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皇女の猫【抑制版】  作者: WAKA
展開篇
103/170

昼下がりの決闘

後ろを振り返れば、私たちが辿ってきた道の奥。宮殿の方角が赤く染まっている。青空も白い雲の下腹も、何もかもが赤に埋めつくされていた。

 あまりの出来事に私は大きく目を見開き、ただ呆然とするしかなかった。


「今のヴァーミリオンの力だけでも、この程度のことなら可能なの」


 エルフリーデは言った。

 力を失った私の手から転げ落ちた水晶が、枯れ草の上で未だ赤々とした光を放っている。


「噓でしょ、こんなのめちゃくちゃだよ」


 ルリが言う。

 私の足は震えていた。それは地響きであるのか、恐れからであるのか、もはや判別がつかなかった。

 やがて彼方の赤い光がゆっくりと収束すると、まるで何事もなかったかのように世界に色が戻った。爆炎も、煙も、悲鳴さえも聞こえてこなかった。


視線を落とし、水晶を見てみる。そこには先刻までの光景はなかった。アーバン国の宮殿は文字通り何も残っていないのである。建造物の倒壊の様子や、遺体が見当たらない。初めから何も存在しなかったかのように、ただ宮殿の跡が残っているだけだった。

あの朱い光は爆弾のように痕跡を残さないらしい。この世界から存在を削り取っていくのだ。


「フィオ、ちゃ――」


 クリステル様は力なく呟き、その場に崩れ落ちた。震える手で水晶を拾い上げ、見開いた目には今にもこぼれ落ちてしまいそうな涙の粒があった。


「あ、ああ」


 クリステル様は声を失い、ただ涙を水晶に落としていた。

 そんな彼女を見て、エルフリーデはあざ笑うかのように言った。


「見たでしょ、これがヴァーミリオンの成せること。悲しむことはないのよ、あれは始まりに過ぎない。やがて世界中で同じことが起きるの。

 ねえクリステル様。新たな変革の前には犠牲がつきものです。穢れた種を浄化するにはもう他に方法がない。

 けれど勘違いをしないでほしい。これは全てこの世を正すための通過点に過ぎない。ただ破壊をもたらすだけではない、真の平和を作るためには一度無にするしかない」


 クリステル様は水晶を握りしめ、地に額をつけて泣きじゃくっていた。

 それを見たエルフリーデは少々声を荒げた。


「これまであなたの生温い理想には心底苛立ちを覚えたわ。まるで、人間を信じていたかつての私と同じ――愚かな過去の自分を見ているようだったからかもしれない。ただ、私の作る新世界にはあなたのような人が必要だと思えたの。どのような目に遭っても慈しみを忘れず、他者を思いやれるあなたのような人が。

 私と来て。この世界から争いを無くすことはあなたの思い描いた姿であるはず。あなたが望むのであれば、消えた人間をもう一度現世に蘇らせることもできる。この世で無くした命は一時的なもの、私の作る世界で幸せに暮らせるわ」


 エルフリーデは手を伸ばした。


「どうかこの手を取って。あなたには興味がある、話し合えば分かり合えるとも思っている。そんな魔を宿している者達といてはいけない。さあ、光の方へ」

「・・・・・・ふざけないで」


 クリステル様は涙を拭き、毅然とした目で立ち上がった。手足の震えからか、よろめいていたので慌てて肩を支えた。


「エルフリーデ、お前はこれまで多くの人を不幸にしてきました。罪もない人を、助けを乞う人を、目もくれずに殺めてきた。そんな人の作る世界なんて、全部偽りです! こんなひどいことを眉一つ動かさずにできるなど悪魔の所業としか思えません!」

「私を悪魔と?」

「お前はアヤメさんとルリさんを魔のものと言いましたね」

「ええ、光など微塵も感じないもの」

「アヤメさんもルリさんも、魔の者などではありません。お前は、お前自身の理想のために突き進むばかりで、人の本質を見ようとしていない。お前こそ悪魔ではありませんか!」


 エルフリーデは差し出していた手を降ろし、深々とため息をついた。そうして口元の笑みを消した。


「まだ分からないのね」


 仮面が口をきいたようだった。

 やや空気が重くなったのを感じ取った私とルリは、すぐさま剣を構えてクリステル様の前に立った。


「エルフリーデ・ランゲマルク。噂には聞いていたが、会うのは初めてだな」

「あなたは?」

「アヤメだ」

「そう。アヤメっていうの。聞いているわよ。クリステル様を桜花人が護っているという情報はあったけど、あなただったのね」

「私もお前のことを聞いてはいた。クリステル様はお前と話し合いで解決しようとしていた、私も話せばわかると思いもした。だが今の話を聞いていてよくわかった」


 剣の先をエルフリーデに向ける。


「気に入らないから全てを壊すのでは子供のすることとなんら変わりはない。私は逃げない。私は――私たちはここで生きていくんだ。お前のように逃げない。そして、人の痛みも知らない奴の思い通りにはさせない」

「わからないわね、あなたも少なからず力を持つ者でしょう? 気に入らない人間を殺すことで生きてきたはず。私と何か違うのかしら」

「何が話をしに来ただけだ。人の命を、思いを、一瞬で踏みにじって・・・・・・貴様はどうしようもない屑だ!」

「答えになってないわね」

「私は貴様とは違う! 人の命を無下にする貴様とは断じて同じなどではない!」

「議論は無駄かしら」

「そうだ」

「そう、なら相手をしてあげましょうか。あなたの土俵でけりをつけましょう」


 エルフリーデが腰に差していた剣を引き抜いた。


「いつでもいいわよ」

「いいだろう」



 エルフリーデが言うと同時に、私とルリは砂塵を残して魔女へ斬りかかった。

 夢幻神道流、秘刀七太刀。七太刀の一“篝火様之事”。鍛え抜いた腕力と上半身の捻りによる回転を用いた神速の一閃。何人もこの横一文字から逃れることなどできはしない。


 更に下段からはルリの秘剣が襲い掛かかる。

下から上への逆風の太刀“風波(かざなみ)”はルリの得意とする技だ。


 横一文字の“篝火様之事”と下から跳ね上がる“風波”の合わせ技“霞の十字斬り”。相手を一瞬で切り裂くこの技で決める。

私の脳裏には、エルフリーデの首が跳ね上がる鮮明な勝利が浮かび上がっていた。


鋭い戛然(かつぜん)と同時にがんという音が同時に響いた。エルフリーデは私の太刀筋を見切り、刃を受け止めると同時に下から迫ったルリを蹴り飛ばしていた。かかとで胸部を蹴られたルリは三間ほどふきとばされ、思わず膝を落としている。


私の剣は未だエルフリーデのものと噛み合ったまま。ここが勝機とみた。


解放する。


数倍に膨れ上がった私の腕力は、尚も剣を押し込める。剣と剣が噛み合い、刃からはチリチリと火花が散る。

と、瞬時に柄を逆手に持ち替え、剣を大地に突き刺す。私の持つ剣の鍔はエルフリーデの剣を捕らており、剣先がガクンと下がった。わき腹、胸元、首、が晒されて隙だらけであった。

狙いは首。喉元めがけて拳を叩き込もうとした時、右頬に衝撃を覚えた。


「っが、っく」


 エルフリーデは足元を滑らせて拳を交わし、同時に私の頬を殴りつけていた。視界がぼやける中、慌てて剣を引き抜いて後ろへ飛ぶ。げに恐ろしき使い手。あの体制から私の拳を躱し、打ち込んでくるとは。


「どうしたの? ぬるいわよサムライ」


 かっと頭に血が上った。

 打ち込まれたからではない。エルフリーデは最初から一歩も動いていないという事実に気づいたのだ。

 だっと駆け出し、再びエルフリーデの剣に食らいついた。咳き込んでいたルリも短刀を持ち直して後に続く。


 一合、二合、と次々に戛然の音が響いた。かくも激しい剣戟を繰り出すのはこれが初めてであった。

 戦争でも、ソニアとの戦いでも、これほどの怒号と共に斬りかかったことがない。解放による剣の鋭さには少なからず自負があった。一対一であるならば誰にも負けないと思いもした。

 しかし、二対一という悪手をもってしてもエルフリーデは未だその場から動かない。躱し、あるいははじき返し、あるいは受け流し、刃先の悉くを退ける。


 剣を握ったこともない素人が、達人に指導を受けるが如き様である。最大の敵であるエルフリーデと私の力量、これほどまでに遠いか。焦燥と怒りを埋めるようにして更に剣の速度を上げる。


――くそ!


 これほどまでに力を惜しみなく使ってなぜ斬れない。

 心が乱され、次第に剣が重くなっていく。剣は刀とは違う。戦い方は工夫せねばと思っていたのに、無我夢中のあまり刀のように扱っていたため、体への負荷は激しく、武器の良いところも殺してしまっている。

 

落ち着け、勝機は必ず見えてくる。考えろ。


戦闘の最中、相手の剣を警戒しつつも頭の中で戦術を組み立てる。

この武器は重い。

無理に力で振ろうとするのではなく、武器そのものの重量を利用すればよい。真っ向から剣を振り下ろし、そこに全体重をかければ、刃はかつてないほど重いはず。受け止めようとも刃ごと相手に斬り込むはずだ。


 だが、これほどの一撃。躱されれば隙だらけ。二の太刀を生み出せず、剣の餌食となるだろう。

 仕掛けるとすれば、奴がルリの剣を躱した時。エルフリーデの逃れる先を予測し、そこに打ち込めば勝機はある。


 青眼から肩に打ち込んだルリの刃を見たのはその時であった。エルフリーデは足を滑らせ、半身になって躱した。

 ここだ。素早く剣を跳ね上げ、真っ向唐竹割に斬り込む。


「弱いわね」


 エルフリーデは躍り出て、私とルリの間を走り抜けた。するりと影が動いたようであった。


「あなたはつまらないわ」


 数間先に立ったエルフリーデが言うと同時に、ルリががっくりとうなだれて倒れた。その背中に、深々と斬られた跡があった。


「ルリさん!」

「ルリ!」


 クリステル様と私の、悲鳴のような声が響いた。

 思わずルリを抱き上げる。

 ルリは口端から血の筋を垂らし、弱弱しく微笑んだ。


「平気だよ、ちょっと痛いだけ――まだ戦えるから」


 そっとルリの傷に手を当ててみる。

 死に至るような傷ではないが、深手には変わりなかった。これではもう剣は振れないだろう。


「動くな、じっとしていろ」


 そっとルリを地に寝かせる。


「あたしまだやれる――」

「お前を失いたくない」


 ぎりっと歯を噛みしめる。

 この傷で挑めば、ルリは間違いなく殺される。深手を負って倒せるような相手ではない。


「アヤメちゃん、聞いて」


 ルリは私の腕を掴んだ。


「緑の力であいつの目を塞いであげる、一瞬でも気が逸れるはず。そこを突いて」

「だがルリ、無理をすれば体が――」

「いいから。いいからやらせて」


 その目には傷を負った無念の光が浮かんでいた。

悔しくてたまらないのだろう。


「・・・・・・わかった、だが一度きりだ。長引かせても不利だからな、一気に片を付ける」

「うん」

「ではいくぞ」


 屈みこむと同時にすぐさま疾風のごとくかける。

 ルリの力で大地から無数の木の根が現れ、エルフリーデの手足を拘束したのはほとんど同時であった。

 私は見た。全身を枝と蔦で拘束されながら、眉一つ動かさないエルフリーデを。


「愚かな」


 そのとき、陽を遮っていた雲が流れていき、眩しい光が差し込んだ。

 光りを一身に浴びたエルフリーデがキッと目を鋭く光らせると、体を拘束していた根と草が吹き飛ばされた。緑の力は瞬時に粉と砕け、飛び散った欠片は未だ宙に浮いている。エルフリーデもまた私めがけて疾風の如く空を滑った。五体に力が漲っているのが見て取れる。


 真っ向からの斬り合いであった。


 ルリの力を容易く弾いたことに驚きはない。

 胸中は怒りで満ちている。

 クリステル様を、ルリを、多くのアーバン国の人々を傷つけた。


 許さない。


 憎しみを抱えた今、無念無想で放つ奥義、“篝火様之事”は使えない。夢幻神道流、秘刀七太刀の四“地獄流し”。

 私たちがすれ違いざまに相打った時、鉄の轟音が鳴り響いた。


飛び散った根と蔦の欠片が、パタパタと地に落ちた。


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