掌に血が滲んでいた。

刀と違い、剣は両刃だ。刀でいう峰は存在しないのだから、手を添えていては当然切れる。そんなことも忘れて、無我夢中で秘剣を放った。

 

二度も秘剣を用いたが故に、体が悲鳴を上げ始めている。にわかに手が震えだし、全力で走り抜けた直後のように息が荒い。


背後を振り返る。


剣を振るうのに精いっぱいで手ごたえを感じることもできなかった。


「まさか、これほどとはね」


 ゆっくりと振り返ったエルフリーデの首筋に、赤い一本の線が浮かんでいた。


「私の肌に傷をつけるなんて。アリスでもここまではできなかったのに。昔から桜花人には驚かされるわ」


 剣は届いていた。

 しかし、浅い。

 首筋にミミズのような腫れが浮かんでいるのみである。


 使い慣れない武器であるが故か。刃ではなく、剣の腹で捕らえていたらしい。

 無念に歯噛みする。刀であれば仕留められていたかもしれない。

 だがわかったこともある。私の剣は敵に届く。


「やるわね、混ざりものの人間のわりには」


 首を傾げて笑うエルフリーデは、あくまで対手をのんでかかった態度であった。


「さあ、続きをしましょうか。あなたは面白いからね」

「面白いだと?」

「ええそうよ」

「余裕を見せられるのも今の内だぞ。私の力を甘く見るな」

「力の源はクリステル様というわけね」


 エルフリーデが宙を駆けるようにして迫り、剣を真っ向から振り下ろした。その刃を下段からの切り上げで防ぐ。刃が発止と噛み合い、鍔迫りとなった。


「笑止。お前は全人類のことなど考えていない、ただ一人の人間のエゴにすぎないわ」


「そうやって上からものを言って。お前のようなやつがいるから、虐げられる人がいる。その人たちの気持ちがわかるか、救いの手を差し伸べようとしたことはあるか! 貴様には何の信念もない! 私はクリステル様のような人を支え、世界を今よりもよくしたい!」


「そんなことは無駄よ、人間が増えた今となってはね。いずれは腐り果てた社会のシステムとやらに呑まれるのがおちだわ。私はそれを壊す――そしてもう一度最初から始めるのよ」


 いきなり剣が離れた。

 そしてたたみかけるような斬り込みが襲い掛かってきた。重量のあるはずの剣が、鞭の如くうねって迫る。その悉くを受けるうち、右の頬に痛みが走った。

 エルフリーデは頬から血を流す私を見て恍惚と微笑み、再び刃をかみ合わせた。


「っく、うぅ」


 足が地面に縫いとめられる。力に押されて、足が震え始めた。


「あら、もう終わり? 感心したのに」

「誰が、ここで終わるものか」

「そうよねえ、クリステル様にあんなものを植え付けて死ねないわよね」

「なんだと?」

「・・・・・・気づいてないの?」


 エルフリーデは私と鍔迫りをしながらも顔をクリステル様に向けた。


「そう――言ってないのね。ふふふ、言えなかったのねクリステル様は」

「何を言っている」

「教えてあげましょうか」


 その時だった。


「エルフリーデ! やめて!」


 後ろにいたクリステル様が叫んだ。

 それと同時にエルフリーデの剣が何倍にも重みを増した。


「っぐ!」


 巨大な岩を持ち上げているようであった。これほどの力で私を押しながらも、エルフリーデは涼しい顔のままだ。その唇がゆっくりと私の耳元に迫る。


「私ね人の心が読めるの。クリステル様の隠し事を教えてあげる」


「隠し事、だと」

 


「クリステル様は魔物の子を体内に宿している。お前の子をね」



 エルフリーデは言った。


「なにを、世迷いごとを」

「そうかしら? 見てみなさい」


 エルフリーデの指が迫り、私の顎先を持ち上げた。そしてゆっくりとクリステル様の方を振り向かせる。

 クリステル様は青ざめて、私から目を逸らした。


「お前は魔の力でクリステル様になにかしたんでしょう。気づかなかったの? てっきりそのために戦っているのだと思ったわ。ただ愛する人を護りたいという個人の感情――それは世界の前ではひどく小さなものなのよ」


「っき、貴様!」


 瞬間、エルフリーデは剣を跳ね上げた。

 剣が手を離れたと焦った時、右肩から胸にかけて、耐えがたい激痛が走った。

 一瞬の心のゆるみを見破られ、斬りつけられた。


「ほら、動揺するからよ」


 これでとどめとばかりに、エルフリーデが剣を振りかぶるのが見えた。


――子を宿したなど嘘だ、そんなことあるはずがない。私を油断させるための嘘、そうに決まっている


 目の前には薄笑いを浮かべる敵と、斬り裂かれた胸から飛び出た血。血は岩に打ち付けられた波の飛沫のように舞う。それは赤い記憶を蘇らせた。


 コロセ


――シュタインの部隊と戦った時、クリステル様に怪我をさせてしまった


 コロセコロセコロセコロセ


――もうあんなのは嫌だ、あの方が傷つくのは嫌なんだ。そうだ、何よりクリステル様を護らねば


 コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ


――今は全てどうでもいい、ただ目の前のこいつを


 コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ


――殺す


・・・・・・・・・・


 相手の脳天に剣が叩き込まれようかという最中、エルフリーデは見た。

 振り下ろされた剣の向こうに、鋭くこちらを見つめる獣の目を。

 ガッキ、と刃が弾かれる音が響いた。アヤメの剣がエルフリーデの剣を弾き返していたのである。

 あの状況からよくも返したものだ、と思う間もなかった。アヤメは胸から血を滴らせながら、俊敏な動きでエルフリーデに執拗な剣戟を見舞った。




 怒号と共に速度を上げたアヤメは、エルフリーデの周囲を影の如く滑って斬りかかった。それは無我夢中というにふさわしい。敵に対しほぼ反射的に剣を振っているように見えた。

 アヤメの目が狂気に染まっていくのを見たクリステルは頬に涙を感じた。恋人が発するあまりの覇気に、体の芯まで揺さぶられる。今やアヤメの頭は怒りと憎しみで()けるようであろう。


クリステルはそれが悲しくてならなかった。

安らぎをくれる笑顔の面影はまるでない。

自分を抱き締めてくれる体からは血の滴が舞っている。血が飛び散る度に、アヤメの理性と温もりが消えていくように見える。



 今ここでエルフリーデを叩かなければ、犠牲は数億に及ぶ。

 しかし、憎しみの業火に身を包みながら戦い続けるアヤメをこれ以上は見ていられなかった。

 そのようなクリステルの嘆きは、アヤメには届かない。

 今のアヤメにはただ目の前の敵を斬ることしか頭にない。


 命ごとぶつけるような秘剣を二度放ち、更には深手を負っていたアヤメであるが、疲労と痛みがかえって剣士の魂を極限まで高ぶらせていた。



―桜花国“覇の書”―

 一人の死に抗うサムライを討つ際、十のサムライを必要とすべし



 死んでも死に切れぬ。断じて易々とは死なぬ。生き汚く征く。

 桜花のサムライの魂に染み付いたシニグルイを発症していた。


 狂気と共に繰り出される執拗な攻撃は、堅固なエルフリーデの護りを削いでいく。雨だれが長い年月をかけ、盤石を穿つ様に似ていた。


「なんという凶暴さ。若造特有の剣ね」


 エルフリーデは呆れて言うと、纏わりつくアヤメから飛びのいた。距離にして一五間ほど一気に飛んだエルフリーデは苦も無く地に降り立つと、息を荒くするアヤメに手招きした。


「さあ、私の所に来てみなさい」


 エルフリーデの周囲にある石や岩が糸で釣り上げられたように浮かび上がる。それらは豪雨の如く、一斉にアヤメへと襲い掛かった。

 戛然とは異なる、勢いよく(つち)を打ち下ろしたような耳障りな音が周囲に響いた。猛進するアヤメが迫りくる石や岩を斬り裂く音である。


 その覇気も呼吸もいささかも衰えてはいない。強固で、しかし滑るような足さばきで、確実にエルフリーデに近づいていく。無数の礫などでは止まらない。


 そうしたアヤメの強さに惹かれるように、エルフリーデは自ら踏み込んでいた。

 エルフリーデが自ら間合いを詰めるというのは極めて異例なことであった。常より研鑽を重ねているバイズと剣の腕は、他の追随を容易には許さない。ほとんど一歩も動かずに勝負を決めることが可能故、自ら動く必要がないのである。

しかし、エルフリーデは踏み込んだ。


 アヤメとエルフリーデ。二人の呼吸が合致した瞬間、再びすれ違いざまに相打った。


 その際の音は戦場ではよく耳にするものであった。

 アヤメの左腕は斬り上げられ、高々と宙を舞っていたのである。


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